第5話

ある国立大学の研究所跡地。研究を人工知能が行うようになってから、人間の数倍の速さで歴史的な発見が次々となされていった。医学や工学だけではなく、文学、絵画、社会学全般においても、専門家を圧倒する論文をいくつも書き上げている。


人間は最初こそ人工知能に負けないように実験に取り組んでいたが、研究に対する国の補助が薄いこの国の特性上、人工知能よりも速いスピードで実験を行うなど不可能なことであった。あっさりと研究を諦めた研究者たちは研究所を後にしている。


『目的地に到着しました』


アプリケーションの通りに示された目的地に向かっていくと、その場所は一つの研究室だった。

タイムトラベルについて、世界的にみても最先端を行っていたこの大学では至る所にその研究努力の結晶が見て取れる。例えばこの部屋の中には新幹線を何倍にも小さくして人1人が入れるようにしたものがある。

光速で物体を移動させることによって相対的にその対象者を未来に送るという代物だが、この研究については確か10年前に完成されていたはずだ。当時はかなりネット中で騒がれていた。


『こんにちは、来てくれたんですね』


突然、流暢な女性声が部屋の中に流れる。

すぐさまポケットに手を当てながら周囲を確認する。人の気配はない。

手は震え、髪の毛の中は冷たい汗が頭皮を覆いながら垂れていく感覚がある。


そして、先ほどまで真っ暗だったモニターには「sound only」だけが表記されている。


胸ポケットに手をかけながら、どこにいるのかもわからない人物に向けて話しかけてみることにした。


「ああ、来てやったぞ」

『そんなに警戒しないでください。ここには武器も拘束具もないのに』

「いきなりあんなメッセージが来たらこんな対応にもなるだろう」


聞こえるのは女性の声だが、相手は男性が女性から、さらにはそれ以外の何かなのかはわからない。

現代の合成音声は、もう肉声と区別がつかないくらいには抑揚も発音も完璧になっている。人間が使う単語と発音のパターンを全て解析し切った人工知能の功績だ。

だから、今俺が対峙しているのは人工知能なのか、または全く別の何かなのかはわからない。


『真瀬先生とは一度お話ししてみたかったのです。……現在世界でただ1人の「時間遡行」の研究者なのですから』

「……もう誰も、この研究をしていないのか?」

『はい。昨年までドイツに一名、真瀬先生と同じように時間遡行について研究していた方がいらっしゃいましたが、現在では研究を放棄されています』

「そうか」

『あの世界を司る人工知能「balancer」でさえ2年前、時間遡行は不可能であると結論つけています。』

「ああ、そうだな」


それは知っていた事だった。未来に行くことは20年前に可能になったが、過去に戻るためには帰るべき壁が多すぎる。


『そしてあなたも今、過去に戻る』


『これを知っていてもなお、なぜ研究を続けているのですか?』

「凛が、待ってるから」


普段人には言わないことだった。だからこそ、口にするだけで気持ちが昂るのを感じる。絶対にやってやるって、心が俺を突き動かすんだ。

理論的に不可能とか、人工知能でも無理だとか、そんなものは俺が研究を、凛を諦める理由にはならない。


『……素晴らしいと、思います。あなたにとってあなた以上の者のために諦めないのですね』

「そうだ」

『……これが「感動」なのでしょうか……ああ、素晴らしい。これこそが、人間の……』


何やらぶつぶつと言っていた声だったが、やがて薄暗い部屋の中で唯一輝きを放つモニタが画面を切り替えた。


『こちらの論文はあなたが一年前に更新した最新の論文です。それまでは数ヶ月に一度の更新だったのですが、ここで大きな壁にぶつかっていますね?』


よく見ているなと、心の中で呟いた。俺は一年前までは順調に進んでいた。だがどうしても、数年数十年も前の過去に戻るための実用的なものにはならなかった。


『あの「balancer」もこの議論を終えていません。人間の知能でここまで辿り着くこと自体驚異的なのですが……ここに、私の考えを加えてみてもよろしいですか?』

「は?」

『私も時間遡行について考えていました。あなたの論文をずっと確認しながら、あなたの中で進んでいた議論を予測し、私も研究のようなことをしていたんです。この施設は研究にちょうどよかった。』

『あなたの本松凛さんへの想い、本当に伝わりました。私にも是非その協力をさせてほしいのです。』

「本松って……旧姓」


こいつは凛についてもかなり詳しく知っている可能性があるようだった。久しぶりに凛の存在を知っているこいつに対して、俺は少しの親近感を覚えた。

俺の実験について記述を足されるくらいであれば、原本は自宅にも保管してあるし問題はないだろう。


「そこまで言うんだったら、お前の考えを書き足してみろ」

『申し遅れました、私は「イエラバ」と申します。以後お見知り置きを……さて、完成しました』


完成した論文データをメガネ越しに表示させる。そこには俺が途中で頭打ちになっていた議論に対して、全く新しい方法で検証する手段が記述されていた。


これを見た途端、俺の肌はぶつぶつと沸騰し始め、驚愕と感動が混ざり合った刺激が全身を伝わってくる。

この方法は、検証こそしていないものの既存の中で1番時間遡行を可能にする確率が高いとわかるものだった。


「……てかこれ、もうこの場で実現できないか?」

『はい、可能です。そこに転がっている未来転送用の乗り物を改造してすれば可能です』


イエラパからの言葉を聞いた途端、俺はすぐさまその乗り物に改造を施し始めた。

凛に会えるという可能性だけで研究を続けた自分にとっては、もはや目前に転がる極小の可能性にだってすがる。




「できた、のか……?」


外に浮かんでいた太陽はすでに沈み、手元も灯りで照らさなければ見えなくなる直前で作業を終えた。

感触はない。だがイエラバに改良を加えてもらった論文をもとに作ったタイムマシンは俺が今まで抱えていた悩みをすべて解決に導く根拠を持った記述だった。


『お力になれたようで、何よりです』

「ああ!ありがとう!本当に……」

『ここまで作ってもらって申し訳ないのですが、ひとつそれには欠点があるのです』

「欠点があるのか?」


記述を見る限り指定した過去に遡る事は可能になっているのだが、それ以外に欠点があるのだろうか。


『……燃料効率が……とても悪いです』

「別にそんなこと関係ないだろ」


なんだ、そんなことか。

イエラバの言葉は歯切れ悪く、また今までとは違い根拠もないものだったので呆れるとともに緊迫した空気が少し弛緩するのを感じた。


「じゃあ、俺はこれに乗って……」

『もしかして、もう出発するのですか?』

「当たり前だ」


一刻も早く凜に会いたい。その気持ちが俺を突き動かしていた。

何を言われてももう止まろうとは思えない。


『待ってください、誰か来ます』

「……!」


背後から人の気配がして、俺も振り返ると同時に銃を取り出して入口の方に構える。

そこに立っていたのは、俺が良く知っている人物だった。


「……本当のことを伝えてあげなさい、イエラバ」

「……じいさん?」


立って歩くときには必ず部屋に常備していた杖が必要だったのに、今では自分の足で立ってこちらへと向かってきている。


「なぜそこまでして彼女に会いに行きたい?不可能とまで言われた研究を投げ出さず、周囲の人々は現在の生活に馴染んでいるのに、お前だけは過去に執着し続けている。なぜだ?今の世界は住みよい世界ではないのか」


こんなに口数の多いじいさんを見るのは初めてだった。じいさんの目は真っ直ぐ俺の方へ向き、顔に刻み込まれた皺も普段よりいっそう深くなっていた。


「過去に戻る必要なんてないんだ、海斗。だって、あの子は……」


一生覚めない、夢を見ているだけなんだ。

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