三の三

 山下町の不動尊界隈といえば、大小さまざまな料理茶屋がならぶ一画であった。男女で入って、望むのならそれ相応の用意をしてくれる茶屋も多い。

 乃里と平岡三七郎と、御用聞きの仲蔵の三人は道場を出てその料理茶屋へ向かっていた。十五町程度の道のりであった。お滝は師匠の世話に残してきた(本当は病気ではなかったが)。

 寒風が首に巻いた茜色の襟巻肌をなびかせた。乃里は身なりを昔常用していた男物の着物に着替えていた。これは、最前に稽古着を実家から持ち出すときにいっしょに持ってきて三七郎にあずけていたものであった。薄藍の袷に紺の袴をはいて、髪はといて後ろで束ねてたらし、化粧も落とし、少年に見えるように眉を描いたりした。

 三七郎はその姿をみると、

 ――ほう、紅天狗ここに復活だな。

 そんなことを言うのであった。

 道々、仲蔵から探索の成果を聞いていた。仲蔵は、件の町廻り同心坂井の手下で、丸山小兵衛が無理を言って借りたようだった。小兵衛はすでに茶屋で待っているという。

 仲蔵は、さすがに玄人で、うまく利根屋敷の女中や小者と知り合っていろいろと聞き込んでいた。なんでも、直截には話を進めず、世間話をしながら相手の警戒する気持ちをほぐしていって、情報を取り出すのだという。そうすると、相手はいとも簡単に口を滑らせるのだそうだ。

「保江というかたは、そうとうそちらの遊びが過ぎる人のようです」

 仲蔵はそう話しはじめた。それは修次郎との結婚前から派手に男と浮名を流していたそうで、父である利根家老はずいぶん火消しに奔走した。結婚した後は、長男が生まれるまでの二年ほどの間、ぴたりと男遊びもやんで、家老も屋敷の者達もその変わりぶりに胸をなでおろす思いだった。が、この一年ほど、また淫蕩の虫が騒ぎ始めたらしい。小姓を勤める夫が宿直とのいの夜を狙って夜遊びが続いているという。

「ここひと月あまり屋敷からほとんど出ていません」と仲蔵は話を続けた。「目付の監視があったからでしょう、目立った行動は控えていたようです。今日はずいぶん久しぶりの夜遊びというわけですな」

 山下町の茶屋に到着すると、すでに話は通っていて、女中が、そっと部屋に通してくれた。

 乃里はいささかとまどう気分であった。最初は、家老の娘である保江の素行調査くらいに考えていたのに、ずいぶんことが大仰になってしまったようだ。

 道場と違ってひと目はないし、男の姿でもあり、今度は気兼ねもなく男たちと部屋を共にした。

 入ってゆくと、壁の前で聞き耳を立てていた小兵衛が振り向いて、乃里を見て瞠目した。

「これは……、なかなかのもんだ」

 なにが、なかなかなのか、乃里にはわからなかったが、小兵衛は口をだらしなく開けて、釘で打ちつけられたように乃里の男装に見入っていた。

 三七郎も小兵衛も、乃里の男装すがたを、同じ目でみる。女をからかうような目つきだった。乃里はそんな目つきは気にもとめないそぶりで、小兵衛の前に座った。

 そこは、八畳に六畳の二間続きで間が襖で区切られていて、入った奥のほうの壁が隣の部屋と接している。料理屋の外見も、どこのお大尽が常連に通うのかと思うほど立派であったし、廊下もきれいに磨かれて行灯の火明かりを照らし返していたし、部屋も隅々まで掃除がいきとどいていて、埃ひとつたたないくらいであった。

「なんだ、酒も料理もないじゃないか」

 三七郎が座って開口一番、皮肉たらしく言った。

「当たり前だ」と小兵衛が声を落として、そして三七郎にも声を落とすように手を振りながら言った。「この料理屋がどれほど高級だと思ってる。部屋を借りるだけでも本来は相当な金額がいるんだ。それを、俺がご用の筋と言いくるめて、心づけ程度で借りたんだ。料理なんか頼めるものか」

「申しわけございません」乃里は消え入りそうな声で言った。「今は手持ちがございませんが、かかった費用はいずれお返しいたしますので」

 小兵衛は、気にするなとでも言いたげに、手をふらふらと振った。

 先程女中に、外で見張っている仲蔵に何か温かいものを持っていってくれと、奮発した気で一朱わたしておいたが、はたしてあれで足りたのだろうか、心もとなくなってきた。

「今はまだ女がひとりきりです」小兵衛は乃里にそう説明すると、口をつぐんだ。

 そうしてしばらくすると、部屋の前を歩いていく足音がふたつした。足音は隣の部屋に入って消えた。

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