第74話 夢うつつ

 目が覚めた。そこはいつもの慣れたアパートだった。しかし、誰もいない。


「うん? 誰かいたっけ? 誰もいないよね」


 変な独り言をつぶやく。僕は寂しい童貞。アラサーちゃんだ。

 オタク知識はまあ、嗜む程度でお調子者の馬鹿。後輩もできたけど、男ばかりで悲しい職場。


 日付は9月に入ったばかり。夏休み期間の少し忙しい繁忙期を過ぎて、お盆休みがない代わりの代休を消化したばかりの寂しい男。

 

 ああ、そうだ。仕事に行かなくちゃ。

 髭をそって、会社から帰宅前にコンビニで買って、冷蔵庫にぶち込んだおにぎり一つをついばんで、歯を磨く。

 ふと、見上げた洗面台の鏡を見ながら思う。

 そこには残念な陰キャがいる。お調子者の仮面をかぶったしょうもない顔の男がいた。一応目の下には隈が無い。とはいえ、給料もある程度でしかなく、貯金を何とか作るくらい。


「僕は持てないからな。まあ、割とオタグッズで散在するから……ああそうだ。ASMRで大好きなあの子……サキュバス。うん、最高だね。ぐっすり眠れたよね。眠れた。添い寝とか最高だよね。 男の娘だとか言っていたけど、あれは嘘だな。ファンタジーじゃないし、人がやっているんだろう」


 よくわからない何か。喉から何かが出そうなんだけど、出ない。気持ち悪い感じがするようなかゆい感じがするような。


 ああ、そういえば、Vtuberにモンスター娘で羽っことかいたよね。ハービィさんとか。あれもなんか面白いキャラ漬けだった。すごいドジっ子だった気がする。転げるなとか。ああ、ガサガサ羽の音だよって言ってたけど、あれは嘘だよ。


「こうなったら、自分がなっちゃえば、そうだ。声を変声して、おじさん、バ美肉tかいいもしれない……なんてね」


 何かそれは違う気がする。そういうのがとても似合いそうなお祭り女がいればいいような気がする。


「でも、そんなのいたっけ?」


 玄関を開ける。電車に乗ろうと駅に向かう。駅近の踏切を横切る猫。


 遮断機が下りる。気付いて走る猫。ああ、これは通り過ぎれるなと思う。

 無理をしている猫だが、すばしっこそうな茶トラの猫。多分、大丈夫。大丈夫なはずなのに、あれ? 何かこけた。くそっ、誰かのいたずらかわからないが、アスファルトに穴が開いている。


 なんて、間抜けな。


 だが、体が勝手に動く。何でこんなことをしているんだと。おかしい。

 猫なんて放っておけばいい。


 ――やめろ。


 僕の声が響く。まあ、どうでもいいや。

 それよりも、今、これって。あれれれ? いつ、このことが起きたかな。


 走る自分。なぜか、止まらない。見て見ぬふりをすればいいのに、僕の体は猫の首根っこを掴んで走る。


 ごろごろごろと転がり、電車に引かれて、


 あ、この猫を救って、僕は、


――考えるな。逃げろよ。なんで、そこまでして、お前は死に急ぐ? 嫌だろう。


 僕の声が騒ぐわめく。言葉はとてもきついけど、優しいんだ。

 ありがとう。大丈夫だよ。多分。何とかなる。考えたら負け。僕は考え無しだから、やっちゃうんだ。


 この体が呪いを受けたころから、ね。


――ああ、気づいていたのか。そうか、そうなんだな。おまえはわかっていても、ここが夢だったとしても、やることは何も変わらない。昔から、な。やっぱり、馬鹿なんだな。


 そうだ。呪いよ。お前は正しく僕を苦しめ、僕を守った。安全装置のようなもの。ケイのいたずらによって生まれた何かか?


――さあて、何かな。自分で考えろよ。



「いや、僕は考えるより、動くほうが好きだから、考えない。考えたら、負けな気がするから」


――そうか。馬鹿なんだな。

 姿が何かに似る。誰だ。あれ、誰だっけ。お前は。


 猫が光り、僕の視界を潰して、


  夢うつつの中、いや、夢の中で僕は最後に呪いの声を、僕の中の呪いの声を聴く。


――お前は馬鹿だ。いい奴だ。だから、呪いは呪いで無くなった。いいだろう、お前の枷を今だけ、少し解いてやろう。


 と。


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