第38話 毛玉降臨

 セオス様の周りを飛んでいたキラキラが私の髪や鼻の頭、胸とお腹、両手両足に触れてくれた。


 私はこの感覚を覚えている。


 神殿で一人だったあの時。この温かさに支えられていたの。


 じんわりと温かく、優しいうっとりしてしまうほど気持ちが良いメーティス様と精霊達の癒しが全身に満たされた感覚。

 やがて私の身体から重さがなくなった。


「ありがとうございますメーティス様⋯⋯ルースも、支えてくれてありがとう」

「ディア、支えられていたのは私の方だ──信じていてくれて⋯⋯ありがとう」


 ルセウスから雫が溢れた。

 子供の頃のあの時のルセウスが重なる。

 森の中の落ち葉に埋もれた古い井戸の中で膝を抱えていた小さな男の子。

 井戸を覗いた私を見つけた彼の瞳から溢れ出た雫。「ディア」と何度も名前を呼んで手を伸ばしていた。


 ルセウスは全然変わっていない。


 私は腕を伸ばしてルセウスに抱きついてルセウスも抱きしめてくれた。


「あー⋯⋯二人が愛し合っているのは、まあ、僕もよーぉく理解しているつもりだけれど、続きは二人きりになってからにしてくれよ。後始末が先だ」

「残念だなあ。ルセウスがフラれたら俺がアメディアを貰うつもりだったのになあ」

「ディアは諦めてください。イドラン殿下にも誰にも譲る気はありません」


 アレクシオ殿下とイドラン殿下に揶揄われてなお、ルセウスは強く抱きしめてくる。

 ちょっと、苦しい。


「皆、騒がせたな。怪我をした者、体調を悪くした者もいるだろう治療院の者を呼んであるそちらに案内しよう。衛兵、ディーテの魔力に当てられていた者たちは治療院へ連れて行け」


 アレクシオ殿下の指揮で会場が動き出す。

 ガックリと首を下げているのは元国王派の人達。倒れ込んでいるディーテ様に目もくれず素直に連れ出されるさまになんとなく寂しさを感じた。


 いつもディーテ様の周りには人が集まりその中心で笑顔を見せていた。彼女は魅了なんか使わなくても十分に妖精のように可愛らしかったのに。


 けれど持て囃され、悪い事を咎めてくれる人を周りから排除した時からディーテ様は人を操れる魅了の力で虚構の楽園を創り出し引きこもってしまったのね。


「アレクシオ殿下、ディーテ様はどうなるのですか」

「⋯⋯僕はディーテを聖女として神殿に軟禁しようと考えていたんだけど⋯⋯セオス様が⋯⋯」

「ボク様は聖女なんかいらないぞ。神殿はボク様の場所だホイホイと送ってくるな二度と。と言っただろ」

「だ、そうだ。だから、父上と同じく王宮の塔で幽閉される事になるだろう」


 アレクシオ殿下の瞳が寂しそうなのは気のせいじゃない。

 アレクシオ殿下は言っていたもの。


──兄として僕がわからせてやらなくてはならなかった。ごめんなディーテ──


 幼い頃から一番近くでアレクシオ殿下はディーテ様を見て来た。

 誰よりも早くディーテ様の魅了が危険なものだと知り、誰よりも止めなくてはならなかった。

 ディーテ様を止められなかった事だけではなく自身が止める事を諦めた後悔があるのだろう。

 アレクシオ殿下の想いは、私が思っているよりもとても重たいもの。

 でも、それは違う。

 咎められた側に聞く姿勢がなければ止まらない。最初から聞く気がない相手は誰にも止められないものなのよ。

 だからアレクシオ殿下が後悔を背負い続ける必要はない。ディーテ様に起きた後悔を背負うのはディーテ様本人だと、どう言えばアレクシオ殿下に伝わるのだろうか。


「なあ、アレクシオはなんでそんなに悔いているんだ?」

「悔いている⋯⋯僕が⋯⋯ああセオス様にはお見通しか。僕はディーテを止められなかった。僕の言葉はディーテに届かなかった」

「アレクシオは悪くないぞ。ボク様はわかる」


 セオス様がアレクシオ殿下の背中をバンと叩いた。


「人間とはアメディアとルセウスのように互いが相手を想って支え合うのだろう? アレクシオがお姫様をどんなに想ってもお姫様はアレクシオをなんとも想っていないぞ?」

「それでも僕は兄としてディーテを止めなくてはならなかった。聞き入れるまで諦めてはいけなかったんだ」

「ふぅん。人間とは面倒なんだな。話を聞かない奴は聞かないぞ。人間が生きる中で自身に起きることは自身の業でしかない」

「セオス様⋯⋯」

「──と、アメディアは言っている」

「ちょっとセオス様!? 私の考え読みましたね!?」

「ボク様は国神。そしてアメディアの守護神。言わば一心同体だ──うわぁっ」

「セオス様!」


 胸を張ったセオス様が突然吹き飛ばされて宙に浮いた。


「私は王女よ⋯⋯こんなことしてただで済むと思っているの? 不敬だわ⋯⋯処刑して⋯⋯やるんだか⋯⋯ら」


 魔力を吸い取られたはずのディーテ様が立ち上がっている。

 ただその顔は血の気を失ったように真っ白で額にはびっしりと汗をかいている。息遣いも荒く先程までのディーテ様の面影はなく、まるで別人のようにふらつきながらディーテ様は私達に近づいてくる。その目はギラギラと血走っていてとてもじゃないけれど正気には見えない。


「魅了が使えなくなった? それがなんなの? そんなの妖精姫の私に関係ないわ。だって私はこんなにも可愛らしく美しいのだから」


 どこにそんな魔力が残っているのかディーテ様の周りから再び黒い靄が湧き上がった。


「さあ! 傅き、命乞いをしなさいアメディア! 私は妖精姫よ!」


 どんなに容姿が良くても心が付いてこなければ意味がない。

 ディーテ様は魅了の力に頼りすぎて人を人として見ることができなくなった。相手の立場に立って考える事ができない。それはただの我儘な子供だわ。

 ディーテ様の言動が癇癪を起こした子供のようでとても滑稽に思える。


「ディーテ様、貴女はとても美しい王女です。ですが、人は⋯⋯命あるものはそれが永遠ではないと知っているからこそ心で想いを重ね、支え合うのです」


 どんなに辛い事があっても、どんなに悲しい事があったとしても人はまた立ち上がることができる。それは姿形にとらわれず寄り添ってくれる大切な人がいてくれるからできるの。


「生意気な事を! 私は誰もが敬う美しい妖精姫よ。私は愛されているの!」


「んー? そうか、わかったぞ。ボク様神様のお仕事するぞ」


 ふよふよと浮遊していたセオス様がポンと毛玉に姿を変えた。

 ⋯⋯変えたのではないわね、毛玉がセオス様の本当の姿だったわ。



「良い毛玉だ」

「毛玉だな」

「ああ、毛玉だ」


 どこかで一度聞いた呟き。


「お姫様、例え古代の魔力を引き継いだとしても君はやり過ぎた。君の魔力はエワンリウムに害をなすものだ。ボク様はエワンリウムの国神だからね──国を護る」


 私達の頭上でセオス様が膨らんでゆく。


 それはまさに、毛玉降臨⋯⋯。


 大きな毛玉になったセオス様はぽっかりとした口を開けて絶句しているディーテ様を飲み込んだ。

 

 しばらくわさわさと毛を揺らしたりくるくると回転したりしたセオス様がピタリと動きを止めてぺいっとディーテ様を吐き出した。


「君を本来の姿に戻してあげたぞ」

「神様だかなんだか知らないけどお前も処刑してやる!」

「ディーテ、お前は国神から裁きを受けたんだ⋯⋯それを受け止め自分を見直せ」

「それがなによっ──ひぃっ」


 アレクシオ殿下の言葉にディーテ様が自分の手を見て悲鳴を上げた。


 声はしゃがれ、顔には深い皺が刻まれたディーテ様のその姿に私達も言葉を失った。


「こんなのいやよ! なんで! 元に戻しなさいよ!」

「それが君の本来の姿だ。魅了を使い続けた人間の身体は重い負荷がかかるんだ。かつての第二妃も若い姿を保つ為に魅了を使い続けて負荷によって身体の時間を早めていたんだぞ」

「そんな⋯⋯そんなの私知らない! 知らなかった!」


「母上は教えようとしていた。それをディーテ、お前は毛嫌いし教えを聞かなかった。そして母上の最期の時、悍ましくほくそ笑んでいたお前を僕は許すことはない」

「そん、な⋯⋯お母様⋯⋯う、うぅ」

「ディーテを塔へ連行しろ」


 泣き崩れたディーテ様が抱えられながら去ってゆく。

 残された私達はその後ろ姿をただ見送るしかできなかった。



「もし、ディーテが母上の教えを受けていたら、魅了を使わず、その容姿に驕らなければ──いや、たらればの話はやめよう」


 アレクシオ殿下が拳を握りあったかもしれない、あってほしかった想いを吐露する。


「さあ、これからもっと忙しくなる」


 顔を上げたアレクシオ殿下の表情にはほんの少し後悔は残っているようだけれど迷いが消えている。

 ルセウスとイドラン殿下は応えるように顔を見合わせ頷き合った。


「アメディア、ボク様は腹が減ってる。フルーツタルトが食べたいぞ」


 子供の姿に変えたセオス様ののんびりとした声に笑いが起きた。

 

「この時間はお店が開いていません。明日にしましょう。その代わり⋯⋯帰ったら甘い卵焼きを焼きましょう、沢山」

「をを、早く帰るぞアメディア!」


 飛び跳ねながら走り出したセオス様を追いかける。

 それは私のいつもの光景。


 辿り着きたかった未来にやっと手が届いた気がした。

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