操る糸

 人類が銀河系の各地に調査隊や移民船団を向かわせるようになって早幾年。

 その日、洋上に浮かぶ宇宙港は今年1番の騒ぎであった。黒煙を吹き上げ横たわる輸送船を、重武装の兵士達が物々しく取り囲んでいる。数にして、3個中隊程度であろうか。非武装のボロ船を囲うには余りにも大袈裟だ。


「発破ーっ!」


 号令一下、焼け焦げ変形したコンテナ用大型ハッチに設置された爆薬が作動。壊れて動かぬハッチを勢いよく吹き飛ばすや否や、盾とライフルを構えた彼等が雪崩れ込む。同時に甲板や展望室なども叩き割られ隙間から兵士が続々と突入していく。


「コンテナ区画の調査は念入りに行え!アルファ小隊は機関部制圧まで通信を密にせよ!」

「本部より各小隊。通信回路は常に開け。繰り返す、通信は常に開け。どうぞ」

『アルファ小隊より本部。通信感度良好。これより機関部に突入する。どうぞ』

『デルタ小隊より本部。前部コンテナ区画、クリア!繰り返す──』


 声を張り上げ慌しい本部テントの中で朝からずっと待機している事に、美沙は正直嫌気が差していた。美沙は軍属ではない。ただの民間の研究者であり、普段は静かで空調の効いた研究室の中に籠る日々を送っている。つまりインドア派であり、おまけに重度の聴覚過敏を患う耳を持つ彼女にとって鋭く命令が飛び交うここは相性最悪、特務用の多機能ヘッドホンをしていなければ今頃気絶しているだろう。


(せめて、ヒーターの一つくらい用意してくれてもいいのに)


 挙句この気温だ。冬真っ只中の十二月に海上では着込んだ防寒具越しに冷気が染み込んでくる。美沙にとって居心地が悪いなどというレベルで済む話ではなかった。

 この宇宙開拓時代に気遣い一つ出来ないのか。そんな小言を人知れず漏らしそうになる。


「まだ暫くかかりそうですねぇ」

「…そうですね」


 隣に座る同業者達が一言ボヤく。適当な相槌を返しながら、なけなしの気遣い…もしくは形式のもてなしとして淹れてもらった温かなコーヒーを一口啜った。 


 何故彼等がこんな目に遭っているのか。話は一週間ほど前、ちょうどこの輸送船が衛星軌道上に現れた時にまで遡る。

 現在地球と他惑星を繋ぐために宇宙港へと降りる輸送船の総数は今や一日千隻を優に超える。それら膨大な数の船一つ一つを管理するため全輸送船には管理タグが紐づけされ、航宙管制局ではタグを監視することで常にどこにどの船がどのような状態で航行しているのか把握して続けているのだ。

 しかし。忽然と軌道上に現れたその船は何もかもが異例であった。

 外装は雷撃傷のようにひび割れ、其処彼処から火を噴きだしながら出現したそれは最初こそただの難破船だと思われていた。だが地球からの呼びかけには一切答えず、そればかりか形状的に地球産であるはずのその船にあるはずの登録タグや建造記録すら見つからなかったのだ。


 “エイリアンの宇宙船”“異世界の調査船”“テロリストの罠”


 人々の間を様々な噂が駆け巡る中、前例も何もない異例の事態を前に対策会議は一週間続いた。

 即座に撃沈すべきか、調査隊を派遣するか、それとも静観を続けるか。結論が一向に出されないその間にも船は重力井戸に誘われる形で大気圏内へと足を踏み入れ、落着予想地点の周辺ではデマとパニックに踊らされた民衆の衝突事件すら発生していた。


 “このままでは何もわからない”


 腰の重い政府に対し業を煮やした軍部が強硬手段に踏み切るのも時間の問題であったのだろう。

 こうして軍は牽引ビームを用いて不審船を隔離した接舷パッドに誘導し突入。緊急の危険性がない事を確認次第、各分野の専門家による念入りな調査を実施する計画を策定。その調査のため美沙を含む各地の専門家十数名が招集されたのだ。


(にしたって、私まで呼ぶ必要はないだろうに)

 

 聴覚過敏の美沙にとって、静かな空間に身を置けていないという状況は本来、何としても避けたいシチュエーションである。しかし何度リモートドロイドでの調査を申請しても、お堅い役所は首を横に振り続け、半ば強引に現地にまで連れ出されてしまった。


『チャーリー小隊より本部へ。コンテナ区画含む艦中央部までの探索終わり。破損箇所多数なれど、その他の異常及び死体、生体反応の有無、確認できず』

「どうしますか司令」

「うーむ…」


 司令と呼ばれた男が眉を顰め思案を巡らす。地球の船なのに、人間が一人も見当たらない。あまりにも不可思議な現象と呼ばざるを得ない状況なのだから、誰がこの立場にいても同じように悩むだろう。一歩間違えれば思わぬ事態を引き起こしかねない。

 だが、悩み続けるわけにもいかない。男は美沙達が待機している席へと目配せし、決断する。


「…調査を開始する。コンテナ区画の装甲から解体を始めろ」

「了解。工兵隊、配置につけ!」

「調査団の皆様、こちらへ」


「内部から慰留品と思われる物を運び出します。調査団の皆様は念の為防毒マスクを着用して調査をお願いします。内部調査には必ず我々を付き添いに──」


 説明を受けながら学者達がテントの外に出ると、待機していた大型の解体用重機が輸送船の外壁へと取りつく所であった。先程までのテント内の騒音なぞ比べ物にならない轟音が鳴り始める。


(ヘッドホンを持ち出して正解だった)


 普通の人ですらあまりの騒音に耳を塞ぎたくなるような環境。美沙にとってはたまったものじゃない。この機械が鼓膜へと入ってくる音量を調整し抑えてくれていることに、彼女は心底安心感を覚えていた。


 船内から持ち出された物品がドローンの群れの手によってシートの上に並べられていく。携帯端末に、衣服の類。作業用ドローンや銃器の数々。


「酷いな…」


 学者の一人が呟く。この場にいる皆がそう感じているであろう。並べられる品のほぼ全てが、どこかしら破損しているのだから無理もない。


「どれもこれも地球製の製品だ。やはり難破船なのでは?」

「だが血痕のかけらもないんだぞ?おかしいだろ」

「地球外生命体に跡形もなく消されたとか──」


………

……


 ──夕方

 静まり返った大学の中を歩く1人の女性。長かった調査から一度解放され、ようやくの思いで美沙は自身の研究室へと戻る事が出来た。いくつものサンプルを重そうに抱えている。精密検査を行うため研究員達に渡された廃品の山だ。


「疲れた……」


 研究室へと戻るや否や、美沙は抱えた貴重なサンプルを部屋の隅へと押しやり、仮眠用の布団へと身を投げだした。

 結局の所、昼間の議論は白熱こそすれど納得のいく回答は出なかった。長時間に及ぶ大人数との会話。何とも言えぬ徒労感が彼女を包む。


(眠い…)


 疲労が美沙を眠りへと誘う。時計の針は20時を少し回っていた。

 今から自宅へ帰るのも中々億劫だ、いっそここで朝まで寝てしまおう。彼女がそう考えるのも自然な流れだった。


 だがそれは、油断である。得体の知れぬ、宇宙からの廃材と同じ部屋で眠ること。如何にそれが危険な行為であるか、彼女はそこまで頭が回っていなかった。
















──かしゃん











 もし彼女がヘッドホンを外していれば、その繊細な耳が異音を拾っていたかもしれない。

 もし彼女が一度でも家に帰ろうと考えていれば“それ”の標的は違ったのかもしれない。




 彼女が投げ出したガラクタの山にしか見えぬ“それら”は糸がほつれていくように擬態を解除しその本性を露わにする。その身はピアノ線かと見間違えるほど異様に細く、僅かな光の反射でしか視認できない。やがてほつれた糸の体は動きまわるのに都合のいい太さの体へと再び編まれていく。

 5分もすれば廃品の山は完全に消え、鉄の糸で編まれたミミズへの群れとかしていた。微細な金属片が積み重なった紐状の胴が鈍く輝く。それはまるで、獲物を探す捕食者の眼光。


 そして、その鋭い視線は。ベッドの上で眠る“獲物”へと注がれる。無警戒で無気力に眠りこける非力な女性。彼らに知性があるのならば、きっとこう考えるだろう。







 なんて都合のいいエサだろうと。








 彼女が気がついたのは、背に何かが触れる違和感。


「ん…ごめん、このまま寝かせて…」


 私に帰るよう同僚が促しに来た。彼女の思考はそう結論をつける。普通の思考回路ならば当然の判断だろう。

 背筋を這う指。やがて指はしなやかに曲がり、二本、四本、八本───


 人の指ではないと気がついた時には全てが遅かった。

 “それ”がヘッドホンへと身を伸ばす。紐状の体は、細く暗闇に溶け込む糸へと再び解れる。ヘッドホンのパーツ同士の隙間から、糸の体が忍び込む。

 これが、“それ”の食事であった。触れた金属パーツは新たな体へと変わる。このヘッドホンは、もはやエサの所有物ではない。








──キチキチキチキチ







 ヘッドホンが異音を流し始める。彼女以外なら聞き逃してしまうほど小さい金属音。

 新たな主人を得たヘッドホンは気がついていた。獲物が、自分の体と密着していると。無数の糸が、かつてスピーカーがあった部位から、彼女の無防備な耳へと伸びていく。


「何何何…っ!?」


 違和感に美沙の意識は急速に覚醒する。

 身を起こし抵抗してようとする獲物の行動を“それら”は気にも求めない。彼女の繊細な耳の神経を撫で上げ“それ”は進む。耳の奥底、鼓膜すら容易に通り抜け、奥へ。奥へと流れ込む。狙いは、たった一つだけ。






──プツッ












──プツプツプツ



 捉えた。


 無数の糸が、脳を包み、突き刺さる。

 獲物の身がかくんと跳ねる。今の彼女は、雷に打たれるレベルの衝撃が、刺激が。神経を、脳を焼かれているのだ。


「い゛ゃっ!‼︎ !やめ、ゃめて゜─お゛ぁ゛゛!」


 獲物を喰らう側は、至福のひと時。喰われる側は、無限に時間を引き伸ばされる地獄。

 痙攣し、華奢な身体を歪ませる筋肉。脳の隅々まで撫でられ、金属音が駆け巡り、ニューロンの信号に介入され、獲物は徐々に。書き換えられていく。

…変えられていく。

……壊されていく。

………消えていく。













─キチキチ




「……ぅ─ー−…」


 朝日が登る頃。

 “それ”はヘッドホンごと獲物の身の中へと消えていた。体液で酷く濡れたベッドだけが、前夜の惨劇を物語っている。


 

 部屋中に鳴り響くアラームに、美沙は叩き起こされた。時計を見れば、朝の六時。少し寝過ぎた。急いで昨日の仕事の続きを───




 ─キチキチキチキチ




 ──そう。昨日の、続きを、しなければ。

 美沙は一つ深呼吸をし、今日の予定を組み立て始める。

 ガラクタの山に擬態する必要は、もう無い。この星に、獲物など無数にいる。この建物だけでも数百人。擬態用の機械製品も山ほどある。コロニーを作る足掛かりには最適な環境。既にいくつもの伝搬用擬態ドローンが編まれ始めている。


「…よし。今日も頑張りますか!」


 その身に満ちていく活力を解き放ち、美沙は一歩を踏み出した。新たな仕事をこなすために。新たな生物として生きるために。新たな主人としてこのエサを喰らうために。


 彼女が眠っていた痕には、かつてヘッドセットだった残骸が僅かに転がっていた。








お題:耳 雷 紐

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3題SFファンタジー短編集 Ri.Coil @RiCoil333

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