第二章 事件進行中、推理進行中

第11話

第二章 事件進行中、推理進行中


 ――許せない。


 事件に至るまでの記憶をざっと振り返り、まず頭に浮かんだのはそんな言葉だった。

 身体に付いた南先輩の血が、頭上から降り注ぐ水圧の弱いシャワーによって洗い流され、渦を巻きながら排水口へと吸い込まれてゆく。

 時間が過ぎると共に死体発見時の衝撃や悲嘆は薄れ、代わりに堪えようのない激しい怒りがふつふつと腹の底から湧き上がってきた。あんな残酷なことをする人間が、俺と同じ世界に存在していると思うだけで吐き気がする。


(まだ、聞いてないんだぞ……!)


 南先輩は、俺に『話したいことがある』と言った。

 そして、俺は約束したはずだ。


(BBQの後に聞くって……なのに……!)


 俺はもう、南先輩が何を言おうとしていたのか、彼女の口から直接知ることはできないのだ。そのことを思うと、やるせない気持ちで胸がいっぱいになる。

 俺は、南先輩を殺した犯人を絶対に許さない。

 必ず正体を突き止め、その罪を白日のもとに晒し出してやる!

 ――なんて、心中で威勢よく啖呵を切った後、俺は「ふっ」と自嘲の笑みを浮かべた。


(どう見ても虚勢だな、これは……)


 しかし、虚勢の一つや二つも張らなければやっていられない状況だった。少しでも気を緩めた途端、きっと俺は虚勢の下に押し込めた『恐怖』の感情に思考を支配されてしまうだろうから……。

 狭苦しい居室内にある更に狭苦しいバスルームを出て、俺は速やかに私服に着替えた。


(手がかりはある)


 二宮が見たという『人影』――やはりそいつが怪しい。あの時は、行方が分からなくなっていた南先輩と柊先生以外、全員がペンション内にいたはずだ。その人影の輪郭だけでも分かれば、俺たちは犯人の正体にぐっと近付くことができるだろう。


(――今、このペンションは俗世から隔離されている)


 檜垣先輩の言葉を借りれば、ここは文明から隔離された陸の孤島、クローズドサークルだ。謂わば、俺たちは猛獣と同じ檻に閉じ込められているようなもの。その牙や爪が、次は俺たちを狙わぬとも限らない。身を守るために、俺たちは早急に犯人の正体や狙いに迫る必要がある。


(そして、可能なら次の殺人が起きてしまう前に――『対処』する)


 とにかく、まずは二宮から人影について話を聞いてみよう。

 そう思って急ぎ一階へ下りると、食堂の方から悲痛に泣き叫ぶ声が聞こえてきた。


「私の……私のせいだ……!」


 階段を下りてすぐ左手にある窓から食堂を覗くと、そこには一つの人だかりが形成されていた。さっきの声は、その中心にいる北条先輩のものだった。啜り泣く北条先輩を囲むように、葛山先輩、雨沢、二宮と女性陣が勢ぞろいして輪を作っている。

 今の「私のせい」とはどういう意味か、俺は食堂へ歩を進めつつ聞き耳を立てた。


「BBQの時……私、南ちゃんが部屋の窓からこっちを見ているのに気付いたの……」

「――北条先輩、それは本当ですか!?」


 驚いた俺が食堂に駆け込みながら聞くと、北条先輩はこくりと頷いた。


「南ちゃんが、透くんに気があるのは知ってた。だから……私、軽い気持ちで……からかってやろうと思って……透くんに、抱きついて……!」


 そういえばBBQの時、北条先輩がいきなり俺に抱きついてきたことがあった。彼女は「躓いちゃった~」なんて言ってすぐに離れていったが、あれはそういうことだったのか。


(だから、最初に一人で南先輩の部屋を訪ねた時、返事がなかったのは怒らせたからだと思ったわけか)


 北条先輩が俺に抱き着いてきたのは、確かBBQが始まって十分くらいのこと。つまり、彼女の証言を信じるなら、その時にはまだ南先輩は生きていたということになる。


「その時、南ちゃんはショックを受けたような顔をして奥に引っ込んでいって……きっと、傷付いた南ちゃんは衝動的に裏口からペンションを飛び出して――それで、それで殺されちゃったんだ!」


 北条先輩にしてみれば本当に軽い気持ちで、友達同士の軽い悪ふざけをしたつもりだったはずだ。仮にそれが南先輩の死の原因だったとしても、強く責めることはできない。


(……しかし、まさかあの南先輩が俺に好意を抱いていたなんて)


 思いもよらぬことだった。俺は南先輩の小生意気な態度しか知らない。その裏に、どのような想いが隠されているのかなんて想像したこともなかった。

 もしかしたら、『話したいこと』というのも……。

 ――だが、その答え合わせが当人の口から行われることは永遠にない。


『こんにちは。迷子かな? 親と逸れちゃった?』

『……そのジャージの色、一年でしょ』

『え?』

『私、三年なんだけど! 年上なんだけど!』


 会う度に初対面時の勘違いを持ち出してきて、正直面倒臭く思ったこともある。

 だが、なぜだろう……今となってはあの生意気さが無性に恋しかった。

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