第17話

 腹が減ってはなんとやら。柊先生の死体をじっくり検分する前に、食堂で朝食を取ろうという話になった。これはオーナーが提案し、葛山先輩と檜垣先輩の離脱で気勢を削がれていた俺たちがその提案に乗っかった形だ。

 ペンションに戻ると、雨沢が気を回して「北条先輩を呼んでくる」と二階へ上がっていった。残された俺と二宮、そしてオーナーは食堂へ入る。

 俺は、二宮と並んで同じテーブルの席に着いた。


「二宮、調子は大丈夫なのか?」

「う、うん……。まだ頭とか重いけど、これは体調が悪いからっていうか……」

「ああ……ごめん。無神経だったか?」

「いや、そんな、気ぃ遣わなくて良いから……」


 二宮が本調子に戻るまでは、まだまだ時間が必要そうだ。無理もない。もともと体調が優れなかったところへ、こんな殺人事件に巻き込まれてしまったのだから。

 暫くして雨沢が北条先輩を連れて階段を下りてくると、それに続いて二階にいたらしい檜垣先輩と葛山先輩も下りてきた。

 四人は亀のように遅い歩みで俺と二宮の待つ食堂へのそのそと入ってくる。

 その時、雨沢は食堂の入口で檜垣先輩へ話しかけ、タブレットを受け渡した。そして、二人はいくつか言葉を交わした後、雨沢だけが一人で俺と二宮のもとへやってきた。


「二宮さん、教職員証は今持ってるかい? タブレットは今、北条さんの部屋から持ってきたのだけど……」


 タブレットと教職員証は、それぞれ見張り役が別々に管理することになっていた。今の話からすると、最後の見張り役の時は北条先輩がタブレットを管理し、二宮が教職員証を管理していたらしい。

 二宮は、慌てて立ち上がった。


「あ、ごめんっ! あたし、バタバタして部屋に置きっぱなしにしちゃってた……!」

「謝ることないぞ、二宮。俺たちも柊先生の死体が出てきたって衝撃で、教職員証のことなんか殆ど忘れてたわけだから。二宮だけを責めたりはしないって。手元に置いておいた方が良いだろうから、持ってきてもらえるか?」

「うん!」


 二宮は急ぎ足で食堂を出て、タタタッと軽やかに階段を駆け上がっていった。まだ快復しきっていないのだから、そう無理をしなくとも良いというのに。


「ねえ、キミさあ」


 雨沢が、さっきまで二宮の座っていた俺の隣に座る。


「ずっと思っていたのだけれど……なんだかキミ、二宮さんにだけ甘くないかい?」


 甘い? 俺は思わず笑ってしまった。


「自分と比べてか? そりゃ普段の行いだろう。お前も少しは可愛がってもらえるような態度を取ったらどうだ?」

「やだよ……イヤラシイ」

「イヤラシイこたないだろ。人間、愛想は良いに越したことはないぞ」


 暫くして、二宮が戻ってきた。

 ただし、行きのように軽やかな足取りではなく、ドタバタと慌ただしい足取りで。


(……嫌な予感がする)


 二宮は、階段を駆け下りてきた勢いをそのままに食堂へ飛び込んできた。

 そして、荒らげた呼吸を整えるように大きく息を吸い込み――大声で叫んだ。


「――ない!」


 なにが「ない」のか。

 詳しく話を聞く前から賢しらな俺は察していた。

 嫌な予感が、現実のものとなってしまったことを。


「教職員証が! 部屋に置いといた先生の教職員証がどこにもないんだよ!」

「そ、そんなわけないだろ……? ちゃんと探したのか?」


 二宮は必死になって答える。


「探したよ!」

「か、鍵は……部屋に鍵はかけてなかったのか?」

「かけてなかった……でも、あの時は皆そうだったでしょ……?」


 その通りだ。思い返してみれば、北条先輩の悲鳴を聞いて部屋を飛び出したきりで、その後わざわざ部屋に戻って鍵などかけたりはしなかった。

 瞬く間に、大きな動揺が皆に広がる。


「……とにかく、一旦皆で探してみるしかねえだろ」


 檜垣先輩の一声で、俺たちは食堂を出て二階へ向かった。

 もし、本当に教職員証がなくなっているとしたら――犯人は内部犯だ。

 外部犯なら、そもそも教職員証の存在すら知らない可能性の方が高いからだ。

 皆、そのことを薄々勘付きながらも言葉にはしなかった。


(これは……本格的に、マズイ状況かもしれない……)


 先程の暗号化されたダイイングメッセージに続き、今度は教職員証の盗難……。

 一見、波もなく穏やかに凪いで見える水面の下では、静かに、だが急速に疑心暗鬼の芽が育ちつつあった。

 二宮の部屋に着いた俺たちは狭い部屋の中に散らばり、見つかるはずもない教職員証を黙々と探し始めた。


(いつだ……いつ、誰が盗った?)


 俺は教職員証を探すかたわら、頭の中で今朝の時系列を整理する。

 早朝五時頃、北条先輩が柊先生の死体を見つけて悲鳴を上げた。まず、俺と二宮が彼女の部屋に駆け付け、他は後から部屋の前に集まった。そして、北条先輩を除く生徒全員で死体のもとへ向かい、そこでオーナーと合流した。


(一人ペンションに居た北条先輩はここで教職員証を盗むことができた)


 それからダイイングメッセージについて俺と葛山先輩が論戦を繰り広げた末に、葛山先輩がペンションに逃げ込んだ。そして、それを追って檜垣先輩もペンションへ。


(葛山先輩と檜垣先輩の二人にはここで盗むチャンスがあった)


 二人の離脱で死体の検分は中断され、オーナーの提案で先に朝食を取ることになった。

 ここで、気を回した雨沢が北条先輩を呼びに二階へ上がった。


(雨沢が盗んだのなら、この時か)


 数分後、雨沢、北条先輩、檜垣先輩、葛山先輩の四人がほぼ同時に一階へ下りてきた。

 そして、二宮が自分の部屋に教職員証を取りに行った。


(二宮にもここで盗むチャンスが――)


 と、そこまで考えてようやく俺は気付いた。


(――なんてこった)


 教職員証を盗むことができた人物――それは、俺とオーナー以外の全員だ。


(いや、俺も異能を使ったとすれば可能……か?)


 現実的には難しいが、少なくとも葛山先輩はそんな風に難癖を付けてきそうな気がする。


「……ねえよ」


 檜垣先輩は渋面で瞑目し、厳かに宣言する。


「ここらで切り上げよう」


 その決定に異論はない。この状況で、自然に教職員証がなくなったと考える方が無理筋である。だが、これからどうする。


「どうします? これから全員の部屋を順に探してみますか。或いは、身体検査とか」


 俺の提案に、檜垣先輩は難色を示した。


「いや……それはしない方が良い」

「なぜです?」


 檜垣先輩は、食堂からずっと小脇に抱えていたタブレットの画面を俺たちに見せた。

 そこに映し出されていたのは、管理ソフトのログイン画面だった。


「気付いてるか? オレたちの異能、とっくに使えなくなってるぜ」


 嘘だろう、と俺の心は彼の言葉を反射的に拒絶した。

 ……嘘でなくては困る。

 俺はどうか間違いであってくれと思いながら、試しに異能を使おうとして――その結果に戦慄した。


(転移……できない!?)


 他の皆も自分の異能が使えないことを確認し、激しく狼狽している。誰が異能をロックしたのか。皆の視線は、最後にタブレットを管理していた見張り役――北条先輩へと向けられた。


「ちょ、ちょっと待って……私はやってない!」

「待て待て。オメェら、安直に北条センパイを疑うんじゃあねえ」


 檜垣先輩がすかさずフォローを入れ、場の流れの軌道修正を図る。


「タブレットに触る機会なら雨沢にだってあった。オレにタブレットを手渡したのは雨沢だからな」

「……そうだね」


 雨沢は、自分がタブレットを持つことになった経緯を説明する。


「ボクが北条さんを呼びに行った時、彼女はタブレットをテーブルに置いたまま部屋を出ようとしたんだ。ボクは持っていった方が良いんじゃないかと思って、タブレットを手に取ったんだよ。そして、ボクより檜垣さんが管理すべきだと思って、食堂で檜垣さんに手渡したんだ」


 今の話に間違いがないことを北条先輩が首肯で示す。

 そして、檜垣先輩が極めて落ち着き払った様子で言う。


「聞いたな? 北条先輩の他にも、オレ、瞳、雨沢の三人にもタブレットを触る機会があったわけだから、北条センパイだけを疑うのは間違いだ」


 つまり、二宮は教職員証を盗めたもののタブレットに触る機会はなかったということか。


(容疑者が一人減った……が、それを素直に喜べるような状況ではないな)


 俺は結構記憶力に自信のある方だが、あの機械的に生成したような妙に長ったらしく複雑なパスワードは、半分も覚えられちゃいない(覚えようとしていなかったのもあるが……)。そして、覚えていないのは恐らく皆も同じだろう。

 つまり、教職員証を盗んだもの以外は、もう管理ソフトにログインすることはできないということだ。


「……事件はだったろ? なのに、なぜ……」


 檜垣先輩が不意にそんな言葉を口走る。


「終わるはず……? 檜垣先輩、それはどういう――」

「――クソッ! オレのミスだ!」


 檜垣先輩は、歯を食いしばって壁に拳を打ち付ける。

 激しく叩きつけられた拳から、じわりと少量の血が滲む。


「もっと、タブレットと教職員証の管理を厳重にしておくべきだった。センセーの死体に気を取られて……! それ以上に痛いのが、シリアルナンバーの照合を怠ったことだ……! あの時、疑心暗鬼を悪化させないよう気にするぐらいなら無理にでも……いや、だが、これは逆に……」


 シリアルナンバーの照合? それはつまり、管理ソフトに並ぶシリアルナンバーのどれが誰の首輪かを確かめること、だろうか。

 シリアルナンバーは首輪内部のICチップに登録されているものなので、専用の器具を使わなければ読み取れない。だが、そんなものは一つずつロックを解除して、誰が異能を使えるか確かめてゆけばすぐに判別できる。

 だが、どうしてそれを怠ったことが痛いのだろうか。教職員証を失い、管理ソフトにログインできない以上、どのナンバーがロックされ、また解除されているか、確かめようもないというのに。

 疑問が次々と湧いてくる。

 俺の頭には更に新たな疑問として、つい先程見た光景がちらついていた。

 そういえば、あの時に食堂で……。


「檜垣先輩、さっき雨沢からタブレットを受け取った時――」

「――やめろ、透!」


 檜垣先輩は俺の質問を掻き消すように、いきなり大声で怒鳴り付けた。

 そして、グイッと顔を近づけてきて鬼のような形相で凄む。


「余計な詮索はするな。いいか?」


 その異様な迫力にすっかり気圧されてしまい、俺はただ頷くほかなかった。

 檜垣先輩は、俺から視線を外して皆に大声で呼びかける。


「教職員証を誰が取ったかは特定しない! 犯人を刺激したくないからな……。タマ握られちまってんだ。今度という今度は大人しくしといた方がいい。命が惜しけりゃあな!」


 これまで積極的にリーダーシップを発揮してきた檜垣先輩の全面降伏宣言に対し、異論を唱えるものは誰もいなかった。

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