第34話
朝食を終えた俺たちはそれぞれ勝手に席を立った。
皆、どこか気が抜けていて、この非常時にも関わらずぼんやりとしていた。
(……俺は俺で捜査を続けよう)
改めて情報を整理し推理を見直した結果、やはり犯人は内部犯である可能性が高いという同じ結論に至った。
当初、犯人は南先輩と柊先生を殺した時点で犯行を終えるつもりだった。それは、タブレットと教職員証が柊先生の部屋にあったことから考えてもまず間違いない。だが、この推理を前提にすると、首輪目的の檜垣先輩殺しはともかく、北条先輩まで殺した理由がさっぱり分からない。
思索を巡らせながら、俺は一人倉庫へと向かった。
目的は、倉庫へ移送した北条先輩の死体を調べること。
倉庫に入ると、昨日よりも強まった腐敗臭が俺の鼻をついた。込み上げてくる吐き気を堪え、隅に置かれているブルーシートの包みへ向かう。一度心を落ち着けるために深呼吸をしてからその包みを剥がし、俺は再び北条先輩の死体と対面した。
「……貴方は、何を見たんですか?」
恐怖の表情で固まる寝間着姿の北条先輩は、まるで趣味の悪い彫刻のようだ。
その光を失った目は最期に何を見たのだろうか……。
感傷に浸るのはここまで。
俺は両手を合わせ、手早く死体検分を始めた。
ざっと見たところ、切り開かれた胸部以外に目立った外傷はない。中に覗く臓腑も実に綺麗なものだ。俺は医者ではないから正確な検死はできないが、胸部の傷からの出血が少ないところからすると、胸部が切り開かれたのは死後ではないかと思われる。
死因は……恐らく、異能による身体内部への攻撃だろう。
外傷がなく、臓腑への損傷も見られないとなると、残るは脳への攻撃しか考えられない。
ここで、南先輩の死体との相違点に気付く。
(この胸の傷の断面……『汚い』な)
南先輩の四肢の断面は、剣の達人がスパッと一刀両断したように実に綺麗なものだった。しかし、北条先輩の胸の傷はどうだろう、曲がったりくねったりしてまるで素人の針仕事だ。それは、寝巻きの断面も同様だった。
ということは、つまり異能による切断ではないのだろうか。
(なぜ、手作業で切断を?)
異能による切断の余波を恐れた……何のために? 騒音や周囲の破壊を嫌ったのなら、南先輩を解体した時のように、どこか離れたところにでも行ってやればいい。
そもそも、なぜ犯人は北条先輩の胸を切り開いた? それも、彼女の死後に。
(南先輩が『人影』の素体として使われた時を思い出せ)
きっと何か理由があるはずだ……。
「……ん?」
その時、俺は彼女の寝間着のズボンが膨らんでいることに気が付いた。中のものを引っ張り出してみると、護身用と言っていた鉛製のハサミと、見覚えのある表紙の手帳が出てきた。
「これは……生徒手帳? 何で寝間着からこんなものが……」
気になって中をめくってみると、後半のメモスペースに書き込みを見付けた。
『パパとママに会いたい』
見開き1ページを丸々使って書かれたそれは、彼女の悲痛な叫びそのものだった。
(何か手がかりでもと思ったが……)
空振りかと気落ちしながら、俺はメモスペース最後のページを開いた。
『セミ? エビ?』
『昆虫とか甲殻類とか だいたい脱皮した気がする』
『抜け殻、場所? でも地名じゃないっぽい?』
そこには、まとまりのない単語や文章が野放図に書き出されていた。恐らく昨日、俺がダイイングメッセージの暗号について意見を求めたから、それを受けて彼女も考えてみてくれたのだろう。
感謝すると同時、俺は途方もない寂しさに襲われた。
もう、俺は彼女にお礼を言うこともできないのだ。
(また明日会おうと約束したのにな……)
俺はまた、約束を果たすことができなかった。
寂寞感と孤独感に苛まれながらも、俺は北条先輩の残してくれたものを見逃さぬようページの隅々にまで目を走らせる。そして、右のページ下部に一際目を引くものがあるのを見付けた。
――『ヘビ』。
そこに書かれていたのはたったそれだけ。たったの一語、たったの二文字。
だが、その周囲はグルグルと何度も丸で囲まれていた。さも、それが重要な事柄であるかのように。
理解に要した時間は数秒――その後、俺の脳裏に電撃が走る。
「――そうか! そういうことだったのか、あれは!」
分かってしまえば簡単なことだった。
なぜ、こんなことに今まで気付けなかったのか。
『祟り神の抜け殻はどこへ行く?』
この中で真っ先に考えるべきだったのは、『場所』でも『抜け殻』でもなく――『祟り神』の部分だったのだ。
「ありがとうございます、北条先輩。おかげで暗号の答えが俺にも分かりました」
俺は北条先輩の死体にブルーシートをかけ直しながら、誠心誠意、万感の思いを込めて感謝の言葉を述べた。
(これで……犯人を特定できるかもしれない!)
その時、不意に背後から砂利を踏みしめる音がした。
反射的にバッと振り返ると、倉庫の入口に二宮が立っていた。
「……二宮か。どうした?」
「えーと、別に用事とかはないんだけど……透っちがいなかったから、ここかなって」
たぶん、二宮は一人でいるのが不安だったのだろう。
俺は、隠すように生徒手帳をポケットの奥へ押し込んだ。
「手を合わせに来たんだ。北条先輩に別れを言っておこうと思って。今からペンションに戻るところなんだが、二宮も手を合わせて――」
不意に人差し指が俺の口をそっと塞ぐ。
そして、二宮はウェーブがかった金色の髪を一振りして優しく微笑んだ。
「ねぇ、透っち。あたしに何か隠し事してるでしょ?」
「……うん、してる」
彼女の手には、昨晩返却したヘアピンのケースがあった。
「こんなコソコソしちゃって……さ」
三人寄れば文殊の知恵――その三人とは、俺と北条先輩と二宮のことだった。
返却時、俺は『ダイイングメッセージの暗号について考えてくれ』という旨のメモをヘアピンのケースに入れていた。わざわざ口で言わなかったのは、もっとも怪しい『彼女』にバレないように協力を要請するためだ。
二宮は、どこか寂しそうな顔をして足元の小石を蹴っ飛ばした。
「ねえ、見て? あたし、もうだいぶ体調良くなってきたんだよ」
昨日から段々と彼女の顔色が良くなってきつつあるのは俺も分かっていた。
しかし……。
(あぁ……二宮は無理をしている。俺には、それが分かってしまう)
普段なら『キャンプ中、ずっと体調不良でダウンだなんて災難だったな』と、笑い話にもできるのに。
どうしてだろう、こんなにも彼女が気負わなければならないのは。
それも分かっている。
全ては――卑劣な殺人犯のせいだ。
「だから、もう守ってくれようとしなくても良いんだよ。あたしに手伝えることがあったら、何でも言って! あたし、何でも協力するから!」
「……そっか。そうだよな」
健気にも気丈に振る舞う二宮の姿に心を打たれ、俺は覚悟を決めた。
一度は隠した生徒手帳を改めて取り出し、彼女の眼前に掲げる。
そして、今まで誰にも明かさずにいた推理を語り始めた。
「実は……前々から怪しいと思う奴が一人いたんだ。教職員証が盗まれたあの時に、俺と檜垣先輩はたぶん同じ奴を疑った」
「えっ! それって誰なの!?」
「しっ――静かに」
今度は俺が人差し指を立てる番だった。
二宮が口元を抑えて頷いたのを見て、俺は密やかに続ける。
「ここでは言えない。それに怪しいと思うだけで確たる証拠が何もなくてな……だが、北条先輩のおかげでダイイングメッセージの暗号を解くことができた。もしかしたら、これで犯人を確定させられるかもしれない」
「凄いじゃん! 流石、透っち!」
二宮が小声で俺を褒め称える。だが、それを無邪気に喜んでもいられない。
俺はまっすぐ彼女の目を見据えてこう言った。
「ただ……協力者が必要だ。犯人を追い詰めるために」
「協力者……?」
これから俺が話すことの重大さを察したのか、二宮はゴクリと生唾を呑み込んだ。
「俺は、お前の無実に命を賭ける。お前は、俺の推理に命を賭けられるか?」
正直に言えば、二宮がこの突然すぎる申し出を承諾してくれるか自信がなかった。けれども、そんな不安はすぐに霧散することになる。
二宮は、屈託のない笑みを浮かべて即答した。
「当たり前でしょ! だって、あたしたち――!」
そこまで聞けば、もう十分だった。
俺は二宮の言葉を最後まで聞くことなく、正面からぎゅっと抱きしめた。
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