幸せな視界

 私の日課最初の一歩は朝日を浴びる事だ。何しろ1日の大半を家の中で過ごしているのだから、こうして積極的に日光浴に出なければ体調を崩してしまう。体が比較的弱い私に取っては必要不可欠だ。

 扉を開けば涼しげな風が頬を撫でる。杖を頼りにテラスを降りると、ガサガサと乾いた足音が鳴る。そろそろ冬物を用意せねば、すぐにでも冬に入ってしまう。秋は短くて満喫しきれないのが唯一の欠点にして最大の欠点だろう。階段に腰を下ろし、静かな朝をたっぷりと堪能する。今日もいい日になりそうだ。


「お姉さん、おはようございます!今日もお元気そうで何よりです!」


 失礼、訂正しよう。今日も“騒がしい”日になりそうだ。正門の方角からもう聞き飽きた少年の声が聞こえてきた。あの声は最近毎日通い詰めてくる少年だ。よくもまぁ続くものである。


「今日もよく来たね。そろそろ寒くなってくるのだから、たまには休みたまえよ」

「えぇ?嫌ですよつまらない」


 なるほど、つまらないか。ここに来てもやる事などないと思うのだが、どうやら少年の辞書に「飽きる」という単語は記載されていないらしい。何度も何度もここに足を運んで早10年なのだから、正直暇人なのかと疑いたくなる。昼には一度帰宅するので違うだろうけども。だからこそ尚のこと気になってしまうのだ。


「さ、今日も張り切って掃除しますよ!失礼失礼っと」


 果たして本当に遠慮しているのかしていないのか。ズカズカとテラスに上がりこむと、背後で掃除用具を取り出す音が聞こえる。だいぶガサツに取り出していそうな音だが、少年が自分で勝手に揃えた物だから文句はつけられない。張り切っている少年を邪魔しないよう、片隅に置かれたロッキングチェアに──コレも彼が勝手に置いた物だが──身を委ねる。


「相変わらず掃除のしがいのある庭ですねぇ」

「別に手入れなぞしなくてもよいと言ったろう」


 元々数十年間も放置していた庭だ。今更弄り回す意味がわからない。そもそも客人すらあまり来ないのだから、見てくれを意識する必要がないのだ。私にはまさしく無用の長物。この広すぎる庭を売っていない理由すら忘れた程に。


「まぁまぁ、好きでやってる事ですから。お姉さんの目に変わって僕が素敵な庭に変えてみせますよ」


 結局私が見ないのだから意味がないのでは、という話だったのだが。この少年の主張はズレていないか?子供というのは一度決めたら中々に頑固で困る。


「…ま、少年のやりたいようにやればいいさ」

「もー!!!また少年呼び!いい加減覚えてください、僕は19歳です!」

「19歳も9歳も変わらんよ」


 適当にあしらいながらキセルを用意していると、穏やかに流れていた風が遮られる。


「何?これを吸うのは辞めないってこの前決着したでしょう」


 眼前に突っ立っているであろう少年とは以前、煙草を辞めろ辞めない論争で丸々2日間言い争いを行った。たしか「もう200年以上生きたのならそろそろ健康にも気を使ってください」とか言い始めて。あまりにも私を舐めた発言だったからつい頭に来てしまい、柄にもない口喧嘩をしてしまったのだ。結局少年側が折れて私の愛煙生活は守られたのだから甲斐はあった。


「…いえ、ちょっと待ってください。そのたばこ葉、見せてもらっても?」

「うん?いや、まぁ、構わないよ」


 この少年、また何か企んでいるのだろうか。私のキセルを渡すと、暫く沈黙が続いた。どうやら葉が気になるらしい。いつも愛用している葉だ、少年も普段から見ているだろうに。


「……お姉さん、この葉、ちょっと辞めといた方がいいかも。虫が手を付けた跡がある。代わりにこっちの葉、使ってください」


 虫?気がつかなかった。保管には気をつけていたつもりだったのだが…古い箱だから穴でも開いてしまったのだろう。愛用しているが故の迂闊さであった。後で少年に直してもらおう。

 改めて火を付け一服決め込む。口当たりのまろやかさが印象に残る葉だ。純粋にうまい。私のために良い品を用意したかと思うと、ほんの少し、年甲斐もなく胸が弾む。


「これはいい葉だね。嫌煙家にしてはいいチョイスだよ」

「友人を頼りました。あんまりいい顔はされませんでしたけど」


 喫煙家は大体口を揃えて「煙草は手を出す物じゃない」と主張する。それは煙草を嗜むからこそ百害あって一理なしと知っているからだ。だからこそ、嫌煙家の少年が煙草を教えろと言っていい顔をするはずがないのだろう。よき友を持っているではないか。


「…わざわざありがとうね。助かるよ」

「いえ…お姉さんのためですから!」


 紫煙を燻らせながら掃除を見守る。目で見える訳ではないが、耳をすませば大体何をしているのか想像は付く。一通り掃除を済ませると、今度はガーデニングを始めたようで大きな何かを退かし始めた。昔は清掃だけだったのに、ここ数年ほど急に拘り始めたのだ。理由は知らないが、私がわざわざ確認する必要もなかろうとやりたいがままにさせてある。ひとまず少年の事は放っておくことにしよう。

 キセルに葉を足しつつ今日の予定を改めて思い出す。薬草類の収穫の用意に洗濯、は少年に任せていいだろう。裁縫は一昨日手伝って貰い完成させたし、傷んでいた屋敷の補修は3週間後には一区切りつくと言っていた。


「…困ったな…」


 仕事がない。というよりは、殆ど少年に任せていれば終わってしまう。迂闊だった、ここまで頼りきりになっていたとは。これでは今後の独り暮らしに支障が出かねない。


「お姉さん、紅茶淹れときましたよ」

「ん?あぁ、ありがとう」


 香りでわかる、今日はまた新しい茶葉を用意してきたな。相変わらず少年の入れる紅茶はどんな葉でも深みとうま味を引き出してくる。ガーデニング中にこれほど美味い紅茶までも淹れる余裕があるとは手際が良──



「って違う!!!」



 今の今、彼に頼りすぎだと自己分析していたところではないか。何お出しされた紅茶を味わっている。せめてそれくらい、自分の手で淹れねばならんだろうが。


「少年!少年!!」

「あれ?紅茶不味かったですか?」


 阿保か。これほど美味い紅茶は少年以外で味わった試しがない。この腕にケチをつけられるのは相当な偏屈者か大の人間嫌いだろう。


「あぁ不味い!だから明日から来るな!」


 なんだ、私のことじゃないか。腹ただしい。


「アハハ、じゃあ明日は更に上手く淹れますよ。期待してください!」


 罵倒して上機嫌になるのは想定外と言うべきか、彼らしいというべきか。ここ最近人間の思考回路がとんと読めない。流石に年かもしれない...いや、まだ273歳だろ。自信を失うな、私。


「はぁー…まぁいいさ。朝食は私が作る。任せてはおけないからな」


 ひとまず仕事は任せて大人しく料理でもしていよう。改善はまた時間のある時に進めればよい。

 杖を頼りに腰を上げ屋内に戻る。床が体重を受け止める度に軋み、隙間風がそこら中から入り込んでくる。この屋敷も建ててからざっと100年は経っているせいでガタがきているのだ。彼のおかげでリビングだけは隙間風もほぼなく、快適に使えるまでに改築が進んだ。彼がいなければ私は今も陰鬱な地下室暮らしだっただろう。

 トースターにパンをセット。その間に皿とジャムを用意しておく。後は適当に卵とベーコンでも焼いておけば少年が勝手に食べるだろう。前が見えなくとも場所を暗記しておけばこの程度容易いのだ。油の弾ける音が心地よい。紅茶は少年がテーブルに用意してある。私は確かに目が見えないがそれでもこれほど綺麗に朝食が用意出来る、即ち少年が居なくともまだまだ私はやれるという証左に他ならない。完成した朝食を皿に盛り付け待つ。もう今すぐにでも少年がやってくるはずだ。


「…少年!早く来ないか少年!」


 おかしい。大体パンが焼けたあたりで飛んできては美味い美味いと食べ始めるのだが。声をかけても来ないのは珍しい。作業の進捗が悪いとかだろうか?否、あの少年が私より仕事を優先するとは思えない。ならば理由は一つ、私の声が聞こえてないだけであろう。仕方のない少年である。杖で重い足取りを補いつつ玄関先へと向かう。


「少年、何をグズグズしている。パンが冷めてしまうじゃないか。早く来たまえよ」


 はて。テラスにまで出て声をかけるが反応がない。帰るときは必ず声を掛けてくる少年が急に消えるなぞありえない話。少年の存在を感じ取ろうと意識を庭中に張り巡らせる。

 

「…正門の方、かな」


 この屋敷は小高い丘に建てられている。丘全域が私の庭であり、正門はしばらく降った先に構えてある。つまりここからでは視力のある人間であらうと正門は木々に覆われ全く見えず、音すらほぼ聞こえないはずだ。そんな遠くにまで朝食前に行くとは、相当作業に没頭していると見た。


「少年ー!戻ってこーい!」


 数十年ぶりに歩くこの庭は、杖だけを頼りに歩けるほど平坦ではない。少し進むだけで何かが足に絡むし、杖は一振りごとに障害物を見つけだす。確か作業用の資材や道具が置いてあるとか言っていたな。だが今の私にはこの杖しか頼れない。慎重に進み続ける。

 15分程歩き続けただろうか。普通の大人なら3分でたどり着ける距離だが、前の見えない私にとってはこれでも相当急いだ方だ。朝食はとっくに冷めてしまっただろうか。


「ハッ…ハッ…少年…ッ…どこだ…!」


 息が上がって声が掠れる。もう少し体力をつけておくべきだった。一度呼吸整えようと私は立ち止まり──


ガサ…


「…!」


 正面から話し声が聞こえた。少年と、誰だろうか。どうにも複数人いるらしい。ひとまず黙って帰っていない事に何故か胸を撫で下ろす私がいた。もうこの際客人込みでもいい。早く朝食を食べたい。


「少年!呼びにきたぞ少年!」



 途端、空気が凍りついた。凍てつく様な視線と無数の殺気が膨れ上がる。たった1人を除いて。




「…少年?」



「お姉さん!来ては駄目!」



 直後、銃声が鳴る。私の胸に少年が飛び込んでくる。咄嗟に迎え入れた胸にヌルリと生暖かい液体が触れる。


「もういい。毒盛りにすら失敗する上に化け物を庇う奴など要らん。後は我々でやる」


 なんだ、これは。いや、私はこの感触を知っている。血を垂れ流し、死んでいく人間の感触を、ずっと昔から。なぜだ。何故、少年が、殺された?


「期待など端からしてなかったが。これで討伐報酬の分け前に10年分の奴宛の報酬、全て我々のものだ。感謝せねばなるまいて」



 こめかみに冷たく何かが宛がわれる。

 


「化け物、最後に言い残す事はあるか」




 違う。私が、殺されたのか。少年は私を庇って。

 

 そうか。

 

 だから人間は嫌いだ。いい顔して近づいて、勝手に私を悪意から守り、勝手に死んでいく。










 許さない











「あ?」


 こめかみに突きつけられた銃をへし折り、間抜け面の男を軽く弾き飛ばす。視界がクリアに広がっていく。世界を隠していた包帯がほどけ、地面へ溶け落ちる。


「おい、髪が蛇に…!」

「やはりゴルゴーン、報告通りだ!」

「撃ち殺せ!新型の怪殺銀弾なら奴を殺れる!」


 相対するは17人。

 たった17人か。これっぽっちの命で少年への償いになるはずがない。


「撃て!」


 弾丸が体を貫通する。がそんな事はどうでもいい。まずは”あれら”を逃がさない事が先決だ。

 髪が伸び地を這う。虫ケラ如きに反応できる速度ではない。一息に広げ、体勢を崩していた奴をすくい上げ喉笛に喰らい付く。悲鳴を放つソレはいとも簡単に手元へと引き摺り込めた。やつの目を隠していた色眼鏡を砕き、じっとりと見据える。


「ひっ…あ…がっ…」


 鮮血と恐怖心を撒き散らし、ソレは瞬く間に石化していく。他愛無い、ボス猿とて所詮は武器頼りか。力を込めれば脆く崩れる。銃弾も既に私には届かない。ここは私の庭だ。誰一人逃がしはしない。


「髪で弾を…!?」

「目を見ると石にされるぞ!抉り出せ!」


 狼狽するソレを1人、また1人と喰い殺す。絶叫し飛びかかってくる者、腰の抜けた者、皆等しく殺す。1人。また1人。見たくもない血溜まりと肉塊を踏み潰す。後、2人──

 

 再び、発砲音。


 違和感を覚え視線を落とす。体からいくつもの槍が折り重なるように生えていた。


「やった!仕留めた!」

「いまだ!逃げろ──」


 他に、まだ、いたのか。いつからあったのか、私の背後には無数の廃材が無造作に積みあがっていた。その瓦礫の中に人間共が隠れていたのだ。悲鳴を上げる隙すら与えず廃材ごと髪で食い殺すも、不意を突かれた代償はあまりにも高くついた。膝をつく私の髪達が元に戻っていく。


「あ゛ぁ゛…痛い、痛いよ──!」


 槍を引き抜こうにも心臓を貫かれてしまった。弾丸程度ならまだしも、これほど大きな穴をいくつも空けられては、流石に保たない。少年、私の少年はどこだ。守らねば、早く少年を守らねば。四の五の言ってられない。強引に抜き取るべく渾身の力を込めた。

 が、真っ赤に染まった弱々しい手に、私は抑え止められる。


「ダメで…お姉さん……槍、全部、抜いたら…血が…」

「少年っ!大丈夫か、少年!」


 そこには、息も絶え絶えに鮮血を垂れ流す死に損ないがいた。誰がどうみても私より酷い致命傷を負っているにも関わらず私を止めに来るなんて、とんでもないお人好しの大馬鹿だ。


「ごめんなさい…嘘、ついてた…ここに、来る、理由…全部全部…今朝のも…毒を…」

「黙れ!善人が!」


 少年はこの後に及んで、まだうわ言の様に謝り続ける。やめろ、君は何も悪くないのだから。やめてくれ。喋るたび少年の胸の傷が開いていく。彼の、血と泥と涙に埋もれた目が、私を視界に捉える。


「あぁ…お姉さん……やっぱり…綺麗な…………」

「今屋敷で手当をしてやる、だからっ、喋るな!」


 胸に縋っていた彼の身がだらりと崩れる。抱き締めようにも槍が邪魔をする。頼む、私を置いていかないでくれ。もう穴が開こうとどうだっていい。無理矢理槍を引き抜き、ふらつく足に喝を入れる。屋敷まで、戻れば、きっと治せるはずだ。戦いの最中折れた杖をその場に捨て屋敷へと向かう。


 鼓動が聞こえない彼を抱え丘を登る。いつの間にか丘は麓から火をつけられていた。取り逃した2人組の仕業だろう。忌々しい人間達は私の知らないうちにこの庭をゴミ山にしていたらしい。庭中に散乱するゴミや廃材を糧に、黒煙と異臭を放つ炎の手が登ってくる。

 屋敷が見えてきた。徐々にゴミの量が減り、花と木々が増える。ボロボロに風化したテラスに、いつもの煙草の葉と混ざった白い粉が踏み向けられていた。穴だらけの扉を押し除け入る。


「…ハハ、これは、酷い、な……」


 まるで意味を成していない崩れた壁。窓ガラスは悉く割れ、かろうじてリビング周りだけが張りぼて宜しく薄い板で囲まれていた。こんな廃墟、少年1人の手ではとても直せる状態ではない。それでも、彼は、私の為に最善を尽くしていたのだ。

 椅子に少年を座らせる。振り向けば、少年の成果達が燃え始めている。まだ時間はある、急いで地下室に入り──

 ──目を疑った。そこには薬草類など一つも無かった。そこにあったのは、カサカサに枯れた成れの果てと、誤魔化す様に鉢植えに入れられた雑草。棚に片付けていた包帯は虫に食われとてもじゃないが使い物にはならない。

 リビングに戻ると、壁際に残された少年の鞄が目に入った。そこには、フカフカのパンや綺麗に焼けた目玉焼き、それに新品のベリージャム瓶と薬草の数々。いつもの席に座り、目の前のヒビ割れたジャム瓶からグスグスに腐ったジャムを取りだす。黒焦げに焼けた卵とパンを頬張って紅茶で流し込む。遅すぎる朝食は全て胃にいた穴から漏れ出していく。

 手遅れだった。何も出来ちゃいなかった。私はただ、人間の真似事を、100年も続けていただけだったのか。


「…少年……すまない…」


 呆然と朝食を取る中、火の手が屋敷のすぐ手前まで伸びてきた。時間はもうない。

 再度地下へと戻る。今度は少年も一緒にだ。階段を降り、部屋の片隅の倉庫を開く。

 そこには大量の埃と虫に加え、割れた姿見があった。以前この屋敷を持っていた主の遺品だ。

 固まりつつある少年の目を開き、泥と血を舐めとる。瞳孔が光を捉えられるよう、しっかりとゴミを取り除く。青く、宝石の様に美しい目だ。鏡に向かい合わせに立たせ、背後から今一度抱き締め、私の身を預ける。もう鼓動は聞こえない。







「すまない…君の、心に、気がつけなかった…」







「これが、せめてもの、償いだ…今まで、支えてくれて。」








「ありがとう」





 彼の目が鏡を捉える。そして、私の視線も。殺意と、愛情をこの目に乗せ、しっかりと見据える。直後、彼と私は─────






お題:杖 悪意 蛇

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