異界
No.27 - 目覚め
形容しがたい浮遊感に襲われて、マコトは目を覚ました。彼の思考にはまだ眠気のような靄がかかっており、視界もわずかにぼんやりとしている。思考はまったく覚醒していないが、彼の体は本能に従って周囲を見渡した。
霞んだ視界の向こう側には、輪郭のはっきりしない暗闇が、赤黒い明暗を伴って蠢いている。いつも見るような夢の世界に似ているようで、どこか決定的に違うことだけが、彼には分かった。彼は走らない思考に鞭打って自分の置かれた状況を正しく認識しようとしたが、体に力を入れる事すらできない。微睡の中、彼はただその空間の中を漂っている他なかった。
(……)
体に纏わりついて離れない倦怠感に抗っていると、彼の視線の先の暗闇の中に一つの小さな光球が現れる。それは徐々に強く発光しだしたが彼の視界を焼く事はなく、彼の周囲にある暗闇を払うこともなかった。太陽のようなその光を直視しているにもかかわらず、目を開いていられる矛盾に、マコトはわずかに違和感を感じる。以前にも一度、同じような現象に出会ったことを頭の片隅に思い出したが、違和感を解消するには至らなかった。
(……?)
光の中心に向かって手を伸ばしても、物体を掴むことはおろか、その中心に辿り着けそうな気配すらない。マコトには、その発光体が意思を持って自分と距離を保っているように感じられた。
「きみあ、だえ、だ……?」
のろのろとした追いかけっこを続ける中で、彼の頭脳は少しずつ覚醒の兆しを見せ始める。近づくことを諦め、まだ動かしにくい口をもごもごとさせながら彼は語りかけた。しばらく待ってみても、返事はない。ただ、語りかけていから明らかに明滅が増えている。何かこの光のパターンに意味があるのだろうか、とマコトが首をかしげたその時、今度は響くような音がその発光体からなりだした。
(bscflslあd……‘ 、あvあいあlあf)
それは言葉なのか、意味を持たない音なのか、マコトには判断がつかなかった。彼がその意味を推して図ろうとしていると、さらに続けてそれは鳴く。
(jtsjjsvあいfいfkd)
それを聞いた直後、再びマコトの意識は暗転した。
◇◆◇
完全に停止していたきぼうのシステムが、眠りから目覚めるように徐々に回復していく。基幹システムの復旧に呼応するように、各端末が起動して計器類に明りが灯り始めた。艦橋を守るように降ろされたシャッター類が順に解放されていき、ガラス越しに少しずつ外の様子が見えるようになる。一番最後に照明が戻り、艦橋の中が明るく照らされた。艦橋にいた乗組員は皆気を失っていたが、眩しさと機械音によって徐々に意識を取り戻し始める。中でもいち早く目覚めたシドは、わずかに走る頭痛をこらえ、頭に手を当てながら周囲を見渡した。
「……ぅ……ここは……?」
周りには同じようにぐったりしている仲間の姿があったが、それ以上に窓の外の景色に彼は目を奪われた。外は濁った水のように緑がかっており、まるで水流があるかのようにその色に濃淡ができている。艦橋の窓から上を見上げると、水面の先に青白い光が揺らめいて見えた。常識外の光景に彼は一瞬動揺して固まったが、すぐに席を立ってレーダー班長のそばへよった。
「張偉、この空間内についてスキャンしてくれ」
「了解」
幸いにもレーダー班長は既に目を覚ましており、彼の呼びかけに素早く応じる。次に彼が艦長席の方を向くと、ちょうど艦長自身が艦内放送の回線を開き、きぼう全体に向けて指示を出し始めるところだった。
「こちら艦長サコミズ。各員点呼のち、至急各部の状況を精査、報告せよ。以上」
ブツリと音が切れ、艦内放送が終了する。すぐにシドは艦長の元へ駆け寄った。
「艦長、我々は一体……」
「戦闘ログはどうなっている?」
「……っ、しばらくお待ちください」
不安を吐露するシドに対して、サコミズはいたって冷静にシドに尋ねる。その言葉に彼はハッとして、すぐに手元のデータを確認し始めた。すぐに確認可能なログを出力させたが、シドの顔は曇る。
「役に立たなさそうです。最後に各砲座が発砲した時間はログには残っていますが……どれほどの時間が経過したのかわかりません」
「時間がわからない?」
「はい。現時点で時計は計時不能状態を示し続けています」
そういってサコミズが自分の端末から確認しようとすると、本来数字が並ぶべき文字盤にはハイフンだけが表示されていた。眉をひそめながら押し黙り、彼はじっと考えを巡らせる。ややあって、諦めたようにふっと息を吐いて彼は顔をあげた。
「今はもっと多くのデータが欲しい。報告が上がってくるのを待つしかない」
「……」
ざわつく胸を押さえつけるようにシドはじっと黙りこむ。彼は自分の席に戻り、各班からの報告を腕を組んで待った。
◇◆◇
『こちら艦長サコミズ。各員点呼のち、至急各部の状況を精査、報告せよ。以上』
「ん……んむぅ……いたた……」
艦橋が慌ただしく動き始めたその頃、倒れ伏していたソフィアは目を覚ました。腕には壁に叩きつけられた時に出来たであろう痣があり、ずきずきと痛む。手の平でさすりながら体を起こすと、わずかな浮遊感があるばかりで惑星の重力圏にいるときのように床に足がつくことに驚いた。
「あれ? さっきまで宇宙にいたはずじゃ……?」
軽くつま先で跳ねるようにしてみると、確かに重力が体にかかる。肩のあたりまで伸びた髪の毛が、彼女の耳元でふわりと揺れた。不思議そうに足元を見つめてから、ソフィアは気を失う前のことを思い出して急いで振り返る。
「びっくりしたぁ……スガワラさん、大丈夫ですか? さっきはほんと……」
近くにいたはずのマコトの姿を探すと、彼女の後ろで彼は黙って立ち尽くしていた。まだ暗い廊下の中、その姿がまるで幽霊のように見えて、彼女はその姿に驚いてびくっと体を跳ねさせる。ただ、すぐにその正体がマコトであることを知って、彼女は安堵からむしろ饒舌に話しかけようとした。しかし。
「あれ、スガワラさん?」
その立ち姿に力感はなく、なぜ立っていられるのか疑問に思うほど脱力している。目に意思が感じられず、焦点は遠くにあてられていた。わずかに口がパクパクと動いている以外、彼は目の前で揺れている手の平にも、廊下を照らし出した照明にも反応を見せていなかった。
「ちょ、大丈夫ですか? 頭ぶつけちゃいましたか?」
その目線の前に手のひらをかざし、ひらひらとさせてみても彼は何の反応も見せない。おかしいな、とソフィアが首を傾げたところで、彼はようやく首をひねって彼女の方を見た。相変わらずその目は黒く濁ったような暗い色をしていて、彼女は喉から引き攣ったように声を出して固まる。
「あ、あの、いや、その……」
口ごもる彼女の前で、彼はようやく口を開いた。
「vgmgjあhあおd‘」
「い、いまなんて、言いました?」
マコトの口から発せられた言葉の意味がわからずに、彼女はそう聞き返したが、その返事を聞く間もなく彼は力なく倒れ込んだ。弱い重力によって倒れていくその動きはゆっくりとしていたが、体が床にぶつかったゴツンという音だけははっきりと聞こえた。
「ええーーー!!!」
彼女は叫んで、誰かに助けを求めようと誰もいない廊下に向けて視線を数回往復させる。あたふたと足踏みをしたあと、彼女は涙目になりながら自分より背の高いマコトの体を引きずるようにして医務室のほうへと向かった。
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