第31話

 皆が部屋に戻るのを見届けた後、俺はこっそりと北条先輩の部屋のドアをノックした。すぐさま顔を出してくれた彼女に、「シー」と指を立てて声を潜めるよう伝える。


「すみません、北条先輩。別れたばかりなのにお呼び立てして……」

「別に構わないけれど……なにかしら?」

「聞きたいことがあるんです」


 俺は「気を悪くしないでくださいね」と前置きをしてから話を切り出した。


「実は、体育祭の時に南先輩とケンカをしたと聞きました。それは、本当ですか?」

 こんな時でなくとも答えづらい質問のはずだが、彼女は意外にもスラスラと答えてくれた。


「うん……したよ、ケンカ。だから、ずっと南ちゃんとはギクシャクしてた。……でも、このサマーキャンプ中に少し話して、仲直りしたの」


 BBQ前は仲が良さそうにしていたから、どこかで仲直りをしたのだろうとは思っていた。だが、まさかサマーキャンプ中にとは……たぶん、お互いに気にはしていたのだろう。


「ねえ、私が教えたんだから、私にも教えて。そのこと、誰から聞いたの?」

「……柊先生から、聞いたんだ」


 俺は嘘をついた。南先輩の部屋にマスターキーで侵入して勝手に日記を見たと言うよりも、そう説明した方が丸いと思ったからだ。


「そっかぁ……」


 北条先輩は長く長く、ため息を吐く。


「じゃあ、透くんが怒るのも当然だよね。先生は、私と南ちゃんの関係を気にかけてくれてたのに……」


 柊先生が、南先輩と北条先輩の仲を気にしていたのは恐らく事実だろう。

 理解が前後してしまったが、柊先生が二人を共にサマーキャンプの参加者として選んだ理由は、恐らく仲直りのきっかけを作るためだったに違いない。


「いえ、俺が怒った理由は、単に死者を貶めるような物言いが気に食わなかっただけですよ。この世に死んでいい人間なんているわけがないんですから。それは南先輩も、柊先生も、檜垣先輩も、俺も、北条先輩だって……皆、そうです」

「透くん……」


 なんだか説教臭くなってしまって、ちょっと照れくさい。

 とにかく、これで用件の一つは済んだ。

 もう一つ、この機会に例のことを頼んでおきたい。


「それと……話は変わりますが、ダイイングメッセージの暗号について何か気付いたことはありませんか?」

「ダイイングメッセージ? でも透くん、さっきは警察に任せるって……」

「そうなんですが……あれは俺に向けられたメッセージでしょう? それなのに、意味を読み取ってあげられなかったことが、ずっと気がかりで……」


 また、嘘をついた。罪悪感がどんどん積み上がってゆくが、しかしそんなものはこの状況では瑣末事。俺は音を立てて軋み上げる心に見て見ぬフリをした。


「そっか。でも、ごめんなさい。助けになりそうなことは、何も……」

「そうですか……何か分かったら教えてください。犯人を刺激しないように、こっそりと」


 彼女がコクリと頷いたのを見て、俺はすっと頭を下げる。


「それでは。答えにくいことに、正直に答えていただきありがとうございました」


 おやすみなさい、と言って俺は踵を返そうとした。

 だがそこで、彼女が俺の服の裾を摘んで引き止める。


「どうかしました? 北条先輩、なにか……」

「また……また明日、会おうね」


 その声は、かすかに震えていた。


(明日また会えるかどうかなんて、本当なら心配する必要もないことなのに……)


 食堂で、北条先輩は心の拠り所が欲しいと言っていた。その寝巻きのポケットから飛び出しているイワタバコの花束程度では、やはり彼女の心を支えきることはできなかったのだろう。

 俺はどうにか彼女を勇気づけようとした。


「……そうですね。また明日、必ず会いましょう」


 気の利いたセリフなど出てこなかった。だが、それでも彼女は安心したような顔をして正面から俺に寄りかかってきた。驚いたが、この状況で跳ね除けるわけにもいかない。さっきの二宮と同様、俺は彼女を優しく抱きしめた。

 その温もりを、その鼓動を、確かめるように。

 また、明日――。

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