その先で

 戦争は終わった。あの終わりそうもなかった大戦争が、だ。皆多くの宝を失った。


……さ………き…


 今でも夢に見る。俺たちが得られたかもしれない未来を。血塗られた希望を背負わされて尚、戦い続けたあの日々を。


(…おい…………起き…)


「ん………もう少し。寝かせ──」






ジュッ





「熱っっっ!?」

「私を待たせて二度寝しようとは。中々いい度胸ではないか」


 煙草の灰が降る焼け付く痛みに飛び起きた。勢いそのままに時計を見る。11時過ぎ。寝坊なんて生やさしいものではない。いくら休暇中とはいえ軍人として失格だ。

 ベッドの真横に仁王立ちする女の表情を、そっと確認してみる。普段と変わらぬすました顔。煙草を咥え見下ろす冷ややかな視線。なるほど、鬼の様にお怒りらしい。


「…おはようございます中将」

「挨拶はいい少佐。最初に何か、私にするべき事があるよな?」


 出来るのならば。誰でもいい、誰か近場の人間にSOS信号を打ちたい衝動に駆られる。彼女の目が全く笑っていない。背筋を冷や汗が滴り落ちていく。こんな恐怖、戦争以外で味わいたくない。キッチンへと直行せねば。


「朝食ですよね。今用意するので少しだけ待ってください」

「ん、よろしい。早めにな」


 食をチラつかせた途端圧が下がる。表情には乏しい人なのに不思議と解るようになるものだ。もっとも、冷静に考えればこの寝坊の原因は彼女だった気がするのだが…口は慎んだ方が良いだろう。

 

「…少佐。余計な事は考えないようにな?」

「まさか。朝食パスタでいいですよね。あと俺にも一本ください」


 なにしろこのカンの鋭さだ。きっとニコチンと共に、周囲の思考も吸っているのだと俺は踏んでいる。もしくは代々テレパシーの使い手な家系。思い返せば彼女の両親も異常なまでにカンが鋭かったので、あながち間違いではないかもしれない。

 あぁよろしく、と頷く彼女から煙草をカウンター越しに受け取る。静かに煙草と読書を嗜み私服で安らぐ姿。カウンター席でくつろぐ彼女を一目で軍人、しかも一個軍団を率いる中将閣下だと見抜く奴はいないだろう。それほどまでに美しく絵になる休日風景だ。慌てて着替え皺だらけな服装の俺を除けば、の話だが。

 

………

……



「さぁどうぞ、温かいうちに」


 香りたつオリーブオイルと、ビール煮した新鮮な鳥もも肉。もはや昼食と言っても過言ではないこの時間、食欲を強烈に刺激する拘りのパスタだ。酒好きな彼女にとってこのパスタは大好物の一つである。


「やっとだな。君の分は?」

「俺はまだ起きたばかりなので。先、フォークとドリンク用意してくださいね」


 煙草片手に纏わりつく上司。灰がパスタに混ざらないよう細心の注意で引き離す。料理していて気が付かなかったがカウンターの灰皿には吸殻が積もっていた。私が起きた時はまだ7,8本程度だったはずだが、どうも相当に楽しみだったようで。

 やっぱり表情は硬いのに、それでもわかる軽快な足取り。彼女はフォークをクルクルと回しつつジョッキを取り出すと、ビールサーバーに手を…


「…ん?」


 またか。また彼女は、この明るく晴れ渡った真昼間からアルコールを取ろうとしている。なみなみと注がれる生ビール。戦時中本社が焼け落ちて以降、中々出回らなかった高級ブランド品。


「中将殿…戦後なのであまり強くは言いませんが、せめて昼間は自重しませんか?」

「君は馬鹿かね。贅沢はできる時にするものだよ。特に命の軽い軍人はな」


 お前のことだぞと言わんばかりな目でジョッキを呷り、パスタを巻く。


「戦時中は仕方ない。我慢せねば勝てる戦も負けるからな」

「だが今は戦後。戦火で失った分新たに生み出す必要があるだろう?」

「経済を回すは人間の底知れぬ欲だ。直接的な復興支援も大切だが、それを根付かせるには数多の欲が必要なのさ。ご馳走様、今日も美味しかったよ」


 気がつけばパスタは跡形もなく平らげられ、彼女は食後の一服に入っていた。直前に俺の朝食用ビスケットを一枚摘まんだ事は気にしないでおこう。


「俺も好きなことは沢山やってますよ」

「フゥー…知ってるさ。君の欲が私にしか向いていない事もな」


 くすくすと煙吐く彼女に揶揄われる。わざわざ口に出す必要もないだろうに。恥ずかしさを誤魔化すようにビスケットを口へと放り込む。


「さて。無駄話はこれまでとしよう」


 僅かに残るビールを一気に飲み干し彼女が立ち上がる。と、ふらりと此方の両肩に手を回され。膝に乗り掛かり紫煙を吹きかけられる。困惑しているうちに突然舌をねじ込まれた。


 蹂躙するかの如く長い蕩けるキスになされるがままにされていく。強烈な煙草の苦味があるはずなのに、やたらと甘ったるい。これはビスケットの味か、はたまた彼女自身の味か。


「──ン───プハッ……これはまた、どういう風の吹き回しですか」


 困惑する中浴びる視線に違和感を感じる。やはり表情は殆ど変わらない。なのに、彼女の目の奥は熱っぽく浮かれている。


「ふふ……言ったろう、積もった欲求を解放する必要があるとな。それに君が起きるまで待ったのだ。我慢した方だろう?」


 一晩中付き合わされたというのに、まだ足りないという事か?まるで漫画や映画の登場人物かと疑いたくなる体力と欲望だ。悪質なジョークなんだろう?ジョークだと言ってくれ。頼むから。

 振り子時計の鐘が13時を知らせてくる。まだ陽は沈む様子を見せず、外から子供達の駆ける声が響く。


「時計にまだ早すぎると訴えられていますが?」

「時間に過剰に縛られる日々が終わったと喜んだのは、一体いつの君だったろうね」


 確かに昔そんな事を言ったような、言ってないような。手を引かれるままに寝室へと連れ込まれ着替えたばかりの私服を脱がされる。こうなると頑固な彼女の意思を変えるなど出来る人はいない。いきなりアルコールを入れるのを容認した俺の失態だ。

 

「わかりました…俺の負けです。だからお手柔らかにお願いしますよ、中将閣下」

「よろしい。これも戦後の楽しみ方だ。せいぜい頑張りたまえ。あぁでも───」


 唇に人差し指をそっと押し当てられる。


「──ベッドの上での階級呼びは禁止だと言ったはずだ。これでは手加減する訳にもいかないな」


 今日1番の不敵な笑みで押し倒された。薄々察していたが、やはり自分は一生この女に勝てないのだろう。

 いや、それでも良い。あの地獄で勝ち得た戦果だ。彼女が望んだ道は全て開ける必要がある。この程度、いくらでも受け止めようではないか。

 彼女は上司にして戦友。そして、私の宝物なのだから。






お題: 性欲 漫画 生ビール

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