第37話

 サマーキャンプ二日目――。

 ペンション前の広場にて和やかにBBQが行われていたその裏で、惨劇の幕はひっそりと上げられていた。


「雨沢は、着替えのために部屋へ戻った南先輩に接触し、ペンションの裏手へ呼び出した。そこで口論にでもなったのか……南先輩を崖から突き落としてしまった」


 これは突発的かつ衝動的な犯行だったと考えられる。

 時刻は正午過ぎ、周囲も明るくペンション内外の人の行き来も激しかったからだ。


「もしかしたら、この時の雨沢には『殺した』という認識すらなかったのかもしれない。だが、いつまで経っても南先輩が戻ってこないものだから、雨沢は南先輩を殺してしまった可能性に気付いた。そして、証拠隠滅の必要性についても」


 電話線を切ったのは恐らくこの時だ。

 そして、雨沢は証拠隠滅の一環として更なる殺人――柊先生殺しを決意する。


「降雨による南先輩の捜索中止から二宮が悲鳴を上げるまでの約二時間。この間、食堂へ下りてこなかった人間が三人いる。ずっと寝込んでいた二宮と、のちに殺される北条先輩と、悲鳴がした時はシャワーを浴びていたという雨沢の三人だ」


 南先輩、柊先生両名の殺害及び証拠隠滅はこの時に行われていた。


「まず、雨沢は異能のロックを解除するために柊先生のもとへ向かった」


 証拠隠滅に際しては、自身の覚醒した異能が大いに役立つと考えたのだろう。


「だが、ここで一つ問題が生じた」


 南先輩の捜索中止後、俺と檜垣先輩と葛山先輩の三人は部屋に戻らず食堂へ向かっている。食堂の窓からは、階段も正面玄関も一階廊下も全て一望することができる。

 つまり、普通に正面玄関や裏口からペンションを出ようとすると、誰かに目撃される恐れがあったのだ。そのため、雨沢は『別の道』を選択せざるを得なかった。


「雨沢は――二階、自分の部屋にある『窓』から外へ出た」


 推理を聞いた皆が怪訝そうな顔をする。

 信じられないかもしれないが、この推理にはちゃんと根拠がある。


「ペンションの壁の一部が白く変色――つまり、綺麗になっていたんだ」


 変色は裏口横の室外機から始まり、雨樋を伝って雨沢の部屋の窓にまで続いていた。


「大方、上り下りの痕跡を消そうとして、自然に付いた汚れなんかも一緒に落としてしまったんだろう」


 真犯人による偽装や自然現象の可能性を排除しきれないため、これは決定的な証拠たりえないが、それでも有力な状況証拠にはなる。


「話を戻そう。雨沢は、恐らく今言ったルートを伝って地面に下りた」


 その際、多少なりとも音や振動が発生したはずだが、これに関しては天が味方してくれた。あのどしゃぶりの雨が全てを掻き消し、雨沢の犯行を手助けしたのだ。


「そして、柊先生を追って祠を目指した」


 手伝いに参加していた雨沢はその道を知っていた。

 程なくして、雨沢は柊先生と出会う。


「ここで雨沢は一計を案じたことだろう」


 大人と子供、それもフィールドワークに慣れた大人と運動不足の子供だ。

 体格差もあって、力尽くでタブレットと教職員証を奪うのはいくら何でも難しい。


「恐らく、『異能者に襲われている』とか、『こちらも異能のロックを解除して抵抗しないと危ない』とか、そんなことを言って柊先生本人に異能のロックを解除させようとしたんじゃないか? だが、知っての通りタブレットと教職員証は部屋に置かれていた」


 予想外の事態に直面し、雨沢は計画の変更を余儀なくされた。

 もともと異能のロックを解除させたら柊先生は始末する計画だったのだろう。ペンションに戻れば、いかなる嘘もすぐにバレてしまうのだから。

 しかし、嘘をついたというのに、あてにしていた異能は使えなくなった。

 そこで雨沢はどうしたか。


「雨沢は、柊先生もまた崖から突き落とすことで片付けた」


 南先輩を同様の方法で殺してしまった経験が、その選択を後押ししたことだろう。

 滑落の痕跡が残っていたのは、あの道幅が狭くなるところだった。あそこなら、少しバランスを崩しただけでも致命的となる。体格差があっても、不意を討てば問題なく突き落とせたはずだ。


「その後、再び例のルートを伝って窓から部屋へ戻った雨沢だが、ここでまた一つ無理を通す必要があった。――ピッキングだ」


 柊先生の死体からは鍵が出てきた。異能の使えなかった雨沢には鍵を奪ってから突き落とすなんて器用なことはできなかったはず。


「柊先生の部屋へは、見たところ室外機や雨樋のようなとっかかりがなく、雨沢の部屋のように窓から入ることは困難だった。そのため、雨沢は鍵をピッキングするしかなかった」


 雨沢には、ピッキングの知識も自信もなかったと思う。それは鍵穴に残された無数の傷跡からも推察できる。知識のある俺がやった時は、あそこまで派手な傷は一つも付かなかった。


「しかし、それでもピッキングはできてしまった」


 不幸だったのは鍵が古いシリンダー錠だったこと。そのせいで、知識がなく道具がヘアピンや針金程度だっただろう雨沢でも、適当にいじるだけでピッキングができてしまったのだ。


「こうして雨沢はタブレットを入手し、その異能を自由に使えるようになった」


 これでようやく、雨沢は証拠隠滅に着手できるようになったわけだ。


「この時、雨沢は単に自身の痕跡を消すだけでは不足と考え、外部犯の存在を匂わすことにした。そのために用意したのが――あの『人影』だ」


 雨沢が外部犯に容疑の目を向けさせようとしていたことは、二日目夜の話し合いの時、雨沢が俺や檜垣先輩と一緒に【外部犯説】側にいたことを見ても分かる。


「『人影』の素体には南先輩の死体を使った」


 南先輩の死体の四肢を切り落としたのは、異能で操りやすくするためと、南先輩の小さな体格を延長して誤魔化すためだろう。また、覚醒を隠していた事実を利用し、損壊の程度から犯人が覚醒者=外部犯であると俺たちに示す目的もあったはずだ。


「雨沢の部屋は裏口側だ。つまり、裏口側に面する窓辺に立てば、そこからペンション裏を闊歩する『人影』を操ることができた。そして、二宮に『人影』を目撃させた後、死体を倉庫内へ連れていき――解放した」


 髪を毟り取ったのは『人影』を長髪にするため。

 頭部だけ別に置いてあったのは『人影』の正体が南先輩だとバレないようにするため。

 ぐちゃぐちゃの臓物を死体の上にぶち撒けたのはカモフラージュのため。他の部品が原形を保っていることを隠して『人影』との繋がりを絶とうとしたのだろう。

 二宮の聞いた『バキッ!』という音は、この時に鳴ったと思われる。人体を裏返すようにへし折り、ぐちゃぐちゃにした臓物を腹部から押し出した時の音だ。

 最後に、倉庫のスライドドアを閉じる――。

 このようにして、あの不可解な状況は作り上げられた。


「また、南先輩の解体と並行して柊先生にもトドメをさしにいった。なぜなら――解体時、南先輩が『生きていた』ので、柊先生の方も『生きているかもしれない』と思い至ったからだ。そして、その懸念は当たっていた」


 ここで葛山先輩が疑問の声を上げる。


「どど、どうしてぇ、二人が滑落後も生きてたなんてことが分かるのぉ……?」

「ダイイングメッセージと首輪の存在がその答えです」


 昨日、葛山先輩が言っていたように『襲われながら文字を書くなんて無理』だろう。裏を返せば、柊先生がメッセージを書き残した時というのは、襲われた後であり、なおかつ生存している間となる。


「滑落後も生きていなければメッセージは存在し得ない」


 メッセージが偽装である可能性は既にない。その根拠は後ほど説明する。

 そして、次に雨沢の首にはめられた二つ目の首輪を指さした。


「倉庫裏の茂みに『滑落の痕跡』があった。あの首輪は、その痕跡を辿った先に落ちていたものだ」


 あそこには、直線的な破壊痕がいくつも残されていた。南先輩は、あの渓谷で殺害・解体されたと見て間違いない。首輪は、その際に雨沢が始末し損ねてしまったものだろう。

 ――と、初めは俺も単純にそう考えた。

 しかし、それは少し不自然ではないか。突発的にやってしまった殺人の証拠隠滅中なのだから、平静さを失っていて当然だ。だが、いくら焦っていたとはいえ、解体した相手の首に付いているモノを忘れるなんてありえるだろうか。否、他の衣服は跡形もなく始末しているというのに首輪だけを見過ごすとは考えにくい。


「これは俺の想像だが……恐らく、南先輩が死に際に異能を行使したんじゃないかと思う」


 生徒資料によれば、南先輩の〔精神統宰インデュース〕は他者の意識を操る〔精神感応系テレパシー〕の異能だ。何かに意識を向けさせたり、逆に逸らしたりできるという。


「持続時間は数秒とのことだったが……火事場の馬鹿力というものは異能にも存在する。首を切り落とされ、電子首輪の支配から脱し死に至るまでのその一瞬――南先輩は全身全霊で異能を行使し、自分の首輪から雨沢の意識を逸らしたんだろう」


 でなければ、首輪が現場に残されていたりするものか。

 きっと、南先輩にしてみれば、それは単なる悪あがきのつもりだったのだろう。ただ一つでも多く犯行の痕跡や証拠を残してやろうというだけで……。

 だが、多くの偶然にも助けられて、南先輩の首輪は俺の手に渡った。

 そして、今は雨沢の首に収まり、その異能を封じている。

 南先輩の悪あがきは、こうして確かな実を結んだのだ。


「……思えば、雨沢にとってはこの時が最後のチャンスだった。怪我を負っていたとはいえ二人とも生きていたんだ。少し冷静になれば最後の一線を前に踏みとどまれたはず……だが、お前は二人を殺した。お前は、この時――真の殺人鬼となったんだ!」


 雨沢は何も言わない。答えない。

 ただ、ギュッと片腕を抱いて唇を噛みしめているだけだった。

 まだ足りないか?

 なら、こっちはお前が「やめてくれ」と音を上げるまで続けるだけだ。


「――そして、雨沢はトドメをさした柊先生を磔にした」


 これは俺たちに恐怖を抱かせる目的があったのだと思う。事件を通して、犯人からはそのような意図を常々感じていた。南先輩のように死体を損壊せず磔だけに留めたのは、特にそうする必要がなかったからだろう。


「さて、本来であれば雨沢の犯行はここで終わるはずだった」


 だから、タブレットと教職員証を柊先生の部屋に戻した。外部犯による犯行ならば、それらは揃って部屋にあることが自然だからだ。

 だが、そのせいで雨沢の犯行は破綻した。


「突発的で行き当たりばったりの犯行にしては、ここまでほぼ完璧と言って良い。証拠らしい証拠は全て隠滅されており、現場や死体には何も残っていなかった」


 柊先生のダイイングメッセージこそ残っていたが、それも暗号を解けなければ意味が分からないし、本人が書いたという証明もこの場では難しい。後で隙を見てこっそり処分すれば筆跡鑑定も突破できる。

 だが、やはりそれでも「ほぼ」なのだ。

 雨沢は、どうしようもないほどに決定的な証拠を残してしまっていた。


「ほぼ完璧――電子首輪の『履歴』以外はな」


 首輪には、異能のロックのON/OFFが時刻と共に記録されている。

 雨沢は、そのことを完全に失念していたのだ。


「このことは昨日も説明したよな?」


 履歴のことを忘れていたのなら、自分以外の異能のロックを解除する理由はない。だから、雨沢は管理ソフトに並ぶシリアルナンバーの中から自分のものを探し、自分の異能のロックだけを解除して犯行に及んだはずだ。

 それが不味かった。

 なにせ、そのせいで履歴を閲覧された瞬間に、誰が犯人なのか一目で分かるようになってしまったからだ。


「この失態のために、雨沢は更なる殺人を犯さねばならなくなった」


 ここから、雨沢の犯行は破綻の道を突き進んでゆく。


「三日目の朝、柊先生の死体が発見された直後の混乱の中で雨沢は行動に出た。北条先輩を呼びに行くという口実で二階へ上がり、教職員証の窃盗とタブレットの操作を行った」


 あの時はバタバタしていたから二宮も他の皆も部屋に鍵をかけ忘れていた。

 雨沢は、今がまたとない好機だと思ったのだろう。


「だが、結果的にはこれが雨沢の犯した二つ目のミスとなった。履歴のことを思い出して焦っていたのは分かるが、行動に出るのはもう少し機を待つべきだったな」

「……なぜ、そう思うんだい?」


 ここにきて初めて雨沢が口を開いた。そんなに気になるのなら教えてやろう。


「それは、この一連の行動により『自分が犯人だ』と暗に自白してしまっているからだ」


 あの時、タブレットに触ることができたのは俺と二宮以外――雨沢、北条先輩、檜垣先輩、葛山先輩の四人。そう言ったのは檜垣先輩本人だ。

 しかし、実際のところはどうだろうか?


「俺の記憶が確かなら……檜垣先輩は食堂でタブレットを受け取った時から、二宮の部屋で教職員証捜索の切り上げを宣言する時まで、ずっと自分でタブレットを持っていた。つまり、彼の視点では自分と葛山先輩を容疑者から除くことができたんだ」


 そうすると、残る容疑者は北条先輩と雨沢の二人。


「北条先輩は見張り役としてタブレットを管理していた。だから、その直後のタイミングでタブレットをいじれば、疑いの目を向けられるであろうことは分かりきっている。つまり、その分だけ容疑は薄まる」


 実際、檜垣先輩が流れを変えなければ、十中八九、タブレットを最後に管理していた北条先輩を疑う流れになっていたはずだ。


「一方、雨沢は何か理由があるわけでもないのに、わざわざ何の親交もない北条先輩を呼びに行った上、タブレットを自ら携えてきて檜垣先輩に渡した。この一連の動きは、タブレットを操作しつつ、容疑者を増やそうという試みにも見える。よって、その分だけ容疑は濃くなる」


 檜垣先輩は、そのことに誰よりも早く気付いていた。

 だから、あの時……。


『檜垣先輩、雨沢からタブレットを受け取った時――』

『――やめろ、透!』


 あの時、俺は「――管理ソフトを確認したか?」と檜垣先輩に訊ねようとしていた。

 そして、彼はそれを察知して遮ったのだ。


「異能が使えない以上、正面から雨沢を糾弾したところで殺されて終わりだ。だから、檜垣先輩は性急にも思えるほど素早く下山を選択した。首輪のために再び殺人が起こると分かっているのだから、少しでも自分と恋人の葛山先輩を雨沢から引き離そうとしたのだろう」


 葛山先輩の口から俺を疑っているようなことを言わせたのは、雨沢の警戒を避けるブラフだと思われる。


『付いてきたい奴は付いてきても良い。ただし――』

『透くんは駄目! それ以外なら良いよ!』


 たぶん、檜垣先輩は雨沢が下山を選択しないことが分かっていたのだ。それがなぜかまでは分からない。直感的にか、或いは俺の知らない別の根拠があったのか……ともあれ、結果から言えば檜垣先輩の目論見は外れ、雨沢は下山組を襲い檜垣先輩を殺害して首輪を奪った。


「俺も同様に考えて、この時から雨沢を第一容疑者に据えていた」


 檜垣先輩も雨沢を疑っていると知って更に疑惑を深め、壁の変色の発見とにょげんさまの襲撃で疑惑は確信に変わった。


「そして、極めつけが北条先輩の殺人だ」


 これが三つ目のミスとなる。


「どう考えても無用な殺しだった」


 今でも北条先輩殺しに及んだお前の『動機』が分からない。

 恐らく、南先輩殺しと同じく感情的な犯行だったのではないかと推測しているが……。


「だが、俺が指摘したいミスというのは殺人そのものじゃない。お前は殺した北条先輩の死体をよく検めなかったな? 柊先生のダイイングメッセージを見た後だというのに」


 俺は、彼女の生徒手帳を雨沢に見せつけた。


「この生徒手帳のおかげで、俺はお前が犯人だという決定的な証拠を手にすることができたぞ」

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