第3話 もうひとつの姿

時刻はすでに夕方になっていた。

三人との契約をして、今から結界を張るのは時間がかかると思い、明日の朝からにした方がいいと決めた。


「疲れましたか?…」


ソファにぐったりと横になる陽妃の髪をそっと耳にかけるようにして、ソファのひじ掛けに座って紫水が優しく囁いた。


「これくらいじゃあ、疲れないけど、お腹…すいた…」


陽妃は上目遣いに紫水を見た。


「白銀がどこからか調達してくると言ってどこかへ行きました。石榴は湯浴みの用意をしています」

「うん、ありがとう…」

(食料なんてどこからどうやって調達してくるのだろう?)


疑問に思いながらも、それは企業秘密かも知れないと口を噤む。


「こっちのご飯ってさぁ、あっちと同じ?」


あっちとはもちろん、日本とういことだ。


「そうですね…あちらの方が種類も味付けも多種多様で、食べたことがないので味はわかりませんが、こちらは、もっとシンプルですね」

「味噌とか醤油って…」

「よく似た食文化のところが、もしかしたら探せばあるのでしょうが、少なくとも、この国にはありませんね。私の知る範囲では…味付けは塩胡椒だけ、焼くか茹でるか、煮込むか…」


これは、自分で工夫するしかないみたいだと陽妃は思った。

幸い、寺で修行している間に、炊事、掃除、洗濯などはひととおり仕込まれた。しかも、電子レンジや炊飯器、掃除機などの家電類はほとんどなく、唯一あったのは冷蔵庫かもしれない。ご飯すら毎回竈で炊いていた。


「そういえば、私、こっちの言葉、話せてる?」


白銀(もとハリイ)たちとも普通の会話が何語という意識もなく成り立ったていとことに気づいた。


「翻訳の魔法があります。今はそれで成り立っていますが、読み書きは多少覚える必要がありますね。計算などは、こちらは算数程度の知識があれば十分やっていけます」

「私って、魔法使えるのかな?」


これも気になっていたことだ。


「どうでしょうか?魔法の使い方も教えますが、そもそも魔力がなければ使えませんので、この世界でも誰もが使えるというわけではありませんし、魔力量も人それぞれです。見たところ、あなたから魔力というものは感じませんが」


紫水、白銀、石榴の三人は使えるということだ。貴族はほとんど使える。平民でも使える者はいて、貴族の屋敷に仕える条件にもなっている。


「王族は強力な魔力を持った方々が多いですね。直系の王子や王女だと産まれてから7日後の洗礼の儀式に精霊が訪れ、祝福を与えるのです。その時もらえる加護の多さでその子どもの魔法の力が量られるそうです」


魔法には水、火、風、土の属性魔法に、加えて聖と闇の魔法が存在するそうだ。


「確か、今の王の二番目の王子の洗礼には、四大精霊に加えて光と闇の精霊もやってきて加護を与えたと記憶しています」

「それってすごいこと?」

「そうです。大抵は王族の直系なら多くて四大精霊。第一王子もそうだったと思います。六属性の加護を受けた王族は過去にはいますが、少ないと記憶しています」

「第一王子が四つで弟が六つだと、弟の方が出来がいいってことなの?」

「王位継承に、王の子どもという絶対条件はありますし、魔力も少ないより多いにこしたことはないですが、王位を継ぐためには他に条件がありますので、生まれた順やましてや母親の地位などは関係ありません」


普通は生まれた順番や、産んだ生母となる母親の地位、後はどれだけ優秀かということで跡継ぎが決まったり、時に順番が入れ替わるものだろうが、この世界はそれだけではないらしい。

もう少し聞きたかったが、その時、白銀が姿を現し、パンとソーセージ、チーズといった食べ物を持って帰ってきた。

彼は瞬間移動もできるらしい。式なので、形代を使えば、彼女の呼びたい場所に呼べる。


陽はすっかり傾き、辺りを薄闇が包みかけていた。石榴となったメディアが蝋燭を持って、湯浴みの用意ができたことを伝えてきた時に、それは起こった。


胸の辺りまで伸ばしていた陽妃の黒髪が、夜の訪れとともに、一気に薄紅色に変化したのだった。


「え、エエエエエエエ!」


本人はもちろん。その場にいた誰もが驚いた。


最初、誰かが魔法でも使ったのかと思われたが、そんなことをする意味も必要もない。と、すれば、これは陽妃自身の問題だ。

しかし変わったのは髪の色だけで、瞳は黒のままだった。


「その髪色は、ルネと同じものです」


陽妃のこちらでの魂の母親。彼女を護り、異世界に逃がすために力を使い果たし、消えた母。


「今のあなたの容姿はあちらのご両親の遺伝子を引き継いでいます。でもこちらに来たことで、こちらの世界の何かがあなたに影響を及ぼしているのかもしれません」


そう結論付けて、とりあえず、朝まで様子を見ようということになった。


痛くも痒くもないし、このままこの髪色でと言われても、髪を染めたと思えば特に問題はない。

魂がこちらの者で、容れ物である肉体が異世界という状況が作用しているのかも知れない。

不可思議な現象ではあるが、誰もその意味を知る者がいないので、どうすることも出来ない。

陽妃は白銀がどこからか調達していた食材(決して盗んだのではない。町で正当な対価を支払い手に入れたものだ)を食べ、石榴に湯浴みを手伝ってもらい、異世界初日を終えた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


鳥のさえずりが、自然な目覚めへと誘った。

夕べ簡単な食事の後、湯浴みをし、夢も見ずに眠った。

十六年もの間、誰も住むことなく放置されていた館だったが、埃よけの布地を取ると、何とか使える家具もあり、夕べは主寝室の寝台に寝たのだった。


「髪…もとに戻ってる」


夕べ薄紅色に変化していたのも、実は夢だったのかと思うように、今は黒髪に戻っていた。


コンコンと扉を叩く音がしたので、返事をすると、石榴が片手に洗面器を抱えて入ってきた。


「朝の身支度、お手伝いします」


顔を洗い、拭いている間に髪をとかしてもらう。


「髪、戻ってしまいましたね。あちらもキレイでしたのに」


彼女の記憶にあるかつての女主人と同じ髪色に、どこか懐かしさを覚えていたのだろうか。


「えっと…その、ごめんね。私に縛りつけるようなことになって、それにその格好…私の勝手な願望でそんなになっちゃって………」


父である紫水は、百歩譲って親としての愛情で式となってくれたかもしれないが、陽妃とハリイたちは昨日が初対面。いくら昔の主とはいえ、死後の今は仕える義務もない。本来ならあの世に送ってあげるべきだった。

死後の概念が地球と同じとは限らないが。

しかも、まるっきり様相が変わってしまっている。


そんな彼女の心配を察して、石榴は微笑んだ。


「気にしないでください。私もハリイ…白銀も、こうやってお役にたてることを嬉しく思っております。見かけに関して言えば、逆に嬉しくてこれが自分だなんて、恥ずかしいくらいです。白銀も、白髪まじりのおじいちゃんが、今や壮年の美形ですよ」


それなら良かったと安堵した。


「さあ、できましたよ。下で皆が待っておりますので、朝食にしましょう。やらねばならないことがたくさんありますからね」


石榴が着せてくれてのは、侍女の誰かが残したシンプルなワンピースだった。何とか着れそうなのを探したがこれしかなかったと、謝られたが、意外に普通で安心した。ゴテゴテしたドレスだったらどうしようかと思っていた。着こなす自信がない。


階段を降りて右側に行くと、朝食室と呼ばれていた部屋で、紫水と白銀が待っていた。


「おはよう」

「おはようございます」

「朝食ができております。どうぞお召し上がりください」


白銀が引いてくれた椅子に腰かけると目の前の食卓にハムエッグとパン、そして木苺のような果物が並べられていた。


「食事を終えたら、結界を張りましょう」


朝食を平らげ、紅茶を飲み終えると、昨日用意した宝石類を持って館の外に出た。


昨日来たときに鬱蒼と雑草が生い茂った庭はキレイに整えられていた。


「朝早くから白銀と二人で少々…」


少々というレベルではない。ちょっとした学校の校庭くらいの広さはある庭の草を手作業でするなら、草刈り機を使っても何人も必要になるだろう。


「魔法って、チョー便利だね」


魔法学校を題材にした有名な映画のワンシーンが現実に目の前で見れるのだ。


東西南北の位置を確かめ、土魔法で穴を深く掘ってもらった。

ちなみに紫水は火と土と水、白銀は水、石榴は炎の魔法が使える。

使える属性の数の違いは貴族と平民だからだろう。

また、親子で使える属性は違うので、そこは遺伝は関係ないらしい。


それぞれに宝石(北にダイヤ、南にガーネット、東にサファイア、西にエメラルド)を埋め、呪を唱える。

条件は人や魔物の侵入阻止。中から出るのは自由だが、こちら側の承諾なしに近づくものは無意識にここをさけるように結界を張った。

唱え終わると、キィンと空気が張りつめ、結界が張られた実感があった。


「あれ、また髪の色が」


黒から薄紅に髪の色が変わる。

試しに結界の外に出ると黒髪に戻る。また、結界内に入ると薄紅に変わった。


昼と夜、結界の内と外で変わる髪色。


変化の仕組みはわからないが、変化のタイミングはわかった。


「なんだか、アニメの魔法少女みたいだね。変身、なんちゃって」


結界の内と外を行ったり来たりしながら、瞬間的に色が変わるのを飽きるまで楽しんでいる陽妃を、三人は微笑ましく見ていた。

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