第三話 私の罪を愛する者へ ②

 父親について覚えていることは、ろくでもない人間であったという侮蔑に近い感情を幼い頃から抱いていたということのみだ。

 物心ついてすぐの頃、私の父親はとある事情から姿を消した。

 そのことについて、母は泣いていたし、父方の祖母はそんな母に謝り倒していた。

 母はそれでも気丈に振る舞っていたのだと思う。私一人を育てるために、身を粉にして働いていて、その結果、文字通り骨粉となってしまった。

 栄養が充分に採れていなかったのか、火葬を終えた母の遺骨は原型を残すことなく、殆どが粉のようになってしまっていた。

 火葬場の職員は、そんな痛ましい火葬を見て必死に私を慰めようとしてくれていたが、それ程悲しみは無かった。

 むしろ、私は母を少しだけ羨んでしまったほどだ。何故なら、こんな世界からようやく解放されたのだから。

 きっと、そう思うことが私に出来る精一杯の供養でしか無いのだ。

 小さな仏壇に置かれた母の遺影は、遺品整理していた中で見つけた一番マシな写真を加工した物だ。

 カメラマンは父だったのだろうか、母はカメラに向かって満面の笑みを向けている。

「……そろそろ、墓参りもしなきゃ」

 母が亡くなったばかりの頃は、足繁く通っていた墓所も、今ではすっかり足が遠のいてしまっている。まるで、不義理をしているような罪悪感が募っていくが、あの頃のように理由もなく頻繁に墓参りばかりしていると、それこそ母に怒られそうな気がする。



 晩御飯を食べて一通り家事を済ませてからひと段落すると、私はスマホで江月にメッセージを送信した。

 内容は何てことない明後日の予定についてだ。

 江月は取り敢えず誘ったはいいものの、どこへ行くかは決めかねていたらしく、近場で遊べそうなところ二人で色々と模索していった。

 私も江月もそこまでアクティブな人間ではない。加えて、人混みを得意としている訳でもない。

 そうなってくると、自然と候補はウィンドウショッピングとか喫茶店でお茶でもしながら時間を潰すかのどちらかになる。

 そういえば、と、クラスの女子の何人かが終業式終わりにテーマパークやらどこぞのバンドのライブに行く約束をしていたのを小耳に挟んでいたことを思い出して、私達との対比に少し微笑が漏れた。

 江月が私に合わせてくれているのか、それとも自然とそうなっているのか。

 作為無作為の有無はどうあれ、私と江月の希望が重なるという事実は嬉しいものであったのは間違いなかった。

「……夏休みに入ったら墓参りに行こうかな」

 友人も出来ずに、無為に毎日過ごしていた時は何となく墓前にいると母さんに心配をかけているような気がしていたが、江月と遊んだ翌日であれば、母さんも安心してくれるような、そんな気がしていたのだ。


 翌日。

 通常授業は最終日であったが、クラス内はすでに長期休み気分が蔓延していて、普段の二割増程度に教室内が騒がしいような気がした。

「椎本さん」

 江月と登校するようになってから、毎朝ギリギリに登校するようになった私は、不思議と担任が登壇する数秒前に教室に辿り着くという能力を手に入れていた。

 そのせいか、ホームルームと一限目の始まる僅かな隙間を狙うかのように、どこか慌てた様子の須磨さんが私の席の下へ駆け寄ってきた。

「……えと、どうしたの?」

 クラス内に私と仲の良い生徒はいない。クラス内に限定しなくとも、私が仲が良いと断言できるのは一人しかないのは哀しいところだが。

 故に、話しかけられるというイベントは大抵事務的なものか、或いは私にとって不利益な何かを齎すもののどちらかなのだ。

 戸惑いながらも須磨さんを見ると、いつか見た泣き腫らした顔とは異なり、どこか緊張してるような面持ちであった。

「あ、えーと、あのさ。夏休みにクラスの女子でキャンプに行く計画立ててるんだけど、椎本さんもどうかなって」

「……」

 チラリ、と須磨さんの様子を見守る後方の女子の一団を一瞥いちべつする。

 心境までは窺えないが、歓迎はしていない様子だ。どうやら須磨さんの計画するキャンプの参加人数は六名ほどであるらしい、そのくらいであれば視線と表情でわかる。

 さて、どう断るか。

 トラブルを避ける程度の断り文句を逡巡していると、その女子の一団に見知った顔があった。

 増田由香里ますだゆかり

 増田さんはバツの悪そうな顔で私を見ていた。

 同じ中学の出身で、同じクラスだった。

「ごめんなさい。私、夏休みは予定があって、あんまりこっちにいないんだよね」

「……そう、なんだ。急に誘ってごめんね。あの、もし暇になったら連絡して?いつでも言ってくれていいからさ。あ、そういえば椎本さんの連絡先知らないね。交換しよ?」

 連絡先を交換するくらいは譲歩するしかないか、と、半ばうんざりしながらスマホのチャットIDを教えたところで一限目の物理教師が教室にやってきたので須磨さんは自分の席へ戻った。

 私は安堵しつつ、次の休み時間は一秒でも早く教室から離れることを密かに決意した。


 放課後、久しぶりに甘いものが食べたくなった私は、商店街の中にあるドーナツ屋に足を運んでいた。

 店内は混んでいて、持ち帰りにすれば良かったと思っていると、不意に声をかけられた。

「隣いいですか?」

「?……はい、どうぞ」

 気持ち横にずれながら返事すると、思わず顔を顰めた。

 確か中学の時に同じクラスだった、塚本とかいう女子だ。

 同じ中学出身というだけで、私は反射的に身構えてしまうらしい。塚本さんから直接的に被害を受けた訳ではないが、それでも私にとって反吐が出るようなあの時間を同じ空間で共有していたというだけで、私にとって忌避すべき理由は十分だ。

 塚本さんは私に気づいているのだろうか。私が何者か知らずに隣の席に腰掛けたのだろうか。

 その答えは数秒とかからずに解明された。

「最近、江月と仲良いんだね」

 塚本さんはドーナツセットに付いてくるドリンクをアイスコーヒーにしたらしく、ミルクポーションを注ぎながらこちらを見ずに言った。

「……」

「やっぱり、許せない?」

「ごめん。塚本さんは関係無いって分かってるんだけどね。それでも、気持ちの整理はまだつけられてない」

 思いの外、私は早口であった。正体の分からない焦りだけが、指の先とこめかみを刺激している。

 塚本さんは眉を伏せて、枝垂しだれる柳のように、手元のコーヒーを見るような仕草とともに項垂うなだれた。


「……うん。椎本が許せないのは痛いほど分かるし、関係無いって言ったけど多分私も加害者だ」

 ようやく忘れかけていたのに。

 これは彼女なりの誠意のつもりなのか、それとも謝意を表して心の罪を軽くする所作の一環に過ぎないのか。

 どちらにせよ、いたずらに掘り返していい記憶では無いのは確かで、低気圧のたびに引き起こされる頭痛の如く、因果関係の解明が成されていてもなお対策のできないでいる痛みのようなものなのだ。

「……多分以前までの私だったら、塚本さんが隣の席に来た時点で、店から出てたんだろうね」

「それって、やっぱり江月のおかげ、なの?」

「……それが理解できていれば、私はもっと器用に生きていたよ」

 それもそうか、と、納得いかないような顔でそんな言葉を半ば独り言のように塚本さんは呟いた。


 罪はどちらにあるのだろうか。

 私か彼女達か。或いは、全てか。

 もし私に罪があるのだとすれば、私の罪を愛する者達こそが、私に裁きを与える役目を背負っているのではなかろうかと、そう思わずにはいられないのだった。

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