第15話

 異能のロックを解除した俺たちは、犯人の襲撃に備えて朝まで交代で見張りをすることにした。

 最初の見張り役は俺と檜垣先輩、次が雨沢と葛山先輩、最後が二宮と北条先輩だ。それぞれ正面玄関のある南側と裏口のある北側の部屋のペアである。


 午前一時。特に異変は見られず、俺と檜垣先輩の見張り番が終わった。

 次の見張り役――雨沢と葛山先輩に見張りを交代し、俺と檜垣先輩は自室に戻った。

 見張り役は一回だけで、もう回ってこない。

 明日に備えて早めに眠ろうと手早く寝支度を整えベッドに入った俺だったが、一向に寝付くことができない。この異常な状況下では、やはりどうしても気が立ってしまう。もともと神経質な俺だからなおさらだった。

 さっき起こした雨沢と葛山先輩も、あまり眠れなかったようで目をショボショボさせていた。きっと、最後の見張り役を務める二宮と北条先輩も似たような感じだろう。

 頭に浮かんでくるのは心配事ばかり。

 体調不良の二宮のことも心配だし、自分のせいで南先輩が死んだと思い詰めている北条先輩の精神状態も気がかりだ。檜垣先輩は頼れるリーダーだが、彼も不安を覚えているはずなのだから頼りすぎるのはよくないし、妙に疑り深い葛山先輩からも目が離せない。

 ……その葛山先輩といえば、彼女の発言のいくつかが俺の脳裏に残っていた。


『もし誰かが覚醒を隠してたりしたらぁ……』


 彼女は少し……余裕を失っているみたいだが、その上で優秀だと思う。この指摘も正しい。さっきは証拠もなく、疑心暗鬼を喚起しかねないということもあって檜垣先輩が否定したが、実際のところ『覚醒を隠す』というのはありうる話だ。


 これは俺が小学三年生の時の話になる。

 ある日、俺のクラスに季節外れの転校生がやってきた。

 転校生は女子だったが、まだ男女の区別もあまりない頃のこと。すぐにその子と仲良くなった。その子の名字が「椎名」だったので、俺はその子を「しいちゃん」と呼んだ。

 だが、それから一ヶ月ほどして、しいちゃんはまた転校することになった。

 理由は、彼女が【覚醒者】だったからだ。

 日本の覚醒者は、その覚醒を報告した上で異能研究に協力する義務が課せられている。

 特定異能者保護法――この法律の制定に際しては批判も多かった。過去に行われた異能者に対する非人道的な実験のことがまだ社会的に尾を引いており、研究協力に拒絶反応を示す国民も多かったのだ。

 しいちゃんの母親がまさにそういう人で、ヒステリックなまでに研究への協力を拒み、父親にも黙って実家のある岐阜の小学校へしいちゃんを転校させた。だが、結局は各方面からの説得や圧力に屈し、研究に協力することにした……というのが、当時の俺たちが知らなかった事の顛末だ。

 異能研究センター付属の学校へ転校する時、しいちゃんは顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。彼女は酷い人見知りだったが、徐々に心を開いてクラスには俺含む何人かの友達ができていた。だから、離れ離れになるのが寂しかったのだろう。

 しいちゃんのことは、その泣き顔のこともあって今でもよく覚えていた。

 そのことを思えば、友達や恋人と離れたくないだとか、生活の変化が嫌だとか、そういう卑近な理由で覚醒を隠すことは十分に考えられる。

 実際、売春防止法などと同じく特定異能者保護法には罰則規定がないため、未報告がバレても罰則らしい罰則は科せられない(司法からは)。

 つまり、絶対数は少なくとも何らかの理由で覚醒を隠しているものは存在するのだ。

 だが、やはりそれを言ってしまうと「何でもアリ」になってしまう。

 自分以外の全員を疑ってかからなくてはならなくなり、やがて疑心暗鬼が蔓延した俺たちは結束力を失い分裂するだろう。ただでさえ、敵は強大なる覚醒者である可能性が高いというのに、散り散りになってしまえば勝ち目はなくなる。

 それだけは絶対に避けなければならない。

 もちろん、無根拠にの無実を信じればいいというわけではない。

 ただ、証拠も何も今のところは存在していないのだから、その疑念を無闇に表出するべきではないということだ。


(分からない……果たして、異能のロックを解除したことは正しかったのか……?)


 一人ベッドの中で悶々と過ごすうち、いつしか先程まで纏っていた虚勢という虚勢は全て剥がれ落ちていた。

 ここには格好をつける相手も、守らなければならない相手も、元気付けなければならない相手もいない――そう思うと、隠しきれない「怖がり」な地金が徐々に顔を晒し始めるのだった。


 ――コンコン。


 また、あのノック音が窓の方から聞こえた。これで何度目だろう。

 俺の神経はそこまでヤワだったのだろうか? 俺はなるべく音を無視するよう努めたが、意識しまいとすればするほどかえって意識してしまう。

 気を紛らわせるように、俺は目を閉じてひたすら考えにふけった。


(これ以上の犠牲者を出したくはない……俺だって、死にたくない)


 だが、俺に何ができる?

 異能も、人相も、目的も分からない犯人を相手に一体何ができるだろう。

 いくら考えても答えは出ない。そして、考えれば考えるほどに意識は冴えてゆく。

 コン、コン……。


(今の――)


 俺は跳ねるようにベッドから起き上がった。

 気のせいではない。間違いなく、今のノックは窓ではなくドアの方から聞こえた。


(誰だ……まさか、犯人が俺を殺しに来たんじゃないだろうな……?)


 俺の「怖がり」な一面が嫌な想像をする。だが、それはありえない。今も見張り役の二人が起きているはずだ。

 俺は内心の恐怖にそう決着を付け、ドアの向こうへ静かに声をかけた。


「どちら様です……?」

「……ボクだよ」

「雨沢?」


 ふと時計を見ると午前三時過ぎだった。ベッドで一人うだうだとやっているうちに、二時間も経っていたようだ。時間からすると、雨沢はもう見張り役を終えて最後の見張り役に交代した後だろう。


「入っても……良いかい?」


 雨沢の声音に切羽詰まっている様子はない。何か危機を知らせに来たというわけではなく、単に眠れなくて話し相手が欲しかったのだろう。俺も似たようなものだったので、気分転換に少しだけ雨沢と話すのも良いかと思い、俺は雨沢を部屋の中へ招き入れた。


「どうしたんだよ、雨沢。まさか怖くなったなんて言わないよな? 食堂ではアレだけ俺をからかっておいてさ」

「……ああ、そうだよ」


 雨沢は俯きがちにボソボソと言う。


「悪いかい? ボクが、不安になったら……」

「い、いや……」


 軽口を言ったつもりが、開き直られて返答に困ってしまった。

 事件前なら、雨沢も捻くれた軽口で返してくれただろうに。全くもって調子が狂う。

 雨沢は部屋の中を軽く見渡してから、ストンとベッドに腰を落とした。テーブルの下に押し込められている椅子を引っ張り出す気力もなかったのだろう。俺も似たようなものだったので、彼女にならいベッドに腰掛けた。

 そして、痛いほどの沈黙が部屋に流れる。

 何を話せば良いか分からず、俺たちはベッドの上で隣り合ったまま、ただただ押し黙っていた。

 先に沈黙を破ったのは、雨沢だった。


「ボクが頼れるのは……キミだけなんだ」

「……檜垣先輩は、結構頼れる男だと思うけど。リーダーシップもあるし」

「違う……違うよ。そういう意味じゃない」


 雨沢は、揺らぐ瞳で上目遣いに俺を見上げた。


「ボクたちだけが……を分かってる」


 俺は、雨沢が『初めて会った時のこと』を言っているのだと気付いた。

 夏休みの一、二週間ほど前。俺は、雨沢が死の危機に瀕したところへ偶然居合わせた。

 聖灘高校夏休み前の『大掃除』において、俺が中庭の落ち葉掃除をしていた時のこと。

 一人の女子生徒が脚立を抱えて中庭にやってきた。

 それが――雨沢だった。

 雨沢は、中庭にある濁った池のほとりに脚立を立て、一段一段ゆっくりと登り始めた。どうやら、校舎の雨樋に引っかかっているテニスの硬式球を取りたいようだった。しかし、あと十数センチばかり手が届かない。

 雨沢は、脚立の頂上に立って「うーん」と体を伸ばした。


『――危ない!』


 そう思った時には、既に脚立を踏み外した雨沢の身体が宙に浮いていた。一拍置いて、池の水が盛り上がる。雨沢が水を操る異能〔スルース〕を行使して池の水を操り、落ちる自分を受け止めさせようとしたのだろう。しかし、それは全く間に合いそうもなかった。

 もし、そのまま落ちていたら……雨沢は頭を打って死んでいたかもしれない。

 その場に俺がいなければ。

 直ちに俺は三度連続して〔虚跳スキンダイヴ〕を行使した。一度目と二度目の転移で十メートル近く離れていた雨沢のもとまで駆け付け、三度目の転移で彼女の上下を反転させた。これによりベクトルも反転し、落下のエネルギーは上昇のエネルギーに変換された。そして、彼女の体が再び落下を始める直前で俺は彼女の体を抱きとめた。


『はあ、はあ……大丈夫か!?』

『……う、うん。だいじょう、ぶ……』

『そうか……!』


 雨沢の無事を確認した俺は疲労困憊ですぐにぶっ倒れた。

 異能の行使は激しい身体的負担を伴う。連続的な行使ともなれば、なおのこと。

 これが俺たちの出会い。

 この話の中で重要なのは『雨沢が命の危機に際して一般異能者レベルの異能しか行使しなかったこと』、『俺がたった三度の連続行使で疲労困憊に陥ったこと』――この二点。

 どちらも、互いが覚醒者ではないと判断する根拠になるだろう。


「透……ボクは怖い、怖いんだ……」


 それは、俺だって同じだ。

 正体不明の犯人がまだ辺りを彷徨いているかもしれない。もしかしたら、俺たちの中にいるかもしれない。そう思うと呑気に眠ってなどいられなかった。

 今思えば、俺が皆に徹底抗戦を呼びかけたのも、そんな内心の恐怖や不安を解消しようという思いがあってのことだったのだろう。

 悩ましげな顔をした雨沢が、そろそろと俺の腕にしなだれかかってくる。


「お、おい……雨沢?」

「おねがい、透……なにも言わないで……」


 彼女の細指が俺の手に絡みついてくる。

 突然のことに驚いたが、ここで反射的に跳ねのけてしまったら、雨沢の華奢な体はガラス細工のように脆く砕け散ってしまうような気がして、俺はされるがままになった。


「どうか……おねがいだから……」


 俺は、どうすべきなのだろう。

 正しいか、正しくないかの話をすれば、これはきっと色んな意味で正しくない。

 けれど、現状を拒絶する理性とは裏腹に、腕を通して伝わってくる雨沢の体温が俺の思考を麻痺させる。


(恐怖が、不安が薄れてゆく――)


 さながら、身も凍る冬の日に、燃え盛る暖炉の火に手をかざしているかのような感覚だった。じんわりと、温かな雨沢の熱が俺の全身に広がってゆく。

 やがて、俺たちはどちらからともなく倒れ込むようにベッドに身を沈ませた。

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