第24話

 沢から戻った俺たちはペンションの裏手を捜査した。

 俺は「南先輩殺し」に関して、突発的な犯行ではないかと見ていた。南先輩が姿を消したのはBBQの真っ最中、ペンション内外の人の行き来も激しかった。計画的に人を殺そうと思ったなら、普通は皆が寝静まった夜を選ぶだろう。その方が目撃されるリスクが低いからだ。そうしなかった理由は突発的な犯行だったからとしか考えられない。

 だから、よく探せば昨日のどしゃぶりの雨でも洗い流されなかった犯行の痕跡が残っているのではないかと考えた。


(……ん?)


 捜査中、ふとペンションを見た俺は裏手側の壁の一部が変色していることに気が付いた。真っ白く塗られた壁の一部が、不自然なほど殊更に『白く』なっている。その変色は裏口横の室外機から始まり、ペンションの壁面を這う雨樋を登って――二階の窓の一つへと繋がっていた。


(あの部屋に泊まっていたのは、確か……『彼女』だ)


 ドクン――と飛び跳ねる心臓を気合で押さえ付ける。

 これだけで犯人だと決め付けるのは早計だ。何か別の要因で変色したのかもしれないし、真犯人が容疑を『彼女』へ向けるために行った偽装工作かもしれない。

 だが、このことはしっかりと頭の片隅に留め置くとしよう。

 俺は未だ落ち着かない動悸を感じながら、遠くで捜査をしている雨沢にこの動揺を悟られまいと足早に捜査を再開した。

 その直後だった。

 俺は、幸運にも推理の正しさを裏付けるような痕跡を発見する。


「これは……」


 見付けたのは、倉庫裏の茂みの中にあった枝の折れた低木だ。そして、それと同様の痕跡が低木の向こうにある急峻な斜面の遥か下方まで点々と続いていた。

 まるで、ここを誰かが転げ落ちていったかのように。


(かなり深い斜面だ……枝葉が茂ってよく見えないが、四十メートル以上はあるか?)


 足元の低木に視線を戻し、その葉の裏を覗き込んでみると、昨日の雨でも流しきれなかった血が僅かに残されていた。落ちた時に南先輩が流血していたとは考えにくいから、恐らく犯人か解体された南先輩(人影)が登った時に付着したものだろう。


「透ー、何か見つけたのかい?」


 別の場所を捜査していた雨沢が、遠くからそんな声をかけてくる。


「……ああ、ちょっと来てくれ」


 俺は心中で舌打ちしながら雨沢を呼び寄せた。そして、枝の折れた低木とその裏の斜面に続く同様の痕跡について示した。


「もしかしたら、南先輩はここから突き落とされたんじゃないか?」

「どれどれ……うん、確かに……そうかも」

「お前もそう思うか。じゃあ、下まで見に行ってみよう」


 低木をまたいで乗り越え、思いのほか急峻だった斜面を慎重に下りてゆく。

 すると、焦ったような声が頭上から追いかけてきた。


「ちょ、ちょっと待って! 待ってってば……痛っ、痛たた!」

「どうしたんだ? 雨沢」


 苦痛に顔を歪める雨沢は、なにやら頻りに足元を気にしていた。


「き、筋肉痛だよ……昨日、祠まで険しい山道を歩いただろう?」

「それだけでか? 運動不足だな」

「痛たた……そういうキミは元気そうだね」

「まあ、こう見えて毎朝ランニングをするのが日課だからな」


 だらしのない雨沢に肩を貸し、俺たちはゆっくりと斜面を滑り下りていった。

 大体、四十~五十メートルほどは下っただろうか。生い茂る枝葉を掻き分けて辿り着いた先は、沢の流れる渓谷の底だった。

 ここは昨日、俺たちが遊んでいた沢の上流に位置している。オーナーからは「流れが速くて危ないから近付くな」と言われていた場所だ。確かに、こんな岩だらけで足元の悪いところなら、あまり遊びで近付くべきではない。


(しかも、昨日の雨でやや増水しているから余計に危ないな……)


 その時――俺は息を呑んだ。

 足元を覆う岩群の隙間に何か……がある。

 よく検めるまでもなく、俺にはその正体が分かっていた。


(……電子首輪!)


 俺は素早く首輪を拾い上げた。

 これは恐らく南先輩の首輪だ。でなければ、俺たちと同型の首輪がこんなところに都合よく落ちているわけがない。犯人が始末し損ねたのだろうか?

 俺は、雨沢に首輪を見られぬようさっと懐に仕舞い込む。

 よく見ると、地面の苔や岩にはところどころ直線的な破壊痕がある。

 これは、犯人が異能を用いて南先輩を解体した痕跡と見て間違いないだろう。

 やはり俺の推理は間違っていなかった。

 南先輩は、倉庫で解体されたわけではない。


 ――ここで殺され、ここで解体されたのだ。


 誰の目も届かぬ、この渓谷で。

 その四肢と臓物を犯人の異能に切り刻まれたのだ。

 そう思うと、ハラワタが煮えくり返るような思いがした。


(……必ず、仇は討ちますからね)


 必要以上の長居は無用だ。

 首輪や直線的な破壊痕に俺が気付いたことを、雨沢に悟られたくない。


「雨沢、上へ戻ろう」

「え、もうかい? 今、来たばかりじゃないか」

「昼前には祠の方へ行っておきたいんだ。それに、二宮をいつまでもペンションで一人きりにしておくってのも気が引けるしな」

「そうかい。じゃあ、上へ戻ろう……っと、ちょっと待った」


 雨沢はいきなり大きな岩のもとへ向かったかと思うと、その岩から生えている小さな紫色の花をいくつか摘んだ。彼女がその花を摘んだのはこれで今日二度目だ。


「それ、さっき手を洗いに行った時も摘んでたよな。花瓶にさして部屋にでも飾るのか?」


 そう聞くと、雨沢は気まずそうに言った。


「違うよ。これは……『お守り』なんだ」

「お守り?」

「……さっき、ボクが何かを読んでいたのを覚えているかい?」


 檜垣先輩たちが下山の準備をする間、雨沢はどこからか持ち出してきた紙束を食堂で熱心に眺めていた。何を読んでいるのか少し気になったが、その時は檜垣先輩の言葉の方が気がかりで結局聞かずじまいになっていた。


「あれは柊先生の部屋から持ってきた『にょげんさまの資料』を読んでいたんだ」

「そこに、その花のことが書かれていたのか?」

「うん。少し長くなるけど説明を聞くかい?」


 俺が頷くと、雨沢は恐らく資料に書かれていたものだろう文章を暗唱し始めた。


「『にょげん』とは『菜逃なにぐ』が『にょぐ』『にょげ』『にょげん』と転訛した説を支持する。傍証として、一般的には『菜・菜の花』といえばアブラナのことを指すが、この地域ではイワタバコを指すことや、祭事や神社などにイワタバコの花を模した意匠が数多く残されていることが挙げられる――」


 そういえば、柊先生はにょげんさまの名の謎を解き明かすのも目的の一つだと言っていた。確かに、今の説はまあまあ信憑性があるように思える。


「また、村に伝わる伝承ではにょげんさまは水を嫌うとのこと。霞を身体とする割には意外な弱点だ。なんでも『混ざってしまう』のだとか。イワタバコも水辺の岩などに生える植物であり、関連性が窺える……と、いうわけでさ。これが、そのイワタバコの花なんだ」


 ここまで聞けば俺も色々と察しが付く。


「なるほど。だから、にょげんさまの弱点であるイワタバコを摘んでたんだな」

「笑ってくれ。ボクは堪えようもない不安を紛らわせるのに必死なのさ」


 雨沢は手元の紫色の花――イワタバコの花をきゅっと胸元で抱きしめた。


「笑わない。不安なのは俺だって同じだ」


 くだらないと思いつつも、心の片隅では常ににょげんさまの存在を恐れている。

 それこそ、取るに足らない物音に対して敏感に反応してしまうぐらいには。


「なんだか、それを聞けて安心したよ。これ、良かったら受け取ってくれないかい?」


 雨沢は、イワタバコの茎で結んだ紫色の花束を俺に差し出した。にょげんさまなんて信じちゃいないが、これを突き返すほど俺は酷薄な人間ではない。俺は礼を行って有り難く花束を受け取った。

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