第7話 探偵


 ギィと金属のこすれる音が聞こえた。

 ぼやける意識の中、重いまぶたを開ける。体を挟む布の感触が心地よい。身を転がすと、両足が地面に着いた。俺はソファの上で毛布に覆われていた。

 見慣れない部屋。たくさんの書類が積まれた机が三つ並んでいる。

 身を起こす。部屋の電気は点灯していない。カーテンの隙間から漏れるオレンジ色の陽光だけがこの部屋を照らしていた。


「ったく、また負けちまったよ。パチンコなんかやめだやめだ」

 男の低い声だ。

「ああん?」

 今度は幼い女の子の声がする。

「お前は何回ギャンブルをやめては始めるつもりなんだ。どうせ金を捨てるだけなら給料減らすぞ」

「ふざっけんな。なんのために毎日お前らの家政夫してると思ってんだ。金を稼いで遊ぶために決まってんだろ」

「最低の成人男性だな。クズすぎる」

「んだとこのやろ……! ってあれ?」

「なんだ、茜のやつ帰ってきてたのか」

「この靴は依頼人のか?」

「全く、私がいないときは居留守しろといつも言っているのに」


 廊下から現れた二人の男女がソファの上の俺を見つめる。ドアが開いてからのわずかな時間では、背筋を伸ばすので精いっぱいだった。

「あ……あの……俺……」

「「うん?」」

「お、お邪魔してます……」

 ランドセルを背負って頭にはカチューシャをつけた黒髪の少女。隣には、着古したジャケットに身を包む、長髪をポニーテールでまとめた二十代中頃の男だ。

 ソファから起き上がって説明をしようとすると、少女は別の部屋に走っていく。

 すぐ戻ってきたその子に引っ張られてきたのは昨夜俺をここに連れてきたあの少女だ。


 栗色の髪の毛は寝起きで散らかっており、目を細める表情は見るからに眠そうだ。

「眠い眠い眠い眠い」

「いいから起きろ」

「何よもう~私が何をしたっていうんですっての」

「男を連れ込んでもいいと許可した覚えはないぞ。そもそも二日もどこで何してたんだ」

「んあ~」


 栗色の髪の毛をまとめながら眠そうに俺を見る。

「あ、おはよう、太一」

「お、おはようございます。茜さん……」


「この人、太一。私の命の恩人!」

「ああん? 訳が分からんぞ」

「一昨日の夜からカンパニーの連中に捕まって大変だったんだから。今度こそ本当に死ぬかと思った」

「なんでそれで男を事務所に連れ込むことになるんだよ」

 長髪の男はそう言って上着を脱ぐと、机の椅子を引いてドカッと座る。

「坂本! 元はと言えばこうなったのはあんたのせいなんだからね! シガーを入れておいた服が洗濯されてて使えなかったんだから! 頼んでない服を勝手に洗濯しないでよね!」

「いーや、お前が溜まってる服を全部洗っておいてくれって言ったんだからな! あのとき朝早くて寝ぼけてたから忘れてんだろ!」

「頼んでないってば! たぶん!」

「で、なんでこの少年が?」

「カンパニーの作った試験薬を取り込んじゃってるから、とりあえず連れてきた」

「「はあ?!」」

「私が試験薬を落としちゃってたみたいで、捕まりそうになってたときに助けようとしてくれて結局彼が中身を浴びちゃったの。まあ、結局私はまた捕まったわけだけど」

「なんでそんなやばそうなやつを連れてくるんだよ……」

「ていうかお前、研究資料を破壊するんじゃなかったのかよ! なんで試験薬持ち逃げしてんだよ!」

「まだできてないと思ってたけど、完成してたんだもん。どうやって捨てたらいいのかもわからないし、とりあえず持って帰るしかないじゃん」

「で、結局試験薬を食らった本人ごと持ち帰ってきたってわけか」

「そゆことそゆこと」

「でもどうするんだ? 今にも暴れだしそうだぞ」

「あ」


「え?」

 俺は突然集まった視線に唖然とする。そんな俺に、黒髪の少女はこの部屋と廊下の間にあるドアをスライドし、鏡を俺に見せた。確かに俺は、今にも暴れだしそうな怪物だった。

 無意識にむき出しになった牙。顔の皮膚は鋭利なガラスの鱗に覆われ、顔全体の右半分がまるで竜のようだ。ぎらつく仮面の中で、縦に筋の入った両目が獲物を探している。

「やっばいな、なんだこいつ」

 長髪の男は後ずさりする。

「どう見ても例のリザードマンだろ。お前ニュース見てないのか」

「俺がテレビを見るのは昼の料理番組か、深夜のパチンコ解説だけだ」


「私が!」

「よせ茜、室内で力を使うな。事務所が消し飛ぶ」

「じゃあ、どうするの?!」

「坂本、ちょっとこっちにこい」

「え……? ちょっ……!」

 黒髪の少女はポニーテールの男を引っ張って俺の前に出すと、背中を突き飛ばした。

 男が俺の方へ勢いよく飛んでくる。

 俺の両手はそれを迎え撃つかのように、無意識に勢いよく前に出る。

「がはっ……!」

 俺の両腕は、男の胸を貫いていた。血が噴き出し、臓物が零れ落ちる。

「手は生身のままなのに、体を貫通してる……」

「ああ、とんでもない力だ。それに狂暴。まだ力が定着してしていないんだな」

 俺は一刻も早く腕を抜こうとする。しかし骨に引っかかってうまくいかない。

「あ……ああ……!」

 やっと手が取れると、男はさらにドバドバと血を垂れ流してその場に倒れる。


 人を、殺してしまった。狂いそうだった。

 そんな俺を気にせず、冷静な黒髪の少女は淡々とした様子で俺を見つめる。

「いいか? これをお前に打つ。暴れるなよ」

 混乱している俺の腕に少女は注射器を刺した。すると、全身の圧迫感が収まっていった。

「抑制剤だ。電気人間の能力を著しく低下させる」


「まあ、落ち着け。そこに座れ」

 俺は手をひかれるままにソファにへたり込む。

 動揺する俺に対し、二人の少女は平然としている。黒髪の少女に関しては、どう見ても小学生なのに、驚くほど淡々としている。

 さっきまで会話していた人間を俺が殺したのに、その死体には全く無関心だ。


「よし、戻ったな」

 カチューシャをつけた少女は、涙を流す俺の前に堂々と立って笑う。

「お前は優秀だ」

「……優秀……?」

「ああ、価値がある」


 俺は彼女の言っていることがよく理解できなかった。

「あの、その人……」

 俺が床で倒れている長髪の男の体に目をやると、黒髪の少女やっとそのことを気にし始めた。

「ああ、心配しなくて良い。こいつもお前と同じ電気人間だ」

「その、さっきから言ってる電気人間って一体……」

「見せた方が早いんじゃない?」

 眠そうにしていた茜さんはそう言って、背伸びをする。

「そうだな」

 カチューシャをつけた少女は、男の上着のポケットに手を入れると何かを取り出した。

「お前も今後のために使い方は覚えておいた方がいい。説明するからよく見ておけ」

 彼女はそう言って、取り出したものを俺の顔の前に持ってきてチラチラと振って見せる。


「いいか? 電気人間の覚醒初期は、今のお前のようにコントロールが効かないのがたいていだ。個体によっては錯乱して、見たものすべてを破壊しようと暴れることもあるくらいだ。逆に言えば、今のお前は衝動的に人の腹を貫く程度。優秀だよ」

「まあ要するに君は電気人間。もう普通の人間とは違う生物ってことなのです」

そう付け足す、茜さんに俺は返す言葉が思い浮かばなかった。理解が追い付かない。

「それでな、何も対処をしないと次第に力が深く定着して、常に暴走状態になる」


 少女が俺の前にスティック状の何かを横に振って見せる。

「それで必要なのがこいつだ。マークシガー、電気人間の起電力となり、能力発動のきっかけを作る。まあ、今見せてやる」


 黒髪の少女はマークシガーと呼ばれるそれを口にくわえ、強く噛む。


「む……先端に含まれるカプセルが中身の液体と混ざる仕組みなのだが、これが硬くてな。まあ、それでも……」

 彼女の手に持ち直されたシガーの先端が、パリリと弱い電撃を帯びる。


「勝手に壊れない程度の硬さだ。歯で噛めばカプセルは割れる」

 血まみれの男の体に近づけられたシガーの電撃は、マッチの火ように男に移り、派手な音と光が男を包んでいく。

 俺の右手に貫かれてできた腹の穴には周辺から肉が広がり、その空間を埋めていく。

 あたりに散っていた血液も、そこへじわじわと戻っていく。


 床の血がほとんど消えると、男の体は元通りの姿になっていた。

「ゴホッ」

 咳をして血を吐くのと同時に男は目を開いた。

「てっめえ、よくも!」

 俺と目が合った男はとっさに俺の胸ぐらにつかみかかる。

「……っ! ったく……ふざけんじゃねえよ……」

 男が気まずそうに手を離す。

 俺は泣いていた。化け物になった自分が人を殺してしまったと思っていた。その恐怖と罪悪感がキリの晴れようになくなり、俺は安堵に浸った。

「男のくせに泣いてんじゃねえよ……」

 それだけ言うと、彼はバツが悪そうに別の部屋へと消えていった。


「よし。ひとまずこれでお前が暴走することはない」

 カチューシャの少女は俺を見る。

「で、太一だったか? お前、ここで住み込みで働く気はないか?」

「え?」

「未完成の試験薬だったはずが、お前は人工黒雷に適応してしまった。カンパニーの連中はお前を今も狙ってるはずだ。それなら、うちでかくまってやる。真面目そうなやつだし働きも良さそうだからな」

「でも……具体的に働くって何を?」

「探偵だよ。ワトソンくん」

 茜さんはそう言って笑った。


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