第23話

 南先輩の部屋を後にした俺は、玄関前で待たせていた雨沢と合流した。

 俺に気付いた雨沢は、植え込みのブロックから腰を上げ、待ちくたびれて固まった体をうんと伸ばした。昨夜は随分と参っているように見えたが、今はいくらか平気そうだ。

 少なくとも、表面上は。


「遅かったね」


 皮肉げな笑みを浮かべる雨沢に、俺は「悪い」と軽く謝った。


「待たせたか?」

「ふふ、そんなにだよ。でも、何してたんだい?」

「オーナーと少し話をしていたんだ」


 俺はオーナーから借りた懐中電灯を軽く掲げた。


「あと、タブレットは二宮に預けてきたぞ」

「ふーん、二宮さんの異能は〔生成系クリエート〕だからね。彼女が犯人である可能性は比較的低い。別に異論はないよ」


 内心、時間がかかり過ぎたことを疑われてやしないか心配だったが、幸い雨沢は特に気にした素振りは見せなかった。

 あまり深く考えさせないように、俺は間髪を入れず別の話題を切り出した。


「ただ漫然と過ごすのも性に合わないし、俺はこれから素人なりに現場や死体を捜査してみようと思ってる。結局、柊先生の死体検分もまだできてないしな。お前はどうする?」

「ボクも同じことを思ってたよ。ぜひ、捜査にご一緒させてほしいね。キミが証拠を隠滅しないか、見張らないといけないし」


 そう言って、雨沢は意地悪く口角をつり上げた。


「それ……もしかして昨日、俺がお前を疑ったことに対する仕返しのつもりか?」

「ふふっ、バレたかい?」

「分かりやすいんだよ」


 俺たちはケラケラと笑い合い、先程から体に纏わりつくようだった気まずさに蓋をした。

 昨日――彼女の前でその言葉を口にすると、否応なくあの夜の体温を思い出してしまう。


(忘れろ……)


 今は捜査の方に集中だ。


「雨沢、その格好のままで大丈夫か?」


 俺はもともと捜査をするつもりだったので、下山組の三人を見送った時から動きやすいジャージに着替えていた。だが、雨沢は普通に私服姿だ。無地のTシャツの上に薄手のアウターを羽織り、下はホットパンツを履いて大胆に生脚を晒している。動きやすくはありそうだが、山歩きには適さない格好だ。


「別に問題ないさ。キミがエスコートしてくれるならね」


 行き先は全て俺に任せるとのことだったので、俺はまず一番近くにある柊先生の死体を調べることにした。知り合いの死体など本当ならそう何度も見たいものではないが、泣き言は言っていられない状況だ。俺たちはペンション前の広場を通り、再び柊先生の死体 と相対した。

 すると、雨沢が遠慮がちに声を出す。


「それで……さっき言ってた『話したいこと』って何だい? まさか、捜査のことがそれ……?」


 言われてから、そういえば雨沢に聞きたいことがあったのだったと思い出す。檜垣先輩から渡されたものや南先輩の日記のことがあって、すっかり忘れていた。


「話といっても、そう大したことじゃない。ただ、雨沢はどうしてペンションに残ったのかと思ってな」


 二宮は体調面が理由であり、俺は彼女を一人で置いて行く気がなかったからだ。

 一方、あれほど悩んでいた雨沢がペンションに残ることにした決め手は何なのか。


「……言わせる気?」

「慰めてほしいのなら、檜垣先輩の方に行くべきだったな」


 会話をしながら、俺は舐めるように柊先生の死体を観察する。だが、素人の俺では気分が悪くなるだけで何ら有用な情報を得られない。一通り上から下まで見たところで、これ以上見ていても時間の無駄になるだけだろうと理解した。


「……ないでよ」


 不意に、蚊の鳴くような声がした。よく聞き取れなかった俺が「えっ」と振り向くと、彼女は俯き加減に自分の腕を抱き、今度は少しだけ声を張って繰り返した。


「からかわ……ないでよ……。下山するのも、留まるのも、どっちが正しいかなんて分からないから……せめて、キミと一緒にいたかったんだ……不安、だったから……」


 柄にもなく弱々しい声音に戸惑い、俺は咄嗟に言葉が出てこなかった。


「わ、悪かった」


 そう絞り出すのが精一杯だった。

 さっき蓋をしたはずの気まずさが、俺たちの間に再び溢れ出していた。まるで、針のむしろに放り込まれたかのようだ。

 俺は、雰囲気を変えようと無理矢理に言葉を絞り出した。


「――つ、次、南先輩の死体も見に行ってみるか!」

「……そうだね」

「よし、行こう!」


 払拭しきれずに残った僅かな気まずさから逃れるように、俺は足早にペンションの裏手へと向かった。少し遅れて、雨沢も俺に追随する。

 倉庫までの短い道中、俺たちは互いに一度も口を開くことはなかった。

 沈黙が気になって仕方なかったが、そんな繊細な感性はいざ倉庫を目の前にすると瞬く間に霧散した。倉庫の纏う『妖気』とも言うべき未知の迫力がそうさせた。

 ただ死体を一夜保管していただけとは思えない迫力……或いは、これは俺の弱った心がそう見せているだけなのか。

 俺はゴクリと生唾を飲み下しつつ、倉庫のスライドドアの前に立った。


(昨日、倉庫の鍵は開いていた……)


 オーナーは「鍵は確かに閉めたはずだ」と譲らなかった。そこまで強硬に主張するからには、犯人が倉庫の鍵を開けたのかもしれない。それに倉庫から戻る際、オーナーは「鍵が穴にささらなくなっている」とも言っていた。

 改めて日のもとで倉庫の鍵を見てみると、鍵穴の内部パーツが激しく歪んでいるのが分かった。これでは鍵は刺さらない。恐らく、犯人が異能で強引にこじ開けたのだろう。

 横開きのスライドドアを開くと、途端に鼻をつくような血の匂いが俺たちを包む。

 その中には、昨日感じなかった腐敗臭が仄かに混じっていた。

 背後の雨沢が「うっ……!」と呻いて口元を押さえる。


「雨沢、気分が悪くなったんなら外で待ってても良いんだぞ」

「……大丈夫だよ」

「そうか」


 昨日は知り合いが死んだという精神的なショックもあって、まともに死体を検分できなかった。

 だが、今日は逃げない。決して目を逸らさない。

 南先輩が死んだという現実に正面から向き合う覚悟を決めてきた。

 一度手を合わせてから、俺は改めて二つの南先輩を観察した。

 まず、倉庫の中央に山積みになっているミンチの方から。

 懐中電灯で照らすと、まだ乾き切っていない血がテラテラと光を反射する。


「……昨日は暗くてよく見えなかったが、全体がミンチにされているのかと思ったら、そうじゃないな」


 ぐちゃぐちゃの臓物が上にぶち撒けられているだけで、その下には身体の部品が殆どそのままの形で埋もれているようだった。

 俺は懐中電灯を雨沢に渡し、ジャージの袖をまくりあげてぐちゃぐちゃの臓物をどけた。


「うっ……キミ、そこまでする?」

「するよ」


 手が血で汚れようと後で洗えば済む話だ。

 死体を触ったところで、死が感染るわけでもない。

 臓物をどかすと、その下から腹を捌かれた胴体と切り落とされた四肢がその姿を現した。おおむね原型を留めていたそれら部品には、ところどころ切り傷や打撲、骨折の痕跡があった。これは、柊先生の身体に付いていた傷と似ている。

 ただ、胴体の損傷は風変わりだった。

 肩甲骨とアバラが背骨を軸にして背後へ向かってへし折られている。さながら、人体を裏返そうとでもしたかのように。まるで、使った後のディスペンパックだ。


「胴体も四肢も想像以上に損壊具合は軽かったが、やはり覚醒者でないと犯行は難しいか」


 俺は、切断された四肢の断面を見てそう思った。その断面は、日本刀のような切れ味鋭い刃物の一振りで断たれたかのように、実に綺麗なものだった。つまり、ノコギリなんかで地道にギコギコやったわけではなさそうだ。

 剣の達人がやったのでなければ、覚醒者による仕業と考えるほかない。


(しいちゃんなら、水圧カッターの要領でこんな風にスパッと切断できたかもな)


 昔、しいちゃんに覚醒した異能を見せてもらったことがある。しいちゃんは雨沢と同じく水を操る異能を持っており、学校のプールの水をそっくり持ち上げてみせた。その出力を一点に集約させれば人体を切断するぐらいのことはわけないだろう。

 しかし、そう考えると倉庫内に損傷が一切見られないのは不自然だ。それだけの大きな出力を扱うわけだから、少しでも加減を間違えれば倉庫の壁や床なんかには容易く大穴が空くはず。けれども、見たところ倉庫内は血まみれなこと以外は至って綺麗なもので、物が動かされたような形跡すらない。


「ボクも……犯人は覚醒者だと思うよ。その点は間違いない」


 そう言い切る雨沢からは言いしれぬ確信が滲んでいた。


「なにせ、犯人は一度目撃されて倉庫に入ってから、ボクと二宮さんが再び外を見るまでの数分間で、これだけ南さんをバラバラにして姿を消したんだから」

「うん? それ以外に解体するタイミングはなかったか?」


 ――いや、あったはずだ。

 南先輩が失踪した時間と、死体が発見された時間には開きがある。


(解体場所が倉庫じゃないとすれば……)


 どこか別の場所で解体を行い、倉庫へ運んだとすれば時間的な問題はクリアできる。倉庫の内装に乱れがない理由もそれで片付く。

 雨沢も、俺と同じ考えに至ったようだった。


「……もしかしたら、二宮さんが人影を目撃する前の時点で、南さんはバラバラにされていたのかもしれない。けど、それならどうして人影は外にいて、目撃されてから倉庫へ入っていったんだい? まさか、見つかってから隠れようとしたわけじゃあるまいし……。普通、その場から逃げ出すとか、目撃者である二宮さんを消すとかするものじゃない?」

「そうだな。仮に南先輩をバラす途中だったとしても、そのタイミングで外に出る理由が見つからない。二宮によると、ちょっと一息いれようと外に出たってわけでもなく、それなりの間、どしゃぶりの雨の中を闊歩していたみたいだからな」

「つまり……目撃後に南さんが解体されたわけじゃないというなら、キミはその不可解な人影の動きをどう考えているんだい? ……二宮さんの嘘、とか?」


 人影を目撃しているのは二宮だけだ。だから、その情報の信憑性は低いと言わざるを得ないだろう。だが、なぜそんな嘘を吐く? 他意のない偶然の見間違いと片付けるにしては、あまりにも事件との距離が近すぎる。

 俺は、少し考えるフリをしてから答えた。


「……分からない。今のところは。だから、調べに来たんだ」


 ――嘘をついた。

 本当は分かっている。


 人影の正体は――南先輩だ。


 よく見ると、臓物と肉と血の海の中に多量の毛髪が混じっている。

 艶やかな金髪――これは南先輩のものと見て間違いないだろう。

 ずっと疑問だった。

 なぜ、犯人は南先輩の遺体をぐちゃぐちゃに損壊したのか。

 なぜ、顔だけは別に置いたのか。

 なぜ、髪の毛を毟り取るような真似をしたのか。

 答えは――南先輩を『人影』の素体とするためだ。


『傘も差さず、雨中を闊歩するその人影は、長髪を風に靡かせて……およそ人間とは思えない形と動きをしていた』

『人影には顔がなかった』


 内部犯の線が濃くなってきた今なら分かる。

 犯人は、外部犯の存在を匂わせるために、怪しい人影を誰かに目撃させたかったのだ。

 そのために――南先輩の死体を用いて『人影』を作ったのだろう。

 だが、今このタイミングで雨沢にその推理を明かすつもりはなかった。


(やはり、俺はとんでもなく臆病な人間なのだろう)


 狂気の中にも不器用な優しさを覗かせるオーナーも、かけ値なしに良い奴だと思ってる檜垣先輩も、虫も殺せなさそうなぐらいにひ弱な印象の葛山先輩も、精神的な危うさを見せ始めた北条先輩も、ずっと部屋でダウンしていただけの二宮も、そして友人である雨沢すらも犯人ではないかと疑っているのだから。


「ボクとしては、やっぱり外部犯だと思うね。皆、電話線だったり、ピッキングの痕跡だったり、タブレット周りのゴタゴタなんかをさも内部犯の証拠のように言ってるけど、単に犯人がボクらを混乱させて楽しんでいるゲスな奴ってだけかもしれないじゃないか」

「まあ、確かにその可能性も否定はできないな」

「それとも……何かい? まさか、キミ、アレは『にょげんさま』だとでも言うんじゃないだろうね?」

「そんなわけないだろ」


 俺は、手に付いた血を軽くハンカチで拭ってから、床の血痕や足跡を調べた。だが、昨日俺たちが踏み入った時の混乱で血痕も足跡も踏み荒らされており、科学的な捜査もできない現状では、犯人の特定に繋がるような手がかりは何も見い出せなかった。

 台の上の頭部も調べたが、激しく損壊されていることを再確認しただけだった。

 あらかた倉庫内を調べ終えたところで、俺は捜査を切り上げる。


「出よう。早いところ手を洗いたい」


 俺たちは、手に付いた血を洗い流すために一旦沢へ向かった。

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