第七話 一衣帯水の微睡 ①


 私にとって、クラスメイトというのは他人以上に厄介な存在で、教室なんてものは伏魔殿そのものであった。

 多分、江月に出会わなければそういう考え方を今でもしていただろうし、環境によってはいつ何時でもそういう靴の底に糸を引く様な泥濘ぬかるみの捉え方になってしまう可能性だってある。

 幸か不幸か、江月と出会った私にとってクラスメイトとはたまたま同じ教室に割り当てられただけの他人という印象にまで地位は昇格し、教室内も多少居心地の悪い空間へと立派にランクアップを果たしている。

 しかしどちらにせよ、関わり合いになるのは避けたいことには変わりはない。

 それがどういう訳か、今私はこれまでの人生でそういう解釈で把握していた筈の自身の特性とは反する環境が目の前に広がっている。


「椎本さん、何か歌う?」

 どこか不健全な薄暗さの中で、テレビで聞いたことがあるようなないようなメロディが流れていた。

 安っぽいメロドラマのような映像が流れ続ける画面を眺めるほか、何をして良いのか分からない私に、隣に座る須磨さんが選曲用のタブレットを手渡した。

 カラオケボックスには須磨さんのほかに、彼女とよく一緒にいる姿を見かける、仁科さんと山谷さんも同席しており、今は仁科さんが上手いとも下手とも言えない歌唱力でカラオケを楽しんでいた。

「あんまり最近の歌知らないけど、それでいいなら」

「普段どんなの聞いてるの?」

「そうだね……、クラシックとかが多いかな」

「マジで?椎本さん超カッコいいじゃん」

 山谷さんも会話に混じり、私はどうとでも受け止められるような渇いた笑いを浮かべるのみだった。

 他人に何らかのマイナスイメージを持たれることには慣れているが、互いの温度差がどうあれ、こうして好意的な感情を一方的に向けられるのは慣れていない。

 相手が一方的に悪感情を持っているのならば、私だって邪険にするだけだと、ある種対処は楽なのだが、と何とも言えないモヤモヤした心情を手持ち無沙汰にへらへら笑うしか出来ない私は、どこか滑稽だった。


 夏休みも終盤に近づいた八月後半。

 ようやく店舗の改修を終えたバイト先の午前中のシフトが終わり、振り込まれている筈の給料を下ろしに駅前の銀行へ向かった私は、運の悪いことに須磨さんとばったり出くわしてしまった。

 彼女はどうやら友人と休日を堪能していたらしく、仲良さげに談笑しながら信号待ちをしていた。

 その時、イヤホンで音楽を聴きながらぼーっと信号を待っていた私にも非があったが、まさか人通りの多い駅前でクラスメイトと鉢合わせするとは思わなかった。

 私に気づいた須磨さんが、なぜか例のあの一件以来懐かれているせいか、しきりに私を遊びに誘った。適当な理由をでっち上げて逃げることも出来たはずなのに、私が悩んだ挙句首を縦に振ったのには理由があった。

 一つは、須磨さんのグループにいる筈の増田さんの姿が見えず強く拒否する理由がなかったこと。

 二つ目は、いくら私が性格が合わないと判断しているとはいえ、流石に邪険に扱うのは罪悪感を感じてしまったこと。

 三つ目は単純に、給料日であるというのに何も散財せずに帰宅するのが不思議と勿体無い気がしたからだ。

 ともあれ、私の変わりやすい気分とタイミングが合致しただけの話で、結局のところ気分に流されてカラオケまでノコノコとついてきてしまったのは、今となっては後悔している。

 手渡されたタブレットを手に、何を歌うべきなのか頭を悩ませていた。自信を持って人前で歌えるような曲などある訳もなく、とはいえ歌わないで眺めているというのも場を盛り下げるだけだ。

 コミュニケーション能力が低いとは言え、率先して場の空気を悪くする必要もないだろう。

 逡巡しつつ、ふっと思い出して、バイト先の店内で流れている曲を思い出した。確かバイト先のCMで採用されている、有名なバンドの曲だった筈だ。

 芳川さんが「もう一生分聴いたわ」と、げんなりして天井のスピーカーを呆然と眺めながら休憩していたのを覚えている。

 クラスメイトの前で歌うにはちょうど良い塩梅の選曲だろう。

 タブレットで曲を入力すると、ちょうど今流れている仁科さんの歌が終わりを迎えたために、間髪入れず私の選んだ曲の前奏が流れる。

 私にとって、一つとして共感のできない、ありふれた恋愛を謳う歌を、私はメロディに乗せる。

 こういうのも、一種の嘘と呼べるのだろうか。



「じゃあ、私こっちだから。今日はありがとね、椎本さん!美雪も、また連絡するね」

 仁科さんと山谷さんは、駅の改札口で私と須磨さんに手を振る。

 チャットアプリの新しい連絡先とカテゴリされたページには、仁科さんと山谷さんが新しく名前を連ねていた。

 ふと、江月の名前が新しく連絡先からよく使う連絡先にいつの間にかカテゴライズされていることに気付く。

「椎本さん、今日は付き合ってくれてありがとうね」

 須磨さんは振り向いて、少し照れ臭そうな顔で言う。

「ううん。私も暇だったしね」

 楽しかったかどうかと問われれば答えには困ってしまうし、一言で彼女達と遊んだ感想を言うならば気疲れした、が一番正確な答えになってしまう。

 それでも、苦痛だったという回答にならないだけ、成長しているのかもしれない。

 須磨さんがどうして私をここまで気にかけるのか分からないが、恐らくは彼氏に振られた日に慰めたのが原因なのだろう。

 ともすれば、彼女の言動は私に対する善意に他ならない筈だ。

 善意に対して剥き出しの悪意で応えるほど、私は捻くれてはいない。だからそれなりの、愛想の良い対応を心掛けてはいたが、多分それが気疲れの原因なのだろう。

(ま、いい暇つぶしにはなったけど)

 誰に言うでもなく、善意で誘ってくれた須磨さんに対して気疲れなんてしてしまった申し訳無さから言い訳をつい心の中で呟いてしまう。

 でも、多分、それが正解で、それが限界なのだろう。

 誰とでも仲良くなれる人はいる。でも私はそうじゃない。そして、世の中の大多数もきっと相性の良い人間とだけ仲良くなれる。

 私にとっての相性の良さとは、大多数のそれと比べるとかなり範囲は狭くて、つい最近までは誰とでも仲良くなれないとまで勘違いしていたほどだ。

 一緒にいると気疲れする。

 それが私にとっての他人との境界線そのものであり、限界値なのだ。

 そして、そんな線を軽々と飛び越えてくるのは今のところ、母を除けばまだ一人だけ。

 それを思うと、江月若菜という存在は私にとってどれほどの価値を持つのか。

(そもそも、私なんかと仲良くしようなんて考えが、そもそも間違いだしね)

 私の横であれこれと楽しそうに話しかけてくる須磨さんに心の中で、改めて謝罪をする。


 --ごめんね須磨さん。私なんかと仲良くしても、何一つ良いことなんてないんだよ。


 それを教えようとしないのは卑怯だし、口に出さないのは弱さでしかない。

 卑屈な言葉かもしれないが、真摯な考えでもあると思う。

 だけど同時に、江月にだけは、私と仲良くする価値なんかないと、気付かれたくないのもまた、事実であった。

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