第4話 月宮の主
バイシュルスタインにもうすぐ春がやってくる。
冬が短く夏が長いこの国にあって、春は人々がそれほど待ち望んでいた季節ではないが、それでも春の訪れは人々の心を浮き立たせるものがある。
バイシュルスタインの王都ドーランに聳える王宮にあっても、春の訪れを示すように春咲きの花が咲き始めていた。
王宮の敷地は大きく4つに区切られている。
一番奥の棟は後宮となり、王や王妃、王族が住まう一角。
その手前が執務室、政務を行う区間となっている。
一番手間にある棟は謁見や舞踏会などの公式な行事が行われる。
そしてそれらを縦に繋ぐように東に警備を行う騎士の詰所がある。
「これで最後だったな」
机に処理済みの書類を置き、第二王子リュシオンが秘書官に確認する。
「さようでございます。殿下」
のリュシオンは無表情にうなずき、ふうっと椅子の背もたれに体を預けた。
すかさず紅茶の入った茶器が机に置かれた。
付き人として自分に仕える見習い騎士のロイに礼をいい、口に含んだ。
渇いた喉に紅茶が染み渡る。
ふと、開け放たれた窓から風が流れ込み、濃紺の髪を撫でると共にもはや馴染みとなった匂いを運び込んできた。
「もう、そんな時間か…」
仕事に没頭し、いつの間にか日が落ちていたことにも気づかなかった。
「春になると、また香りが強くなってきたな」
金色の瞳を閉じて、ここからは見えない香りの正体を思い浮かべる。
薄紅色の花弁と初夏の木々の葉のような鮮やかな深緑の花芯の花。
その花々が咲き乱れる様を見たのは一年前だった。
それまで何の兆しもなかった月宮と呼ばれる宮の一角に、突然ある夜一斉に花が咲いた。
月宮に咲く花は魔法の花だ。
将来、そこの主となる者が現れた時に、その宮に咲く。
花弁はその者の髪の色、花芯は瞳の色を表す。
その宮の主は未来の王妃、王太子の妃となる者だ。
真実その者が月宮の主となった時、花は実を結ぶ。
前回その事象が起こったのは先々代の王の時代。自分の父、つまり現在の国王は、とうとう真実の主を見つけることができなかった。
もし、花が咲いても月宮の主に出会えなければ、やがて花は枯れる。
はっきりした年齢もわからず、ただ、分かるのはその者の持つ色だけ。
故に探すのが難しく、見つけられなかった王は、過去何人もいる。
ただ、月宮の主不在が長く続くと情勢的がよろしくなくなる。大きな自然災害や魔獣の増加など、必ず災いが起こる。
今回は何としても見つけなければ、すでに国境付近からは魔獣の被害が報告されている。
稀代の魔力の持ち主と言われている自分の力をもってしても、何事にも限界がある。
十八年前、洗礼の儀式に四大精霊だけでなく、光と闇の精霊も訪れ、祝福を授けてくれた。
でも自分は第二王子だ。
兄の第一王子マリオンは、火と風と水の属性を持っている。月宮の主が運良く見つかっても、どちらが月宮の主に認められるかはわからない。
兄とて愚鈍ではない。
選択権は月宮の主にあるのだ。
薄紅の髪に深緑の瞳。年齢を問わず国中を探しているが、今のところ何の成果も上がっていない。
しかも、今回の月宮の花の咲き方は、過去にない異例続きなのである。
まず咲き始めが一年前。
月宮の主は次代の王の妃となる者が生まれた時に咲く。兄のマリオンや自分の妃となりうる者が、まさかまだ一歳ということはないだろうに。
もうひとつは、花が夜しか咲かないことだ。日が落ちるとともに咲き、朝陽が昇ると花を閉じるのだ。通常は花は枯れるか実を結ぶまで、季節を問わずずっと咲き続ける。
そして最後は咲く花の数である。
通常咲くのは一輪のみ。
だが、今回は月宮の前庭一体に所狭しと咲き誇っているのである。
それだけの数が一度に咲けば、離れていても花の香りが後宮中に漂うのである。
甘さだけでない、どこか柑橘系の爽やかも混じる。
花弁の色が髪色、花芯が瞳の色なら、この香りは、まだ見ぬ月宮の主の香りとでも言うのだろうか。
「あ、あの…恐れながら、申し上げてよろしいでしょうか」
思いに耽っていると、ロイが声をかけてきた。
リュシオンを思い悩ませているのが何か、王室の現在の最重要課題が何かよくわかっているのだ。
「どうした?」
意見を述べることを許可するべく、続きを促す。
「その、この前、休暇をいただき実家に戻った際に姉に聞いたのですが、その、今王都ですごく当たるという占い師がいるらしく、何でも探し物などを当てるのが得意らしいのです。もちろん、縁結びなども得意で、年頃の娘たちの間で人気があるそうなのです。その…一度きいてみてもいいのでは…」
「占い師?占いで探せというのか?」
「いえ、あの、すみません、変なことを言いまして、忘れてください。愚かなことを申しました」
恐縮して、ロイは焦った様子で提案を撤回しようとした。
「いや…」
ロイの提案に、馬鹿馬鹿しいことだと一瞬思ったが、一年探して手がかりなしなのだ。
全面的に信じる必要はないが、ひとつのきっかけにはなるかも知れないし、あてにならないと分かれば、無視すればいいだけのことだ。
リュシオンはそう考えた。
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