第76話 霧散
マオウがとても呆れた顔で僕を見ていた。
「本当に駄目? まあ、もっと欲しいけどさ。まずは童貞を捨てて、そうだな。アパートで子供でもこしらえられたら幸せ。勇者とか面倒なことはもういらないからね」
「え、なら、私も一応人間の体だから、子供くらいは……何とかこさえるくらいなら」
『ふ、ふざけるなああああああああああ! そんなこと、センパイは言わない。どどうして、そんなことをいうの? 30歳だからって、そんな所帯じみたことを言うなんて。ひどくないですか!』
知らんよ。僕は30歳。アラサー。どうしようもないサラリーマンでしかない。勇者だとかどうとかはすでに経験済み。僕の現実は30歳のサラリーマンであること。
「まあ、雅弥は空気が読めないんんだと思う。ただ、それだけだと思うよ。いつもいつもいつも、失礼なことばかり。たまに独り言をつぶやいていることもあるし」
「そ、そんなことあるわけないしぃ……。い、いや、独り暮らしをしているとそれは仕方ないわけだし。仕方ないんだからねっ!」
「いや、そこで、かわいく言われても。ツンデレとか、そういうやつなの? なんか違う気がする……というか、気持ち悪くてたまらないんだけど」
マオウのツッコミが僕の心に65536ダメージ!
「今も陰キャオタクだと思っているから、僕は気持ち悪い。元からとても気持ち悪いの。だから、傷ついていない。傷ついていないいない」
さめざめと僕は泣きたくなった。
「まあ、クソ雑魚メンタルだから。仕方ないね」
「うるさい。このうさまた! 跳ねろ!」
跳ねるうさまた。猫ではない。柄は茶トラだけど、ウサギなの。わかりやすいほどの猫ではないウサギ。
耳がピンとしたウサギ。尻尾もにょろにょろだったはずが、気づけばボンボンみたいなしっぽ。これをどうみたって、猫というのはあまりにも無理やりすぎて笑ってしまう。
「違うわい。私は猫又なのぉ。どうして、それがわからないのか!」
「わかるわけがないよ。うさぎだからね。ねえ、どんな気分どんな気分なの?」
「うあああああん、私が馬鹿にされまくっている。これはクソ雑魚メンタルアラサーが暴走して、美少女に痴漢をする……」
うん、マオウのほうがひどいと思うのは僕だけでしょうか。
『とても幸せそう。どうして、そんなに幸せそうなのですか。私はこんなに不幸なのに。どうして、そんなに幸せそうなことばかり続けているんですか。どうして、どうしてどうして……これが呪いとでも?』
声は悲しい声音。心底思うことを伝える。ある意味、自分を呪っているような感じがする。だが、それは――
「何もしていない。何も考えていない。ただ、自分がシンデレラになろうとしているだけ。あなたは動こうとしたの?」
『それは……できればよかった。あなたも知っているはず! なのに、あなたはずるい! 何であなたはそこにいるの? どうして?』
血を吐くような声。なのに、
彼女たちの言っていること、それを僕は理解できない。考えると霧のように思考力が低下する。多分――あれ、なんだろう。何を僕は思ったんだ?
がしゃどくろの落ちくぼんだ目のところから、大量の骨を出す。それは僕たちに向かって大量に飛んでくる。
数の暴力にやられると思ったはずだが、怯えはなく、
「去れ」
僕は冷静に両手を上げ、両腕を覆う呪紋を放つ。
巨大な青い光が糸のように張り巡らされて、バリアのごとく防ぐ。いや、バリアに触れたところから消えていく。
「試練がどうだかは知らない。僕は、ただ、生きている。俗物として。生きることを決めたんだ。だから、勇者じゃない。僕はただのアラサーのサラリーマンとして生きることを決めた。だから――ごめん。君のことを理解することはできない」
『本当にあなたは馬鹿なんですね』
涙を出している声。でも、その声音はどこか残念ながら、僕のことを理解していそうな声で。
青い光ががしゃどくろに絡まっていく。鎖のごとく。
がしゃどくろが融解していく。
『ねえ、センパイ。私はそれでもあなたを思い続けます。諦めることはできません』
「いいよ。僕は何もできないけどね」
『ごめんなさい。私はそれしかあなたにできないから』
と、お嬢の声が聞こえる。悲しい悲しい消えるような声。
「本当に優しいね。雅弥は」
マオウの声が優しく聞こえて。
がしゃどくろは無数の青い光の花となり、散り去った。それは僕が意識を失う数分、ずっとその場所を照らし続けた。
蛍のように、光の大合唱が長く、長く。
霧散するまで。
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