プロローグ 4
風見鶏が我が家の屋根についているのは、どうやら私の先祖がかなりの西洋かぶれだったことに起因しているようだ。
明治時代に貿易で財を成した私のご先祖様の江月正造は今の私の住居でもある洋館を明治時代の終わり頃に建設したそうで、当然あちこち傷んでいる。
その修繕のために一昨年来てもらった業者の会話で初めて知ったのだが、風見鶏が付属している屋根の天辺は棟というらしい。
その棟で羽を休めてそろそろ一世紀近くになる風見鶏が、インテリアとしてではなく、本当に貿易商の商売道具として必要とされていた頃と比べると江月家は見る影もない。ちょっとした資産家であった江月家は、バブルの時代によくある失敗例の一つとしてサンプリングされる程度には王道の大損をしてしまっただけの話だ。
話が逸れてしまったが、そういう訳で我が家の長老である風見鶏は今日も元気に背後から吹き付ける山風と正面から滑り込んでくる潮風の両方を受けて忙しそうにあちらこちらへと頭を向けている。
庭での作業をしている時に強い風が吹くとつい癖で屋根の風見鶏を見上げてしまうのだが、その度に私は風見鶏という存在が私に似ている気がしてしまうのだ。
風が吹くとそれを受け止める訳でもなく、身体を上手い具合にずらしていなしてしまう。
結局、私もそうだった。
他人に同意を求められると、私はハッキリとした答えを出さずにヘラヘラ笑うだけ。自分の意思などなく、胸中にあるのはどうすれば角が立たずにやり過ごせるかの一点のみ。
他人の主義主張をろくに思考もせず
だが私の場合は揉めた時、意見が対立した時、或いは私とは別の誰かと誰かが争い始めた時、そんな事態が発生した際に振りかかる全ての事象に対する応対が面倒くさくてならないのだ。
怠惰と言われればそこまでかもしれないが、これは私なりの処世術だ。
余計なことに首を突っ込まない、自分の意見や主張をハッキリと口にしない、会話は適当に合わせておく。
これだけを守っていれば、私の人生は安泰だ。僅か十六年程度しか生きていない小娘が何を言うのかと、大人は思うかもしれないが、少なくとも私を取り巻く社会の中では、これが最も賢い生き方なのだ。子供にだって処世術は必要な時代なのだ。
夜半に小雨が降っていたようで、庭の土は僅かに湿っていた。朝露と勘違いしそうなほどの濡れ具合だったため、わざわざ朝早くから庭に出た私はすぐに踵を返して玄関に戻ろうとした。
山風が青々とした匂いを運んで吹き抜ける。
私は半ば無意識に風見鶏を見上げた。
「あれ、そういえば」
と、独り言のように私は呟く。実質独り言ではあるのだが、完全に無意識の状態で口から溢れたような言葉だったので、独り言と呼んで良いのか否かは偉い言語学者の先生に判断を委ねることにする。
初めに断っておくと、私は心の中で思ったことを口にするような無防備な生き方はしていない。その証左に、私はその後に続くべき言葉を心の中で紡ぐことに成功している。
『あれ、そういえば。
椎本と会話していた時、そんなこと一度も考えなかったな。』
――と。
不思議だ。
これは実に不思議で難解な問題である。
生来、私は薄情な人間だ。薄情だと分かっているからこそ、強い繋がりを他人に求めないし、そもそも人間関係の煩わしさには辟易している程だ。
他人が何をしていようか気にしないくせに、他人が自分をどう思っているのかを気にする性格が、人間関係の煩雑さを加速させている気もする。
それなのに私は、気づけば望んでいた。
椎本と友人になることを、私が望んでいたのだ。
それを理解した時、いや理解はできていないか。とにかく、ぼんやりと手持ち無沙汰になった頭の片隅の隙間を埋めるようになんとなく紡いでいった思考と疑問と解答はとんでもないところに着地した気がする。
まだ梅雨入りしたばかりだというのに、私の身体は妙に熱を帯び、手足の末端がピリピリと痺れる。
多分生まれて初めてだろう。
特定の人物と、もっと仲良くなりたいと思ったのは。
つまり私は椎本楓という同級生ともっと親交を深めたいと思ってしまったのだ。
それだけ、彼女は私の心をくすぐる何かを持っているということになる。
気づけば一週間が経っていた。
この場合の一週間の始点は椎本と昼食を共にした日であり、同様に私と椎本の奇妙な習慣が始まる前日でもある。
我が家自慢の、というほどでも無いが、町内であればそこそこの規模になる庭を眺めに来る椎本と私は何となく一緒に登校するようになった。
僅か二十分の距離。
一日二十四時間の内、毎日二十分だけ私は椎本の時間を貰っているような気分になる。土日を除いた一週間で百分。
単純計算でいくと、四千八百分を一年に頂く訳で、この奇妙な習慣が続けば年に八十時間も一緒にいることになる。
実際は祝日やら長期休みやらでもっと少なくなるが。
友人と過ごす時間の割合としてはとても短いのだろうけど、私は朝の登校が段々と楽しみになっていった。
椎本と話すのは楽しい。別段話が合う訳でも、趣味が合う訳でもなかったが、誰かに合わせなくても楽しいと思える会話が新鮮だった。
だけど、椎本の知らない事はまだまだあった。彼女の過去もそうだし、私にとって他人を拒絶する理由と彼女の拒絶する理由が一致しているとは思えない。
そういう部分に触れたらどうなってしまうのだろう、と興味半分躊躇い半分のような話題を私は口にしない。話を合わせなくても良い心地よさと空気を読まなくても良い関係とはまた別の話だ。たまにそんなの関係なしに会話を転がす人がいるが、不躾な人間を気取りたいのなら他人のデリケートな部分を無遠慮に聞き出すのではなく、学校の廊下とかにある火災報知器のスイッチでも押してればいいと思う。
多分感覚的には似ているだろう。似ているはずだ。
そんな話題を口にした訳でもないのに、今日の私達の会話はどこかぎこちない。その原因は一方的に私にあって、今朝方何となく眺めた風見鶏から何故そんな結論に至ったのか今思えば理解し難いが、ともあれ私は椎本の特別な友人--普遍的単語に修正するのであれば、親友とやらになりたいのだと理解してから、妙に彼女を意識してしまっているのだ。
「江月?」
私の横で自転車を引いていた椎本が私の顔を覗き込んだ。彼女のクリクリとした丸い瞳は、いつも気怠げな表情のためにその全貌を窺えることは稀だが、その時ばかりは先ほどクリクリしたと表現したような栗色の瞳がバッチリ私を捉えていた。
「調子悪いの?今日、休めば?」
「あはは……ちょっと考え事してただけ。大袈裟だね」
そう。
と椎本は興味なさそうに視線を逸らして前方に迫った信号機を見た。
こういうところが居心地を良く感じさせる要因なのだろう。深く追求しない、心配はするがお節介はしない、淡白な人間関係を好んでいる。
そんなところが私にとって彼女と一緒にいることの主な理由ではある。
裏返すと、彼女自身もそれを望んでいるという訳で、お互いがそんな希薄で淡白な関係を望んでいるというのに、私はもっと気心の知れた仲になりたい、もっと深くまで入り込んでみたい、そう思うのはやはり矛盾しているのだろう。
この矛盾が、私の心をざわつかせていた。
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