第24話 vs佐々倉母-リベンジマッチ-
「度々お時間を頂いてすみません」
「……構いません。ただし、今日で最後にして下さい」
「はい」
俺とひなのはこの前と同じ部屋に通された。
そこに佐々倉さんの姿は無かったが。
「良ければまたお子様はこちらで」
「ありがとうございます。ひなの、少しあっちに行っておいで」
「頑張れよ、パピー」
「おう……!」
ひなのにはまたリビングの方で遊んで貰う事にして、俺と雅子さんはテーブルに着いた。
まずは手土産を渡し、用意されていた茶を一口頂いた。
「……美味しいですね」
「あら、お分かりになりますの?」
少しだけ驚いた表情をした雅子さん。
「娘さんが用意してくれるお茶と同じ味ですからね」
「……」
スッと目を細めた後、雅子さんは俺の目を見てはっきりと告げる。
「浅田さん。私はこれ以上あの子をあなたと関わらせるつもりはありません。どうかお引き取り願えませんか?」
1ミリの暖かさもない無慈悲な声色にたじろぎかけたが、ここで引く訳にはいかない。
「お母様、あの子にはまだ無限の可能性が広がっています。私達大人はその可能性を一つでも潰すべきではないと思います」
「それが"普通"の未来へ続くものなら潰すような真似はしません。しかしあの子が目指すものは"普通"とは程遠い。到底許容は出来ないと申したでしょう?」
俺はそれでも食い下がる。
「しかし、我々保護者が未来ある子供がやりたい、目指したいと、本気の情熱を向けているものを軽んじるのは──」
「それを重んじた結果が今の私だとしても?」
「……!」
雅子さんは少し目線を下げ、ため息を溢しながら悲しげに語る。
「……恥を晒すようですが、私は夫とは離婚しております。あの子から聞いておられるでしょうけども」
「えぇ……」
「その夫と言うのが今テレビなどでも流れる事のあるミュージシャンで、今でこそそれなりに人気のある人です」
確かに以前、佐々倉さんから家庭の事をほんの少しだけ聞いたが……
「ですが……あの子がまだ幼い頃は芽が出ず、音楽活動に必要な経費、養育費に生活費……生活は今とは比べ物にならない程困窮しておりました」
「……はい」
「女手一つで金食い虫を養って、娘も養って……あの子の子供時分にはとても親らしい事をしてやれませんでした」
まるで懺悔をするかのような口振りに何て言ったら良いか分からず、ただ頷くだけで返事をしてしまう。
「当然ながらそんな生活、すぐに限界が来ます。私は離婚届けを役所に提出し、あの人と離れました。そして今やシングルマザー……分かりますか?"普通"の家庭とは程遠いでしょう?こんな思いをこの先あの子にして欲しくは無いんです……!」
「……」
きっと、こんな短い時間じゃ伝え切れない後悔の日々がこの人にはあるんだろう。
「いずれ大人になれば分かる……!何の変哲もない暮らしをするのがどれ程大変か……どれだけ貴重か!職業なんて何だって良いんです。ただあの子には安定した暮らしをして欲しい……!!」
雅子さんはテーブルの上で組んでいた手を強く握った。
痛い程に気持ちは分かる。
娘を想う気持ちは俺だって一緒だからな。
──だけどな。
完璧に安定した暮らしなんて存在しないんだよ。
「……私は今、中小企業ですが一部上場のいわゆるホワイトな安定した職場で働いています」
「! そ、それはご立派な事で……」
「大事な娘を授かり、何の不安も無い、幸せな未来が続いていました」
「それがなにか──」
俺はそこで少しだけ口元を弛めて笑顔を作った。
「最愛の妻に先立たれたのはそんな時でした」
「……!」
「どれ程安定した職業に就いて、安定した暮らしをしていても、命は突然無くなってしまうんです。だから、今、あの子がやりたい事をやらしてあげたいんです」
「それは……」
「分かってます。こんなの極端な話だって……けれどもこれは紛れもない事実です。ならばこそ彼女が本当に目指したいものを私は応援したい……!」
「……」
俺の切実な言葉をしっかりと受け止めてくれているのか、雅子さんはしばらくの間押し黙った。
その脳裏には一体どんな想いが交錯しているのだろうか。
俺はただじっと雅子さんの言葉を待った。
随分と長く感じた時の後、雅子さんは静かに口を開いた。
「……それでも……私は……やはり、あの子には"普通"に暮らして欲しい……!」
眉を寄せ、苦々しい表情をしている。
きっと、娘に好きな事をさせてやりたい親心もあるんだろう。
ただそれ以上にこの人の人生には拭えない後悔があって、どうしても娘にそんな日々を味わう可能性を少しでも作りたくない、そんな所だろうか。
「お気持ちは分かりますが……どうしてもいけませんか?」
未だ食い下がり続ける俺に少しの苛立ちを覚えたのか、雅子さんの返事は少し強い口調だった。
「認められません……!あんな……あの人と似たような道を歩む、何の意味もないくだらない人生を送るような真似は……!!」
彼女は更に表情をキツくし、俺を睨むかのような視線を向ける。
「少し有名になったからって何だと言うの……!?それだけで食いはぐれる事なく一人でやっていけるの!?まだ年端もいかない少女が……あんな、画面に向けて話しているだけで!?」
「自分を偽って、視聴者が望む事を自分を削って行って、その先で得られるものなんてたかが知れているわ!!」
「……その先に大金を手にした人も多く居ますよ」
「そんなの身体を売って稼いだお金と変わらないでしょう!?どうしてもっと"普通"で居られないの!?くだらない……あんなものに無駄な時間を費やすなんて!!」
「それは──」
──それは俺の後輩をバカにする言葉だった。
「Vtuber?どうせそんなものすぐに廃れるわ!!一時の人気なんてすぐに落ちる!やり直しが効く今しかないの!!しょうもないコメントに流されて高校時代を無為にするのがそんなに良いの!?」
──それは俺の通い妻の頑張りをバカにする言葉だった。
「あなたもあなたよ……!女子高生にたぶらかされて良い大人が何をやっているの!?自分の娘にでも配信業なんてやらせて自己満足に浸ってなさいよ!!あぁあのバカっぽい娘じゃ人気も出な──」
「ひなのが何だって?クソババァ」
「なっ……!?」
俺の、
俺は両腕を組んで少し息を吐く。
「ふぅ……良いか?俺は絶対自分の娘だけは守るって決めてる。ひなのの悪口だけは言わせない……!!」
静みたいに可愛がってくれてるならともかく、今のひなのに対する暴言だけは言わせる訳にはいかない。
そう、ひなのに聞かせるには──
「……あれ、あいつどこに……?」
「ごほん、今のは口が過ぎました。謝罪します……」
「! え、えぇ……」
「ですが……」
玄関のドアが開く音もしなかったし、外に出て行ったりはしてないだろう。
今は雅子さんに集中しよう。
「Vtuberというものをくだらないものと見ているのは変わりません」
「……自分の娘が本気で頑張って取り組んでいるものですよ……!?」
「私はあの子の頑張りなんて知りません。知る気もありません」
「……っ!」
無意識に奥歯を欠ける程に食いしばっていた。
いい加減もう限界だ……
いつになったら認めてくれるんだよ。
この人はずっと気付いていないだけなんだ。
いや、分かっているのに向き合おうとしていない。
自分が一番娘の頑張りを知っていて、自分が一番娘のファンだってことに──
「……あんた今娘の頑張りなんて知らないって言ったよな」
「そ、それがどうしたと言うのです」
「だったら──」
俺は自分のスマホの画面を見せて、撮り貯めていたスクリーンショットをスライドさせていく。
「これは……?」
「全部コメントだよ!あの子に──"MiyaBi"に寄せられたある人物からのアドバイスや激励のな!!」
「……!」
「あの子の動画を見てたら気付いたよ。初期の初期の頃から一人ずっと応援してくれている誰かが居るってな……この"Masako"ってアカウントのコメントは全部あんたの書いたものじゃないのか!?」
「し、知りません……」
佐々倉さんは気付いてなかったのだろう。
まさか自分の母親がこんなコメントをくれてるなんて想像もつかないだろうからな。
この人も自分の名前の設定くらい変えりゃ良いのによ。
ほんの少し、娘に気付いて欲しい気持ちでも残っていたのか……
ともかく。
これがこの人じゃなけりゃ──俺に出来る事はない。
だから頼む。
どうかあんたであってくれよ……!!
俺は雅子さんが書いたであろうコメントを読み上げていく。
「"歌い方、もっと力を抜いた方が良い"、"今日の配信は緊張が解れて来てて聴きやすかった"、"自分の調子で頑張れ。無理はするな"──どれもあの子を想ってのコメントだ……これがあんたじゃ無かったら──おかしいだろう!?」
「……」
雅子さんは気まずそうに顔を逸らした。
……この反応、間違いないか。
この人を崩すにはもうここしかない。
「あんたはずっと見守ってたんだ。そりゃあの子の炎上騒ぎもすぐに気付けた訳だ……ひなのに良くない印象を持つのもな」
「わ、私は……!」
「あんたが一番知ってるんじゃないのか!?あんたの娘は頑張ってんだよ、すげーんだよ!!だからこそ怖くなったんだろう!?」
「……っ」
自分の娘が軌道に乗り掛けた所であんな事が起こって。
だから強引にでもあの世界から足を引かせた。
良し……
俺は静から預かったあの武器をカバンから取り出しテーブルに広げた。
「これは……?」
「これはトップVtuber"Emo"が立ち上げた事務所の推薦状だ!!ここに所属すればVtuberとして最大の支援が受けられる!!俺の後輩だからな……費用は掛からないようにしてくれた。だから──」
俺はテーブルに手をついて頭を下げた。
「この先佐々倉さんに何が起ころうと必ず俺が守ってみせる……!!だから……だからあの子があんな悲しそうな顔して『もう良い』なんて言わなくて済むようにしてやってくれよ!!」
「……」
雅子さんは頭を下げ続ける俺の肩を優しく叩き、先ほどとは違い穏やかな声色で話し掛けてくれた。
「……頭を上げて下さい」
「あんたが良いって言うまであげるつもりはねぇ」
「……それじゃ風変わりな脅迫じゃないですか。答えを出す為にも聞きたい事がございます……だからどうか」
「……分かりました」
俺は口調を戻し、ゆっくりと椅子に座り直した。
「聞きたいのは一つ。どうして娘にそこまでなさるのですか?」
「……たぶらかされたからですよ」
「ここで冗談を言うのは悪手じゃありませんこと?」
嫌みの一つくらい言わせろよこの年増が。
「……ですね。理由……なんてそれこそ一つしかないですよ」
「聞かせて下さい」
俺はそっと目を伏せた後、天井を見上げて遥か空へと意識を向けた。
「──あの子が妻の遺した最期のワガママだからです」
「と、言うと……?」
「俺が守りたいと思ったものを必ず守りなさい、それが妻が最期の最期にくれた言葉なんです。だから俺は佐々倉さんの居場所を守り抜きます。例え相手が母親だとしても」
「……」
雅子さんは俺の言葉をしっかりと受け止めてくれたのだろうか、少し表情を弛めて笑った。
「まるで娘を貰いに来た彼氏ね」
「! い、いやそんなつもりは……」
「しかしその想いは一方通行ではない?きちんとみやびの気持ちは聞いたの?」
げ、そう言えばそうだった……
あの子からまたもう一度やりたいとは聞いてねぇ……
俺は言葉に詰まりどもってしまう。
「そ、それは……」
「ふふっ、大事な所で詰めが甘いのね」
「い、いやでもきっとあの子も──」
「さて、それは本人の口から聞きましょうか。そこに居るのでしょう、入って来なさいみやび」
「え!?」
雅子さんがリビングの奥へと声を掛けると、廊下へと続く扉の向こうが開く。
そこにはぼろぼろに泣いてしまっている佐々倉さんと、どや顔をしたひなのが居た。
「い、一体いつから……」
「ふっ……世話のかかるじぇーけーだ。連れ出すのに苦労したぜ」
「お前そんなことしてたのか……」
居ないと思ったら呆れたやつめ。
しかし今回はナイスだ。
俺はテーブルから立ち上がり、佐々倉さんの方を見た。
たぶん聞かれてたんだろうなぁ……
気恥ずかしいがこのままって訳にはいかない。
「佐々倉さん、君の答えを聞かせてくれ」
「わっ……わた、しはっ……私はっ、そんなの……決まって……ます……!!」
佐々倉さんは泣き崩れた顔を隠す事もせず、大声で自らの心の内を晒け出した。
「私は……!!またあの家に帰りたいです……!!諒太さん、私……またVtuberになりたいです……!!全部、全部……手放したくないです……!!!」
俺は彼女の元へそっと近寄り彼女の頭を撫でてやる。
「……良く言った!」
「諒太さんっ……諒太さんっ……あぁああ……!!」
「お、おい!?」
佐々倉さんは俺の胸元に顔を沈め、抱き合う男女みたいな構図になってしまった。
「あらあら、母親の前で勇気があるわねぇ」
「ち、違いますよこれは──」
「パピー諦めろ」
「何を!? ……はぁ、ったくやれやれ……」
涙が止まらない佐々倉さんが落ち着くまで、俺は彼女の柔らかい頭を撫で続けた。
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