まだら牛シ稲荷前
岡田遥@書籍発売中
1-1 瓦解(ガカイ)
日常と非日常は常に隣り合っていて、いつ何時、その境界を踏み越えてしまってもおかしくない。
それは時に野良犬の死骸の上にあって、
時に熱に浮かされて見る夢の中にあって、
蛍光灯の明滅のうちや、
交差点の雑踏の狭間に、
いつでも、あるのだ。どこにでも。
俺が|そのことに気付いたのは、大学3年の夏休みに入って、わりかしすぐの話だった。
1
親の出身大だからという、志望動機としてはかなりクソな部類に入る理由で都内の大学に入学した俺は、なりたい職業も就活の意欲もないまま、漠然と押し寄せてくる将来への不安を忘れるためバイトに没入する日々を送っていた。
彼女的な存在がいたことは小中高でそれぞれ一度ずつある。
どれもひと月も続かなかった。
はじめに言っておくと、俺は本来、こんな駄目なやつじゃない。俺そのもののポテンシャルはもう少し真面目で人当たりよく、彼女の一人や二人できてもおかしくはない人間なのだ。
悪いのは、そう、縁。これが、ほんとに、からっきし悪い。
例えをひとつ挙げさせてもらおう。
健二だ。
親友の健二。
あいつのもたらした悪縁は、もはや数えることも億劫なほどである。
*
俺が育った田舎は、病気がちだった父親の療養のため都内から移住してきたうちを除けば、近所の人間は大抵どこかの本家だか分家だかに所属する親戚ばかりの限界集落だった。
步けども步けども、周囲にあるのは田んぼばかり。
近所に住んでいる子供は、俺と、健二と、健二の妹の千夏だけ。
「千夏、鬼ごっこしようぜ」
「いい」
「じゃあ隠れんぼする?」
「やんない」
健二が誘おうが俺が誘おうが、小学生の頃からどことなく大人っぽかった千夏は、ぷいとそっぽを向いてまったく俺たちの相手をしなかった。
おかげさまで、俺らの遊びは歯止めもきかずに苛烈を極めたというわけだ。
「いくぞ、健二!」
「おうよ!」
時には野焼き中の畑に飛び込んで勝手にチキンレースをはじめ、
時には取り壊し直近の廃屋に忍び込んで秘密基地を作り、
時には普通に村中の呼び鈴を鳴らしまくった。
チビだが喧嘩っぱやかった健二と、チビだが度胸の塊のようだった俺は、言うまでもなくとことん気の合う親友だったのだ。
結果、近所の人間には地元の腐れ悪ガキ共と本気で嫌われ、親にもずいぶん肩身の狭い思いをさせてしまった。あ、これそろそろやべーなと気付いたのは、高2の夏ごろ。
「健二。悪い。俺今日から更生する」
「まじか。お土産頼むわ」
「話しきけって」
最早健二との縁は切りようもなかったが、両親へのせめてもの償いに俺は勉強を頑張った。それはもう朝も夜もがんばった。
そんな俺を、健二は終始「ふーん」とつまらなそうに眺めていた。
**
「山と海どっちがいい?」
かくして、めでたく受験合格を果たした俺だが、健二との縁はまだ続いている。
夏休みに入って二週間ほど経った頃、久しぶりにきたラインには「山」と即答する。
思い起こすのは去年の苦い記憶。
「渋谷と池袋どっちがいい?」と連絡を寄越してきた健二に、遊びの誘いか?と俺は、通学路であり、知った店の多い池袋を選んで返信を返した。
俺と違って田舎から出られてない可哀想なアイツに都会の遊びでも教えてやるか、と密かに息巻いていた部分も正直あった。
しかし健二がその翌日に俺に送りつけてきたのは、池袋でナンパしてワンナイトした女とのツーショットだったのである。
その時はあいつとの絶縁も考えた。
同じ手に乗ってたまるか、と迷わず「山」とタップして送る。どうせナンパするなら海辺のギャルより山ガールのほうが難易度が高そうだし最悪ナンパ相手と出会えなそうだ、と余すところなく意地の悪い気持ちでしたチョイスだが、健二は意外にも「了解」とあっさりそれを飲んだ。
拍子抜けした俺の目の前で、ぽこんと、新たな通知が届く。
「キャンプ行こうぜ」
「お気に入りのスポットあるから」
……どうやら本当に遊びの誘いだったらしい。
自分の穢れた心を(もとはといえばあいつのせいだが)少しばかり反省しつつ、俺は考えることもなくOKの返事を返した。どうせこの夏バイト以外の予定もない。悪ガキ仲間が遊び相手になってくれるなら願ってもない話だ。
健二が待ち合わせ場所に指定したのは、俺たちの地元からさらに二時間ほど郊外にあたるど田舎だった。
**
(……そろそろか?それにしても、なんもねーな)
バスを乗り継ぎ、既に疲れ切っていた俺だが、それでもこれから始まるアウトドアな1日には胸が躍っている。
キャンプ道具一式は健二が持ってきてくれるらしい。こういう遊びには憧れていたものの、自ら腰を上げることがとことん苦手な俺には健二というアクティブな友人は、なんだかんだ貴重だ。
(健二もまた、突発的だろうが何だろうが誘えば必ずノッてくる俺という友人が貴重なことだろう。)
奇妙なことは待ち合わせのバス停に到着する前に起こった。
「あれ」
(……六つ目のバス停っつってたよな)
健二からは確かに宍塚駅から、原井戸行きのバスに乗って、六つ目の「横川西」で降りろと伝えられていた。あいつに珍しく丁寧に教えてくれたもんだなと思ったが、健二は待たされるのが嫌いなので迷われるよりは良いと考えたのかもしれない。俺が深く追求することはなかった。
しかし、六つ目に留まった駅は、「横川西」ではなく、「まだら牛シ稲荷前」という変な名前のバス停だった。
乗り過ごしたくなかったので一つ一つ停留所を数えていたため、そこが六つ目なのは間違いない。
バスの乗客は俺以外にも数名乗っていたが、そこで降りる客はいないようで、俺はどうすべきかと悩んだ末に降車ボタンを押した。
土地勘のない地域で、降りる意思表明をしなければ平気で停留所を通過するバス行動は最悪だ。タイムリミットがあることだけ知っていて、それが何分後かわからない状況下。健二に連絡を取ろうにもすぐに返事が来るとは限らない。乗り過ごしてあらぬ方向へ針路を変えられても困る。バスの路線図を調べるのにもたついているうにち、とうとう停留所に停まってしまった。
「あの、横川西って、ここっすか?」
「はあ?」
これでもう俺には「六つ目のバス停」というヒントしかない。ここまでくると、適当な健二の野郎を腹立たしく思う気持ちの方が勝ってきた。
不安を抱えたまま仕方なくバスを降りる。
バスは重そうな車体をゆっくりスピードに乗せて少しずつ遠ざかっていった。
取り返しのつかないことをしたかもしれない。
そんな不安がどこからともなく湧き上がってきたのは、思いの外その場所に人気がなかったためだ。
人気がないどころじゃない。
ここはバス停というより、田圃道の真ん中にぽつんとある休憩所だ。こんなところで降りる人間なんかいるはずない。運転手が怪訝がるわけだ。
振り返った俺は、その瞬間、情けないことに小さく悲鳴を上げた。
真昼の田園風景がどこまでも続く、ある意味平凡な光景の中に、明らかに異質な空間がある。100メートルほど離れたあたりだろうか。
正方形に耕地整理された田んぼの一角に、異様に背の高い木々に囲まれた土地がある。まるで結界のように、そこだけ人の手が及んでいない。
それが「鎮守の森」と呼ばれる類のものであることは、正面に見える石の鳥居から分かったが、俺はその時、目があったと思った。
何と、
いや、分からない。
ともかく、振り返った時、それは既に俺を見ていて、俺はその視線に射抜かれている。そういう気がした。
「ねえ」
「うぉ!!!!!!」
唐突にかけられた言葉に、俺はまたもや情けない声を上げて飛び上がった。
そこにいたのは自転車にまたがった三人の小学生だ。道の端にぽつんと立ち呆ける俺を怪訝そうに見ている。
ドクドクいう胸を押さえながら、俺は彼らを見返した。
「な……何」
「何してんの?バス待ってんの?」
「ここのバス三時間に一回くらいしかこないよ」
嘘だろ。
俺はキョロキョロ周囲を見回したが、バス停すらも今ここにあるのが往復兼用らしい。急いで反対側に周り時刻表を見ると、確かに次の便はきっかり2時間後だった。
健二からの返事は未だにない。電話をかけてみるも不在だった。
「あのさ、この辺に横川西ってバス停ある?」
子供たちは顔を見合わせて首を傾げている。
どうやら近くにそれらしいバス停はないらしい。
俺はだんだんと、健二に騙されたのだという気になってきた。たしかに今まではこんなふざけ方をされたことはなかったが、しかし、度を越えて親に怒られることなら度々あった男だ。
なんにせよ、当分は口を聞いてやるつもりはない。
俺は気持ちを帰宅に切り替えたが、いかんせん暫くバスは来ない。子供たちに聞くと、一番近いコンビニで20分ほどかかるとのことだ。
あと二時間もこの炎天下の中突っ立ってんのかよ……。
そう途方に暮れていると、そいつらが何やらコソコソと話し合いを始めた。やがて、その中のリーダーらしき坊主頭の子供が、えらそうな口調で俺に言ってきた。
「にいちゃんも鬼探しすんだったら一緒に来てもいいぜ」
「鬼探し?」
「鬼ごっこと隠れんぼ混ぜたやつ。あそこの神社でいつもやってんだ」
初めて聞いたが、今の小学校ではそういうのが流行ってるんだろうか。
それにしても、神社か……。
今一度背後を振り返った俺は、あれ?と首を傾げた。例の森は依然としてそこにあったが、あの威圧されるような嫌な感じはもうしない。
そもそもが、気のせいだったのだろうか。
まあ、突然後ろに予期せぬものがあったら誰だってドキッとするよな。
そういうふうに考え始めると怯えていたのが馬鹿らしくなってきて、俺は二つ返事で子供の提案を了承することにした。
何はともあれ、早く日陰に入りたかった。
これだ。健二の誘いに乗ったことと、ガキ共について行ったこと。
俺はほんとうに二択に弱い。
いつもきまって、駄目なほうを選び取ってしまうんだから。
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