No.5 - 放棄された区画へ

 第五区画は古い時代に使用されなくなった場所だった。港の増築と度重なる最新技術の投入による改修に追いつかなくなったため、完全に放棄されてしまっている。今では人はただ一人としておらず、有刺鉄線付きの柵で封じられていた。が、今マコトはその街を歩いている。

「割れた窓ガラスじゃないけど、一度荒れ始めると本当に町全体が崩れていくもんだね」

 埃が溜まり整備もされない上、人々の持ち込んだゴミの山に覆われた通路の隅に、彼が通ってきた道がある。見た目には整えられているが、丁寧に切り取られて開くようになっている有刺鉄線の扉をくぐり、鼻を突く悪臭のトンネルを抜けた先に、現在の第五区画の真の姿があらわになった。マコトの眼前に現れたのは、そんな外観から想像がつく通りの無法地帯だった。

『現在地の地図は抹消されています。行先案内を適切に実行することが出来ません』

「大丈夫。もとから当てにしてないしね」

 あちこちのドアはもはや閉まることはなく、どこもかしこも扉の代わりに申し訳程度の暖簾を下げるだけだった。入り口の前には孤児だと思われる少年たちが、年齢からは想像がつかないほど殺気だった目をして座り込んでいる。マコトはなるべく彼らに目をあわせないように目的地に向かってまっすぐ歩き出した。


 暗闇の中を進み続けること一時間、マコトはようやく目当ての場所にたどり着いた。旧世代型の航宙駆逐艦が数隻放置された格納庫の中は、完全に無重力状態であり、通路ではかろうじて使用できた磁力靴もまるで効かなかった。時計は七月四日一時二五分を示している。約束の時間まで後三十分ほど余裕があった。

「さて、ほんとに来るかな」

 沈黙するコルベットへと続くタラップに腰を降ろし、簡易ベルトで体を固定してマコトはその時間を待つ。時計をちらちら見ながら入り口の方を向いているが、一向に誰一人としてこの場所に入ってくるものはいなかった。しびれを切らし立ち上がろうとしたその時、彼の背後にこれまで一切感じなかった気配が現れ、耳元でささやいた。

「Hi, Mr.Sugawara?」

「?!」

 唐突に現れた相手に驚きを隠せず、マコトは反射的に体をよじり地面を蹴ってその場を離れようとしたが、先ほど自分で取りつけた浮遊防止ベルトのせいで体に強い衝撃が加わってしまった。圧迫された腹部の痛みに耐えながらベルトを外して宙に浮かぶと、声をかけてきた男はくっくっと笑いながらその様子を眺める。とっさに腰に手を当てたが、マコトが求めたものはそこにはなかった。

「くっ……」

「おっとごめんよ、驚かせてしまったね。英語はなじみがないかな?」

 体勢を立て直して距離を取ったつもりだったが、二人の距離は大して開いてはいなかった。2メートル先に立つ男は、表情を崩さない。

「とはいえ、出会ってそうそうにこんな物騒なモノを突きつけようとするのは頂けないなぁ?」

 したり顔で笑う男の手には、マコトのコートの中に隠されていたはずの拳銃がくるくると回っている。対抗する手段がないことに焦りが募った。

「まぁ、今のは僕の出方が悪かったよ。すまないね」

 マコトの焦りを見透かすように、彼はくすくすと笑って銃のグリップを向けてきた。不審がるマコトに対して、取らないの? と聞くように首を傾げる。警戒を解かずにおずおずとグリップを持ってホルスターに戻したところで、改めて目の前の男が話し出した。

「さて、キミが僕に話を聞きたいうちの一人目かな?」

「……一人目? いや、別に誰もつれてきてないですよ?」

 そういうと男は首を振ってみせる。どうやら、彼にアポイントメントがあるのはマコトだけではないらしかった。

「まぁ、一緒だろうがそうじゃなかろうが別にいいのさ。今回の任務の本質はそこにはないからね」

 言いながら得意げに人差し指を立てて掲げた後、彼はまっすぐにマコトを指さして言った。

「キミはスガワラマコト君、惑星いずもに住むごく普通の青年」

 そうだろう、とまた彼は、今度は確かめるように首をかしげて見せる。

「……それであなたは?」

 うなずきながら聞き返すと、マコトに向けていた人差し指をすっと自分の口に当てて、情報屋はニヤリと笑った。

「ボクはしがない情報屋さ。今キミにとって重要なのは、欲しい情報を得ることであって決して僕の個人情報を探ることじゃないだろう?」

 満足気に鼻を鳴らし、下から覗き込むように目線をあわせてくるその態度に、マコトは信頼を置けずにいた。疑念の眼を一身に受けながら、その視線を全く意に介さず情報屋は飄々としている。彼は先ほどマコトが座っていた場所に腰かけて、自分が座っている横をポンポンと叩いた。

「まぁまぁ、ここ座んなよ。別に取って食いやしないからさ」

「……分かりました」

 おずおずと腰かけると、情報屋は満足気に頷いてポケットに手を突っ込んで中をごそごそと探る。ポケットの中身を漁った後に取り出された手には、紙たばこの箱が握られていた。彼は箱から一本取り出してフィルターを口に加え、今度はジャケットの内ポケットの中に手を突っ込む。懐から小さなライターを取り出して、火をつけながら情報屋はマコトに断りを入れた。

「悪いね、趣味なもんで。有害副流煙は出ないようにしてあるんで、ちょっとばかし煙いかもしれないけども我慢してくれな」

「はぁ……」

 暗い格納庫の中、換気システムの作り出すわずかな空気の流れに沿って一本の煙が漂う。ゆったりと吸い込まれる息とともに、たばこの先の火が赤く明滅した。情報屋は、吸い込んだ息をマコトの方を避けるように吐き出す。煙の束は、すぐに遠くへと流れていった。

「……キミも吸うかい?」

 その様子を見ていたマコトに向かって、ずいっと箱を差し出してくる。マコトは差し出されたそれを苦笑いで断りながら、今日この場にいるその目的を果たすために切り出した。

「あ、いえ……というか、そろそろ本題に入りたいんですが」

「あぁ、そうかそうだった」

 思い出したように手を打って、またくつくつと笑いながら立ち上がり向かい側の壁に寄りかかって口から煙草を取った。胸ポケットから携帯灰皿を取り出して半分ほど燃えた煙草を押し込み、大きく息を吸い込んで呼吸を整える。深呼吸した後の彼の顔は真剣そのもので、口調こそ変わらなったが、ようやく〝情報屋〟の名にふさわしい姿だった。

「もちろん、対価は頂くよ? ただし――」

「ただし?」

 途切れた言葉を、マコトが繰り返して先を促す。

「――ただし、いや、むしろ? 僕が今回キミに教えられるのは対価だけだ」

「それはいったいどういう……?」

 マコトの脳内に混乱が生じる。一般的な〝情報屋〟とのやり取りは単純明快で、対価と引き換えに情報をもらうだけで事足りた。前金が必要な場合、先払いが必須な場合。多少の違いがあれど、取引の基本は揺らいだことはなかった。だが、今目の前にいる名も知れぬ情報屋はこれまでのセオリーとはまったくかけ離れている。

「正確には僕が君に渡せる情報はないんだ。けど、もっと直接的な報酬を約束するよ」

 そういって彼はおもむろに右手をあげ、指の間から小さなスティックをはじき出した。無重力の空間をくるくると長く時間をかけて飛んで、マコトが開いた右の手の平に収まる。手のひらから指でつまんで目の前に掲げると、それは人工物であることは分かったが、しかしその用途はまったく予想できなかった。骨董品のようなその小さな物をしげしげと眺めていると、おもむろに情報屋が話し出す。

「そこには地球近傍空間への座標が入ってる」

 ピクリとマコトの体が跳ねた。心拍数が上がる。いいようもない興奮がマコトの中を駆け巡った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る