第12話

 暫くして、俺と同じく濡れた服を着替えた檜垣先輩とオーナーが食堂にやってきた。

 それからオーナーが温め直した夕食を改めて俺たちに出してくれた。

 未ださめざめと泣き続ける北条先輩を慰める役目は、檜垣先輩と葛山先輩の二年生カップルに任せ、俺は二宮を呼び寄せた。

 夕食がてら二宮から『人影』の話を聞こうと思ったのだ。すると、そこへ呼んでもないのに雨沢もくっついてくる。まだ怒っているようなら面倒だったが、流石にこの状況では小さな怒りなどどこかへ吹き飛んでしまっているようだった。

 俺はひとまず雨沢のことは置いておき、予定通り二宮に話しかけた。


「二宮、体調はどうだ? 聞いたぞ、BBQ中もずっと寝込んでたんだってな」


 南先輩を捜索する前に、柊先生が安否確認のため二宮の部屋を訪れていた。その時のことを俺は柊先生から伝え聞いていた。


「うん……でも、こんなことになるなら起きてた方が良かったかも……何か、物音とか聞けたかもしれないのに……」


 昨日と変わらず青ざめた顔をした二宮は、とがった付け爪ネイルの先で綺麗な金色ブロンドに染まったウルフカットの髪先をクルクルと弄った。普段はチャラチャラとした軽薄な雰囲気のギャルである二宮も、今日ばかりは神妙にしている。体調がまだ万全でないこともあるのだろう、夏だというのに彼女は肩に毛布を羽織っていた。


『透っち、チィーッス! うぇーい! 元気してるーぅ?』


 いつもの溌剌とした振る舞いを再び見られるようになるまでは、まだまだ時間を要するのだろう。だが、それでも俺は今、彼女に聞いておかなければならない。


「つらいだろうが、二宮が見たっていう人影のことを詳しく教えてほしい。現実に死体が出ている以上、それは見間違いなんかじゃなかったんだ。恐らく……犯人だと思う。どんな奴だった?」

「どんな奴……っていうか。あ、あれは……ひ、ひとじゃ、な……!」


 二宮はただでさえ青い顔を殊更に青くして、ガタガタと体を震わせた。これは聞き出すのに苦労しそうだと思っていると、思わぬ方向から助け舟が出される。


「ボクが代わりに話そう」

「雨沢が?」

「うん。さっき、キミたちが倉庫へ行っている間に、人影のことはボクたちが聞いてるんだ。二宮さんも、そう何度も話したいことではないだろうし、何よりつらそうだしね。気を遣ってあげなよ」


 恐らくこの展開を見越していたのだろう。雨沢は、二宮の肩からずり落ちそうになっていた毛布をかけ直してやり、「大丈夫」と一言耳元で囁き、そしてゆっくりと話し始めた。


「人影はペンションの裏をゆっくりと歩き回っていたそうだよ。傘も差さず、雨中を闊歩するその人影は長髪を風に靡かせ……およそ人間とは思えない形と動きをしていたそうだ」

「人間とは思えない……?」

「四肢はぐにゃぐにゃに折れ曲がってて、そのせいかまるでヤジロベーのように上体を左右へ振り、出来の悪いロボットのようにぎくしゃくと歩いていたんだってさ」


 何だそれは……まるで、化け物じゃないか。この世のものとは思えない。だが、雨沢とその横で青い顔を上下に振る二宮は、少しもふざけているようには見えなかった。


「その人影がふと顔を上げて二宮さんの方を見たものだから、二宮さんはビックリして悲鳴を上げたそうだよ。なにせ、人影には顔がなかったらしいからね」

「顔がなかった……?」


 二宮に目を向けると、彼女は小さく頷いた。


「ボクが思うに、それはたぶん暗くてよく見えなかっただけだと思うけど……」


 俺もそう思う。……というか、そうでなければ困る。


「それから、人影は倉庫へ入っていったそうだよ」


 殆どの情報は不鮮明であてにならないが、長髪という外見情報は重要な推理材料だ。参加者の中で長髪と言えるぐらい髪が長いのは、殺された南先輩を除くと、北条先輩、葛山先輩、柊先生の三人だけだ。しかも、人影が目撃された時、そのうち二名の所在は既に割れている。


「二宮の悲鳴が聞こえた時、葛山先輩も北条先輩も食堂にいた。つまり、その人影は柊先生か、外見情報のない外部犯――『容疑者X』ってことになる。雨沢は姿を見せなかったけど、ヘアスタイルはボブカットだし……考えてもみれば、そもそも異能はロックされてたわけだしな」


 そうだ、俺たち生徒はもれなく電子首輪を付けている。それによる異能のロックを解除するには、柊先生の持つタブレットを操作する必要があるはずだ。今のところ、内部犯の疑いはタブレットを持っていた柊先生を除いて薄い、か。


「えっ……ちょっと待って、ボクを疑っているのかい!?」

「いや、疑っているというか……」


 こういう時は全員を容疑者に入れて考えるものだ。情報の少ないうちから外すようなことはしない。

 大体、雨沢の行動にはいくらか疑問の余地がある。

 いい機会だから、ついでに聞いておこう。


「そういえば、アレだけの大騒ぎだったってのに、お前はずっと姿を見せなかったよな。一体、どこで何をしてたんだ?」

「ちょうどシャワーを浴びていたんだよ! 暇だったし、何より不安だったからね! リフレッシュして、心を落ち着けさせようと思ったのさ!」


 疑われたからか、少し不機嫌そうに話す雨沢。その髪は、仄かに濡れていた。


「そんな時に悲鳴が聞こえたものだから、これでもなるべく急いで出てきたつもりだけれどね。でも、出てきた時にはキミと檜垣さん、そしてオーナーが裏口から外へ出ていった後だった」

「そうか。……まあ、一応確認のために聞いただけだ。気にしないでくれ」


 さっきも言ったが、二宮が見たという人影が犯人なら雨沢は容疑者から外れる。単純に人影は長髪で、ボブカットヘアの雨沢は長髪ではないからだ。加えて、異能のロックのこともある。それほど疑っているわけではない。本当にただの確認だ。

 ……話を戻そう。

 ペンション内にいなかった長髪の参加者は柊先生しかいないという話だった。

 柊先生のことを疑いたくはない。

 動機も何も分からないのなら、同じく分からない外部犯『容疑者X』による犯行だと信じたい。だが『容疑者X』を想定した場合、ペンション裏から祠へ向かい消息を絶った柊先生もまた、犯人の魔の手にかかっている可能性が高い。

 進むも地獄、退くも地獄。


(――なら、俺はどこまでも前へ進んでやる)


 その先にどれだけ残酷な真実が待ち受けていようと……俺は進み続ける。

 立ち止まってなどいては、死んだ南先輩が浮かばれない。


(それに……ぼやぼやしていたら、俺たちも犯人の餌食となってしまうかもしれないんだ)


 決意を新たに、俺は二宮のスポークスパーソンを務める雨沢へ問いかけた。


「その人影とやらが、倉庫から出てどこへ行ったかは見てないのか? 倉庫には死体以外に誰もいなかった。横開きのスライドドアだったから、物陰に隠れて俺たちと入れ替わるように出たなんてこともない」

「それが……」


 雨沢が言い淀むと、すかさず二宮が「ごめん」と謝る。


「あたし、怖くて……暫く、窓から目を離しちゃってたんだ……」

「……そうだよな。あの時は俺が話しかけちゃったりもしたし、目を離しても仕方ない」

「で、でも! 皆が一階に行ったすぐ後ぐらいに外から『バキッ!』って何か折れたような音がして……その後からは遅れてやってきた雫ちゃんと相談して一緒に倉庫の方を見張ってたよ」

「音……?」


 聞くと、雨沢と二宮が同時に頷いた。


「その音ならボクも聞いてる」


 二人ともそう言うなら、音は確かに鳴ったのだろう。恐らく、ゴタゴタと慌ただしくしていたせいで一階にいた俺たちは聞き逃してしまったのだ。


「見張ってて、他に何か異変はなかったか?」

「ないね。ボクらはキミたち三人が倉庫に入って、出てくるまで外を見張っていたけど、特に語るようなことはなかったと思うよ」

「そうか……」


 気落ちしたように俺が言うと、二人は申し訳なさそうな顔をする。


(しまった。今のは言い方が良くなかったか?)


 別に二人が気にするようなことではない。まさか楽しいサマーキャンプ中にこんな大事件が起こるだなんて、誰も予想していなかったことなのだから。しょんぼりしてしまった二人を元気付けるように、俺は努めて明るく言った。


「二人とも、貴重な情報をありがとう。とにかく、これで容疑者は絞れた。現状、柊先生か、外部犯『容疑者X』かの二択に――」

「――にょげんさまの祟りだ」


 ピシリ、と空気の固まる音がした。

 気が付くと、厨房で仕事をしていたはずのオーナーが、いつの間にか俺たちの背後に立っていた。鼻息すら感じるほどの至近距離にある彼の目は大きく見開かれており、とてもではないが正気のものとは思えない。


「にょげんさまは人を喰う。お前たちにはアレが人間の所業に見えたのか?」

「……異能を用いれば人間にだって実現可能ですよ。ご年配の方には馴染みが薄いかもしれませんが、今時の若者はほぼ全員異能者なんですから。それに電話線も切られていたでしょう? あれこそ、人間の関与があった何よりの証拠ではないですか」

「にょげんさまが電話線を切れないとでも?」

「そうする必要がないと言っているんです!」


 現実的なところから反論すると、彼はフンと鼻を鳴らして俺を怒鳴りつけた。


「人の尺度で、べらべらとにょげんさまを語ってくれるなッ!」

「は……はい?」


 狂気じみた凄まじい剣幕に気圧されつつも、俺はどうにか切刃を回す。


「そもそもの話、現代に伝わる妖怪の半分ぐらいは異能者が元ネタでしょう」


 異能は科学だ。かつて、異能は一部の人間にのみ独占されていた。異能を習得するためには、幼少期からの処置と自覚的な訓練が肝要だからである。一部のものはその事実を神秘のベールで覆い隠し、特権を享受していた。

 だが、科学の発展に伴いベールは剥がされ、今や電気・インターネットと並んで異能は極めて普遍的な存在となった。聞いた話によると、日本の若者の97%が異能者だとか。そんな現代に……にょげんさま? 全くもってナンセンスだ。


「柊先生も異能者です。それと、さっきは遮られてしまいましたが、外部犯『容疑者X』ならありとあらゆる可能性が考えられます」

「くけっ、くけけけけけけけけっ!」


 彼は、首と背を大きく仰け反らせて狂ったように笑った。


「あの先生がそんなことをするもんかね。人を見る目がなさすぎるんじゃないのかね? それ以上にお笑いなのが外部犯だ。どこのどいつが、なぜ、どうやってこんな山奥へやって来たというんだ? その『容疑者X』とやらは!」

「それは……分かりません。けど、最初から完全に取り除いて良い可能性ではないと思います。それこそ、柊先生が犯人だと思えないのなら、『容疑者X』は『妖怪』なんかより遥かに現実的なところで――」

「――違う。にょげんさまはこの山の『神様』なんだ」


 丸っきり話が通じていない。

 俺は遂に根負けして閉口してしまった。


「そして、『神様』という表現もまた人の作り出した偏狭な杓子定規に過ぎない。にょげんさまは儂ら人間とは一線を画す超常的な存在なのだ」


 彼の語る言葉はあまりに非論理的であり、根っからの現代人である俺はその姿に恐怖すら覚えた。それは他の生徒たちも同様で、皆一様に怯えたように固い顔をしていた。彼は、そんな俺たちを見回しフンと鼻を鳴らすと、俺たち一人一人に生臭い匂いのする小さな袋を手渡してきた。


「受け取れ、儂謹製のお守りだ」

「これは……魚の頭?」


 袋の中を開いた雨沢がそう呟くと、オーナーは大きく頷いた。


「鰯の頭も信心から……分からないか? 儂ら人間風情にできることは、せいぜい彼の存在を畏れ、敬い、そして祈るだけということだ!」


 洒落になっていない。

 頼りになる大人だと思っていたオーナーの豹変に俺たちはただただ戸惑うばかりだった。

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