プロローグ 3

 少しだけ、今日は特別な日になる気がしていた。

 何故なら、高校生になって初めて友人と呼べる人が出来たからだ。

 私は四六時中誰かといなければ寂しくなってしまうような性格じゃない。むしろ一日中誰かと過ごしていたら気が滅入ってしまうだろう。

 だからといって孤独を好む訳でもない。

 これが普通の感覚なのかは分からない。

 だが、これがもし人類万人共通の普遍的感覚なのだとすれば、なんと面倒くさい生き物なのだろう。

 換言すれば、自分の都合の良い時にだけ寂しさを紛らわす相手が欲しいという理不尽この上ない我儘なのだから。


 学食で昼を済ませる学生の大半はカレーを頼むらしい。確か学校見学の時に、案内してくれた生徒会の人がそんなことを言っていたのだから、私は余程カレーが美味しいのだろうと思っていた。

 しかしいざ入学して見ると、事実は少し違った。カレーが絶品なのではなく、カレー以外のメニューがとても不味いのだ。

 そのため、弁当を作ってもらえない生徒は泣く泣くカレーを食べる訳だ。それでも毎日カレーだと飽きるので、大抵は購買のパンやおにぎりを買い求める。そんな訳で、昼時であっても食堂が座れないほど混むということもなく、カレーを注文してからでも二人分の席を確保することなど容易いことだった。

「お、カレー。まだ食堂の食べたことないんだよね」

 江月は弁当だった。テーブルの上に広げた二段の弁当箱は色とりどりの野菜とほんの少しの白米が詰め込まれている。

「わ、女子っぽい」

 私は健康とか美容とかを気にして食事を摂るような性分ではないので、少し感心した。

「本当は肉食なんだけどね、作るの面倒くさくて毎日塩茹でした野菜と残り物のご飯だけ。これが女子っぽいならお得だね」

「自分で作ってるんだ」

「まぁね。どうだい、食べて見るかい?塩茹でしただけの野菜だけど」

 フォークの先端にブロッコリーを刺して口元に差し出した江月の誘いに頑なに拒否するのもどうなのかと、私は顔を寄せてブロッコリーに齧り付いた。

「うん、柔らかいし甘い。久しぶりに食べたよ、ブロッコリー」

「おお、結構積極的……。椎本は料理とかしないの?」

 まあ、あまり友達と仲睦まじくするイメージは私にはないのだろうな。

 少し驚いたような江月は私の見た目と言動から噛み合わない私の行動がどこか嬉しそうでもあった。

「一人暮らしだからそれなりにね」

 何気なく返答してから、やってしまった、と私は後悔した。

 大学生や社会人ならば一人暮らしは普通だろう。だが、高校生で一人暮らしとなれば当然、何故、となる。

 その理由は、別にやましい理由があるわけでもなく、むしろ学校が認める程には正当性のあるものだ。

 だが、それを話すのは私にとってしんどいもので、私が求めているものとは別の何かが多分私と江月の間に生まれてしまう。

「一人暮らし?実家、遠いの?」

 あれ?

 と、私は彼女の反応に少し引っかかるものがあった。私の一人暮らしに疑問を覚えるのは至極当然予想通りだし、彼女の疑問に私の疑問の余地はない。

 しかし、何か引っかかった。

「ん、まぁね。そんなところ」

 言葉を濁した。

 それが一番だ。

 多分私にとって、ではなく、江月にとってそれが一番いいはずだ。

 江月は言い淀んだ私から何かを感じたのか、来月に差し迫った期末試験に話題を変える。

 どうやら江月は勉強が得意ではないらしい。本人の証言なので、こればかりは謙遜かどうか図りかねる。

 そこからは何気ない会話が続いた。

 しかし何気ない会話とはいえ、不思議と私は江月と打ち解けていく感覚があった。

 夏場にステンレス製の流台に放置した氷が解けていくようなもので、絡まったコードを解いていくような人為的な要素は一切なく、ごく自然なものだった。

 きっと似た者同士なのだろう。

 それは性格とかではなく、なんというか、生き方のようなものが、似ているのかもしれない。

 例えばお互いに名字が少し変わっているとことか、そんな些細な共通点がもしかしたら多いのかも。

 そんなことを考えてしまうほどに、江月との昼食は意外にも心地よかった。

 もしかしたら、私は他人と過ごすのが苦手ではないのではないだろうか。

 そんな勘違いも甚だしい思い上がりを許してしまうほどには、不本意ながら楽しかったと断言できる時間であったのだ。



 時間の流れは不思議だ。

 七〇年前と聞くと、本当に実在していたのかと怪しんでしまうほどには現役高校生の私にとってはファンタジーと同義語になってしまうのだが、途端にそれが私の現在住むアパートの築年数となるといやに現実的な年数になる。

 まだこのアパートがピカピカの新築だった頃に、ここに住んでいた人はまだ生きているのだろうか。

 そんなことを考えると、ため息が出る。

 家賃二万円の我が家は、風呂トイレ付きの物件の中ではかなり破格の値段ではあるが、その分さまざまな細かな部分で修繕の必要性を感じる。

 だが、それらに目を瞑ればこれ程貧困者に優しい物件もないので、そこは見ないふりをしておくのが一番賢いはずだ。

 炊飯器から冷や飯を茶碗に移して、スーパーで購入してきたお茶漬けのもとを載せてからお湯をかけるだけで夕飯の調理は完了。

 我ながらよく料理をしているなどと言えたものだ。

 自嘲しつつものの数分で夕飯を終わらせると、することもないのでテレビを流しながら、横になる。

 熊なのかリスなのかイタチなのか、モチーフがなんなのかわからないクッションを枕がわりに春の番組改編期からスタートしたばかりのドラマを眺めている内に目蓋が重くなっていく。

 食卓の上に置かれたままの茶碗を流しに戻さなければと、睡魔に闘いを挑んでみるが、これまでの戦績から勝ちのオッズはかなり高い。大穴狙いのギャンブラーならばここで睡魔に打ち勝つ方に全額を賭けるのだろうが、生憎今回も睡魔の勝ちのようだ。

 流石に強い。幾度となく繰り広げられてきた闘いの多くを勝ち抜いてきただけある。

 ドラマのエンディング曲が流れ始めた頃には、おそらく私は完全に夢の中にいたに違いない。

 春先とはいえ、掛け布団もかけず、カーペットの上で寝ていたからか、その日の私は奇妙な夢を見ていた。

 地底人が私に話しかけてくる夢だ。

 何故その女性を私は地底人と思っていたのか理由はない。理由がないのが夢なので、そこに理由があってはいけないのだから仕方がないが、それにしたって私自身地底人などという単語とは長らく付き合いがなかった身だ。

 特段地底人が登場するような物語を読んだり見たりした記憶もなければ、もしかしたらこれまでの生涯で地底人という単語を発音したことすらない可能性だってある。

 あまりにも私の夢にしては私の現実とかけ離れた内容であったために鮮明に記憶に焼き付いた。

 去っていく地底人を私は追いかけた。夢の中の私は彼女に酷く依存していて、彼女がいなくなるということが怖かった。


 そして何より、見覚えのないはずのその地底人は何故かどこか懐かしかった。

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