1-2 邂逅(カイコウ)

 俺を遊びに誘った子供たちの名前は、ガキ大将っぽいのがユウマ。チビで見るからにガキ大将の金魚の糞みたいなのがテッペー。明らかにサイズのあってないメガネをかけているのがサトルだ。

 家が近所同士で、あの神社はこの悪ガキたちの秘密基地なんだそうだ。


「神様の家で遊んでるとバチがあたるぞ」

 なんてちょっと怖がらせるつもりで言ってみるが

「びびってんの?」

 とニヤニヤ笑われた。

 その笑い方がどことなく健二に似ていてむかつく。


 神社へは田んぼの畦道あぜみちを歩いていかなければ辿り着かないらしい。

 ユウマたちの自転車はバス停の裏にほったらかしだ。 


「それで、鬼探しって、具体的にはどうやるの?俺初めて聞いたんだけど」


 田んぼと田んぼの間を流れる水路を勢いづけて飛び越えながら、横にいたサトルに尋ねる。サトルは見た目よりも鈍臭くはないようで、軽々と自分もそれを飛び越えてみせた。

「まず誰か一人鬼を決めて、鬼が目を瞑って十数えるんだよ」

「十秒?けっこう短いな」

「本気で隠れられたら見つけんの大変だから。特に、てっぺー。あいつ隠れるの上手いからさ」

 サトルは下がってきたメガネを押し上げて説明を続けた。

「鬼が探し始めたら隠れてる人はもう動いちゃダメ」

「それただの隠れんぼじゃね?」

「鬼と目があったら逃げていいんだよ。でも、目が合わなかったらどんなに近くに鬼が来ても逃げちゃダメ」

「なるほどな」


(でもこれ、隠れるのが上手けりゃ上手いほど不利じゃないか?……まあ見つかんないほど上手く隠れればいいわけだけど)


 全ての説明を聞いたところでやっぱり覚えのない遊びだったが、俺や健二も昔はよく勝手にオリジナルのゲームを考えては日が暮れるまで遊びまわった。

 このゲームも彼らが作り出したそれなのかも知れない。


「あのさー」

 前を歩いていたユウマが振り返って、どこかそわそわ尋ねた。

「兄ちゃんのこと、おれら何て呼べばいいの?」

「……素直に名前教えてって言えよ」

 ニヤッと笑って返すと「別にしりたくねーし!呼びにくいから聞いただけだろ!」と真っ赤になっている。訂正しよう。健二よりはかわいいやつだ。


「弓弦だよ。天道弓弦」

「ゆずる?変な名前」

「お前なぁ!」


 走って先へ進むユウマと、ケラケラ笑いながらそれに続くテッペー。「弓弦くん早くー!」とサトルも小走りになっている。

 健二に約束をフイにされたのはまあまあむかついたが、暇つぶし相手には恵まれたな、とどこか爽やかな気持ちで鳥居をくぐる。



 そして、

 一歩も前に進めなくなった。



 重かった。

 真夏の乾いた空気は土と湿気の香りで塗り潰され、実際に質量が変わったとすら思えるほどに空気が重くなった。

 寒くもないのに全身が小刻みに震え出し、身体中からぶわっと嫌な汗が吹き出す。


 見られてる。


 あの視線だ。


 バス停で振り返った時と同じ、心臓に冷たい包丁を添えられたような、本能的な恐怖。

 足は動かないまま、顔もあげることができないまま、俺はもうこの場から逃げ出すこと以外考えられなくなっていた。

 誰の声も聞こえない。恐ろしいまでに静まり返っている。ユウマは、テッペーは、サトルはどうした。木の葉が落ちる微かな音すら耳に届きそうな沈黙の中で、その声は、届いた。後ろから。



「イーーーー」



 女のような、幼い子供のような、カン高くて細々とした声。

 筒の中を通しているように妙に響いてくぐもっている。

 背後から聞こえる。

 近くはない。

 でも背後にいる。

 上がったり下がったり、声の高さを変えながら、いつまでも、いつまでも、人間だったらとうに酸素が尽きているほどの長い時間、その声は発され続け、そして


「チ」


 俺は気付けば走り出していた。

 これまでの人生にないほど頭は混乱し、心臓はうるさいほど跳ね回っていたが、直感で分かってしまったのだ。


 こいつは、数えているのだ。

「十」を。


 足がもつれる。まるで水の中を進んでいるかのように、上手く走れない。

 それが背後から感じるとてつもない重圧感のせいなのか、それとも俺の恐怖心がそうさせるのか、分からなかったが、とにかく、何もかも異様だった。


 最たるものは、この場所だ。


 今俺の目の前には苔に覆われた石の階段がある。

 もうおかしい。

 さっきまでいたのは、ただの広々とした田んぼ道だった。そもそもこんなに長い階段を登るほどの勾配は、見渡す限りあの場所にはなかった。

 走っても走っても、鎮守の森から出られないのも妙だ。

 田んぼの一角などどれだけ広くたって、5分も走り通せば反対側に突き抜けていいはずなのに、俺ががむしゃらに走り回って、やっと辿り着いたのがこの階段。

 おかしい。

 違う、俺の頭が変になったのか?


 辺りに立ち込めるのは、土と湿気の混ざった、山の匂い。

 どこからか聞こえる川の音。

 ----寒い。


 俺は、目の前にある階段に足をかけた。

(とにかくどこかに隠れないと。考えるのはその後だ)

 階段はざっと百段ほどありそうだった。

 ほとんど感覚のない足を無理やり動かして半分ほど登ったところで、俺はふと背後を振り返る。


「……え?」


 階段の下。草むらの中で、子供がうつ伏せになってバタバタ暴れている。

 生茂る木々が邪魔でよく見えないが、まるで水の中で溺れているような恰好だ。

 あの背格好、灰色のシャツは、今日ユウマが着ていたものによく似ている。

(何してんだよアイツ、あんなとこで……!)

 引き返そうと身体を反転させた俺は、思わず呻いて踏みとどまった。


「何だ、この匂い」


 むっと鼻を掠めた異臭。

 ゴムを火で炙ったような嫌な匂いに、瞬間的に吐き気を覚えて口と鼻を覆う。

 こみ上げるものを眉をひそめて堪えているうちに、少しずつ違和感が頭をもたげる。視線の先では未だにユウマがバタバタと両手を振り回して暴れている。


(あいつ、ほんとに何してんだ?)

(転んだとか?)

(立てないなら普通助けとか呼ぶだろ、なのに、何で)


 その時おもむろに、今までうつ伏せで暴れていたユウマの身体が反転した。

 自力でそうしたとはとても思えない不自然さで。


「……ッ!!??」


 ユウマの顎から下はむしり取られて欠損していた。

 上顎の剥き出しの歯茎には血で赤く濡れた歯がきれいに並んでいる。

 ぺたぺた顔に触れるのと反対の手が、無くなった一部を探すように周囲の地面をまさぐっている。探している。暴れるように。

 涙と知にまみれた歪な顔が、俺を見ている。


「うわああああああああっ!!!!」


 絶叫しながら階段を駆け登った。

 吐き気と恐怖で既に思考できる余裕なんかなかった。ただ、何で、と。その一文字で頭の中は埋め尽くされる。

 何でこんなことに?俺、健二に誘われて来ただけなのに。何でこんな目に?

 ---ユウマは、死んだのか?死んだ?何で???何で何で何で???


 もがいていたあいつの下肢は木が邪魔で見えなかった。

 あの時、いたのか?何かが下に。

 食われてたのか?

 食われた?もがきながら、生きたまま、……


「う、ぉえッ」

 階段を全て駆け上るなり、胃の中のものを全て吐き出した。

 吐きながらも必死で走る。

 階段を登った先は神社の境内のように広々と開けていたが、鳥居や拝殿は見当たらない。大人の腰ほどの大きさの社(やしろ)がいくつか点在しているようだったが、それすらも周囲の雑草のほうが背が高い。

 俺は飛び込むようにそこに入り、身を縮めながら転がるようにして進んだ。

 全身がくがくと震えて、あのおぞましいユウマの姿が頭から離れず、途中でまた吐いた。


 そんな時、どこからかすすり泣くような声が聞こえてくる。

 まさかと思って先へ進むと、やはり、朽ちた社の裏に二人の少年が縮こまっている。

「テッペー、サトル……?」

 二人はびくっと肩を揺らしたが、俺を認識するなり、わっと揃って顔を崩した。

 俺もまた真っ青で、到底頼りにできる顔はしていなかったと確信できるのに、二人は俺に縋り付いて離れない。

「ゆ、結弦、くん、あ、あれ、あれ」

「兄ちゃん、ユウマが、ユ、ユウマが」

「……落ち着け。二人とも。大丈夫、だから」


 何が大丈夫だよ。さっきまでゲロ吐きながら逃げ回ってただろ。

 心の中で突っ込みつつも、二人にこのまま泣かれて、あの何かに気付かれるわけにはいかない。懸命に気丈なフリをして、ひとまず声を落とすように告げる。

 サトルはこくこく頷いて口を引き結んだが、テッペーは声を落としはしたものの、まくしたてるように俺に話し出した。



「■■■様だよ、あれ、!」

「……?」

 変だ。テッペーが、なんと発音したのか、分からない。

「ごめん、テッペー、なに……?」

「だから、■■■■様!!」

 テッペーは叫んだ瞬間、自分の口に両手をあてて、息をのんだ。

 テッペーだけじゃない。俺もサトルも、指一本動かせなくなった。


ズ……ズズズ………

パキッ……ペキキ……



 何か重たいものを引きずるような音。

 枝を踏むような音。

 それが、階段の方向から聞こえてくる。


(来た、ああくそ来た来た、来やがった!!!)


 俺は二人を社の裏に押し込んで伏せさせ、自分もその傍で這いつくばった。

 ガタガタ震えているのが自分なのか二人なのかもはや分からない。あの異臭が、また風にのって流れてくる。

 吐きそうなほど心臓が身体の中で跳ねまわっているのが分かる。


ズ……ズズズ………

ズ…ズズ………


 そいつはまだ俺たちを見つけてはいないらしい。

 しかし確実に、こちらに近付いてきている。

 ガチガチと聞こえるのは、震えるテッペーの歯が鳴る音だ。俺は隣の肩を強くさすったが、それでもテッペーの震えは止まるどころか、ほとんど痙攣に近い。

(くそ、ヤバイ、音が)

 その時だった。


「ソッチ?」


 思いのほか近くから声がした。

 瞬間、

「あああああああ!!!」

 隣でテッペーが立ち上がり、叫びながらあらぬ方向へ駆け出していく。

 止める暇などなかった。

 あっても、俺にはできなかっただろう。


「ああああああああ!」


 その何かが身を引きずらせるような音はすぐに針路を変え、

「あ、ギャ、わッ、あっ、やだあああぁぁ」

 テッペーを捕えたのだろう。


 隣で泣き出すサトルを抱きしめながら、俺は、社の裏から顔をのぞかせた。

 見てはいけないことなんか分かっていた。

 見たくなかったのに、どうしてか、俺は顔を出してしまったのだ。


 20メートルほど離れたところにソレはいた。

 妙に細長く、黒々とした身体。

 腹のあたりが異様に膨れている。

 こちらに背を向けているが、いくつも関節がある腕が、立ち竦むテッペーの両肩を軋むほど強くつかんでいることが分かる。


「ダメ、デショォ?」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!!!」

「ダメ、デショォ?」

「あそこ、あっちにも、!います!!!あっち、ォエ、います!!」

「ダメ、デショォ?」

「おねがいします、おねがいします!助けてください!たべないで、食べないで」


 必死で声を枯らすテッペーの前で、ソレの声は、子供のいたずらを叱る母親のように優しい。

「ダメ、デショォ?」

 俺は咄嗟にサトルを抱き込んで、両耳を塞いだ。

 その次の瞬間、ソレはテッペーの上顎と下顎に両手を差し込み、こじあけるようにゆっくりと引き裂いた。


 ばちぶちっ、ぶちぶちっ


「目カが合ウ、マデハ、逃げチャ駄目ェ」



 テッペーの最期の絶叫が、くぐもった音で周囲に長く、長く響き渡った。

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