No.17 - 日常

 地平線から恒星が昇った。タカアマバラ外縁一帯が恒星からの光に照らされて明るくなっていく。マコトの家の窓にも朝日が突き刺さり、ガラス越しの光が寝ていた彼を刺激した。

「ん~……」

 あまりのまぶしさに目をうっすら開けて時間を確認すると、時計はいずも標準時で6時43分を示している。自分で設定したアラームの時間が迫っているのを悟り二度寝を諦めて、無理矢理に体を起こした。ベッドの上で大きく伸びをして、そのまま体を折りたたんで前屈し足の筋肉も引き延ばす。十分に体をほぐしたことを確認してベッドから足を床に下ろし背筋をただすと、首を左右に倒して肩回りの凝りを取っていった。

 柔軟が終わって深呼吸をしていると、設定してあったアラームが鳴り始める。立ち上がってアラームを消し、マコトはリビングへと向かった。ドアを開けると暗かった部屋にすぐ明かりが灯り、空調が室温を整え始める。

「ふぁ……おはよう」

 彼は誰もいない室内に向かって朝の挨拶をして、シャワーを浴びに脱衣所へ向かった。服を脱いで洗濯機に投げ込み、ガラス戸を開けて浴室に足を踏み入れる。まだ眠気でぼんやりする目をこすりながらシャワーヘッドに手をかざして水を出し、あえて冷水を選択した。

「あー、つめた」

 彼は手に落ちる水滴を眺めながら、ゆっくりと眠気を醒ましていった。


◇◆◇


「あー……おはよう……」

「あぁ、おはよう」

 マコトが朝食を食べ終えコーヒーを飲み始めたところで、キキョウが部屋から出てきた。彼女が持ち込んだ部屋着から着替えて、品薄の売り場から買い集めてきた動きやすい普段着に着替えているが、寝癖で髪の毛がぼさぼさになっている。

「朝ごはん用意しといたから。ほらそこ」

「悪いわね……先顔洗ってくるわ……」

 キキョウは礼を言いつつ、まだ残る眠気に抗うように顔をしかめて、洗面所のほうへ直行した。マコトは、のろのろと歩く彼女の後姿を見送り、コーヒーの残りに口をつけながらニュースサイトを開く。いずもは相変わらず遮断状態であり、何一つ情報が入ってこない上にどこのサイトにもアクセスできなかった。いずもにサーバーを置くメディアがいずも政府報道官の言葉を伝えてはいるが、マコトにはいずれの報道も具体性に欠けているように感じられる。

「へい大将! やってるかい?」

「びっ……くりした、やめてくれよほんと……」

 スカスカになったサイトトップの向こう側から、突然響いた大きな声に驚いて彼の体がびくついた。マコトが手に持っていたコーヒーカップの中身は幸いにして派手には零れていない。しかし、まだ触ると熱い液体が手の甲にかかって、彼は顔をしかめた。ミソギはにへらと笑って少しふけの浮いた頭を掻きながら謝る。

「いやぁ、ごめんごめん」

「まったく……」

 マコトは痛みを我慢しながらカップを机に下ろし、台所へ行って水で手の甲を洗い流した。火傷というには大袈裟ではあるが、手の甲についた赤い跡に重点的に流水を当てる。そんなマコトの背後で、ミソギは勝手にポットからコーヒーを注いで湯気を立てながらすっかりくつろいでいた。

「大袈裟だなぁ、別にいいじゃない。今時義体もあるし、そもそも人間そんなに脆くないよ」

 そういってまたカップを傾けるミソギに、背中を向けながらマコトは苦笑した。

「どうかな。人間、案外脆いもんだよ」

「マコトのそういう悲観的なところはよくないな、見てて不安になる」

「そういうミソギも楽天主義がすぎる。楽観主義者は流れ星になるってよく言うだろ。別の意味で不安になるよ」

 言い返されたミソギはぐうの音も出ず、くつくつとソファの上で笑った。手に持ったままのカップからは一滴もコーヒーがこぼれていない。

「さすがだね。知識量の違いが出るなぁ」

 水にぬれた手を拭いて、また椅子に座って残りのコーヒーを飲みながらマコトはいった。

「知識量に差はないさ、お互い本なんていう骨董品がすきだろ? 得意な分野が違うだけだよ」

「洗面台ありがと」

 ちょうどその時になって、キキョウがリビングへ戻ってきた。ミソギはソファの背もたれから首を後ろにひっくり返して声のする方を見る。ひっくり返った人の顔を見て、キキョウは驚いてじりっと後退した。

「ども、お邪魔してます~」

「ど、どうも……」

 その返事に満足してミソギはニッコリ笑い、体を起こしてコーヒーカップを机に置く。そのまま立ち上がって、鼻歌交じりに台所の方へと歩いて行った。

「それにしても、こっちに戻ってきてからもう3日たつけど、二人が順調に生活できてて何よりだよ」

 冷蔵庫の中身をあさりながらミソギはリビングに向かってそんな事を言う。キキョウはと言えば、テーブルにつきマコトが用意したサンドイッチをほおばっていた。マコトはニュースサイトのディスプレイ越しに、そんな彼らの様子を眺めていた。ところが、台所からお菓子をあさって出てきたミソギが後ろを通った瞬間、背後から流れ込む空気に乗って漂ってくる。饐えた汗のにおいに、彼はたまらず鼻をつまんだ。

「ちょっと……風呂入って着替えてきてくれよ。だいぶ匂うぞ」

「んえ、んぐ、そんなにおう?」

 ミソギは口にくわえたクッキーを噛み砕き、手に持っていた袋を机に置いて自分の服の匂いを嗅ぐ。彼は自分の匂いに気づいたようで、申し訳なさそうな顔をしてまた頭を掻いた。

「いやぁ、ごめんごめん! 作業着のままこっち来ちゃったよ」

 机と向き合い黙々とサンドイッチを咀嚼しているキキョウに向かって、返事がないことをわかっていながら手を振って、ミソギはリビングから玄関のほうへと出ていった。

「ほんじゃ、いったんうち帰るわ~」

 ミソギの後姿に小さく手を振ってやってから、マコトは小さくため息を吐いた。目の前の少女はサンドイッチを綺麗に平らげており、先ほどまでの緊張は特になさそうに見える。マコトは、キキョウがよっぽどミソギの匂いを気にしていたのかと思って、ついさっき出ていった親友の代わりに謝った。

「ごめんな、あいつ熱中すると平気で風呂にも入らず洗濯もせずで……」

「いや、べつにそこは気にしてないわよ」

 意外だ、と彼はほんの少し目を見開いた。困惑顔のマコトの目の前で、キキョウは台所へ自分のサンドイッチが乗っていた皿を下げて食洗器のスイッチを入れる。戻ってきた彼女は何とも言えない表情をして、ふっと息を吐いた。

「アタシ、人見知りなのよ。あんまり人と仲良くするのも得意じゃないし」

 キキョウはそういってコーヒーのポットを傾ける。少し薄くなった湯気が立ち上るカップに、彼女は追加でミルクを注ぎ込んだ。マコトは彼女の言葉に違和感を覚えて、思わず聞き返した。

「じゃあなんで僕に対してはそんな強気にでれるんだ?」

 今度はキキョウが答えに窮したようで、虚空を見つめて少し考えたあと、角砂糖を2つカップに入れてかき混ぜながら返した。

「アンタに似た人を知ってるから、かな?」

「かな、ってなんだよ」

「まぁ、よくわからないけどアンタにはあんまり肩ひじ張らずにすむってことよ」

 そういってキキョウはカップを傾けた。2口ほど飲んだ後、彼女は少し考えてから、もう一つ角砂糖を追加する。カップを持って中をかき混ぜながら、キキョウは椅子に座り直した。

「そんなことより、ほら。今日からアンタんとこで働かせてもらうわけだけど、ほんとに大丈夫でしょうね?」

「あぁ、とりあえず一人臨時で雇い入れてもらうように頼んだよ」

 マコトはメッセージ一覧から上司の返事を表示させる。彼の働く整備会社はこの異常事態になっても特に関係なく、むしろ軍からの要請もあって潤っているためかすんなり話が通っていた。改めてマコトがそれを見せると、彼女は安心したように深呼吸してお手製カフェラテに口をつけた。

「それならいいんだけど」

 落ち着いた様子の彼女の前で、マコトは改めて時間を確認する。時計は7時34分を指しており、上司から指定された集合時間には十分に時間があった。

「それじゃ、後はミソギさんが帰ってくるのを待つだけね。まぁ、あと30分ぐらいは時間があるでしょ」

 本人がいないところでは問題なく名前を呼ぶこともできるんだな、とぼんやりとマコトは考えたが、それを口にしなかった。二人はミソギが戻ってくるのをくつろぎながら待った。

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