第9話


「猫探し?」

 明くる日の午前七時半、俺は真紀に食後の紅茶を出しながら問う。

「ああ、ここの事務所の大家さんの猫らしいんだがな」

 あちちとマグカップを口から離す真紀。

「あ、熱すぎたか?」

「いや、いい。熱々でと頼んだのは私だからな」

「猫舌なのか?」

「違う」

 真紀は少し責めるような目線で俺を見ると、マグカップの持ち手をなでて言った。

「はちみつを取ってくれ」

 俺は椅子に座ったまま、キッチン台からはちみつの入ったプラスチック容器を手に取り、真紀に渡す。

「甘い紅茶が好きなのか?」

「……今日はそういう気分なだけだ」

 真紀は唇を尖らせてそういうと、なみなみとはちみつを注いだ。

 スプーンでそれを混ぜて再び紅茶を一口飲むと、あちっと言って、カップをテーブルに置いた。


「で、どんな猫を探せばいいんだ?」

「ああ、その話だったな」

 真紀は隣の椅子に置いてあったランドセルから手帳を取り出し、挟まれていた写真を取り出す。

「こいつだ」

 見せられた写真には、灰色の毛でふさふさと顔を覆った猫が写っている。

「かわいい猫だな」

「私のほうがかわいい」

「おう」


「私はコピーを持っているから、これはお前に預ける。茜を起こしたら二人で猫を探してくれ。今日の仕事はそれだ」

「わかった」

「見つけたら携帯に連絡してくれ。以前にも何回か逃げ出して依頼されている猫だ。経験上そう遠くへは行っていないはずだから、すぐ見つかる可能性が高いと思うが、もし夕方になっても見つからなかったら私も坂本と合流して探すことにする」

「そういえば坂本さんは?」

「朝早くからパチンコ屋に並びに行った」

「なるほど」

「じゃあ、私もそろそろ出かけるよ。義務教育は大切だからな」

「わかった。いってらっしゃい」

 そう言って、俺は真紀を玄関まで見送った。



「茜さん!! 起きてくだっっさい! いつまで寝てるんですか! もう十二時になっちゃいますよ!」

「あと五分~」

「それ八時から四時間も言い続けてますよ! いい加減ベッドから起きてください!」

「あ~布団を! 布団を取らないで! この子は私がいないとダメな子なの!」

「ダメな子なのは茜さんの方ですよ! さっさと起きて支度してください! 仕事があるんですよ!」

「んえ~」

「はよ起きろ、このダメ人間!」



「で、どこから探しますか?」

「どうしようかね」

「……」

「前はどこで見つかったんですか?」

「どこだったかね」

 ダメだ。この女、全くもって役に立ちゃしない。完全に寝ぼけている。


「あ、わかった!」

「はあ……やっとですか……で、どこですか?」

「いや、それは思い出せないけど~」

「……何か案があるんですか?」

「ふっ、当然。この私ほどの名探偵にもなれば、どんな猫もすぐに見つかりまっせ。まあドンと任せてついてきなさいっての」

 俺が自身気な茜さんについていくと、到着したのは近所の野良猫のたまり場だった。

「野良猫の集まってるところにいけば、例の探してる猫もいるってことですか? 残念ですけどあの子はいないみたいですよ」

「ふっ、そんな単純な考えではないよ。これを見て、君はまだわからないのかい? 経験が浅いんじゃないかい、ワトソンくん」

「そりゃ、探偵を手伝い始めてまだ十五分ですからね」

「っかぁ~! 素人はこれだから困るよ、きみ」

「はあ……」

 どうしよう。元の体に戻って死のうとしているとは言え、一度は救われた命の恩人を殴りたくなってきた。

「捜査の基本は聞き取りさ」

「ますます意味が分からないんですけど」

「ズバリ、猫のことは猫に聞けばいいのさ」

「思いもよりませんでした」

「そうでしょう、そうでしょう。まあ、私くらい現場の経験が積み重なっていると、もう直感っていうのかな。才能がバーッとね。溢れちゃうんだよ、バーッと」

「いえ、思いもよらなかったというのは、そこまで茜さんがアホだということについてです」

「へ?」

「ほんと、アホですね。猫に猫の居場所を問いただそうだなんて、ひどいもんですよ。朝は起きないし、部屋は汚いし、ハムを袋ごとレンジであっためて爆発させるし、本当にどうしようもないアホですね」

「おおおおい、貴様言ってくれるじゃないか! 新時代のホームズと巷で話題の私になんてことを!」

「どこの誰がそんなこと言ってるんですか」

「何を言うか!」

 茜さんは近くにいた猫を一匹抱きあげる。

「この子も言ってるよ。ね、茜ちゃんは世界で一番かわいくて賢いピュアピュアドリーム探偵でちゅよね~」

 そのとき、持ち上げられた猫が電撃を帯びた。

「「んな?!!」」

 驚く茜さんに落とされそうになる猫を、俺は慌てて支える。

 俺と茜さんの両手に抱えられた猫は苦痛そうな悲鳴を叫び始める。

 直後、体の表面がぼこぼこと膨らみ始める。全身が腫れた膨らんだ頃、猫は放電するように破裂した。

 あたりに肉片が飛び散り、他の猫たちが四方八方へ逃げていく。

 わずかに手に残っていた肉片が地面に落ちる。

 その衝撃を受けるとともに肉片は振動をはじめ、炸裂音と共にあたりに散っていた肉片を一気に引き寄せて吸収し、猫を『再構築』した。


 俺たちの足元に残ったのは、筋肉や脂肪、毛、歯。あるいは眼球や鼻の一部に加えてよくわからない肉の繊維ようなもの。強いて言えばそれらを肉団子のように無理やりくっつけた、肉塊だった。

「雷が落ちてきたわけじゃないのに……」

「え?」

 俺は茜さんを見る。

「雷が落ちてきたわけじゃないのに、生き物が再構築された。それも黒雷が本来落ちる人間ではなく、猫が……君のときと同じなんだよ」

「ってことは……」

「うん」

「人工黒雷以外あり得ない」



 俺たちは、猫のたまり場を調べていた。

「茜さん、これを見てください」

 俺は見つけたエサ皿を見せる。

「いくつかの空のエサ皿に桃色の粉末が残っていたんです。そしたらこれを見つけました」

茜さんは目を細めて聞く。

「錠剤の半分?」

「ええ、どう見てもこれ以外あり得ません」

「でも確証はないし……」

「調べる方法ならあります」

「え……! ちょっと……!」

俺は錠剤を口に含んだ。

「ば、ばか! 何考えてんの! 猫の餌だよ?!」

 そこかよと突っ込もうとしたら、俺たちは遠くから怒鳴られた。


「ちょっとあなたたち!」

「「え?」」

 俺と茜さんが声のする方を見ると、一人のエプロン姿のおばさんが立っていた。

「あなたたちも猫に餌をあげていたの?! もう、近所で問題になってるんだからね!」

「いや、俺たちがあげたわけじゃ……」

「そうです、この男の子が猫の餌を漁っていただけですよ」

「あら、ごめんなさいね。失礼なことしたわ」

「いえいえ」

 茜さんに言いたいことはあるが、まずはこのおばさんからだ。俺は猫の死体を隠して言う。

「でも、さっきあなたたち『も』って……」

「ああ、前に一人猫に餌槍してる人を見つけたんだけど、その人は逃げちゃったのよ」

 頬に手を当ててそう呟いたおばさんは、いきなりハッとした表情になる。

「あ、また! あの人よ!」


 夫人の指差す方向には、大学生くらいの男が立っていた。


 俺たちの視線に気づいた男は、慌てて走り出す。

 俺は猫たちをおろそうとするが、変に懐いてしまったのか、今朝こねたハンバーグのにおいのせいなのか離れない。

 仕方なく五匹の猫を体中にぶら下げたまま、逃走する男を追いかける。


 男の足は遅かった。俺はあと少しで追いつくというところで、ぶら下がった猫の重さが邪魔して手をからぶらせた。

 「おりゃあああ」

 茜さんが男にタックルをして、そのまま地面に押さえつける。

 そして俺もそれに加わった。

「おい、あんた! あの猫たちに何を与えていた! あのピンクの錠剤はなんだ!」

「ひぃぃい」

「聞いてんのかよ! 猫が肉になったんだぞ! 何か知ってるんじゃないのか!」

「俺は悪くない、ただ噂を……」


 男はそれ以上何も言わなかった。ただひたすらに呻き声を上げるだけだった。

 数分後、おばさんが通報していたことで二人の警察官が駆け付け、事情を聞いた警察官は俺たち四人に警察署までの同行を依頼した。



*****



「そこで君たちが彼を捕まえていてくれたというわけだね」

 俺と茜さんがうなずくのを確認すると、警察官は書き込んでいた書類に再度軽く目を通し、ペンを置いた。

「他に何か気になることはあったかい?」

錠剤については憶測に過ぎなかったため、俺は言うべきかどうか迷っていた。すると、茜さんが話し始めた。

「実は! 変死した猫の餌には、ピンクの錠剤がえさに混ぜられていたんです!」

 茜さんがそう言うと、警察官たちの表情が変わった。

 俺たちの話を聞いていた警察官は、少し確認をするからと言って部屋を出ていったが、聞き取れない会話ののちに戻ってきた。

「今日はありがとう。もう帰ってもらって大丈夫だよ」

 なぜか、急に焦った様子になっている気がした。

「あの、さっきの男の人と少し話をさせてもらえませんか?」

 そう聞く茜さんに今度は俺が付け足す。

「俺たち、ある猫を探してて……あの人が何か知ってるかもしれないんです! 少し会わせてくれませんか?!」

 あの錠剤が茜さんたちの言っていた人工黒雷と無関係の訳がないというのが本音だ。

「悪いけど、一般人に情報を教えるわけにはいかないよ」

 上司と思われる別の警察官が冷たい態度でピシャリという。それに茜さんはむかついたらしく、茜さんも口調を変える。

「ちょっと何急に態度変えてんのよ、私たちが捕まえなければ逮捕できなかったのよ。少しくらい感謝してもいいんじゃないの?!」

「あの男は専門の者が対応することになったんだ。迅速に引き渡さなければならない。時間の余裕がないんだ。すまないね」

「おい」

 若い警官はしゃべりすぎたとばかりに、途端に口をつぐんだ。

「そういうわけなんだ。悪いね。今日はどうもありがとう」


 そうして俺たちは半ば追い出されるように話を切り上げられる。

 俺は、公務執行妨害で逮捕されるのではないかというほどまで、暴言を吐き続けた茜さんを引っ張って交番を後にした。


「どうしますか? 例の男もそうですけど、大家さんの猫、結局見つからなかったわけですし」

「それどころか、もしかしたら肉塊になってる可能性すら……」


「よし、そこらへんの似た猫を連れて帰ろう!」

「そんなのダメに決まってるじゃないですか! 第一、ばれるに決まってます」

「まあまあ、そこは私に任せて」

「でも……間違ってますよ」

「もし大家さんがさ、自分の猫が死んだことを知らないで生きていけるならその方が幸せだと思わない? 知らない方がいいことだって生きていく中ではたくさんあるはずだよ」

 俺は何も言葉を返せなかった。

「ま、私に名案があるからさ」



「見つかりましたよ!」

 茜さんは猫を突き出す。小麦粉をまぶした全く関係のない野良猫を。

「あ、いや、でもこの子は……」

 大家さんは明らかに困った表情をしている。さすがに無理だったか。うまく口車に乗せられた自分が情けない。

「大家さんのところの猫ちゃんですよ! 見つかって良かったですね!」

 茜さんは依然として自信を持ってそう言い放つが、大家さんを困惑させる一方だ。

 すると、にゃあと家の奥から鳴き声がした。

「おお、お前たち来てたのか」

「あれ、真紀じゃないか」

 例の猫を抱きかかえた真紀が廊下に顔を出す。その上に坂本さんも顔をのせる。

二人は奥の部屋でくつろいでいたようだ。

「坂本まで……って、その猫……」

 茜さんは自分の抱いている猫を顔を見合わせる。

 

「あ? なんだそのドラ猫は……私のシャーロットとは大違いだぞ。こいつめ、腹ペコでうずくまってたところを私が見つけて餌をやってからというものの、すっかりこの様子だ。全く、自分の長所を理解してやがる」

 鮮やかな毛皮を携えたシャーロットは真紀の腕に抱かれながらほおずりをすると、にゃあと再び小さく鳴いた。



*****



「うまい!」

 茜さんはパンケーキを幸せそうに頬張ると、ハツラツとした顔でそう言った。


 俺たちはファミレスにいた。

 休日の店内は家族連れやカップルなどが多く、話声が店のBGMをかき消さんとするばかりだ。

「太一、一口食べる?」

「い、いいですよ」

 俺は目をそらして遠慮する。自分の口つけた食べ物を異性に食べさせようだなんて、なんて能天気な人なんだろう。この人は本当にそこら辺の配慮というものがない。


「あーんって、してあげよっか?」

「ふざけないでください……」

 それじゃあまるでバカップルみたいだ。変なことを言わないでほしい。これじゃあなんとも思っていなくても意識してしまう。

「ぷぷー! 顔赤らめてやんの!」

「……は?」

「冗談だっての! 太一ってば、ちょろすぎー!」

 この女、俺で遊んでやがる。テーブルごとぶっ飛ばしてやろうか。


 茜さんは楽し気にフォークを口に運び続ける。あっという間にパンケーキを平らげると、満足気にため息をついた。

「あー……おいしかったー……」

 俺はオレンジジュースを一口飲み、自由人を一瞥する。

 突然動いた茜さんを見て、俺はぎょっとする。

「ちょっ、ちょっと茜さん。何してるんですか?」

「ふっふっふ。君は知らないのかね? 美食家はこうやって店の質を調べるのだよ」

 茜さんはフォークを床におき、店員が気付くか試しているようだった。確かにそんな話を聞いたことはあるが。

「アホなことはよしてくださいよ」

 俺は床に置かれていたフォークを取り、ため息をつく。

「ああん! 私がせっかくこの店に期待していたというのに! 君はこの店の星を奪ったことになるよ?」

「やかましい。そんなことより、こんなにだらけていていいんですか?」

 俺たちには目的があった。それは、俺を不死身のリザードマンの体に変えた人工黒雷を作った組織、カンパニーの研究施設を見つけること。

 茜さんは研究を失敗させるため、施設や研究資料をこの世から消してしまいたい。カンパニーの作っている人工黒雷を受けた人間は、電気を通さないガラスの皮膚を手に入れる。つまり、電気人間最強の茜さんにとって天敵となり得るのだ。

 一方、俺は施設が備蓄しているであろう、電気人間の能力を低下させる抑制剤を探している。それらを摂取して、もとの普通の人間に戻って死ぬためだ。


「もちろん、私だって遊んでただけじゃないよ。ここでは最近、電気を放つ蛇の噂が後を絶たないんだよ」

「ヘビ……ですか」

「うん、ここの店の裏で見た人がいてね。何匹かいた小さい蛇たちのうちの一つが、バチバチ電気を放ってたらしいの!」

「じゃあ、別に店に入る必要はなかったじゃないですか。茜さんが調査の一環だっていうから入ったんですよ?」

 茜さんは悪びれもせず、口を尖らせて言う。

「だって、ここのパンケーキ好きなんだも~ん」


「まったく、仕事してくださいよ。今朝は何回も起こそうとしても起きないし、昨夜はまた隠れてつまみ食いしてたみたいだし、部屋は何度言っても片付けないし、ひどいもんですよ」

「私をダメ人間みたいに言わないでくれるかな? 仕事はこうしてしっかりやっているではないか」

「まだ来たばっかりですよ」

「む~」


そのとき、いきなり俺の視界は回転した。

 眼下に広がるのは十数メートル下の道路。窓ガラスが散乱する空中に俺はいた。


俺は突然割れた窓の外側へ放り投げられていた。



*****

 すぐに、地面に叩きつけられた。


 なんだか景色が薄暗い。

 あたりを見渡すと、道路の中心だったはずの場所で、俺は半径十メートルほどの空間の中で岩の壁に囲まれていた。

 右足に激痛が走る。今にもちぎれそうな様子で折れていた。治癒能力ですぐに治るだろうが、とにかく状況がつかめないのがまずい。


「ひぃいいいい!」

 背後で叫び声が移動する。

 見ると、一人の少女が走り回っている。華やかな学校の制服らしきブレザ―を着ているが、ところどころ土やほこりで汚れている。


 俺の頭上を影が抜けていく。

 それは少女めがけて一直線に駆けて行く。

 大蛇だった。数十メートルはあろうかという、全身岩でできた大蛇。俺たち二人を取り囲んでいたのは、大蛇の体だったのだ。

「でかすぎだろ……」

 少女は、大蛇と地面の間に隙間を探しながら走るが、逃げ道はない。

「あでっ!」

 少女がその場にこける。

「こっちに来るんだ!」

 俺が咄嗟に叫ぶと、ハッとしたように少女がこっちを見る。涙目になって転がるようにこっちへやってくる。彼女の盾になるように、俺は左足と右足の膝で立つ。

「あ、あのっ、あの私……」

「俺の後ろに張り付いていて! 絶対に離れないで!」

「はいぃ!」


 大蛇の頭が、一気に天に向かって伸びていく。

一度ピタリと動きを止めてから首をゆらりとそらせると、こちらに照準を合わせた。


電気人間だということがこの子にばれるのはリスクだが、他に手段はない。

 俺は急いでポケットからマークシガーを取り出し、歯で先端のカプセルをかみ砕く。

 微弱な電流がシガーの中を流れ、その全体を螺旋状に包んでいく。

電撃は連なる。

はじめは俺の口元や手先に。そして全身へ。

 電流を追うようにして、皮膚が隆起する。

 影の隙間から入ってくる陽光に黒光りするのは、なめらかな表面を持つ鋭利なガラス片。波のように連鎖して、俺の体を覆っていく。

 ガラス片はそそり立つと同時にキリリと音を立ててこすれた。


 鋭い二本の牙が、上下に一対。

足が折れてその場から動けない俺と華奢な少女に、大蛇の頭部が深い影を落とす。


俺にも牙が生える。竜のような口は意図せずにうなった。最後にゴツゴツと変化した両手に鋭い爪が伸びた。

 怪物を迎え撃つため、俺は怪物になった。全身を鱗に包まれたトカゲ人間。心臓は激しく脈打ち、脳は目の前の敵をにらむ。


 俺の全身ほどの大きさを持つ、蛇の頭が一気に迫る。

 両手を前に突き出して、受け止める。

 口を開かせるように俺は片手をそれぞれ、やつの上下の牙の間にくぐらせた。

 大蛇は後退しながら口を閉じようとするが、俺は離さない。

 次の攻撃もうまく捉えることができるとは限らないからだ。

「ぅうおおおおお!」

 俺はそのまま一気に口をさらに開かせ、大蛇の顎を砕いた。

 下顎の付け根のあたりから、勢いよく岩石が零れ落ちる。


 俺は、自分の背後で頭に手を当てて怯えている少女を守るように意識しながら、大蛇の口の内側を殴り上げる。

 すかさず両手の爪を立てて、大蛇の口の中を裂いた。


 大蛇は金切り声を上げて顔を振り上げる。すると、片目を爆散させた。

それがシガーのように起電力を作ったのか、大蛇の傷の修復は速くなる。バキバキと音を鳴らして岩の形は変わり、顎はすぐに元通りになった。

 人の腕ほどの大きさがある牙が、俺たちを切り刻もうと再び狙う。


 俺が第二の攻撃に備えようとしたとき、一筋の雷撃が大蛇を殴った。

 俺たちを囲んでいた大蛇の体勢はその衝撃で崩れる。


 景色は一気に広がり、大蛇は一本の真っすぐな縄のように道路に伸びる。

 俺は慌ててフードを被った。

 周りを見ると、大蛇の外側の被害は大きかった。

 建物の外壁は崩れ、車は何台かひっくり返って転がっている。

 逃げて行ったのか、目に入る人の数は少ない。


「太一~、一発で倒しなよ。一発で~」

 茜さんが、俺と少女の隣に歩いてくる。

「茜さん!」


「こいつ……一体……」

「わかんない。なんだろね」

「倒そうにも、今持ってる分の抑制剤で足りるかどうか……」

「いやこれ、岩硬すぎて抑制剤打てないと思うよ」

「そんな……」

「いやー、しっかしでかいなー」

「回復能力もあるみたいだし、動物が電気人間と同じ性質を持っているような感じですかね?」

「うん。あらかた例のドラッグ入りのエサでも食べて、こうなったのかもね」

「こんなに巨大化するとは……」

「たぶん太一の鱗が分厚いみたいなもんだと思うよ。本体はもとのサイズのまま、この中にあるはず。目も牙も口も全部岩っぽい見た目だしね」

「なるほど、どうやって本体を見つけ出しますか?」

「ん?」

 茜さんは不思議そうな顔で俺を見る。

「そんなの、丸ごと木っ端みじんにすればいいじゃん」

 隣を見ると、例のひ弱な少女はぽかーんとしている。俺も同じ気持ちだ。


 茜さんは俺と少女の肩に手を置くと、ニッと笑った。

「まあ、私に任せときなって!」


 茜さんは前髪をかき上げ、まっすぐに大蛇をにらむ。

「たまには社会貢献も大事だよねえ~」

 大蛇が金切り声を上げて威嚇する。

「よっしゃいくぜ!」

 体を修復させた大蛇がこちらに迫る。


「いち」

 茜さんの右手あたりに電撃の円陣が発生する。直後、細いナイフのようなものが飛び出した。

 それは綺麗な放物線を描き、対になって大蛇の眉間にできた円陣を目標に、突き刺さる。


間髪入れずに、茜さんは閃光と共に一瞬で、大蛇の頭上に転移する。茜さんの移動した跡は地面に亀裂を入れ、わずかに電気を放っている。

 大蛇が動くと茜さんは一瞬バランスを崩すが、片手の拳で殴るように押さえつけて安定する。

「にの~」

突き立てた拳から出たナイフのような電撃が、ガレキでできた大蛇の頭を上から下に貫く。


「さ~ん」

最後に大蛇の顔を横から同じ電撃で突くと、大蛇は一気に暴れて茜さんと向き合いながら距離を取る。


 茜さんの体から、地面に向かって白い電気が放電されていく。電気は次第に細く鋭く変化して動きも速くなり、輝きを増す。

茜さんは開いた右手を地面と平行に伸ばし、真っすぐに照準を定める。

「ほいさ!」


 指をパチンと鳴らすと、白銀色の雷電が一直線に大蛇に向かって突き進む。

 大蛇は胴体に電撃を食らい、体を揺らす。

「おまけに~……」


茜さんが手を振り下ろすと、手元に今度は電撃の槍が出現した。そして彼女は思い切り振りかぶる。

「もういっちょ!」

 槍は空中を進むごとに巨大化し、大蛇と直径を同じくした。

 爆音があたり一帯に広がり、反響する。


 槍が貫通したかと思うと、もうそこに大蛇の姿は無かった。



 岩石の破片が、大きな音を立てて道路に降り積もっていく。


「っ!」

 俺とひ弱そうな少女の上に、大きめの岩が落ちてくる。ぎりぎりのところを、俺はとっさに爪で切り裂いた。

 少女が俺の手をじっと見つめる。

 俺が硬化を解きながら手を隠そうとすると、彼女は優しく包み込むように俺の手に触れた。

「お兄さん。あ、あの……」

 俺を見上げる彼女の視線は、なぜかキラキラとしていた。

「あ、ありがとうございました!」


「いえ」

 顔の硬化はもはや終わっていたが、俺はすでに彼女に見られている。深く考えないでシガーを使ってしまったことを少し後悔する。でも、あの状況ならこうせざるを得なかったか。


「太一~グッジョブグッジョブ~」

 能天気に茜さんがこっちに来て笑う。

「お姉さんも、ありがとうございました!」

 少女が茜さんに駆け寄る。

「いいってことよ~」

 少女は少しためらったような仕草をしたあと、俺と茜さんを見上げて声高に言った。

「私を……もう一度、私を守ってくれませんか?!」



*****



「で、十四歳のピチピチアイドルの警備を引き受けたと? ましてや黒雷を受けたものを引き付ける体質があるなんて馬鹿な話を……全く……」

「あったりまえでしょ! 断れるわけないじゃない!」

 茜さんはハツラツとして真紀に言う。

「パーティーよ! パーティー! 芸能人がいっぱい来るのよ!」

「結局私欲じゃないか」

 真紀はあきれた顔で、テーブルに置かれた坂本さん自家製のクッキーをかじる。

 テーブルに紅茶を置きながら、坂本さんが口を開く。

「茜の目的がなんであろうと、太一が正体見られてんなら断りようもねえだろ。助けたとはいえ、弱み握られてるようなもんなんだから」

「それもそうか……」

 頬杖をついて目線を上にあげる真紀。俺は慌てて言った。

「いや、俺はそんなつもりで引き受けたわけじゃなくて。なんかこう、彼女から輝くものを感じたというか……」

「太一ってドルオタだったの?」

「いや、単純に応援したくなったって意味ですよ!」

 茜さんに付け加えるように坂本さんがつぶやく。

「年下のアイドルかあ……」

「そういうわけじゃないですってば! それに仮にそうだとしても、坂本さんもアニメの萌えグッズを大量に持ってるじゃないですか!」

「おいおい、二次元と三次元を一緒くたに語るな。俺の嫁は永遠に年を取らないが、現実のアイドルはいつかおばさんになるんだぞ」

「なっ、とんでもないことを口にしましたね! 例えリアルの人間であろうと、そのアイドルが存在している時間こそは永久に不滅なんですよ!」

「「「やっぱドルオタじゃねえか」」」



*****



「パーティーまでに、君にはもっと強くなってほしいんだ」

「うーん」

 俺は目を細めて首をひねる。

「なんだね、何が不満なんだね」

「正直、茜さん一人で事足りる気が……俺が多少強くなったところで、茜さんが圧倒的すぎて総戦力は誤差だと思うんですけど……」

「それだと私がパーティーを楽しめないじゃないか」

「そういう問題ですか……」

「それに、君はもとの体に戻りたいんでしょ? だったら、いつかはマフィアの連中と戦うことになる。そのためにも鍛えておくべきでしょ」

「まあ、確かに」


「ということで真紀から使ってない近所の倉庫の鍵を借りてきたから、そこで特訓です」

「とはいえ、そんな簡単に人って強くなれますかね?」

「たいていはかなりの時間を要するだろうね。でも君は普通の人間じゃない」

「どういうことですか?」

「君の体は、即死レベルで怪我をしても元の体に戻るほど再構築される。君、弱いけど傷が治るのだけは早いからね」

「だけは余計ですよ……」

「そういうわけで、体が怪我をするのをおかまいなしに訓練をしようってわけ。そこを気にしなければかなり無茶ができるから、成長も早いはずだよ」

「なるほど、それならマフィアの連中とも戦えるようになるか……」

「言っておくけど、私の授業はスパルタだからね。ボコボコにするつもりだからよろしく。ほんとに死んじゃったらごめんね」

 何か違う気がするが、まあ死んだら死んだで目標達成。

 俺は深呼吸をして、茜さんと向かい合う。

命がけの訓練、望むところだ。



「ぐはっ……!」

 俺は肺を貫かれ、また死にかける。しかし、何度生死の境界線に立とうが、絶対に一歩先に進むことはない。もちろん、それは俺が不死の怪物、リザードマンだからだ。

「まあ、多少はましになってきたね」

「文字通り死ぬ気でやってますからね」

「でも、皮膚の硬化がまだコントロール仕切れてないね」

俺は、シガーを使えば能力を起動することはできても、鱗の硬度はまちまちのままだった。

「そっち方面をやってみますか」

 茜さんはシガーをくわえると、能力を起動させる。

 一瞬、電撃が放たれたと思ったが、それは遠くへは飛んでいかず茜さんの手の中にとどまった。

 そこにできたのは電撃の槍だった。

 細かい電気を帯びながら、本体の形はほとんど変化していない。電撃でできているにも関わらずだ。

「それ、大蛇を倒したときのやつですよね?」

「そ。これね、たぶん君の皮膚の硬化に近いものがあると思うんだ」

「俺の能力は皮膚の硬化がメインで、不死になるほどの治癒能力があるわけですから、茜さんの電撃能力の応用であるその槍は少し違うんじゃないですか?」

「私が思うに、君の皮膚の硬化は本来意識的に行うものなんだ」

「けど、何も考えていなくても硬化を一度すれば、しばらくは続きますよ?」

「それはたぶん偶発的なものだと思う。じゃなきゃ、真紀に抑制剤を打たれる直前に君の精神状態が皮膚に反映されていたことに違和感がある。つまり、太一の皮膚は自分の気持ち次第で硬くも柔らかくもなるってこと。私の槍も維持するのには結構集中する必要があるからね」

「感覚を覚えるしかないですかね?」

「それは大きいかもね。でもそれがすべてじゃないよ。君が能力を使いたくない理由と使いたい理由を明確にして、ぶれないようにするとかね。やっぱり気持ちは大きいから」

 俺が能力を使いたくない理由と使いたい理由か。正体がばれるのは嫌だから使いたくない理由にならなくもないだろう。使いたい理由、そんなものは果たしてあるのだろうか。死ぬために戦ってきて、その場その場を乗り切ろうとしてきただけだ。

 とにかく試すしかないか。

「やってみます」

「いい目になったね」

 茜さんはそう笑って、槍を俺の頭に貫通させた。



 硬化をコントロールするためにもう少し練習すると言うと、茜さんは一度家に帰っておやつを食べてくると出ていった。

 その直後、茜さんと入れかわりで倉庫にやってきたのは坂本さんだった。

「おやつ持ってきてやったぞ」

 長髪をポニーテールにまとめた坂本さんはエプロン姿でそう告げる。初対面でこの人にあったとき、誰が身分を予想できようか。ギャンブル狂で家政夫の成人男性。もうすぐアラサーになるという。

「茜さん、おやつのために一度帰っていきましたけど」

「うちにはないぞ。作り置きは昨日食べきったし、今日の分は俺が持ってきたので全部だからな」

 誰もいない事務所でがっくりと肩を落としてお腹を鳴らしている茜さんの姿が目に浮かぶ。

「まあ、あいつのことは気にしないで、食え食え。今日はマカロンとガトーショコラだぞ」

「ありがとうございます」

 俺は渡された二つのお茶菓子を両手にそれぞれ持ち、お礼を言う。

 なんとも器用なものだ。まるで高級店で買ってきたのではないかというほど綺麗な見た目をしている。坂本さんは家事のなかでも料理がもっとも得意らしく、なんでも自分で作ってしまう。この数日でいろんなものを食べさせてもらったが、どれも見た目だけでなく味まで一級品なのだ。

 俺はマカロンをかじる。

 ほんのりと広がる上品な甘い香りで、口内が満たされる。次いで渡されたタンブラーに入った冷たい紅茶を飲むと、一層風味は高まった。

「マカロン、すごくおいしいです。本当にお店のものを食べてるみたいな感じだ……」

 俺は隣で壁にもたれかかる坂本さんに感想をいう。

「まあ、それは店で買ってきたものだからな」

「えぇ……」

 気を取り直して、次の言葉を探す。

「そ、そうでしたか……このアイスティーもいいところのやつなんですかね……こう、なんだか個人の家庭では作れないようなバランスのほどよい甘さというか……」

「それは俺が熱々の紅茶を丁寧に入れてから、アイスティーで作った氷で冷やし、厳選した外国製のはちみつと砂糖を混ぜたものだ」

「左様ですか……すみません……」

「ふっ……」

 坂本さんは小さく笑いをこぼすと、おどけた顔をする。

「別にそんな細かいことを気にしやしねえよ。お前が俺を気遣ってくれてるのはわかるしな」

 俺は照れて、うつむき気味にうなずく。

「あの家に男は俺とお前だけなんだ。もっと気楽にいこうぜ」

「は、はい!」



「坂本さんの治癒能力が高いのには何か理由があるんですか?」

「そりゃあるさ。別に俺もお前も、治癒能力が高い理由は同じだぞ」

「そうなんですか?」

「ああ、大した話じゃないさ。人間……生物なんだから当然のことさ」

「生物だから……?」

「ズバリ、生きたいという気持ちだ」

 ギクリとした。死ぬために戦っている俺が生きたい? 茜さんは、俺たちが初めて出会ったとき俺が自殺しようとしていたことを、真紀や坂本さんには話していなかったのだろうか。全く、妙なところでデリカシーのある人だな。この間なんて、俺の下着がブリーフだと知ってすぐに二人にばらしたくせに。

 坂本さんは話を続ける。

「俺は生への執着が強いらしくてな。誰でも持っていて当然の気持ちだろうが、ひときわ強いらしい」

「でも、どうしてそれが治癒能力に関係あるんですか?」

 坂本さんはたばこを取り火をつけると、一口吸ってから答える。

「電気人間だって、人類であることに変わりはないからな。気力の強いやつが事故でひん死の怪我をして生き残るのと同じような話さ」

 坂本さんは、もう一度たばこを口に当てる。たばこの甘い香りが俺の鼻にも届く。

「電気能力だって、気力は関係してる。茜の強さは才能だが、どの電気人間も才能の範疇で使いこなせる威力は本人の気力次第だ。だから、お前が強くなりたいなら、気持ちから入るのもありなのかもな」

 正直、半信半疑だった。俺は生きていたいなんていない。リザードマンとしての治癒能力が邪魔しなければ、今にでも死ぬつもりだ。

 生への執着が治癒能力にリンクしているだなんて信じられない。それだと、チェーンソーで手足をもがれても復活した俺の場合、何が俺を現世に引き留めているというのだろうか。

「お前、例のアイドルを助けたときはどうしてマークシガーを使ったんだ? その場にいた不特定多数に正体を知られる可能性だってあったわけだろ。それこそ警察にもマフィアの連中にもばれることに繋がっただろうし、どんな目にあうかわからなかったはずだろ?」

「……正直、あんまり頭が回っていなかったのかもしれません。無我夢中というか……」

「とにかくその子を助けなきゃいけないって?」

「なんだかたいそうなことみたいですけど、でもたぶんそんな感じです。自分でも気持ち悪いし、嫌なんです……俺は、俺の自分よがりな偽善心が嫌いなんです……」

「偽善じゃないと思うぞ?」

「え?」

「偽善じゃないだろ。関わったこともない見ず知らずの人を、自分をリスクにさらしてまで助けたいなんて、それは偽善じゃないさ」

 俺は嬉しかった。自己嫌悪の原因だったことが人から肯定されて、嬉しかった。もしかしたら、そう思うくらいだからどこかで少しだけ、そんな自分も認めていたのかもしれないとすら思った。

「茜だってそうだろ。茜がカンパニーの連中から逃げ切れたのは、お前のおかげだろ」

 俺は思わず、下唇を噛んだ。

「お前の無条件で人を助けたいという気持ちが、茜や一緒に捕まってたっていうおっさんや、アイドルの女の子を救ったんだ。それはもう何の疑いようもない正義なんじゃないか?」

 そこまで人から認められることだとは思っていなかった。

 正直、ちょっと泣きそうだ。

「だと……いい……です」

「ああ」

 坂本さんがたばこを吸い終わるころ、茜さんがプンスカと倉庫に帰ってきた。



*****



「どお、太一どう思う?」

「なんですかその馬鹿でかいサングラスは。バカみたいですよ」

「おい、口の利き方に気を付けたまえ。私は今夜VIPなのだよ? ヴぃーっぷだよ?」

 相変わらず間抜けな人だと思っていたら、似たような真っ黒のサングラスをかけた真紀と坂本さんが顔を出す。

「おい、太一。ダンスの準備はできてるか?」

「坂本、ダンサーにあらずんばVIPにあらずだぞ。太一だって万全に決まってるだろ」

「確かにその通りだ」

 真紀はコクコクと神妙な面持ちでうなずく。

 二人は人差し指をかかげる。

「「フォウ!」」

 俺は横に顔を向け、茜さんを見る。

「フォウ!」

 俺たちは船に乗り込んだ。



「チアーズ!」

「かんぱーい」

 俺が茜さんに言うと、彼女はやれやれと言った様子で眉を上げた。

「ちょっとちょっと、乾杯ってなに? ここはパーティー会場だよ? 全く、パーティーは何語?」

「英語ですけど?」

「そう、つまりここは今英語圏なのです。郷に入っては郷に従え、君は他人の領域でも自分のエゴを突き通すつもりなの?」

「別に祝宴でもいいでしょうに」

「うるさい、太一うるさい」

 茜さんはそう言うと俺の取ってきたナッツを全部口に入れた。

 俺が責めるような目線を送ると、他人事のような顔であたりをきょろきょろする。

「真紀と坂本は?」

 俺は無言で会場の中心を指差す。

 そこには、拳を突き上げて叫び続ける真紀と、真紀を肩車しながら踊り狂う坂本さんの姿がある。

 真紀は手に持っている飲み物をバチャバチャと坂本さんの頭の上や床にこぼし、係の人がふいているのに気づいていない様子だ。

「あーもう、あの二人ってば」

 茜さんは静かな顔で係の人を眺める。

「どうかしました?」

急に静かになった茜さんに俺は聞く。

「思い出すなあと思ってね。私、昔メイドやってたんだ」

「メイド?! 自分のこともろくにこなせない茜さんが人の世話をやってたんですか?」

「おい、私だってメイドくらいできるぞ」

「メイドはメイドくらいって言い方をされるほど楽な仕事じゃないと思いますけど。それにしても、よく茜さんを雇ってくれましたね」

「まあ、人手が足りなかったからね。誰もあんなところで働きたくないだろうし」

「あんなところ?」

「私も太一と同じで、家族を黒雷で失ってるって前にいったでしょ?」

「ええ」

「それで小さい頃しばらく孤児院にいたの。でも能力を不気味がられて引き取り手がいなくてさ、十三歳のときある人の紹介でメイドとして住み込みで働くことになったの。そこがカンパニーの邸宅の一つだったってわけ」

「それで真紀と知り合ったってわけですか?!」

「そゆこと」

「それ以来追われてるって、いったいカンパニーでどんなミスをやらかしたんですか?」

「んなことしてないってば、普通に働いてたっての」

「じゃあどうして」

「真紀をあそこから逃がしたのは私なの。それ以来カンパニーのやつらは真紀を連れ戻そうとしてるけど、私が守ってるからなかなかうまくいかない。それで連中が私を倒すために作ったのが君のくらった人工黒雷ってわけ」

「そういうことだったんですか……」

「人工黒雷を受けたのが君で正直助かったよ、太一みたいに弱くなかったら私負けてたかもだし」

「……そんなに人工黒雷は力があるんですか?」

「単純な話だよ。あいつらは私の電撃に対抗するために電気を通さないガラスの怪物を作ろうとした。だから人工黒雷本来の力がフルに発揮されたら、私がどんなに強くても相手には効かないってわけ」

「なるほど」



「太一さーん! 茜さーん!」

 会場の遠くから俺たちを呼んで駆けてくるのは、以前俺たちが助けたこの仕事の依頼主、アイドルの琴音ちゃんだ。真っ赤なドレスに身を包み、まるで天使のようだ。そういえば、茜さんも青っぽいドレスを着ている。別に興味はないが。

「あ、琴音ちゃん」

「やあやあ、琴音ちゃん!」


「まだ何も起こらないね」

 茜さんが能天気に言う。まだとか不謹慎なことは言わないでほしい。

「このまま何もないといいんですけど。でも、私の体質的にいつ能力者やこないだの大蛇みたいな怪物が現れてもおかしくないので……」

「大丈夫大丈夫! 何が起きても私がワンパンで倒しちゃうから!」

「心強いです!」

「太一さんも、頼りにしてますね!」

「う、うん……」

「あー、また顔赤くしてるー。太一は本当にちょろいんですみませんね。チョロ男なんです」

「変なこと言わないでください!」

 この女、余計な口を。



「あれ、君たちは!」

 誰だろうと思った。俺が一人で飲み物を取っていると、一人のスーツ姿のおじさんが話しかけてきた。

「僕だよ僕。もう、連絡先も教えずにいなくなっちゃったもんだから参ってたんだよ。よかったあ」

 その体躯をよく見て、ハッとした。

「あのときの!」

 俺や茜さんと一緒にカンパニーに捕まっていた、あの男だった。



「そうだったんだね。君たちもあの組織を追っていたのか」

「君たちもってことは、武山さんも?」

「ああ、君たちには悪いけど、実は僕がやつらに捕まってたのは自業自得なんだ」

「?」

「これを」

武山と名乗っていた彼は、俺に名刺を手渡す。

「僕はね、カンパニーのことを調べている記者なんだ」


「京利?」

「ああ、それが次期親玉になるであろう男の名前だ。今のボスの息子だから当然と言えば当然だけどね」

 思い出した。真紀から聞いていたのと同じ名前だ。

「京利は黒雷で兵隊を作ろうとしてる。その適性者を見つけるために、カンパニーが流通させているドラッグに実験薬の一部を混ぜたんだ。結果論だけど、そのドラッグは通常よりも依存性強い。特に狂暴性と記憶の忘却作用についてはなおさらね。それが君たちの見つけた薬なんだと思うよ」

 俺はうなずく。

「近々、警察の捜査がカンパニーの邸宅のいくつかに入る。その中に一つに研究施設があると僕はにらんでいる」

「その場所を教えていただくことはできませんか?」

「もちろんだよ。君は命の恩人だ。それに、お互い仲間は多いほうが心強い」

「ありがとうございます」

「このファイルに僕の知る情報はまとめてコピーしてある。くれぐれも扱いには気を付けてね」

「はい」



「それで、さっきのドラッグの依存者の見分け方なんですが……」

「ねえねえ、太一」

 横から茜さんが話しかけてくる。

「なんですか? 今、大事な話を……って茜さんあなた……」

 この女明らかに酔っぱらっている。少し目を離したすきに未成年飲酒してやがった。

「この人、すっごい酔っぱらってる、ぐふふ……ウケる」

 男の頭が茜さんの肩にもたれかかる。誰か知らない別の酔っ払いを連れている。

「もしかしてこの男の人。ドドド、ド変態?! ぎゃはははは!」

 喜ぶ茜さんと男を引きはがして、俺はため息をつく。

「見て見て! この人、すごい筋肉……ぐへへへへへ家に連れて帰っちゃおうかな……ぐへへへへへ」

「茜さん、そんなに筋肉好きだったんですか。というか、茜さんの方が変態ぽい感じになってますよ」

「誰が変態だ! 私は至って健全な乙女だよ。でも筋肉はいいぞお……ぐへへへ」

「まあ、どうでもいいですけど」

 俺は武山さんに向き直る。

「すみません、うちの連れが話を遮って」

「だ、大丈夫だよ。この子にもお礼をしたいな。しらふのときに」

 気を使ってくれているのであろう武山さんに俺は苦笑いをする。


「太一はもっと筋肉をつけろ! 多少最近の特訓でましになったとはいえ、まだまだだぞお?」

 茜さんが顔を近づけてきて、ぶつぶつと言う。

 俺は無言で茜さんの頬を押しのけた。

「すみません」

「い、いやいや。ドラッグ使用者を見分ける方法の話だったね」

「はい、どうすれば判断できるんですか?」

「簡単さ、見た目の問題だからね。目の色が変わるんだ」

「目の色……」

「うん、黒目が白濁するんだ。そして眼球全体の血管が広がって、赤く血走ったような感じになる」

「なるほど」

「ねえねえ」

「なんですか、もう。静かにしててくださいよ、茜さん」

「この人、具合悪いみたい……なんか目の色が変だよ」

「「え?」」

 俺と武山さんが声をもらす。

 茜さんに抱えられたその男の目は、確かにおかしかった。

 白濁した眼球が俺を見つめる。

 そのとき、男は雄たけびを上げた。



 会場中の視線が集まる中、男は狂いだす。俺が抑制剤を取ろうとポケットに手を入れた瞬間、男は四方八方に電撃を放った。その一部が俺の両目を切り、視界が遮られる。


 二秒ほどたって傷が回復したので目を開けると、そのわずかな時間の間に、男は会場の扉を開いて甲板の柵の上に移動していた。獣のように四つん這いで柵の上にバランスを取り、よだれを垂らしている。

 男が再び激しい帯電を始める。

 俺は駆け出し、男に突進してやつを道ずれに海の中に落下した。


 放電しつつある男を水中に押し込むと、一気に海の中へと放射状に電撃が広がっていく。

 俺は足で男を下に蹴飛ばし、マークシガーを取り出す。

 勢いよく噛むと、マークシガーは電気を帯びる。俺はそれを起電力に、皮膚を硬化させた。

 再びこちらに向かってきた男が、俺の足を引っ張って海底に引きずり込もうとする。

 息が苦しい。窒息して気絶したら、復活するまで意識を失ってしまう。それではこいつが船に戻ってしまうかもしれない。しかし俺の服のポケットの中では、抑制剤の入った容器は割れ、中身がもれていた。

 俺は手の動きだけでもがき、海面を目指す。

 なんとか、顔だけだが海上に出す。塩水の混ざった空気を吸い、呼吸を整える。男は依然として俺の足をつかんで暴れている。

船の甲板から顔を出す茜さんが見えた。

「太一~お酒を飲みすぎたからって泳いじゃダメだよお~」

 あんたにだけは言われたくない。そう思ったとき、茜さんの横から、真紀と坂本さんが顔を出した。坂本さんに抱きかかえられた真紀が柵に手をついて叫ぶ。

「太一! 大丈夫か?!」

 俺は男に体を引っ張られながらも、なんとか顔を水上に出したまま叫び返す。

「俺は大丈夫だけど、抑制剤が割れた! この人は自我を失っているから、おそらく覚醒初期だ! まだ助かるかもしれない! 抑制剤をこっちにくれ!」

 真紀が俺に、液体の入った注射器を投げる。

「無理はするな! 厳しそうだったらとどめを刺せ!」

 俺はうなずき、注射器を持ち直す。

 注射器のキャップを外して打とうとしたとき、男の帯電が増していった。一気に水中に引きずり込まれる。その勢いで男は俺の上半身のあたりまで登ってきていた。

 俺の左手を噛みちぎろうとするやつの顔を、注射器を持ったまま硬化した拳で殴り、羽交い絞めにする。

 おさえたまま男の首に注射器を打ち込むと、やっと静かになった。

 俺が真紀たちに合図すると、俺と男はボートに引き上げられた。


 渡された別の服に着替えて会場に戻ると、もうすぐ港に着くらしいとわかった。

 会場の窓から、港が見える。

 俺の肩を誰かが叩く。振り向くと、坂本さんだった。

「あの男の人はどうなりました?」

 俺が坂本さんに聞くと、坂本さんは俺の肩を数回軽くたたきながら答える。

「隔離された部屋で、拘束されたまま真紀が様子を見ながら抑制剤を打ってる。とりあえずは大丈夫そうだ」

「そうですか……」

 俺はほっと息を吐く。


「よかったです」

「にしても無茶するぜ。回復しなくなるまで腕をもぐなり、足をもぐなりすればよかったのに」

「あの人は普通の電気人間じゃないんです。例のドラッグの副作用でああなってるらしくて、それだと体が元に戻るかわからなかった。逆にいえば、人間に戻れる可能性があるってことです」

「なるほどな。でもそんなことどこで知ったんだ?」

「以前カンパニーから逃げるときに助けた人とここで再会して、教えてもらったんです。カンパニーを追ってる記者の人らしくて……そういえば武山さんはどこにいったんだろう……」

「もしかして茜の面倒見てるあのおっさんのことか?」

 坂本さんについていくと、眠っている茜さんをひざまくらする武山さんがいた。心底、困った顔をしていた。


 港に着くと警察が待機しており、ドラッグ中毒者の男は引き渡された。



*****



「あれ、茜さんは? さっきまでいたのに」

 俺が坂本さんに尋ねると、彼は首をかしげた。

「さっきまでここにいたんだけどな。あの武山って人、よっぽど中毒者が暴れたのが応えたみたいだな。やつれてたぞ」

 マフィアに捕まって殴られまくってた人が、今さら中毒者の暴走を近くで見たくらいでショックを受けるだろうか。おおかた、酔っぱらった茜さんがうざがらみでもしたのだろう。

「ちよっと探してきますね」

「私は警察の聴取を受けてる真紀のところに行ってくる」

「わかりました」


 茜さんがなかなか見つからないので、かなり人気のないところまで来てしまった。

「ったく、茜さんどこまで徘徊してるんだ?」

 輸送用のコンテナが積み並ぶ物資置き場を練り歩いていると、それらしき人を見つけた。また誰かにちょっかいを出している。

「ねえねえ、お兄さん筋肉あるの?」

「なんですか、あなた! 公務執行妨害で逮捕しますよ。僕は捜査で忙しいんだ。さっさと離れてください!」

「えー! もう少しお話しようよー!」


「す、すみません! 申し訳ない!」

 俺はスーツを着こなした若い少年に声をかける。年はそこまで離れていないように思えた。真面目そうな雰囲気で、スーツにはしわの一つもない。

「連れの方ですか?」

「はい! ご迷惑をおかけしてしまって、すみません」

「いえ、もう暗いですからお気をつけて」

「ありがとうございます。では……」

 俺が茜さんを引っ張ってその場を去ろうとすると、茜さんがその少年につかまれた。

「ちょっと待ってください」

「は、はい?」

 茜さんは静かになり、朦朧とした視線を泳がせている。

 少年は俺の足元に手を伸ばすと、何かを拾った。

「黒光りするガラス……」

「え?」

 聞き間違いだろうか。俺は冷や汗をかく。

「肌を見せてください」

「どういうことですか? あなた、いったい何を……」

 少年は上着の内ポケットから手帳を取り出し、俺に突き付ける。

「僕は刑事である事件を追っています。その事件にあなたが関与していないと知るために確認が必要です。腕か足の皮膚を見せてください」

 まずい。警察の追手がこんなところにいたとは。

「そうだー! 筋肉を見せろー!」

「「……」」

「茜さんは静かにしていてください……」

 俺は気を取り直して、少年に向き直る。

「事件って、そんなばかなこと言わないでくださいよ」

「あなたは今夜、今まで何をしていましたか?」

「ここから見えるあの船をパーティーに参加していて……」

「では例の騒ぎは知っていますね。その男をとらえたという少年について何か覚えていることは? 見た目でも言動でも、なんでもいいです」

「それは……俺です。俺が暴れた男の人を止めました」

「……!」



「おお、律。何をそんなに怒った顔をしてるんだ?」

 そこへ初老の若いスーツ姿の男がやってくる。

「峰岸さん、パーティー客の中に目撃者は?」

「何人かがガラスのような皮膚だったって言ってな。さっさと、その救助をしたってやつを探しに行くぞ」

「この人です」

「なに?」

 まずい。返答をミスったか。

「ち、違いますよ。俺は何も……って、それは!」

 若い刑事が手にしたものは明らかにマークシガーだった。刑事はマークシガーの先端を噛むと、俺に詰め寄る。

「なにか、誤解をされているようですが……」

 俺は少年を突き離そうとする。

「誤解かどうかはこれでわかりますよ」

 マークシガーが俺に突き付けられる。俺は帯電し、全身の皮膚を硬化させる。漆黒のガラス片が俺の顔まで広がっていく。

 やられた。正体がばれた……!

「やはり……!」

「くそっ……茜さん! 行きますよ!」

「ふえ~なんて~?」


 俺が茜さんの手を握り直して駆け出そうとすると、少年は瞬時に移動して俺の進行を遮った。

「通しませんよ」

少年は上着のボタンを外して楽にすると、両手を腰の左側にあてる。

「嵐鳴り止む雷刀流れ、声を返して切り裂かん……」

「な……んだ?」

 ギギギギと何やら重い音がどこからともなく聞こえてくる。

「来い! ツキネコ!」

 刑事の左腕が弾け散る。飛散することで気づいたが、それは金属製の義手だった。空中に舞った粒子が一か所に集まる。空気が勢いよくもれるような音を立てて、刀の形を創り上げられた。

「おとなしく捕まれ、トカゲ野郎」

 少年の義手が、肉体のように滑らかに複製される。これも治癒能力の一環だろうか。

「おとなしく捕まったらどうなる……?」

「さあな、下っ端の僕が知ったことじゃない」

「だったら、無理な話だな!」

 俺は茜さんを一度離す。そして手のひらを少年にむかって広げて、爪を尖らせた。


 若い刑事が身を低くして、こちらに突進してくる。俺はやつの肩を跳び箱のようにして乗り越えて、避ける。

 やつの背後から爪を引っかけようと思ったが、後ろに回された刀に防がれる。

 俺は一度刀をはじき、距離を取る。俺たちは一度向かい合う。

 そのとき、やつが向けてきた剣先から電撃が放たれる。

 俺は両腕で防ぐ。茜さんの電撃に比べれば対した威力ではない。

「報告書通りだな。その鱗は電撃を防ぐのか」

「そうだよ……満足か、サムライ野郎!」

 俺は拳で殴りかかる。しかし刀で突かれた。わずかに鱗の下の肉まで刺さり、痛みが走る。

「なら、鱗の内側からならどうかな……?」

「は……?」

「拡張!」

 刑事の声に呼応するようにして、刀の色が変わる。反射的に刀を拳から払おうとするが、抜けない。次の瞬間、刀から俺の腕に電流が流れた。

「がっ……!」

 俺は左手で右腕の肘から下を切り落とし、退避した。

 右腕がボコボコと肉を盛り上がらせて修復されていく。


「ちょっと太一~帰ろうよ~!」

「ったく、今さらお目覚めかよ……!」

 俺は茜さんに叫ぶ。

「こいつ倒さなきゃ帰れないんですよ!」

「え~じゃあ、倒してあげよっか~」

 茜さんはゆらゆらと危なっかしく地面から立ち上がる。

 そして両手の指を同時に鳴らす。すると、両手を軸にして螺旋状に高速で回転する電撃が生じた。


 茜さんが両手をあわせると、威力を増幅しあった電撃の束が放たれた。

 刑事は刀で防ごうとするが、電撃は刑事の身長よりずっと大きい直径であり、吹き飛ばした。


「助かった……」

 俺はふうと息を吐き、呼吸を整える。酔っぱらっていても茜さんが相変わらずの強さでよかった。


「あなたも戦いますか?」

 俺は両手を構え、初老の刑事をにらむ。

「いや、俺はいいや。こんなの見て戦う気にはなれねえし、そもそも俺は電気人間じゃないからな」

 どうやら今夜は諦めてくれるらしい。俺は茜さんの手をつかむ。

「茜さん、行きましょう」

「うへぇ~」


「茜って、もしかして茜ちゃんか?」

 初老の刑事が伸びている少年に向かって歩くのをやめて立ち止まる。

「うへぇえ、誰れすかあ?」

「まあいいさ。元気ならそれでいい」


「?」

 知り合い……なのか? しかし今日はとりあえず退散だ。

「行きましょう」



「太一さん! 茜さん!」

船の方へ戻ると、琴音ちゃんとプロデューサーさんが待っていた。


「今日は本当にありがとうございました。やっぱり琴音ちゃんの体質には何かあるみたいで……」

 プロデューサーさんに、琴音ちゃんがうなずく。

「私からも、ありがとうございました!」

「いえ、怪我がなかったことだけが良かったです」


「実はこれを」

 プロデューサーの山寺さんがパソコンの画面を俺に見せる。

「近々ライブを控えているのですが……」

「そうなんです! 私の初めての大ドームでのライブ講演なんです!」

「また警備をお願いできないかと」

 俺はうなずく。どこにいても危険なものは危険なのだ。

「わかりました。こちらでも計画を立て直してみます」

「よかった!」

「では、追って連絡を差し上げます」


「わかりました」

「また、改めてお礼をさせてください。今日は本当にありがとうございました」



*****

 丘の上にある広大な敷地を有する豪邸の前で、俺と茜さんは警察の大群に潜入して待機していた。

 記者の武山さんに聞いた情報をもとに、カンパニーの研究施設を突き止めるためだ。

 警察の大部隊は、今にもカンパニーの邸宅に突入せんとしている。どうやら穏便にはいかなそうだ。

「ねえ太一、前が全く見えないんだけど」

 防御用の警察ヘルメットを隙間なく曇らせた茜さんが俺に向かってつぶやく。

 周りの警察官たちも武装をしている。カンパニーが捜査の受け入れを拒否しているため強制的に侵入が行われようとしているからだ。


「ふけばいいじゃないですか。余計な事いってないでもっと緊張感もってください。もうじき突入なんですよ」

門を挟んでカンパニーの若い構成員たちと警察がにらみ合っている。

「だってだって、拭こうにもこの硬い服のせいでうまく水分を拭きとれないし、そもそもすぐ曇るからキリがないんだけど」

「昨日坂本さんが試しに着ておけって言ったのに、海外ドラマ見てるからあとでって言って結局着なかったのは茜さんじゃないですか。自業自得ですよ」

 俺たちの武装は坂本さんが作った偽物だ。

「何も見えないから、ところかまわず電撃を放っちゃうかもしれない」

 俺を揺さぶる茜さんに、俺はさらに声を小さくして答える。

「そんなことしたら俺たちが電気人間だってばれちゃいますよ! ただでさえ警察の大群に潜入してるんですから、そんなことしたら秒で捕まりますよ!」

「別に私は強いから捕まらないけど。捕まるのはいまだに能力を使いこなせてない太一だけど」

「あーもう! 俺にどうしろって言うんですか!」

「ズボンの斜め後ろのポケットにハンカチがあるから、取ってほしいんだけど」

「ならそうと早く言ってくださいよ!」

「そっちこそ文句言ってないで最初から取ってよね!」

 屁理屈をこねくり回す茜さんに俺は、ここが警察の大群の中じゃなかったらどつき回してやるのにと思いながらため息をつく。

「で、どこのポケットですか?」

「ここ」

 茜さんの手が届かない、指をさされたあたりのポケットに俺は手を入れる。

「ど、どどどどこ触ってるんだよ、この変態!」

「いや、ここって指差しましたよね?」

「さしてないよ! もっと下だよ!」

「はあ、ならもっとわかりやすく最初から……」

「そこじゃない! なんて触り方してるんだ! それもうなでてるよね?!」

「バカなこと言わないでください。茜さんに手を出すほど俺は冷静さを失ってはいません」

「失礼な奴だな! 私の魅力がその程度だってバカにしてるの?!」

「やっぱり馬鹿なんじゃないですか? せめて手を出されたいのか出されたくないのかぐらいはっきりしてくださいよ」

「こ、この! 乙女になんてこと言わせようとしてるんだ!」

「毎晩夜中にカップラーメン三つも食べてる人が乙女だなんて笑わせてくれますね。茜さんが乙女なら俺は女神ですよ」

「誰が君なんか崇拝するか! このブリーフ男!」

「好きなパンツをはく自由くらい誰にだってあるでしょう!」

 そのとき、突入の合図とともに警察官たちがいっせいに屋敷になだれ込み始める。


「あああ! 前が見えない! 見えないから押さないで! あああああ!」

「止まれないんで、先に行ってますね」



 わずかな隙をみて隊列から離脱した俺は、植木の陰を移動しながら事前に真紀に知らされていた地点に向かう。

 そろそろ茜さんも離脱できただろうかと思い、坂本さんが用意した連絡用の通信機のスイッチを入れる。

「ここで! 地元の食材をふんだんに使用していることで話題のカフェに伺います! わ~すごくいいにおいがしてきますね!」


「おい、これラジオじゃねえか」

 思わずつぶやいた俺は通信機を植木の隙間に捨て、庭にある小さな倉庫の前で選択を迫られる。

 茜さんとの連絡が取れないとなると、ここで茜さんを待つか。しかし時間の余裕はあまりない。自分一人で行くべきか。しかし、自分一人で潜入することに自信のない部分もある。

 なかなか決まらない。


 そのとき警察の一部の集団が庭の方に回ってくるのが聞こえた。

 俺はとっさに倉庫の扉を開いて中に入った。


 仕方ない。庭はじき警察官だらけになるだろう。その中を上手く潜って茜さんがここまで来ることができるとは到底思えない。というか、そもそも茜さんはここまで一人で来れるのだろうか。ミスったかな。


 深呼吸をして、決心をする。

「仕方ない、行くか」

 俺は普段着の上に着ていた警察の変装を脱ぎ、大きな機械の陰に隠れていた隠し扉を開けた。



 扉の内側に入ると、真っ暗で何も見えなかった。懐中電灯を取り出して進もうと思ったが、扉を閉めると照明がいっせいに点灯した。

 無機質なコンクリートの壁だけが曲がり角まで坂になって続いている。

 自分の靴が床を叩く音だけが、トンネルのような地下室に響き渡る。


 ある地点を超えたところで、再び電気が消えた。

 俺がポケットの懐中電灯に手を伸ばすと、幽霊が遊んでいるかのように再び電気がともる。


 そして、また消える。またつく。何回か繰り返した。

 一時的に照明が消えても、ある程度歩くことはできたのでまあいいかと思った。

 そのとき、再び電灯がつく。

 目の前には人がいた。



 思わず言葉にならない声がもれる。数歩後ずさりした俺は、その女が泣いていることに気づいた。

 すすりあげる女の声は次第に大きくなり、子供のように大声で泣き始める。

 涙が一滴床に落ちたとき、それが帯電していることに気づいた。


 パリリと電撃が小さく床に数センチ広がる。

 俺はポケットに入れたままだった手で、マークシガーを掴む。


 その先端を口に運ぼうとしたとき、俺の右手は女の鋭い電撃によって切断された。


 反対の手でマークシガーを取ろうとするが、それが達せられるよりも先に、今度は俺の左腕が肩から指先までまとめて床に落ちた。

 上着のジャケットは同時に切り刻まれ、数本のマークシガーと共に布切れが宙に舞う。


 喉の奥から冷たい感覚がこみあげてくる。

 気づけば、走り出していた。


 腕が取れていて、体のバランスがうまく取れない。それでも俺はやつの攻撃を受けないように一歩一歩を最大限に速めた。


 道を進み続けると、広い部屋に出た。

 学校の体育館くらいの広さはある。地下なのに天井は三階建てのビルくらい高い。

 俺はその部屋は自分が見ているよりもさらに広いことに気が付いた。


 俺が壁だと思っていたものは積まれた荷物であり、大きな木の箱が無数に積まれている。

 「血だ」

 地面には低い水位で液体が溜まっており、それは赤々とした血だった。

 木の箱から大量の血液が漏れ出し、地面を浸していた。箱はガタガタと動く。

 のぞくと、中身は死体だった。明らかに体の大部分が欠損している。なのになぜか筋肉は震えていた。


 背後からゆっくりと液体の踏まれる音が近づいてくる。


 俺が振り返ると同時に女が叫ぶ。すると細いが範囲の広い電撃が部屋を満たし、俺含めその場の大量の人間を電気人間にした。



*****



 一瞬にして、俺は大量の敵に取り囲まれた。その数は五十人は下らないだろう。

 無数の敵に知性はないようだった。最初に出会った女を含め、顔のほとんどが火傷のようにただれている。

しかしマークシガーを失った俺にとって、起電力が与えられたことは幸いだった。


 一気に残りの分の腕が回復する。

 集中する。記憶の深くにある、力を呼び起こす感覚。

 以前ほどその作業は難しくなかった。俺は自意識の中でそれを掴む。


 皮膚の表面が波のように盛り上がっていくのを感じる。火で焼かれるような熱さと共に、鱗が連なっていく。

 体の骨格が激痛と共に音を立てて壊れ、再構築される。頭蓋骨の形は大きくゆがみ、牙と爪が鋭く出ていく。

 ゆっくり、息を吐く。

 体の外に出た息は凍るようにガラス片になり、あたりに細かく散る。

 最後に、眼球を縦にナイフで切られるような痛みが走ると、俺はリザードマンになっていた。



 同時にかかってきた死体の敵を、俺は爪で薙ぐように切り刻む。敵の数は多いが、個体の能力は低い。すぐにおおかたを倒した。やつらに治癒能力はないらしい。復活はしなかった。


 女が叫びをしようとする前に、俺は一気に距離を詰めて、抑制剤を打ちこむ。この人はまだ生きている。

 女は普通の人間の姿に戻った。


「なぜお前がここにいる」

 カツカツと革靴が音を立てて、こちらに進んでくる。

 几帳面に着こなした小綺麗なスーツ。短く刈り上げた潔い短髪。怪しげな刀。港で戦った若い刑事だった。

「なんだ、あんたか。俺はここの研究施設にようがあってね」

 俺は眠る女を床に置き、刑事を見る。

「まあ、あんたには関係ないことだよ」


「悪いがそうもいかなくてな」

 若い刑事は右腕を伸ばして前かがみになり、刀の刃先を自らの後方に向ける。

「俺はここの地下にいる生き物は皆殺しにするようにと命令を受けている」

「任務失敗の報告書を書くのは苦痛じゃないか?」


「馬鹿な口を。おとなしく捕まるなら殺しはしない。投降しろ」

 俺はじっと相手をにらみ、爪をむき出す。

「悪いけど、こっちにも都合があってな」


「今、捕まるわけにはいかないんだよ!」

 一気に俺は飛び出し、距離を詰める。

「なら、ここで処分してやるよ」


 俺の拳とやつの刀の刃先がぶつかり、火花と俺のガラス片が細かく散る。

 刀をスライドさせて態勢を立て直そうとするやつの腕を、俺のもう一方の手がつかむ。


 すると、男の刀は砂のように崩壊した。俺の手をすり抜け、再び男の手に刃として戻る。

 俺が驚いたすきに、俺の手首は切り落とされた。

 数歩下がり、手首に意識を集中させて右手は再生させる。


 かがんで突進してきたやつの剣先が俺の脇腹をえぐる。振り上げた刀で返すようにして今度は俺の額を狙う。

 俺の目元は瞬時により硬いガラス細工になり、やつの攻撃を受け止める。

 パキキと鋭い音を立てて、俺の鱗が刃を侵食し始める。刀ごと固めてやる。


 しかし、完全に包み込むよりも先にやつは再び刀を粒子化させ、距離を取った。

「お前はなにがしたいんだ。別にここの構成員でもなんでもないだろう……お前は何者なんだ?」

「ただの化け物だよ」

 真っすぐに振り下ろされた刀を、俺は両腕を交差させて防ぐ。

「邪魔だな。お前の性格も、その能力も。僕には全くもって鬱陶しい」

 俺は刀をはじくと、拳を投げながら答える。

「お互い様だよ……!」


 そのとき、電撃の矢が俺と男の腕を切り裂いた。

「俺も混ざりたいなあ」

「京利……!」

 刑事がそう呼ぶので、、こいつが真紀の姉であり次期カンパニーの頭目だとわかった。そして何より、俺の人工黒雷を作った男だ。


「仲間に入れてよ。刑事くんと、探偵くん?」



 同時にぶつかった三人の攻撃が弾きあい、真上に飛んでいく。

一気に崩れた来た天井を全員が回避した。


「いったたたた」

「茜さん?!」

 天井から茜さんが落ちてきた。

「おい、太一! さっきはよくも置いていってくれたな! あのあと警察の集団の真ん中で正体がばれて大変だったんだからな!」


「あなたは港のときの……」

「茜じゃねえか。人の家族を連れ去った誘拐犯め」


「あんまり他人に興味ないから覚えてないんだけど……」

 俺と茜さんは並んで立ち、態勢を整える。これで三つ巴から、二対一対一だ。

「まあ、倒されたい人からお先にどうぞ? なんにしても、秒で終わるんだけど」



 茜さんがかがむと、電撃の輪が彼女を中心にして形成される。

 掲げた手が握られると同時に電撃が放散し、享利と刑事を狙う。俺は彼女の隣にいるから電撃は当たらないし、そもそもガラスの体なのでダメージはあの二人より少ない。


 圧倒的だった。


 シガーがないのか、体力がもうないのか。刑事は刀を出せなくなっていた。そこに享利が電撃を仕掛ける。

 俺はそれを全身で防いだ。

「なんで、お前……」

「自分の前で死なれると寝覚めが悪いんだよ!」

「ちょっとちょっと、それじゃあ私が悪者みたいじゃん! 事前に教えてくれないと昨日の敵は今日も敵のままなんですけど!」

「やっぱ、あんた港で俺を倒したこと覚えてんじゃねえか」

「てへ」



 そのとき、ガレキの中から一人の男が顔を出す。米村、カンパニーの幹部で俺をとらえていた男だ。

「享利さん! あなたがボスを殺したんですか!」

 享利は笑ってうなずく。

「別に隠す気も無かったから死体はそのままだし、今頃親父の死体を警察が見つけてる頃だな」

「なぜそんなことを!」

「米村、お前は使える奴だと思っていたんだがな。仕方ないここでお別れらしいな。まあ真紀の世話係で部下にも街にも甘かったお前はどこかで捨てなければならないとは思っていた。あばよ」

 享利は電撃で米村の首を吹き飛ばした。


「なんで、自分の仲間を殺すの?」

 茜さんが震える声で言う。

「茜、お前がそれを言うのか?」

「え?」

「お前だって人殺しだぞ。お前が電気人間になったときの事件を担当した、あの峰岸って刑事から聞いてねえのか? お前の家族は、覚醒直後で力を制御しきれなかったお前が焼き殺したんだぞ」

 茜さんは目を開いたまま動かない。

 俺の体は勝手に動いていた。

 俺の殴りを受けた享利は、数歩後退する。

「人の作ったもんを我が物顔で使いやがって……。ガキ、お前は俺が絶対に殺す」

 そういうと、享利は一気に数本分のシガーを使って、電光石火のごとく消えた。



「おい、トカゲ野郎。撤収命令が入った。じきここにも大量の警察官が来る。逃げるなら今だ」


「なんだよ、急に親切だな」

「命を救われて邪険に扱えるわけないだろ」

「そうか」

「俺だって、無駄な労働はしたくない。お前が協力する気になったらここに連絡をしろ」

「俺の名前は律だ。じゃあな、トカゲ野郎」

 去ろうとする律に俺は、声を投げる。

「太一だ」

「了解した」

 その子供っぽい笑顔は、几帳面なスーツには似合ってなかった。



*****




「十五前となると、黒雷が観測され始めた本当に初期になるからね。正直、今の手持ちの情報で僕が何かわかることはないかな」

「そうですか……」

 俺は落胆し、テーブルの上のティーカップに目を落とす。俺は記者の武山さんと喫茶店で待ち合わせをし、茜さんの事件のことを聞いていた。

「力になれなくて済まないね、太一くん」

 申し訳なさそうにつぶやく武山さんに、俺は慌てて言う。

「いえ、とんでもないです。情報の少なさを知れただけでも貴重なことです」


「会わせたい人がいるって言ってただろう?」

「ええ、そうでしたね」

「今、近くに着いたみたいだ。表に迎えに行ってくるね」

「はい」


 武山さんの連れてきた人は俺の知る人だった。

「律?!」

「やあ、リザードマン。会う相手が僕でがっかりしたか?」

「がっかりも何も、そもそもなんでお前が」


「君に病院まで届けてもらった後、事情聴取を担当した刑事が彼だったんだ。それ以来、仲良くさせてもらっててね」

「あんたが話を聞かせろってしつこいからだろ。捜査に関する情報は一般人にもらせるわけがないってのに」

「あはは、でも今日は話してくれる話題があるんだろう?」

「まあな」

 そう言って律は席についた。



「それで、話ってのは?」

「警察の一部がマフィアと繋がってるのが確実になった。今回の家宅捜査は完全に罠だった。お前が戦ってなかったら、機動隊の多くがあの中毒者どもに殺されていたはずだ」

「でも、そんなことしたらつながりのない警察にも研究のことがばれるんじゃ」

「いや、あの数の電気人間なら武装したとはいえ回復能力のない普通の人間相手なら、皆殺しにされててもおかしくない。というかそのつもりだったんだろうな。時間稼ぎと作った電気人間の試運転が目的だよ」

「なるほど」

「このことを武山さんにリークしてもらう」

 武山さんがうなずく。

「これが証拠資料だ。本質的なもの以外にもいくつか裏付けになりそうなものはありったけ集めてきた」

「俺にもくれるのかよ」

「もはや、警察の誰が敵でだれが味方なのかわからない。その点、無駄に正義感の強いお前なら心配はない。なんなら派閥の主犯格は俺の上司の峰岸さんだからな」

「そうか」

「それに武山さんの他にも証拠データを持っている人間がいた方がいいしな」

「わかった」



探偵事務所についてすぐ、武山さんから着信があった。


「太一くん、律くんと連絡が取れなくなったんだ。逮捕された可能性がある。あのメモリカードのデータを別のところに移した方がいい。中に入った装置から位置情報が洩れてる。おそらく例の峰岸という上司の仕業だ」

「わかりました」


「おい、お前ら外を見てみろ」

 真紀が言う。

「あの中の何人か、電気人間だな」

 そのとき、窓が割れた。

「なんだ今の?! 誰もシガーを使ってなかったよな」

「坂本、あれだ。あいつら、電気人間の電撃を撃てる銃を持ってるぞ」

「まじかよ……」


「真紀、どうする?」

 俺は真紀を見る。

「茜、戦えるか?」

「あの、わたし……」

 茜さんは俺たちを見たまま、戸惑っている。茜さんは享利の言葉を聞いて以来、力が使えなくなっていた。

「とりあえず、今はダメそうだな」

「じゃあ俺が!」

「茜の電撃ならともかく、あの数じゃお前の能力だと分が悪い。囲まれてボコられるだけだ」

「……」

「逃げるぞ。荷物をまとめろ」



 事務所からかなり離れても、やつらはまだ追ってきていた。俺はたちはビルの屋上で一時待機する。

「まずいな、敵の数が多すぎる」

「電気人間がいるってのが問題だな」

「坂本、どう思う?」

「太一。お前、アジトの地下で能力のある廃人集団に襲われたって言ってただろう。おそらくだがな、そいつらの完成品が俺らを今追ってる連中だ。お前のリザードマンほどではないにしても、おそらく大量生産が可能な人工電気人間だろうな」

「そんな……そしたらまだまだ他にもたくさんいるかもしれないじゃないですか」

「俺もそう思う。このままじゃ、いつか捕まる」


「茜さん!」

俺は茜さんに向き直り、肩を掴む。

「電撃はまだ使えないんですか?! 俺一人じゃ守り切れません! 茜さんが戦ってくれれば、あいつらを一掃できるんです!」

「……」

 茜さんは無言でうつむき、何も答えない。

「何とか言ってください! 茜さんが戦ってくれなきゃ、俺たちみんないつか捕まるんですよ!」

「おい、太一……」

 真紀が俺の服を掴むが、俺は気にせず続ける。

「過去を振り返っても変えられないんです! 今後俺たちがどうなるかは、今茜さんが戦ってくれるかにかかっって……」

「やめてよ!」

 俺の手が、茜さんに薙ぎ払われる。

「私の気持ちなんて何もわからないくせに! 私がどんな気持ちで今苦しんでるか何も知らないくせに! 全部私が戦えないせいにしてさ……勝手に私に期待しないでよ! 私のことなんかなにもわからないくせに!」

「わからないですよ!」


「わからないです! でも茜さんだって俺のことを信じてくれてないじゃないですか! ずっと一人で考えて、悩んで、俺には何も相談してくれなかったじゃないですか! それは俺が茜さんの苦しみの解決にならないって思ってるからなんじゃないですか!」

 俺は茜さんを責めていた。

「実際そうでしょ! 私が相談したところで君は何か解決になるようなことを言えたの?! 今だって、自分の弱さを私のせいにして、自分一人だけ楽になろうとしてるじゃない! 自分のせいじゃない、私のせいだからって、私に全部押し付けて! ふざけないでよ! 君は私を解放するどころか縛り付けて、苦しませてるんだよ!!」

「じゃあ、茜さんが戦えるようになるまで、俺に黙ってみてろって言うんですか! いつやつらが攻めて来るかわからないんですよ!」


「よせ、太一」

「坂本さん……」

「もう時間切れだ」

「え?」


「俺はな、頼まれてたんだよ。あの人に」

「あの人……?」

「米村さんだ」

「は……?」


「あの人はな、ずっと京利のことを止めようとしてた。それどころか、先代に計画を伝えて止めさせようとしてたのもあの人だ。あの人はあんな組織にいながら、善意を持ってたんだ」

「そんな米村さんが唯一個人的に望んでいたのが、真紀のことだ」


「おい、坂本。私はそんな話一度も聞いてないぞ……」

「ああ、言ってねえからな。俺は米村さんに、お前を近くで守ってくれって頼まれてたんだ。でもあの人死んじまうしよ。結局組織の頭目も京利になっちまうし、もう俺だってどうしようもねえじゃねえか。そんなときに、享利のやつから人づてに連絡が来てた。返事をしたよ」

「坂本さん。あんた、カンパニーとずっと連絡を取ってたのか?」

「そうだ。京利はな、真紀がおとなしく家に帰ってくるなら何も文句はないとよ。茜も太一も俺も、誰にも興味はないから殺す気もないらしい」

「真紀、もうお前は家に帰れ。米村さんが死んだから状況が変わったわけじゃない。お前はまだ子供だ。守ってくれる家があるなら帰れ」


「私が帰れば、全部済む話だったのか……」

「真紀!」

 茜さんが真紀に叫ぶ。

「ダメだよ! あなたは自分の家が間違ってると思って家を出たんでしょう。あなたは賢い、ただの子供じゃない。真紀が正しいと思うことなら、真紀は信じてていいんだよ!」

「でも……」

「悪いけど議論の余地はない。下を見ろ」


 ビルの下にはさっきまで俺たちを追っていた連中が取り巻いていた。


「坂本さん、あんたここにいるって伝えたのか……!」

「大人になれよ、太一。お前だって冷静になって考えればわかるはずだ。こうするのが一番だって」

「俺たちの最善のために真紀の最善を捨てるのか!」

「俺はこれが真紀にとっても最善だと思う」


「悪いな、時間切れだ」

 俺の口元に後ろから布があてられる。構成員が潜んでいた。

「太一! 真紀を掴んで!」

 俺は茜さんに言われるがままに、真紀の腕をつかむ。

 茜さんが自分の腕も他の男に捕まれそうになるなか、俺のことを突き飛ばした。


 俺は真紀を抱きかかえるように包みこむ。

 俺たちはビルの屋上から落下した。


「真紀、無事か?!」

「わ、私は大丈夫だ……! でも二人が!」

「今はもう無理だ。茜さんは真紀を守ろうとして逃がしてくれたんだ!」

「でも、坂本も……」

 俺は真紀の手を改めてつかむ。

 真紀は泣いていた。それ以上、俺は真紀の顔を見れなかった。

「行こう」



*****



 ホテルで朝目覚めると、真紀はいつもの様子に戻っていた。

 隣のベッドからの俺のベッドにきて横に座り、紅茶を飲む。

「お、やっとお目覚めか。まあ、昨日は美少女とホテルの部屋に二人きりで理性を保っていたんだ。それぐらい許してやろう」

 しかし、その目元はよく見るとわずかに腫れていた。

「紅茶、飲むか?」

 俺は目をそらし、うなずく。

「ああ、頼む」


 俺は一口紅茶を飲んで、真紀に言った。

「真紀、これからどうする?」

「みんなが私に振り回されてるのはわかる。でもだからといって茜が私をあの家から逃がしてくれたのにそれを無下にして本心に嘘をつくのは違うと思う」

「うん」

「要するに、私は今も家に帰りたくはない」

「わかった。なら俺もそれに付き合うよ」

 真紀は無言でうなずく。

「言っておくけど、変に気にしたりするなよ。俺はお前に拾って貰った恩を少しでも返したいだけだ」

 本心だ。俺は真紀の味方でありたい。

「覚えておいてくれよ。俺が今こうして自由に人間として生きていられてるのは、お前が家出をしてくれたから叶ってることなんだからな。俺はお前と出会えなかったら、抑制剤を打たれることはなかった」


「太一、ありがとう」

「それだけじゃないさ。俺自身もあの生活を取り戻したい。茜さんの寝起きの顔に笑っていられるあの日々に」

「お前ら一緒に寝てたのか?」

「違うって! 起こすときの話だ!」

「まあどっちでもいいけどな」

 そう言って真紀はケラケラと笑う。

「まあ、そうと決まれば、あとはあの二人をどうするかだな」

「茜はたぶんカンパニーに連れていかれた。坂本のした約束ってのが本当なら生きてはいると思うが、私を捕まえる障害にならないために、少なくとも自由にはされてないと思う。だから助けたい」

「俺もそう思う。もう一度会って、ちゃんと謝りたい」

 真紀はうなずいて、軽く下唇を噛む。

「あと……」

「?」

「坂本は殴る」

「まあ、坂本さんも会ってちゃんと話を聞かなきゃとは思う。何か坂本さんなりの考えがあったんだろうし……」

「殴る」

「……了解」

 俺は口角と目を引っ張るような表情をして答える。

「まあ、どちらにせよ。二人のいる場所を探さなきゃだな。俺と真紀だけで、やみくもにアジトをいくつか襲撃しても、返り討ちにあうかもしれないし」

「だな。となればまずは探偵の基本、情報収集だ」



*****



「で、結局二人の居場所は知ってるのか?」

「し、知らない! 俺は雇われてただけだ! 電気人間になる適性があるからって、大金と引き換えに仕事をしないかって言われて!」

「誰に?」

「詳しいことは知らない! カンパニーで一部を束ねてるリーダーとだけだ! 青髪で背の高い女だ!」

 あいつか。あそらく俺がカンパニーに捕まった時の女だろう。やはり生きていたか。

「ならお前にもう用はない。下手に追ってきたりするなよ」

「わ、わかった……!」

 俺は向き直り、その場を去ろうとする。

「油断しやがって……! おらあああ!」

 俺は軽くかがんで、男の攻撃を避ける。


 俺の手に首を挟まれて、コンクリートの壁に押し付けられると男は言った。

「す、すみません! ほんの出来心だったんです! もうしません!」

「ったく……」

 俺は再び歩きだす。

「おらあああ!」



*****



「なにかわかったか?」

「全く手掛かりなし。俺たちを追ってるのは雇われたやつらで、カンパニーのメンバーじゃないみたいだ」

「そうか」


 俺は夜の繁華街を真紀と二人で歩いていた。夕食がてら気分転換するためだ。

 情報収集はうまくいっていない。刑事の律と連絡が取れたらまた少し違っただろうが、あいつは予想通り警察で拘留されているらしかった。マフィアや警察の追手を防ぐため、記者の武山さんとの連絡も控えることになっている。


 そのとき人混みの奥から叫び声が聞こえてきた。人々がこちらに走って逃げてくる。

 その奥にいるのは、あのときと同じ岩の大蛇だった。

「真紀、仕留めてくる」

「わかった。そこの中華料理屋に入ってるから、さっさと片付けろよ」

「了解」

 俺は駆け出し、地面を勢いよく蹴り飛ばす。宙に浮いた俺は、大蛇と目線の高さを同じにする。

 全力の拳。

 それを食らうと大蛇は倒れ、岩は崩れた。

 ちょろちょろと中にいたらしい蛇が逃げて行く。茜さんの予想通りだ。

「まさかお前、あのときのガキか……」

 後ろから声がする。カンパニーの青髪の女だった。

「私の最高傑作を一撃で倒すとはな」

「前回の大蛇もお前の仕業だったのか」


 俺は戦闘に持ち込む前に瞬時に女に抑制剤を打ち、無力化した。


 俺は情報を吐かせたあと、真紀の待つ店に向かって歩いていた。

 後ろを歩く親子の会話が聞こえてくる。

「お母さん、電気人間ってほんとにいたんだね。黒雷で死んじゃったお父さんもどこかで生きてるかな?」

「きっとそうね。お母さん、お父さんもどこかで生きてると思うわ」



 店に入ると、ちょうど食べ物が運ばれてきたところだった。

「おお、早かったな」

「俺も以前のままじゃないからな」

「これを見ろ」

「これ、なんだ?」

「なんだはないだろ。ライブ会場の見取り図だ。明日は依頼の日だぞ」

「依頼?」

「アイドルのコンサートの警備のだ」

「そんなの、もういいだろ。断る以外ないだろ」

「私は受けた仕事は断らない主義なのでな」

「真紀、俺がさっき例の青髪の女の吐かせた情報によると、享利以外に二人の居場所を知る者は本当にごくわずからしいぞ」

「まあ、これを見てみろ」

「?」

「ライブ会場に運び込まれる大量のタンクの写真だ」

「タンク?」

「おそらく中身は抑制剤だ」

「まさか……」

「ああ、これだけの量を簡単に動かせるのはカンパニーしかありえない」

「あいつら、ライブに集まる大量の観客を使って何か企んでるぞ」

「そんな……」

「おそらく、琴音ちゃんとやらもグルだ。おそらく坂本と茜もここにいる」



*****


「太一さん! 今日はよろしくお願いしますね!」

 そう言って、琴音ちゃんはステージに向かった。

 俺と真紀は何も知らないふりをして、待機室にいた。


 しばらくして、俺はぬぐいきれない違和感に気づいた。

 俺は思わず座っていた椅子から立ち上がる。

「どうした?」

「録音だ」

「え?」

「これ、録音だ。パーティーのときの茜さんの笑い声が入ってる。おそらくあの時の生活音を編集に浸かってるんだ」

「なに……」


「気づいちゃいましたか。これは失敗ですね!」

 真紀の背後に現れた人影に気づいた直後、俺は意識を失った。


「あ、目覚めましたかぁ~?」


 目まいがする。どうやらまだ待機室の中らしいが、身動きは取れなかった。

 隣で縛られているが意識のある真紀に俺は聞く。

「真紀、無事か?」

「なんともない。眠らされていただけみたいだ」


「じゃーん! これはなんでしょうか!?」

 何やら見慣れたシルエットだった。

「抑制剤でーす! 電気人間以外に大量の抑制剤を打たれるとどうなるか知ってますかー? 私は知りませーん! 真紀ちゃんさんは普通の人間ですよね! 答え、教えてくださいね!」


「おい、なんだこの状況は。手は出さないって約束だろうが」


 坂本さんだった。坂本さんの手に握られた注射器から、中身の液体がアイドルの体に流れていく。


「無事か?」

 俺たちはあっけにとられていた。


「ダメですよおおおお!」

 アイドルが真紀の方へ走る。帯電している。この人も電気人間だったのか。


「太一、これを!」

 坂本さんは瞬時に取り出したマークシガーを噛み、俺の方へ投げる。

 電気を帯びたシガーが俺の伸ばした手に当たる。

 俺は即座に拳を硬化させ、アイドルを殴り飛ばした。


 坂本さんは捕まっていたところを逃げ出してきたらしい。抑制剤を打たれすぎて、能力が使えないらしい。

 部屋の外に出ると、大量の小動物の群れが走っている。

「実験用に使ってたモルモットだ。完全体ではないからコントロールはできないが、電撃を放つ」

「くそっ、時間がないのに」

「俺がまだ電気人間だったら……!」

「バカか、お前は電気人間でも激弱だっただろ」


 真紀が俺の前に出る。

「時間は稼いでやる。お前は全身を硬化させて、突っ切れ」

「真紀……?」

「コントロールできないのは私も同じだ。こんなげっ歯類と同一視されるのは勘弁だがな」

「何の話だ?」

「私が力をコントロールできないのは高火力すぎるからだ。一時的な威力なら茜とそう変わらないだろう。だが、一度力を使うとしばらく制御できず、放電し続けるんだ」


「坂本、私専用のマークシガーは今も持ってるか」

「もちろんだ。ほらよ」

 真紀は葉巻くらいの大きさをしたマークシガーをくわえる。

「いけ、太一。お前が茜を助けるんだ。任せたぞ」

「ああ! 任せろ!」


 真紀の放電する高火力の電撃の中、俺はモルモットの隙間を潜り抜けて駆けて行った。



*****



「茜のところへは行かせない」


「京利……」

「俺の計画を止めるなら容赦はしない!」

「なんでそんなことをするんだ」

「俺が俺でいるためだ」

「そのためなら、実の妹だって殺すって言うのか」

「うちの組織の中にも真紀を支持する連中がいくらかいてな。まあほとんどは米村の部下だ。何人かは殺したが、兵隊は一人でも多い方がいい。それには真紀を消した方が都合がいいのさ」

「ふざけやがって……」

「それに真紀のやつは、頭が切れる。支持者がいなくてもあいつは邪魔な存在だ」


「まあ、お前には関係ない話だよ。ここで殺すからな」


 俺は一気に体中の硬化を解く。そして左手に全てを集約させた。

 局所的に集められたガラスは不安定で、今にも溢れそうだ。熱い。

 一気にやつの下に滑り込む。

 硬く握った左の拳を、開いた右手だ勢いよく叩く。

 不安定だったガラスは槍のように突き出され、京利の腹部を貫いた。


「できればここで試したくはなかったが、仕方ないな」

 そういうと、享利は小瓶を取り出した。

「これが何かわかるか?」

「まさか!」

「お前の受けた人工黒雷の完成品だ。電気の通らないガラスにはガラスをぶつけてやる……!」

 享利は手に持っていたガラス製の小瓶を握力で砕いた。散った破片の間を縫うように、電撃が広がっていく。

 それらは享利の心臓のあたりに集まると、一気に破裂した。爆音が轟き、思わず目を閉じる。

 まぶたを開くとそこには、二メートルほどの鳥の姿をした大男が立っていた。


 やつが俺の両肩を掴むと、肩甲骨はいともたやすく粉砕された。

 享利は俺に小型の機械で映像を見せて言う。


「見ろ、こいつら全員が新しい時代の人柱になるんだ。価値のない連中を俺の大義のために役立たせてやるんだ。親切な話だろ?」

 会場の人々が倒れ、苦しんでいる。


「これの……!」


「これのどこが大義だっていうんだぁぁあああ!」


 俺はもげそうな両腕を無視して、やつの肩にかみついた。

 もう、チェーンソ―で腕をもがれたときの俺とは違う。この力を制して、こいつを倒す。そう決めた。

 俺の牙がやつの鎖骨の間をえぐっていく。

「お前……! まだ動きやがるのかよ!!」

 享利は身をひねり、俺のことを振り飛ばそうとする。

 しかし、俺はやつの体に嚙みついたまま離れない。

「っがぁあああああ!!」


 すると享利は自ら肩の骨を爪で砕いた。

 同時に俺の顎は外れ、みぞおちを蹴り上げられて俺は地面に転がった。


 体をうねらせながら修復させ、雄たけびをあげる享利。

「殺してやる!!!」

 鷹はかぎ爪を振りかぶって、突進する。

 万事休すか。


「ツキネコ……!!」

「??!!」

「ツキネコ……! 叫べ!!」

 突如として俺の背後から鷹に向かって駆け抜けていく、鼓膜を切り裂くような共鳴音。

 音より先を駆け抜けるのは、煌々と光る鮮やかな紫の斬撃。


 鷹は俺に届く前によろめいて倒れる。

 胸に刻まれた斜め十字の傷跡。

 後ろを振り返る。十メートル後方に立つのは刀の剣先を突くようにして伸ばした、黒スーツの少年。

「律!!」

「前を見ろ!!」

 律はそう言って、俺に帯電したマークシガーを投げる。

 再び迫る鷹の爪。

 俺は右腕を振りかぶる。

 同時に俺の背中から電流が伝わってくる。

 およそ肺の裏側、脊髄から流れる雷電は放射状に広がりながらも確かに俺の右腕に伝わっていき、指先に向かって速度を増していく。

 波のように展開していく皮膚の硬化。漆黒のガラスは鱗状に俺の肉体を包み、鉱石のような拳を作る。

「っうぉおおおおお!」

 拳と拳が正面からぶつかり合う。

 駆け抜ける亀裂。

 俺はそれに構わず、腕を伸ばし続ける。

 トカゲの拳は鷹の腕を砕き、やつの心臓を貫いた。



 律が享利に抑制剤を打つと、鷹は消えた。

 俺の視線を意識したのか、律が口を開く。

「安心しろ。こいつは死なない」

「そうか……」

「お前に人は殺させない。お前がそう望む限りな」

「どうしてここに? 記者の武山さんがリークに成功したんだ。それで俺も解放された」

 弱った享利の拘束を済ませると、律は目を静かに望ませて言った。

「こいつは俺に任せろ。お前にはまだ行かなきゃいけないところがあるんだろ?」

 俺はうなずく。

「ありがとう! 律!」

 微笑む律からマークシガーを数本受け取ると、俺は走り出した。



*****



 坂本さんから聞いたとおりだった。透明なガラスの奥に広がる無機質な部屋に、茜さんはいた。

「茜さん!」

 茜さんは声が聞こえないのか、弱っているのか、目は開いているのにそこに光はなく、意識を失っているようだ。

「茜さん! 俺です! 太一です! 助けにきました!」

 依然として、返事はない。


 俺は部屋を隔てているガラスを、茜さんに飛ばないように注意して割った。

「茜さん!」

「太一……」

「俺……あの時……」

「ごめんね」

 茜さんの目から涙が一滴流れ、頬を伝う。


「ごめんね、太一。私、あんなにひどいこと言って」

「そんな、俺だって……!」

「最後に、君に謝れてよかった」

「え? ど、どういうことですか?」

「今の私には抑制剤がたくさん流れてる」

「くそっ! 享利のやつ……!」

「ううん、自分でやったの。もうすぐ電力の抽出が始まる。ここから、離れて」

「なんで……そんなこと……」

「……」

「茜さん……!」

 茜さんは俺の目をじっと見て言う。

「私、知ってたよ。君が死ぬために戦ってたこと」

「……知って、知ってたんですね」

「うん。そしてね、今はその気持ちがわかる」

「違ったんです! 茜さんは家族は殺してない!」

「……」

「遺体だと思われていた者は、再構築で回収されなかった茜さんの体の一部なんです! ドラッグの忘却作用は、加工で産まれた副産物ではなく、黒雷本来のまれに生じる効果だったんです! 茜さんの家族は今、施設で生きてます!」

「……」

「俺、調べました。確かにあの肉塊に再構築のあとはありません。でもそれは、あれが再構築されなかった茜さんの体の一部なのであって、茜さんの家族ではないんです。DNA鑑定ができなくなるのも、最初に茜さんが受けた黒雷のせいなんです。茜さんが攻撃したからじゃありません!」

「じゃあ、お父さんとお母さんはどうして……」

「生きています! ドラッグの副作用で忘却作用があったでしょう? あれは黒雷を受けた肉塊をドラッグにする課程でできた効果ではなく、一部の場合に起こる黒雷本来の作用だったんです!」

「……」

「茜さんが覚えていなかったのも電気人間になったときにショック症状があったからじゃありません。茜さんも、茜さんのお父さんもお母さんも、みんな黒雷のせいで記憶を失っていたんです!」

「……」

「二人とも、施設にいるのがわかりました。二人とも生きてます。茜さんはご両親を殺してなんかいません」


 茜さんの目から涙があふれていく。

「私、わからなくて……ずっと、自分が生きていていいのかわからなくて、ずっと苦しかったの」


「でも、君がいる世界なら生きていたい」

そのとき、茜さんから電撃が放たれる。それに狙われた的はなく、不規則な放電だった。

 俺は茜さんのところへ戻るため、ガラスの皮膚をより強くするため、マークシガー束にして一気に噛む。

 凝縮していく電流。

「太一、ダメだよ! やめて!」

「やめてたまるか!」

「でも、そんなことしたら太一はもう元の体に戻れなくなっちゃう!」

「そんなこと! どうだっていい!」

「!!」

「俺は茜さんを好きになって、茜さんに認められて……やっとこの世界で生きていたいって思えたんです!! 俺はこの世界で生きて自分の罪を償う!」

「でも、それでも……」

「俺はあなたに生かされてるんだ! あなたとこの世界にいることができるなら、どんな化け物にでもなってやる!!」


「俺はいま、生きていたい! あなたにもそう思ってほしい! もし他に理由が必要なら、俺が見つけます! だから、生きてください!」


 俺はマークシガーをさらに数本噛み、茜さんに差し出す。

「君を化け物にしても、私は生きてていいのかな?」

「いいに決まってます!」

「君と一緒にいてもいいのかな?」

「当たり前です」

 茜さんは俺からシガーを受け取る。

 すると、それが起電力となり、茜さんの放電は止まった。

「行きましょう」

「うん」

俺は茜さんの目元を拭う。

「ついていくよ。君に……君についていく」



 茜さんの手から装置を外すと、アラームが鳴った。

「これは……?!」

「わからない。この部屋には私しかいなかった」

 ガラスが開く。

 それは人の手だった。ケージの中に置かれた人の片手に、装置の注射器から緑色の液体が注入される。

 手は次第にぼこぼこと膨れていき、電撃をまとう。そしてあふれ出すように爆音を立てて光った。

 煙の中にあったのは、人影だった。

「これは……俺……?」

 そこには俺と瓜二つの、しかし電撃を帯びて両目を緑色に染めた男が立っていた。


 やつが腕を振った瞬間地面は割れ、天井は崩れた。

 俺たちはガレキを登り、外に走る。

 そこは、地上のステージだった。



 俺たちは苦戦していた。


「確信があるんです!」

「わかった。でも絶対に戻ってきてね」

「はい!」

 俺は実験体に向かって駆け出す。相手も迎え撃つように駆け出す。


 拳と拳がぶつかりあい、電撃とガラス片が周辺に飛び散る。


 俺はやつの首を掴み、半円を描くようにして地面に押し付けた。全身の硬化した皮膚を手元に集めて、あえてあふれさせる。手から染み出すようにガラスが広がり、やつの首元を包み込むようにして、さらに地面へと広がる。


 体にガラスが戻ろうとするのを、意識を集中させて防ぐ。俺は、自分の体ごとやつを地面に拘束した。


「茜さん! 今です!」


 俺の背後に茜さんが跳び上がり、目下の地面に影ができる。

「悪いな、この世界に俺は俺一人で十分だ」


 雷撃が俺と実験体を燃やした。



*****



 真っ白な世界が広がっている。

 そこに俺と実験体と、体の節々が転がっている。


 こいつを創り上げた右手は、俺が死のうとした日、リザードマンになった日にどこかへ消えてしまっていた俺の右手だったのだろう。

 

 俺は、茜さんと会って変わっていた。

 再構築はより、個体として完全に近い部分をもとに行われる。しかし、再構築される情報は黒雷を初めて受けたとき、右手が独立したときのものだ。


 俺は茜さんと出会って変わっていた。脳はより成熟し、高度な精神を有している。つまり、俺とこいつを比べたときより完全体に近いのは俺の方なのだ。

 やつの体と肉塊が俺の体に集まっていく。

「茜さん。今、あなたのいる世界に帰ります」



*****



「太一!」

 目が覚めると、俺は会場の地面で横になっていた。

 隣には、顔をガレキでわずかに汚した茜さんがいる。


 俺がこの世界で生きていたいと思える理由でいてくれる人。俺を生きる理由にしてくれる人。

 俺を愛してくれる、俺が愛する人。

「……茜さん」

 茜さんは泣きそうな声を押し殺しながら、無言で俺を抱きしめる。

 俺は彼女の背中を優しくなでて、彼女が落ち着いた頃、共に立ち上がる。


 空は晴れていた。清々しいほどに青く、透き通るような空。きっとこの世界に生きている限り、今見ている空は晴れ続けることだろう。


 俺は茜さんの手を引いて、歩き出す。

 すると茜さんは俺の背中に、謙虚につぶやいた。

「ねえ、太一……」

「なんですか? 茜さん」

「ずっと……」

 そうだ、ずっと。俺は彼女と通ずる感情をしっかりと噛みしめる。


「ずっと……ずっと一緒にいてくれる……?」

 俺は振り返り、茜さんの凛とした、そしてか弱い表情を、頭の中で紐解くように確かに見つめて言う。


「もちろん……!」



「俺たちはホームズとワトソン。そう、バディなんですから」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

死にたいリザードマンと陽気なカミナリガール @zamasu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ