第19話

「――皆、聞いてくれ」


 皆が朝食を終えた頃、檜垣先輩が呼びかける。彼は後頭部に手を当て、ツーブロックの刈り上げ部分をガリガリと掻き毟る。


「オレと瞳は『下山』することにした」


 思いがけぬ言葉に俺は「えっ」と驚きの声を上げた。


「下山って……そんな、危険ですよ! 異能も使えないのに……」

「透、オメェの言いてえことはよーく分かる。だが、瞳がもう限界だって聞かねえんだ」


 葛山先輩の方を見ると、彼女は檜垣先輩の背中に隠れて射殺さんばかりに俺を睨んでいた。まだ、俺を疑っているのか。


「実は準備自体は昨日からしてた。食料をオーナーに頼んで分けてもらったりしてな。それは瞳の心を慰めるためで、本気で下山をするつもりはなかったが……事情が変わった。一番の懸念点だった雨も止んでいることだし、一時間後には出発しようと思ってる。付いて来たい奴は付いて来ても良い。ただし――」

「透くんは駄目! それ以外なら良いよ!」


 どうやら、葛山先輩は完全に俺が犯人だと決め打ちしているらしい。だが、それは杞憂だ。今のところ俺にこのペンションを離れる気はない。


「安心してください、俺は行きませんよ。ここには二宮がいますから」

「透っち……」

「本調子じゃない二宮には、長い山道を行くことはできないでしょう。彼女を一人で置いてゆくことはできません。例え誘われていたとしても、断っていましたよ」


 俺の答えを聞いた檜垣先輩は、次に雨沢へ視線を向けた。


「ボクは……少し、考えさせてほしい……」


 激しく拒絶されている俺や体調不良の二宮と違って、選択肢のある雨沢は簡単には決めかねているようだった。檜垣先輩は「一時間後の出発までには決めてくれ」と雨沢に言って、俺を小さく手招きした。


「透、連れションしようぜ」


 突然の申し出である。当惑の後、何か葛山先輩にも聞かれたくない話があるのだと察して、俺は彼と共に廊下へ出た。そして案の定、彼は便所へは向かわず折り返し階段を登り始めた。後を追って踊り場まで来ると、彼は手すりにもたれかかってこちらを振り向いた。


「瞳が度々すまねえな。悪く思わないでくれよ。こんな状況でもなきゃ、そう悪いヤツでもねえ」

「それはどうでも良いですが……檜垣先輩、下山は犯人を刺激する結果にはなりませんか?」

「どうかな、オレはペンションにいても同じだと思ったんだ」


 檜垣先輩は俺の耳元に顔を寄せ、俺にしか聞こえない程度の小声で囁いた。


「犯人、まだ殺る気だぜ」

「っ……なぜ、そんなことが……?」

「疑問には思わなかったか? どうして、犯人はタブレットと教職員証を柊センセーの部屋に置いといたのか。今になって教職員証を盗むぐらいなら、戻さずどこかに隠し持っておけば良かったじゃねえか。後でまた盗んで確保することまで最初から計画のうちだったなら、犯人はとんでもなく綱渡りなスリルジャンキーだぜ」


 言外に「ありえない」と言う檜垣先輩。

 確かに、彼の言う通りだ。これが内部犯による犯行だった場合、犯人は一度ピッキングで柊先生の部屋に侵入し、タブレットと教職員証を使っているはずである。だのに、わざわざ戻しておいたそれを、リスクを冒して再び盗んで確保するなんてとんでもない二度手間だ。行動に一貫性がなさ過ぎる。

 檜垣先輩は、俺の理解を待ってから続けた。


「たぶん、犯人は昨日二人を殺した時点で犯行を終える予定だったんだ。だから、用済みになったタブレットと教職員証をもとの場所――柊センセーの部屋へ戻した。これが外部犯による犯行だった場合、そうあるのが自然だからな」

「……そういう意味だったんですね」


 檜垣先輩が、二宮の部屋で口走っていた『事件は終わるはずだった』という言葉の意味は。

 彼は「ああ」と頷く。


「――だが、現実には教職員証が盗まれ、オレたちの異能はロックされている。この意味が分かるか?」


 俺が首を横に振ると、彼は確信に満ちた口調でこう答えた。


「つまり――次に行われる殺人は『予定外の殺人』ってことだ」


 予定外の殺人? それはどういう意味なのか。一体、何に気付いたのか。

 あれこれ問い詰める前に、檜垣先輩は食堂の葛山先輩に呼ばれてさっさと食堂の方に戻っていってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

メスガキ、渓谷に死す。 塩麹 絢乃 @raimugipoi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ