他人の不幸は蜜の味(※)
「よし…頑張れ私…!」
今日こそ、言い出さないと。そんな使命感に駆られ私は戸に手をかける。働き詰めの疲労と圧迫される心に震わされる体。お願い、今日はもう少しだけ頑張って。
「よぉ。一週間ぶりか?」
浴びるように酒を飲み下す音。無気力な彼が、散らかった缶とツマミの殻の山を踏み分け出迎えてくれる。今日は機嫌が多少マシらしい。私にとってはまたとない朗報だ。
「これ。今月分の生活費…あと煙草」
「待ってたぞ。やっと銘柄間違えなくなったな」
差し出した箱と封筒を乱雑に奪い取るなりまたうるさく騒ぎ立てるテレビの前に戻っていく。今しか切り出すタイミングはない。
「冷蔵庫の黒葡萄持ってきて。親父がお前にも食わせろってうるさいし」
「あ…っ。あのさ、その前にちょっといい…?」
「あ?なんだよ。親父んとこ行く日は変えられんぞ」
「実は…また1人、出来ちゃった…」
ライターをつける手がピタリと止まる。
「は?」
直後、蹴飛ばされる机。飲みかけな酒にいくつもの錠剤、書類が舞う。
「お前さぁ!あんだけ2人目作らねぇようにしろって言ったろうが!!」
「ごめんなさい…!ごめんなさい…っ!!」
髪を思いっきり引かれゴミ山に投げ捨てられる。激痛と屈辱に涙が溢れてくるのが抑えられない。
「俺は認知しねぇぞ!いいか、あくまで離婚は経済的理由だからな!!」
「──っ待って!せめて、せめて2人目だけでも認知して!」
機嫌のいい今しか話が出来ないのに。こんな癇癪一つで潰すわけにはいかないのに。慌てて頭を床に押し付ける。
が、鈍い衝撃に再び缶と袋の海に叩き込まれる。引っ張られた遮光カーテンの隙間から日が差し込む。
「しるかよ!てめぇが避妊しないのが悪いだろ!産みたくないなら堕ろせよ!」
「やめてっお腹は蹴らないで!お願い!!」
もう嫌だ。どうしてこうなった。辛いよ。
暫く続いた地獄はやがて終わる。飽きたのか、それとも満足したのか。彼は再びテレビへと戻っていった。恐る恐る顔を上げる。
「すまん、言いすぎた。その辺片付けといて。あと次来る時酒も買い足して」
興味なさげに優しく言ってくれるだけ機嫌を直してくれた方だ。黙ってゴミを拾い集める。まだ愛想を尽かさず必要とされてるだけ喜ぶべきなんだ。
[ピンポーン]
呼び鈴が鳴る。それは、あらかたゴミ袋に纏めた頃だった。カーテンの隙間から差し込む日が傾いてきている。娘を迎えに行かねばならない。
「いいじゃねぇかよ!親父の会社一つくらい潰れたってよ、いっぱい抱えてるだろ!」
お父さんと電話中の彼に代わり玄関へと向かう。先に玄関周りを片付けたほうがよかったかもしれない。
戸を開けると、そこには艶やかな黒髪が靡くセーラー服を纏う女性が立っていた。私より少し背の低い彼女がりんご飴片手にニッコリと笑う。
「えっと…?どちら様で──」
「こんばんは〜。ごめんねお姉さん、ちょっと用事があるからお邪魔するね」
彼女は挨拶も程々に、軽い身のこなしで私をすり抜け奥へと入っていった。てっきり宅配か何かかと思っていたのだけれど、彼の知り合いだろうか。まさか、新しい女だろうか。私も後を追いリビングに入る。
「おい、誰だお前。勝手に入ってく──」
「happy!Halloween!」
ゴッ
そこで、見たものは。女に殴られ血を吹き出す、私の彼の姿であった。彼女は、いつの間に取り出したか、小ぶりな鉄パイプを軽々と回し遊んでいる。
「えっ……ユウジ…?」
床に倒れ込む彼。流れ出す赤い液体。ピクリとも動かない体。まさか、死んだ?
「あら?こいつ男なのに意外と脆いねぇ。こんなもんなのかな」
嘘、だよね。
彼の頭を、女が足蹴に転がす。額から、目にかけ。穴が、原型も無く抉れていた。
「嘘!嘘嘘嘘!待って!!死ぬな!!!」
どうして。私が、愛した。私の愛が。
血の池にへたり込む中、甘ったるい匂い。りんご飴を齧る女が覗き込む。暗く深い真っ黒な瞳が私を捉えている。
「うーん、やっぱお姉さん、悲しんでないねぇ」
「……え…?」
「だってぇ、お姉さんの目、安心感で笑ってるよ」
突き刺さりそうなほど細く華奢な指が私の瞼を、目尻をなぞる。零れ落ちる涙を優しく拭われていく。何かに納得したか、満面の笑みで再び立ち上がる。アルコール臭と血の匂いに入り混じる、ドギツイ香水の香りを振り撒きながら。
「ま、当然だよね。うち知ってるよ。お姉さんが酒や“ビタミン剤”に手を出してるの。空きっ腹にこんなの飲んでたら幸せじゃないよねぇ」
机の上に飾られた錠剤をしなやかな手つきで取り出す。視線が不思議と動きをそれを追う。彼女の切れ長な目が、ずっと此方を見据えている。
「彼自身が頼れないから、彼の出す快楽に頼ってるんだよねぇ。でもこんな紛い物、LOVEじゃないもんねぇ。お腹の子も少しは安心したよねぇ」
「いや…私は……違う…私じゃない…!」
違う?いや、何が違う。彼女の言う通りじゃないか。私を依存させて、面倒になって捨てた男が…!
「そうだ…お前が…お前が!お前がせめて認知してくれるだけでも私はよかったのに!!」
血に沈む顔が、憎い。お前ばっかり、逃げやがって。拳が、赤く染まる。目の前の男の頭が、崩れていく。当然の報いだ。ざまぁみやがれ。
肩に重みを感じる。気がつけば女が肩に手を回してくる。彼女が、甘く囁く。
「そうだよねぇ…よその女からわざわざ寝とってまで作った、と〜っても優秀な遺伝子持った子なのにね。認知してくれないとぉ。血筋も、金も、何もかも利用できないもんねぇ…それじゃあ幸せになれないもんねぇ…」
「え?」
待て。なんで、それを知ってるの?背筋を這う指。ゾクリと恐怖心が湧き立つ。やけに肩が重い。
「被害者面で無かったことにしようとか、本当酷い女だよね。お腹の子もこれじゃあ不幸せだね」
背筋から、へそ。下腹部。全身を愛撫される不快感。耳元で嘯かれるアイツの声が脳を痺れさせる。
「そんな…私は何も悪くないって、お前が─!」
「うん?うち別にお姉さんが無罪なんて言ってないよね?何甘い事言ってんの?」
喉元に冷たく何かがあてがれた。長く、鋭利。アイツの、爪?少しずつ、突き刺さる。やめて、死にたくない。全力でもがくが、こんな華奢な体一つ振り払えない。
「ほーら動かない。中身崩れちゃうでしょ。そうだ。最後にりんご飴食べさせてあげるね」
口へと押し込まれる固く、甘く、酷く不味い味。喉への痛みで顎が動かない。
温かい液体が、喉から胸へと這う。酷い眠気。嗚呼、こんな事なら。せめて、学生の時に…
………
……
…
「あとは〜たっぷりの飴で〜あま〜くあま〜く。頭ピンクな〜腹黒女のように〜努力もしない〜信念無い御曹司のように〜」
真っ暗な部屋の真ん中で、少女は歌う。肉肉しい音を奏でながらも口ずさむ。
やがて、一つ出来上がった。串に突き刺さる真っ赤な実。透明な飴に覆われた新しいりんご飴。
「うんうん。やっぱりりんご飴は作りたてが1番だよね。この味、この風味。更に今度はおまけ付き。これで不味い未来もお腹の中」
満ち足りたはずなのに、何処か空虚な笑顔で下に寝転ぶ真っ赤な絨毯を見下ろす。
「あぁ、そろそろ変えとこうかな。この体だともうお腹いっぱいだし」
そう呟いた彼女の下腹部が音を立て破けた。中から覗く肉塊。ドス黒く複数の球が合わさったかのような醜悪な外見。糸の切れたかの如く静かになった少女から、新たな人形へと入っていく。
暫く不安定な痙攣を繰り返した“それ”が止まると、大きく伸びをする。
まるで目覚めたばかりの彼女の表情は、先程までの悲壮感あふれる顔つきではなかった。何処か底知れない、目の笑っていない笑顔。死臭漂う全身を満足げに見る。
「君も最後に役立ててよかったねぇ。ぽっかり空いた隙間も満たされるって幸せだねぇ。ハッピーだねぇ」
動かない亡骸から香水を取り出し全身を香りで染め上げると、りんご飴片手に彼女は外へと踏み出す。
「今年はもう少し食べたいなぁ。今度はまだ熟れてない、若すぎて青臭いリンゴにしようかなぁ」
軽やかな足取りで彼女は夜道へ溶け込む。後に残した物など、最早彼女の関する所ではなかった。
今宵はハロウィン。きっと彼女は、また現れる。
不幸な貴女を
幸せにするために。
「こんばんは〜。happy Halloween!」
黒葡萄 りんご飴 ビタミン
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます