第20話

「……時間だな」


 ジャージ姿の檜垣先輩がGショックの腕時計を見ながら言う。その隣には同じくジャージ姿の女子二人――頻りに俺の方を気にする葛山先輩と、気まずそうに地面へ視線を落とした北条先輩がいた。下山を選択したのは、この三人だった。


(たぶん、北条先輩は俺といるのが気まずかったんだろうな……)


 俺と二宮、そして雨沢の三人はペンションに残ることを選択し、下山組の見送りをするためにペンション前の広場までやってきていた。


「……檜垣先輩、くれぐれも気を付けてくださいね」

「ああ、十分に気を付ける。だが、暫く行ったら電波も入るだろうし、そうすればここの状況も伝えて救助も呼べる。そう心配するこたねえよ」

「それと――」

「もう、言うな」


 檜垣先輩は、別れを惜しむように正面から俺に軽くハグをした。

 それと同時――こっそりと俺のジャージのポケットに何かを入れる。


「これは……?」


 檜垣先輩は「後で見ろ」と小声で囁き、パッと体を離した。渡してきた本人がそう言うからには、今は確かめない方が良いのだろう。しかし、急にそんなことをしてきた意図が掴めず、探るようにじっと彼の顔を見詰めると、彼はふっと含みのある笑みを浮かべた。


「そういやぁ、今朝のアレ……見てたぜえ?」


 何のことかすぐにはピンと来なかったが、「二人で何をやってたんだ?」とからかうように言われて、ようやく雨沢のことを言っているのだと理解した。たぶん、雨沢が俺の部屋から出てくるところでも見たのだろう。


「クク……安心しな。あの混乱だ、オレしか見てねえよ」


 どうやら、完全に俺と雨沢の関係を勘違いされてしまっているようだ。しかし、こんな時ということもあり、グダグダと言い訳するのはやめておいた。誤解を解くのは、生き残ってからいくらでもできる。


「一つ聞いときてえ」

「なんですか?」

「オメェは……愛を誓いあった恋人を、犯人と疑えるか?」


 愚問であるとばかりに俺は即答した。


「はい」

「なら――よし!」


 彼は頬を緩ませ、俺の肩をバシバシと叩いた。

 そして、まるで雑談をするような軽い調子で続けた。


「オメェは、たぶんセンセイの暗号を解ける唯一の人間だ。が、それを言うべきじゃなかったな」

「……犯人に狙われるから、ですか?」

「ま、あの時は外部犯の可能性の方が高かったし、仕方ねえっちゃ仕方ねえが」


 確かに、言われてみれば表明すべきではなかったかもしれない。自分の命の安全だけを考えるなら、紛うことなきミスだ。

 心の奥底にゾワリと新たな恐怖が生じる。


「だが、怖がるこたねえよ。犯人はオメェを殺さない」


 彼は、俺を安心させるように力強くそう言い切った。

 どうしてそんなことが分かるのか、なんて野暮なことは聞けなかった。


「だから……よ。絶対に事件の真相に辿り着いてくれ」


 燃え盛る炎のように激しく揺らぐ彼の瞳が、俺との対話を拒んでいるようにも思えて、俺はただ頷くことしかできなかった。


(言われなくとも……辿り着いてみせる)


 芽生えたばかりの恐怖を塗りつぶすように俺は心中で息巻いた。

 彼はクルリと踵を返し、他二人の下山組のもとへ向かう。


「それじゃあ、出発だ。電波が入るようになったら、すぐに助けを呼んでやるからな!」


 俺たちペンション居残り組の三人は、軽く手を振って下山組の三人を見送った。

 檜垣先輩を先頭にして歩いてゆく彼らの姿は、すぐに木々の向こうへ隠れて見えなくなった。

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