花喰らい(※)

「花の咲くカタツムリ?」


 私にそんな噂話を持ちかけてきたのは下校時刻だった。


「殻を包み込むように花が咲いてるらしいよ!」

「ふーん…」


 あまりにも突拍子がない冗談。そんな与太話、今時小学生ですら信じない。アイナは高校生にもなって浮かれすぎだ。


「何そのやる気のない返事は!」

「いやだってさ、所詮カタツムリでしょ?あんな気持ち悪い生き物、いくら花咲いてても見たくないよ」


 そもそも女子高生がカタツムリの話題なんか出すなという話だ。かくいう私も苦手だし、あんなヌメヌメ生物の存在を話すだけで鳥肌が立ちそうになる。

 だが、拒否反応を示した私に対しこの友人はなお目を輝かせながら不敵に笑う。


「フフフ…そのカタツムリの秘密はそれだけじゃないんだよ」


 目の前の席に座り話し込む姿勢を見せる。くだらない冗談はもう聞き飽きたし今すぐ帰りたいのだが、親友の話は形だけでも聞いた方が良いだろう。そう考え直し私も席に戻る。


「実はその花の中にある殻が大事なんだよ。この殻がさ、宝石で出来てるんだって!」

「宝石ぃ?」


 やっぱり聞かない方が良かったかもしれない。益々意味がわからない話になってきた。なんでムシ如きが宝石の殻なんか背負うんだ。


「そ、殻がぜーんぶ本物のダイヤモンドなんだ!すごくない?」

「まぁ本当なら凄いけどさ…」

「スミちゃん、こんな一攫千金チャンスを逃す手ないよ!」


 言い草がキャッチセールスか何かみたいになってきた。元から騙されやすいアイナの事だ。これは本気で信じているに違いない。


「ハァー…アイナ、お金ないの?ご飯奢るからさ、いい加減子供じみた真似は──」

「えっご飯!?食べる!カレー食べたい!」

「はいはい、わかったからくっつくな!」


 ここまで素直だと一周回って不安になる。まるでダメな子だ。

 なんにせよその日は2人でファミレスへと出向き、訳の分からない妄言から食欲へと思考を逸らせる事が出来た。この話はこれっきり。数日も経てば私自身、この話題をしたことを忘れていた。





 あの話題が再び上がったのは、高止まりの続く気温がようやく落ち着いた頃だった。窓を開けていると思ってたより肌寒く感じる。

 その日私は正門前で、アイナが学校に来るのをずっと待っていた。何しろ前日、健康優良児な事くらいしか取り柄のないあの体力バカが学校を休んだのだ。お陰で昨日は心配で授業に手がつかなかった。いつも真面目じゃないけれど。

 暫く登校する生徒達をぼんやり眺めていると、少し遅れてアイナがやってきた。普段の明るい雰囲気とは少し違う、いかにも病み上がりの様な動きだ。


「おはよーアイナ。昨日は大丈夫?」

「え、うん。おはよう」


 なんて普通な返事を返してくるのか。いつもなら鬱陶しく喧しいはた迷惑な挨拶を返してくるはず。珍しく塩らしいアイナに、少し強く問いただす。


「ねぇ、本当に大丈夫?アンタがそんなに静かなの初めて見るけど」

「うん。全然大丈夫」

「…なんか私に隠してるでしょ!ねぇってば」


 どこか上の空な彼女の肩を掴む、と彼女がふらりと私にもたれかかった。


「ちょっと!?」

「ゔぅ…ぁ゛……」


 やたら甘ったるい良い匂いがする。いやそんな場合じゃない。相当辛そうな顔だ。焦った私が先生を呼ぶ判断を下せたのは、結局朝礼開始のチャイムが盛大に鳴り響いた後であった。



 何か唸り声を漏らすアイナを先生に預けた後も、あの違和感が思考を占拠していた。お昼には戻ってきた彼女の様子を隣のクラスまで見に行ったが、元気に昼食を食べていた。パンを頬張る姿が可愛い。どうやらいつも通りの言動に戻っている。

 そう、戻っているはずなのだ。なのに、なんとも釈然としない。何か、引っかかる。私の中で違和感は膨れ続けていた。


「スミちゃん!もう帰っちゃうの?」


 もう一日様子を見よう。そう思い直し帰り支度をしていた時、アイナの方から声をかけてきた。泣きぼくろがキュート。漂う心地よい香り。うん、いつも通りのアイナ。違和感なんて何もないはずだ。


「スミちゃん?」


 じっと観察を続けていると流石に居心地が悪かったのだろう。アイナが小首を傾げる。


「ごめんごめん。だいぶ元気そうでよかった」

「うん!ねぇ、今日ご飯一緒にいかない?アタシ今カレー食べたいんだよね!」

「カレーね。いいよ、回復記念に奢ってあげる」








「いや、今日はアタシが奢るよ」








 今、なんて言った?あの万年金欠女子高校生が、奢る?自分の耳を疑っている中、彼女は真新しい皮財布から大量の一万札を取り出した。


「いやー、実は昨日結構儲かってさ。休んでたのそのせいなんだよね!心配かけてごめん!」


 唖然とする私にお札を渡してきた。まさか、パパ活?にしたって大金すぎる。そもそもそんな行為の存在すら知らない様な子だ。絶句する私の気持ちなんて露知らずにアイナの口は回り続ける。


「ほら、この前話してたカタツムリ!あれ本当にいたんだよ。殻をもらったんだ!」

「しかも結構近いところにいたんだよ?隣の街との間の山だからまたすぐ行けるの!」


 そういえばそんな話もしていた。信じがたい話だが、目の前の札束と無垢な言い草が確固たる証拠として、薄気味悪い現実味を付与している。

 落ち着け私、ありえない話だろ。必ず裏があるはずだ。アイナは騙されているに違いない。私が救ってあげないと。

 手元にあったサイダーを飲み干し、ようやっと再稼働した思考をフル回転させる。


「…アイナ。明日土曜日だし、その山に案内してくれない?」

「いいよ!丁度誘いたかったしね」

「おっけーありがと。じゃあ今日は、アイナに奢って貰おうかな」


 情報は力だ。詐欺かなんだか知らないが、アイナを助け出すためにもまずは現地に赴き、宝石の正体を突き止める他ないだろう。

 ファミレスで当日の打ち合わせを済ませ、一抹の不安を残したままその日は帰宅した。




 翌日。

 私が駅前に着いた頃には既にアイナが待っていた。山に行くと言うのにやたらと短いスカートを履き、彼女にしては珍しく髪飾りをつけている。


「お待たせ。珍しいね髪飾りとかつけちゃって」

「えへへ…これね、貰ったんだ」


 ピンク色の花飾り。あまり詳しくないが、多分アネモネとかいう品種を模した物だろうか。明るい笑顔によく映える。

 

「山入るんでしょ?スカートの丈大丈夫?」

「大丈夫!そんなに深くないから!」


 それでいいのだろうか?だが現地に着くまで余計な口出しはしないと決めていた。まずは信じてみる。そこからだ。



「おっそいよ!」

「ちょっと─待って──」

 

 山へと踏み入り早10分。1本目のサイダーは既に空。何が深くないだ、奥底じゃないか。

 彼女の導くままに獣道を進む。途中学校のジャージに履き替えていなければ全身傷だらけになっていただろう。生肌を晒しながらも無傷で進むアイナの身のこなしが羨ましい。まるで滑るように走っていく。

 アイナを見失いそうになりかけていると、にわかに木々の無い小さな空間へと出た。周囲の鬱蒼とした草木が光を遮っているこの空間に“それ”は咲いていた。


「着いたよ!」


 まさか本当だとは…辺り一面の花園を前に息を呑む。空間の中心に近づくほど、足の踏み場もなく咲き誇る姿は壮観だ。


「綺麗…」

「そうでしょー!」

 

 風に木の葉が揺れると地に落ちた木漏れ日が乱反射し、花が風に靡く度美しい光の波を生む。ダイヤモンドの輝きが私を魅了する。


「こっちこっち!スミちゃんも貰うんでしょ!」


 あまりの浮世離れした光景に心を奪われている間に、アイナは中央へと踏み入れていた。慌てて私も進もうとして踏み出し──

 




「──これ、どうやってそっちまで進んだの?」





 そう。彼女が歩いた場所は一つも踏み荒らされていなかった。


「どうって…普通に避けてくれるよ?」


 当然でしょと言わんばかりにアイナは進んでいく。このままでは置いて行かれる。私は恐る恐る足を踏み出した。

 花びらへと靴が触れる前に静かに花々が動く。その影にチラリと粘液に濡れた生物が見えた。ここでようやく「花が咲くカタツムリがいる」という話題が発端だった事を思い出す。なるほど、確かに踏まれたくはないだろう。すり足で進めば人混みをかき分けるよりも容易く歩ける。やけに動きが素早いが、こんな生物だ。その程度ではもう驚かない。


 それにしても凄い環境だ。アイナの話す事が全て真実ならば、この辺りの殻をかき集めれば億万長者も夢ではない。一気に売ると目立つだろうけど、そこは少しずつ小出しにすれば誤魔化せるし。殻を失うカタツムリ達には申し訳ないが、これも食物連鎖だ。


「スミちゃんこっちこっち!これ見て!」


 呼ばれた方に目を向ける。どうやら真ん中は少し窪んでいたらしく気がつかなかったが、そこには人よりも大きな巨大花が咲いていた。中央には一際大きなダイヤモンドの周囲を大小様々なダイヤモンドが飾り立て、大きく鮮やかな紫の花弁が周囲を彩る。死骸の花も育つのか、それともこれ自体が彼らの巣なのか。小さなダイヤモンドは彼らの子供の殻かもしれない。


「この花にまた会いたかったんだ」


 いつのまにか傍らにアイナが立っていた。甘い匂いが漂ってくる。彼女もこの花に魅了されているらしい。どちらも美しいから当然か。




 どれくらい経ったのか。ほんの少し日が傾いてきた。そろそろ今日は帰った方がいいだろう。


「アイナ、そろそろ帰ろうか」


 ダイヤは欲しいが今は集める手段がない。一度出直した方がいい。2人して座り込んでいたが、私はアイナに帰宅を促し立ち上がる。

 だが、返事は予想だにしないものだった。






「え?もう帰ってきてるじゃん」


「…は?」


 一体何を言っているのか、休んでいた思考が活性化すると同時に、脳が違和感を捉える。


「あれ?その髪飾り、色変わってない?」


 記憶が確かなら駅前にいたときはピンク色のアネモネだったはずだ。とても明るい色だったからよく覚えている。

 だがしかし、今髪に飾られているアネモネは青色に変色していた。深く、吸い込まれそうな青色に。


「そんな事どうでもいいじゃん。ほら、ここにいようよ」


 彼女は座ったまま私の手を引く。甘い匂いが振りまかれる。とても可愛い。とても。

 いや、まて。何かがおかしい。甘い匂いを出しているのはアイナだけではない。周囲からもアイナと同じ匂いがする。だが、こちらの方が何倍も強い。脳天を突き抜けそうな甘ったるさ。目を動かせば、花々がチカチカと、蠱惑的な光を放っている。


「スミちゃん、私、スミちゃんと繋がりたいの」


 やけに強い力で袖を引かれる。可愛い。


「ねぇ。いいよね。みんなも私がスミちゃんと繋がる事を許してくれているよ」

「はぁ?何言って─」


 ─視線を感じ振り向く


 広がる花畑に無数に突き出る二つの目。カタツムリ達のツノが、全てこちらを見据えていた。近づいてきたいくつもの可愛らしいカタツムリが足に登って──あれ?私はなはず、だよね?

 違和感は益々強くなるのに、何がおかしいのかがわからない。アイナは足元に群がるカタツムリ達を愛おしそうに眺めるばかりだ。


「ねぇ、スミちゃん。皆と楽しく遊ぼ」


 手のひら一杯にカタツムリを抱えアイナが微笑む。

 心の奥底で何かが「逃げろ」と叫んでる。それなのに、穏やかな安心感が体を包み動けない。カタツムリが裾から入り肌に触れるたび、気怠い痺れがじわじわと広がる。膝から崩れ落ちる私にアイナが覆い被さってきた。


「ほら。楽しいよね。楽しいの」


 抱えていたカタツムリ達をボタボタと振りまかれる。大量の粘液が全身を包んでいく。


「アイナ…やめて…っ」


 抗いたいのに、体が言う事を聞いてくれない。視界がブレる。目の前のアイナの顔すらよく見えない。


「スミちゃん。ほら、口開けて」

 

 そう聞こえた気がした瞬間。ふわりと柔らかな感触が唇に触れた。


「んぅ…ぐ…」


 舌で口をこじ開けられる。唾液と共に何か、細いものを流し込まれる感覚。徐々に増える“それ”を飲み込む度、意識が、白濁に掻き混ざり満たされる。私も、送り返さないと。胃の底から、脳の底から。私の。全てを。彼女へと………

 







 

 彼女達が繋がり始めて何分だろうか。何時間だろうか。

 覆い被さっていた側の少女が身を起こした。全身から人とは思えぬ粘液を垂れ流し、口から無数の寄生虫が溢れる。


「スミちゃん…もう一緒だね」


 倒れ込み痙攣する“元”少女をアイナは母親の様に撫でる。服は既に破れ、全身を粘液とカタツムリが覆い尽くしている。

 暫く撫で続け満足したのだろう。おもむろに撫でるのを止め、虚な彼女を抱き抱え中央の巨大花へと運ぶ。

 巨大な影が鎌首をもたげた。全長20mはあるだろうか。大きな2本のツノの先端が、少女達を睨み値踏みする。


「これでやっと食べてもらえる。さ、一緒に食べられようね」


 側にまで歩み寄ったアイナは足元に親友を置くと、その巨大な主に対し媚びる様にひざまづく。この後に起こる事への期待をこめ、恍惚とした表情を浮かべながら。

 値踏みが済んだのであろう。主の大きな口がアイナの顔ごと唇を奪い、彼女の“中身”を吸い上げ始めた。喰われる喜びに身をうち震わせる少女。2人分の記憶を、感情を、思考を。丸ごと喰らい尽くさんと主が喉を鳴らす。



 ひとしきり食事を楽しんだ主が、空になった“元”人間を吐き捨てた。その巨体を震わせると、宝石の殻に新たな二つのダイヤが育ち始める。

 空の肉塊に小さなカタツムリ達や寄生虫が続々と群がり、内部へと侵食を始めた。満たされた肉体は新たな餌を探すべく、既に人格の入れ替えられたもう1人と共に帰宅の準備を進める。何事も無かったかのように、ごく平然とした表情で。

 結晶とかした人格達は、新たな2人の門出を静かに見つめて続けていた。やがて訪れる新たな犠牲者エサが、自分達と同じ幸福を辿れるよう願いを込めて。






お題:アネモネ 繋ぐ カタツムリ

 

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