第7話

 正午――予定ではBBQを始める時刻だが、二宮、雨沢、南先輩の姿がない。

 このうち、二宮と雨沢の事情については既に分かっている。

 二宮は相変わらず体調不良でBBQには出ず、部屋で休んでいるそうだ。昼食はオーナーが別に消化に良いものを作って運んでくれるとのこと。

 雨沢も体調不良だそうだが、こちらは少し部屋で休んでからBBQに来るらしい。

 つまり、分からないのは南先輩だけだった。


「南先輩、どうしたんでしょう。全然ペンションから戻ってきませんけど」

「あっ、南ちゃんなら水着から私服に着替えてくるって言ってたよ。そのうち来るんじゃないかなー?」


 俺の声に、さっき南先輩と話していた水着姿に薄手のパーカーを羽織った女性、北条ほうじょうかおる先輩がどこか楽しげに答える。

 北条先輩は、南先輩と同じクラスに所属する三年生で、俺がペンションに戻った後、南先輩と沢で遊んでいたという。物怖じせず人懐っこい性格のようで、初対面の俺にも気兼ねすることなく話しかけてきた。前に垂らした長いおさげや豊満な胸元もあいまって、お姉さんといった印象の人だ。


「ああ、そうなんですね」

「心配した?」

「いや、そういうわけでは……」


 そう言うと、北条先輩は悪戯っぽく笑った。だが、特に何を言うでもなく柊先生の方へ駆けていって、俺にしたのと同様の説明を柊先生に伝えた。

 大体の事情が把握できたところで、俺たちは先にBBQを始めてしまうことにした。


(まあ、ガチ体調不良の二宮はともかく、他二人はそのうち来るだろう)


 だが、ここでトラブルが発生する。

 いざ火起こしを行おうという段になって、着火具が壊れていることが判明したのだ。柊先生は着火具を一つしか用意しておらず、俺たちはすっかり困り果ててしまった。


「うーん……ひとまず、オーナーの人に着火具がないか聞いてくるわ」


 柊先生がそう言ってペンションに向かう。

 すると、いきなり広場の一角から雄叫びが上がった。


「うおおおおおお!」

「翔ちゃん、流石に無理だと思うよぉ……?」


 ただ待つのが退屈だったのか、ツーブロック頭の男子生徒がその辺から拾った棒切れと木材を擦り合わせて原始的な火起こしを試みていた。


 あれが、優等生だって噂の檜垣ひがきかける先輩か。俺の一学年上の高校二年生。想像とは違って体育会系のアグレッシブでやんちゃな雰囲気だ。優等生というよりは元・野球部員といった印象の方が強い。

 その隣で心配そうに彼の手元を覗き込んでいる女子生徒が、彼の恋人だという葛山かつらやまひとみ先輩だろう。同じく二年生。彼女は長い髪を目元にまで垂らしていることもあり、陰気でおどおどした印象で彼氏とは正反対のタイプに見える。だが、はたから見る限り不和もなく、仲睦まじいお似合いのカップルだった。


「あの二人、恋人同士で抽選に通るとかすっごいラッキーだよねー!」


 参加者が柊先生によって恣意的に選ばれていると知らない北条先輩は目を輝かせた。

 暫くして、柊先生が戻ってきた。だが、その浮かない表情を見るに着火具の確保には失敗したらしい。息を切らした檜垣先輩が棒切れを投げ捨てて叫んだ。


「センセー! もう、メンドイんでオレの〔異能〕で火ぃ付けちゃって良いすかー!?」

「えぇ? ……でも、ペンションにも着火具はないらしいし……それしかないか」


 あんまりやりたくないんだけど、と言いながら柊先生はタブレットを取り出した。そして、首に下げていた教職員証の裏を見ながら、タブレットの画面をトントンと何度もタップする。恐らくパスワードでも入力しているのだろう。数十秒ほどして、柊先生は画面から顔を上げた。


「はー、やっと入力できた。これで解除できたはずよ。でも、ホント気を付けてよね?」

「――よし来た! 見とけよ、瞳! オレの〔炬火トーチ〕が火を吹くぜ!」

「だ、だいじょうぶなのぉ……? 翔ちゃん……」


 葛山先輩の不安をよそに、檜垣先輩はどこまでもノリ気だった。もしかしたら、彼女さんに良いところでも見せたいのかもしれない。


「大丈夫! センセーも良いって言ってるしさ! ほら、離れてろ。危ないぞ!」


 檜垣先輩はBBQコンロの上に先程木の棒と擦り合わせていた木材を置き、その上に両手をかざした。まず、その木材に火を付けてから炭に火を入れる算段らしい。彼は「むむん!」と目をつぶって全身に力を込めてゆく。葛山先輩の方は言われた通りに少し離れたところへ移動し、やはり不安そうにおどおどとその様子を見つめた。

 やがて、木材からか細い煙が上がったかと思うと、「ぼっ」と火が付いた。周囲から「おお」と感嘆の声が上がる。恐らく、〔炬火トーチ〕とは火か熱を操る〔念動系サイコキネシス〕の異能なのだろう。ひとクラスに五、六人はいそうなありふれた異能だ。


「お、付いた付いた!」


 しかし、喜んだのも束の間、気を緩ませた檜垣先輩が異能の制御をミスったのか、木材の火が一気に燃え上がり、側に置いてあった木材の山へ延焼した。


「や、やべっ! 水、水っ! 誰か水持ってきて!」


 火を付けた本人がそんな風に焦った声を上げるものだから、俺たちはすっかりパニック状態に陥ってしまい、消火のために水を探して辺りを走り回った。

 その時である。どこからともなく人の頭部ほどの水の塊が現れたかと思うと、物凄い速さで火にぶつかり、瞬く間に失火を消し止めた。


「――先生」


 声の方を振り向くと、ペンション二階廊下の窓から雨沢が身を乗り出してこちらを見下ろしていた。


「先輩の異能だけでなく、ボクの異能まで――というか、たぶん皆の異能までロックが解除されていますよ」


 隣で「あ、本当だ」と北条先輩が言う。見ると北条先輩の掌の上で、オーナーから借りた金属製のカテラリーがふわふわと浮いていた。向こうの方では、葛山先輩が地面の草木を動かして戯れている。

 さっきの水は雨沢の異能――〔スルース〕によって操られていたものだったのだろう。前に見たのと同じだ。


「あー、ごめん。実は面倒だったから生徒の情報を紐づけしてなくってさ。管理ソフトには、首輪のシリアルナンバーしか表示されてないんだよね。だから、どれがどれやら……仕方なく、一括でロック解除したってわけなの。本当なら、ロックを解除するつもりもなかったわけだし……学校には内緒にしといてね」


 柊先生は、ばつが悪そうにはにかみながら、タブレットの画面を操作する。その途端、北条先輩の掌の上からカテラリーが落下してテーブルに転がり、からんからんと甲高い音を鳴らした。


「ふぅ……とにかく、雨沢さんのおかげで助かったわ。大事に至らなくて本当に良かった。雨沢さん、部屋から出てきてるみたいだけど、体調の方はもう大丈夫なの?」

「……もう少しだけ、部屋で休んでから行くことにします」


 雨沢は、ちらっと俺の方を見てから奥へ引っ込んでいった。どうやら、まださっきのことを根に持っているらしい。あれくらいのことで怒り過ぎだろうと思わなくもないが、まあ言っても仕方がないことなのでもう暫くは様子を見るとしよう。


「それじゃあ、こっちはBBQを始めましょうか! えーっと、葛山くずやまさん、だったかしら?」

「ク、クズじゃないですぅ! 葛山かつらやまですぅー!」

「ご、ごめんなさい。……か、かつらやま、さん。貴方はそこの食材を全部開けといてくれる?」

「は、はいぃ……!」


 こうして、ちょっとしたトラブルはありつつも、俺たちはBBQを始めたのだった。

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