第20話 集まる霊
ふわりふわりと綿毛のように漂う白い光。
陽妃が石榴と息を潜めて見守っていると、それは次第に形を変えて人型を取る。
ただその姿はほんのりとした輪郭を保っているだけで顔まではわからない。わかるのはそれがドレスを着た女性だということはわかった。
幽霊に足があるのか。そんな疑問がわくが、あれは雰囲気を出すための演出なので、実際は霊がきちんと生きていた時の記憶を保っていれば足はある。ただ、足音はしないし、実際は透けて見えるのでホログラムのようだ。
ぼんやりとした輪郭の霊はまっすぐにピアノへと向かう。
そのまま固唾を飲んで見守っていると、霊は鍵盤の前に座る。
暫くすると、ポロロンとピアノの音が流れ出した。
ピアノはもちろん本物。
霊は実際に触っているわけではない。
殆どの霊がただその場に漂うだけだったが、中には思い入れが強いのか無機物を動かすことができる霊もいる。
恐らくあの霊は生前からもここでピアノを頻繁に弾いていたのだろう。
その記憶が彼女をここに縛り付けている。
(何だかもの悲しい曲ね)
この世界の音楽はよく知らない。日本でもクラシックには疎い陽妃には、その曲調から受ける印象だけでどんな雰囲気か感じることしか出来ない。
ショパンやベートーヴェンとかしから知らない。
(これは愛する人を思って作曲された曲です。報われない恋を表現しています)
(知っているの?)
石榴が念で話しかけてくる。振り向くと彼女がそうですと頷く。
(あ)
曲調が変わり、少しテンポが速くなる。するといくつかの小さな光が集まってきた。
それは人であり動物であり、虫であり、あらゆる種類の生物の霊だ。
それらはピアノを奏でる女性の霊に引き寄せられるようにして、彼女に溶け込んでいく。
彼女が周囲の霊を取り込んでいるのだ。
そして彼女の姿はどんどんはっきりとしてくる。
まずいな、陽妃はそう思った。
他の霊を取り込むほどの力がある霊は、際限なく膨れ上がり更に力を強くする。
(止めないと)
陽妃はスカートのポケットから皮袋を取り出した。そこには清めた塩が入っている。
「そこまでよ」
陽妃が隠れていた物陰から躍り出た。
ピタリとピアノの音が止まった。
「周りの霊を集めてどうするの」
輪郭ははっきりしてきたとは言え、女性の霊はまだ生きている人間のようにははっきりしていない。
こちらを見る目は眼球もなく、空洞になっている。
見えているのかいないのか。長い髪を垂らした霊は、取り込んだの顔がまるでプロジェクトマッピングのように見え隠れしている。
『・・・す・る・な』
ノイズの混じった声が霊から聞こえる。ただ、その唇は動いていない。唇を動かして話しているのではない。直接陽妃に語りかけているのだ。
ピシリ
空気が鳴り、周囲の空気が一気に下がる。氷点下の世界のような凍てつく寒さが陽妃を取り巻いた。
「あなたは何をしているの?」
陽妃が語りかけると、その霊は花の茎が折れるように首をコキンと折った。
『・・サ・レ、ジャ・マ・ス・ル・ナ』
(され?立ち去れということ?)
首を九十度に傾けたまま、霊はピアノと陽妃のちょうど真ん中に瞬間移動し、はっきりとそう言った。
「何が心残りかわからないけど、協力するから教えて」
『・・サ・レ、ジャ・マ・ス・ル・ナ』
まるで壊れた機械人形のように、同じ言葉を繰り返す。
『・・サ・レ、ジャ・マ・ス・ル・ナ』
『・・サ・レ、ジャ・マ・ス・ル・ナ』
『・・サ・レ、ジャ・マ・ス・ル・ナ』
『・・サ・レ、ジャ・マ・ス・ル・ナ』
その声は男だったり女だったり、子どもだったり、声がどんどん変わっていく。
それに会わせて周りの空気がピシリ、ピシリと音を立て、どんどん空気が冷えていく。
部屋の中はまるで巨大冷凍庫のようになっていた。
「陽妃」
「陽妃様」
紫水と白銀も現われ、陽妃と霊との間に立ち彼女を防御する。
「望みは何?」
石榴が魔法で炎を出し、陽妃を暖めてくれているので、何とか耐えられる。
『・・シイ』
暫く耐えていると、立ち去れ、邪魔をするなという言葉以外の声が聞こえてきた。
それは「邪魔するな」という声に混じって、耳を澄ませなければ聞き逃すほどのか細い声。
その声を陽妃は必死で拾おうとする。
『・・シイ。カナ・シイ』
(悲しい?)
「何が悲しいの?」
『・・ヤ・・ミ・ヤ』
「みや?」
『ツキ・・ミヤ』
「つき? 月宮? 月宮がどうしたの?」
陽妃がようやく聞き取れた言葉の意味を問いかける。
『ミヤ、ミヤ、ツキミヤ、ツキミヤ、チガウ、チガウ、ツキミヤ、チガウ』
まるでバグった動画のように、「ツキミヤ チガウ、チガウ」を何度も何度も繰り返し、霊の頭がメトロノームのように右に左に揺れ動き、砂嵐音のようなものが混じっている。
「陽妃。これ以上は・・」
「わかっている。でも、もう少し。何が違うの」
そのうち目では追えないスピードで頭が激しく揺れ動く。その異様さはホラーだ。
『チガウ、ジャナイ、ジャナイ、ツキミヤ、ジャナイ。ナゼ、ナゼ、ナゼ、ワタシ、セイ、ジャナイ』
(月宮じゃない。わたしのせいじゃない?)
その瞬間、動きがピタリと止まった。
虚ろな目がこちらをじっと見て、あれだけ頭を振り回していても、髪はいっさい乱れていない。それがかえって恐ろしい。
そして陽妃たちの目の前でそれは大きく風船のように膨らみ始めた。
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