第22話
思いついてからは早かった。
南先輩の部屋に入るなら今がまたとないチャンスだからだ。
下山した檜垣先輩と俺の他に、このマスターキーの所在を把握しているものはいない。つまり、ここで俺が確たる証拠を掴んだとして、そのことを誰にも悟られることはないのだ。
内部犯の疑いが強まっている今、この機会は見過ごせない。
俺は南先輩の部屋に向かい、傷一つない綺麗な鍵穴に躊躇うことなくマスターキーを差し込んだ。物音を立てぬよう慎重に鍵を回し、素早くドアを開けて部屋に入る。
昨日入った時は焦っていたのでロクに観察もできていなかったが、改めて見ると部屋には生前の南先輩の行動を示す痕跡がいくつか残っていた。
例えば、タオルハンガーにかかった水着。あれは、南先輩が俺と別れた後に一度は部屋へ戻っていることを示している。着替えを行い、脱いだ水着を乾かそうとタオルハンガーにかけたのだろう。
次に、テーブルにあるノートと円筒状の小さな筆箱。ノートの表紙には『㊙』『日記帳♡』と可愛らしい丸文字で書かれている。これらがセットでテーブルの上にあるという事実は、南先輩がサマーキャンプ中にも日記を書いていたことを示している。彼女は筆まめなタチだったらしい。
(もしかしたら、ここに何か手がかりが残されているかもしれない)
南先輩には悪いと思いつつも、俺はその日記帳を手に取った。
『4月6日(晴れ)
今日から私も三年生! 新しいクラスでやっていけるか不安だったけど、去年からの友だちは何人もいたし、新しい友だちもできそうでよかった!』
南先輩の日記は今年の4月、始業式の日付から始まっていた。
内容は、学業と大学受験への不安が大半だった。南先輩はスポーツ推薦で聖灘高校に入ったと言っていたから、普通に受験入学した周囲との学力差を気にしていたのだろう。
(だからか……)
沢で遊んだ時、南先輩があんな可哀想なぐらいに取り乱したのは。
『ともあれ、理系も文系も壊滅的な無系の南先輩が言えたことじゃあないですよ』
『え……なんで、そんなこと知って……!』
日記に何度も書くぐらい学力のことを気にしていたのなら、軽々しくからかいのネタにすべきじゃなかったかもしれない。チクリと心が痛むのを感じながら、パラパラとページをめくって内容を斜め読みしてゆく。
そして、南先輩と初めて出会った体育祭の日付を見つけた。
『5月12日(くもり)
遂に体育祭。私は午前の部のトリとも言えるクラス対抗リレーにアンカーで出た。だけど、私がバトンを落としちゃってクラスは最下位。陸上部のエースとして期待されてたのに失敗しちゃった。それで、ムカついて前走者の薫に当たって喧嘩になった』
恐らく、南先輩は「勉強で活躍できないならスポーツで」と、気負っていた部分もあったのだろう。それが失敗して立つ瀬がなくなり、追い詰められて攻撃的になってしまったのだ。
しかし、日記に出てきた「薫」とは、北条先輩――北条薫――のことだろうか?
確かめるには当人たちに聞くしかないが……片や死人、片や下山済みだ。
そもそも、この状況では本当のことを言ってくれるかどうか怪しいが……。
『でも、その後、クラスの皆から薫だけを責めるのはお門違いと言われ、私はその場から逃げ出した』
この記述を見て、俺はなるほどと得心がいった。俺と出会った時、南先輩は「迷った」と言っていたが、三年も過ごした学校で迷うものだろうかと疑問に思っていた。本当は、こういった内幕があったのか。
体育祭の時、俺は実行委員として器具の片付けを手伝っていた。その帰り、近道である校舎裏を通ったところ、そこに南先輩がポツンと一人寂しく座り込んでいたのだ。かすかに聞こえる啜り泣きの声と、その後ろ姿の頼りなさから、俺は迷子の子供だと勘違いした。
『こんにちは。迷子かな? 親と逸れちゃった?』
『……そのジャージの色、一年でしょ』
『え?』
『私、三年なんだけど! 年上なんだけど!』
それから、俺たちは口喧嘩をした記憶がある。今ではすっかり慣れっことなってしまった「陰キャが~~」という言葉にムッとして、この時の俺はいくらか言い返したはずだ。
きっと、そのことが書かれているのだろうと思いながら、俺は次のページをめくる。
だが――俺の目に飛び込んできたのは予期せぬ文字列だった。
『そこで私は運命の出会いをした! 一目惚れだった!
彼、空理透と対面した、その時――私は運命の存在を信じた!』
それから暫く、俺に纏わる全てが過剰に美化した形で綴られていた。
容姿、声、性格、そして――父性。
もしかしたら、南先輩は蒸発してしまったという父親と俺を重ね合わせていたのかもしれない。
『透は私を抱きしめて、私の耳元で大丈夫だよって美声で囁いてくれた』
これは妄想だ。俺はそんなことしていない。
その後も続く見るに堪えない妄想の数々。俺は読み進めることに苦痛を感じ、ほどほどのところで切り上げて一気にページをめくった。
だが、ここで俺は再び驚かされることになる。
『透は金髪が好きらしい。ファミレスで友達にそう話してた。なら、私も染めて――』
『透はホラーが苦手なんだって! ちょっとカワイイかもって――』
『透が本屋に寄って、漫画と参考書を何冊か――』
今度は、全て本当だ。
全ての描写に心当たりがある。
俺は、どこからかずっと見られていたのだろうか。もはや、彼女が俺へ向ける好意には疑う余地もないが、些かストーカー気質が過ぎるのではないかと率直に思った。
そして、夏休み前の日付にはこんなことが書かれていた。
『透がサマーキャンプに申し込んだみたい。私も応募してみたけど抽選に通るかなあ……』
どうやら、南先輩がサマーキャンプに参加した理由にも俺が関係していたらしい。彼女の死の遠因が俺に繋がっているのかと思うと、少し憂鬱な気分になった。
(サマーキャンプの日付はこの先だ。そこに何か手がかりを書き残していないだろうか……)
俺は更にページをめくり、ピシリと彫像のように固まった。
「ない……」
そこから先の数ページほどが、鋭利な刃物によってそっくり切り取られていた。
(……既に、犯人が処分した後だったか)
数ページ丸ごと持って行っているのは、筆圧から内容を悟られないようにするためだろう。試しに筆箱から取り出した鉛筆で残っているページを擦ってみたが、何の文字も浮かび上がってこなかった。
しかし、これはある意味で犯人の手落ちかもしれない。証拠を隠滅したいのであれば、日記ごと始末すべきだった。一部が何者かによって切り取られているという事実は、つまりそこには見られたら困るような記述があったということに他ならないのだから。
恐らく、そこに書かれていた内容は『誰かに呼び出された』という旨に違いない。
(これで……更に内部犯の疑いが強まったな)
それに、南先輩の部屋の鍵穴にはピッキングの痕跡などは一切なかった。
(南先輩は恐らく、殺された時も自分の部屋の鍵を持っていたはず……)
つまり、証拠の隠滅は南先輩の殺害後、彼女の所持していた部屋の鍵を使って行われた可能性が高いということだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます