第6話
昼時になり、俺たちは昼食のためにペンションまで戻ってきていた。
三十分もかかった道のりは、行きで道を切り拓いておいたこともあり、戻る時は半分の十五分ほどで楽に踏破することができた。
荷物の半分ほどは祠の方に残してある。空には雲が一切かかっていなかったので、昼食を済ませてまた戻ってくる間ぐらい放置しても大丈夫だろうとの判断だった。
しかし、今になって空にちらほらと雲が増え始めている。そんな天気模様に不安を覚えたのか、柊先生は落ち着きなく何度も空を見上げていた。山の天気は変わりやすいというから、もしかしたら降られることになるかもしれない。
「弱ったわねぇ。まあ、濡れて困るものは持ってきてるけど……」
「先生、さっきは『もう手伝いは要らない』と仰ってましたが、雨が降ったらまた手伝いましょうか? 荷物の運び手が必要でしょう?」
「ありがたい申し出だけど、大丈夫よ。おかまいなく。透くんは透くんで、普通にキャンプを楽しんじゃって!」
柊先生は昼食の準備のためにオーナーの人と話してくると言って、裏口からペンションに入っていった。裏口前に残された俺と雨沢は、どちらからともなく顔を見合わせる。
「俺たちは広場の方に行っとくか」
「そうだね」
今日の昼は、ペンション前の広場でBBQをすることになっている。
広場へ向けて先に歩き出した雨沢が、こちらを振り向くことなく口を開いた。
「そういえば、キミ……あの先生とは随分と盛り上がっていたね」
「ああ、同じ民俗学が趣味ってことで、ちょっとな」
「ふーん……」
なにか、言いたげではないか。
俺はその場で立ち止まり、先をゆく雨沢の背中をじっと見つめた。すると、付いてこない俺を不審に思ったのか、雨沢も足を止めてこちらを振り向く。
「どうかしたのかい?」
俺はニヤリと笑って答えた。
「雨沢、お前って結構人見知りするタイプだよなと思って」
「……急になんだい」
「だって柊先生といる間、お前は一言もしゃべらなかったじゃないか」
その途端、人形のように端正な雨沢の顔がくしゃりと歪んだ。
(あ、地雷踏んだ?)
雨沢は、いきなり俺に向かって歩き出した。詰め寄られるかと思いきや、彼女はそのまま不機嫌そうに大股で俺の横を通り過ぎ、裏口のドアに手をかけた。
バタンと乱暴に閉められたドアを眺め、一人取り残された俺はその場に立ち尽くす。
(怒らせちゃったか。でも、『人見知り』と言ったぐらいでそんなに怒らなくても……)
何か過去にあったのだろうか。
慌てて後を追うほどの重大な失言でもないと思ったので、俺は一人でペンション前の広場へ向かうことにした。雨沢には、ほとぼりが冷めた頃にまた話しかければ良い。そんな風に考えながらペンションの表へ回り込むと、どこからか溌剌とした声が聞こえた。
「――じゃあ、また後でね!」
直後、広場を囲う植え込みの向こうから、不意に小さな影が目の前に飛び出してきた。
「おっと」
「へぶぅーっ!」
避け損ねたので正面から受け止めると、俺のお腹にめりこむ金髪頭のつむじが見えた。こんなに小さくて金髪頭の参加者は南先輩以外にいない。
服越しに、水着のじっとり湿った感触が伝わってくる。よく見ると南先輩は朝に見た水着姿のままだった。まさか、あれから今までずっと沢で遊んでいたのだろうか。マジに底なしの体力だ。
「大丈夫ですか。南先輩」
俺が声をかけると、広場の方からも心配の声が上がる。
「南ちゃん、大丈夫ー!?」
見ると、水着姿の女性が遠くから気遣わしげにこちらを見ていた。たぶん、南先輩はあの女性と話していて前方不注意になっていたのだろう。事情を察したところで改めて視線を下に向けるが、南先輩は俺のお腹に顔を埋めたままうんともすんとも言わない。
「……南先輩? ほんとに大丈夫ですか?」
「あっ……」
ようやく再起動した南先輩が、バッと俺のお腹から顔を剥がす。
「ご、ご、ごめんねー! 前、見てなかったー!」
「いえ、それより大丈夫ですか。怪我とかしてませんか?」
「だ、大丈夫、大丈夫……」
南先輩は赤くなった顔を隠すように俯き、不自然に折れ曲がった体勢のままペンションへ駆け込んでいった。一体、どうしたというのだろう。様子がおかしかったが、鼻でも打ったのか。不思議に思っていると、一度は閉められた玄関のドアが再び開いて、その隙間からぴょこっと南先輩が顔を出した。
「ね、ねぇ……」
南先輩は、恥ずかしそうにモジモジと身を捩らせる。
「後で……話したいことがある、から……ちょっと、いい?」
「別に構いませんよ。この後は手伝いもありませんし」
「じゃ、じゃあ……BBQの後で、ね! 絶対だよ! 約束だよ!」
言いたいことを言い終えると、南先輩はバタンと玄関のドアを閉めてまたペンションの中へ戻っていった。慌ただしい人だ。ここからでもドタバタと二階へ駆け上がってゆく足音が聞こえる。
(まだそんな元気が有り余っているのか……)
この時の俺は、そんな風に呑気に構えていた。
数分後に訪れるであろう再会の未来を、欠片も疑うことなく。
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