第5話

 それからまた十五分ほど歩き、俺たちはようやく目的の祠へ辿り着いた。

 まるで時の流れから取り残されているかのように、その祠は何もない山中にポツンと設置されていた。外見的には、よく道端なんかで見かける地蔵の入った小さな社とほぼ一緒だ。ただ、この立地の悪さにも関わらず、手入れをされているような形跡がそこかしこに見受けられた。

 聞くと、あのペンションのオーナーが定期的に掃除や修理をしているらしい。今回の調査も、書類上の持ち主であるオーナーから許可を取って行っているとのことだった。


「ぜぇ……ぜぇ……」

「大丈夫か? 雨沢」


 雨沢はコクリと頷くが、どう見ても大丈夫ではない。少し山道を歩いた程度で情けのないことだ。仕方がないので、俺は彼女に肩を貸して木陰の方へ連れて行った。

 その時、祠の方にいた柊先生からお呼びの声がかかる。


「ねえ、透くん! ちょっとこっちに来てくれる?」

「あ、はい! 雨沢、お前はちょっとこの木陰で休んでろ」


 俺は持ってきていた塩飴と水筒を雨沢に渡し、柊先生のもとへ向かった。

 柊先生は、地面にしゃがみ込んで持ってきた荷物の整理をしていた。


「どうかしましたか、先生」

「うーんと。透くんは、さ……南さんと、仲良いの?」

「南先輩ですか?」


 思いがけぬ名が出てきたことに少々驚きつつも、俺はその質問に答えた。


「仲良いというか……知り合いです。まあ、サマーキャンプで一緒になったのも何かの縁でしょうし、仲良くなれたらとは思ってますよ。なんとなくですが」


 ここで柊先生は一度荷物を整理する手を止め、俺を見上げた。


「そう、良かったら仲良くしてあげてね。あんなに楽しそうな南さん、久しぶりに見たから」

「えっと、先生は……」

「私のクラスの生徒なの。南さん」


 そういえば、柊先生は三年生のクラスを担任していると、サマーキャンプ冒頭の挨拶で言っていたような気がする。南先輩も三年生だ。


「南さん、ちょっと前に両親が離婚しちゃってね。父親の方の不倫が原因なんだけど、その父親が慰謝料も養育費も払わずさっさと蒸発しちゃってね。父親のことが大好きだった南さんはそれがショックだったのか、それ以来、何だか元気がなくなっちゃってたの」

「へえ、そんなことが……」

「だから……ね? ちょっとぐらい大目に見てあげてほしいの。口が過ぎるけど、あれは透くんが特別なのよ。悪い子じゃないから」

「はは、別に気にしませんよ。あれぐらいのことでは」


 柊先生は、南先輩のあの刺々しい対応のことを言っているのだろう。だが、心配する必要はない。俺の友人にはもっと面倒臭い連中がゴロゴロいる。南先輩なんて可愛いものだ。


(その一例がここにもいるしな)


 俺は後ろを振り返り、遠くの木陰で死体のようにグデッとしている雨沢を見やった。


「雨沢さんとも……友達なのね。まさか、二人が一緒に手伝いをしてくれるとは思ってなかったわ」

「はい。知り合ったのは最近ですけどね」

「そう! 良かったわ」


 柊先生は聖母のような微笑みを浮かべた。


「透くんをサマーキャンプに参加させてあげたのは正解だったわね」

「え? 『参加させてあげた』って、なんか引っかかる言い方をしますね。サマーキャンプの参加者は抽選じゃなかったんですか?」

「内緒よ? 実は今回だけね、参加者は全員私が選んじゃった。透くんと……あとかけるくんは三年生を担任する私のとこにまで伝わってくる優等生だから、ご褒美あげちゃえと思って」

「翔くん?」

「ああ、知らない?」


 檜垣ひがきかける。二年生の元・野球部員。スポーツ特待生として推薦入学し、将来を嘱望されるピッチャーだったが、肘の怪我で野球部を退部した。実家がそれほど裕福でない家庭なので、スポーツ特待生でなくなると学費の免除がなくなり、無駄に高い聖灘高校の学費が払えなくなるやもと心配されていたが、そこから猛勉強をして今度は勉学で特待生の座を勝ち取ったという。


「努力の人でしょ? 先生たちの間では有名なのよ。だから、透くんと同じように、翔くんを恋人の――葛山かつらやまさん、だったかしら?――と一緒にサマーキャンプにご招待したってワケ」

「へえ……。というか、俺ってそんな人と並んでるんですか?」

「透くんだって十分に努力の人じゃないの。貴方の優等生ぶりも噂よ? 品行方正、成績優秀な特待生! 先生、定期テスト全教科満点なんて初めてみたわ。ケアレスミスもなしだなんて。それに、体育祭では実行委員としてかなりの大活躍だったって話じゃない」


 テストの話も、体育祭の話も、俺にとってはもう食傷気味の話題だが、こうも直球で褒められるとやっぱり面映ゆい。俺は話題を逸らすためにちょうどそこにいる雨沢のことを訊ねた。


「それじゃあ、雨沢はどうして選んだんです? どう見ても優等生ではなさそうですけど」

「雨沢さんはね……あ、いや、こういうのは訳もなく勝手に話しちゃ駄目ね。南さんと違って雨沢さんとの仲は心配する必要もなさそうだしね。ごめんね、この話はおしまい!」


 柊先生は口を滑らせかけたのを誤魔化すように、強引に話を切り上げる。どうやら、雨沢を選んだのには人には言いづらいセンシティブな理由があるようだ。それならば、俺としても無理には聞くまい。


「とにかく、もう手伝いは大丈夫よ。あっちで雨沢さんと休んでて。祠の調査は先生が一人でやるから!」


 柊先生が鍵のかかっていない祠の扉に手をかける。

 すると――バキッ、と音を立てて右の扉が外れて地面に落ちた。


「あら!?」


 どうやら、扉を支えていた蝶番が壊れてしまったらしい。錆だらけの見た目からして、恐らくは寿命だろう。


「戻ったらオーナーの人に報告しないと……」


 そんな風に呟く柊先生の後ろから、何気なく祠の中を覗き込んでみて驚いた。なんと、祠の中には何も入っていなかったのだ。そればかりか、中は吹き抜けの空洞になっており、中腰になって覗き込むと祠を通して向こう側の景色を見ることができた。


「先生、これはなぜ空洞になっているんですか?」

「なに透くん、興味あるの?」

「はい。実はそれが目的で参加したようなものでして」

「道理で、こういう社交的なイベントに好んで参加するようなタイプじゃないと思ったわ」


 柊先生は何やら忙しなくメモを取りながらも、俺の素朴な疑問に答えてくれた。


「これはね、『にょげんさま』っていう神様を祀る祠なんだけど……」

「あ、最低限のことは知ってます」


 にょげんさまとは、この地に伝わる人喰いの祟り神・妖怪変化だ。『にょげんさま』は祟り神としての名前で、妖怪変化としては『霞天狗』とも呼ばれる。この別名はにょげんさまの身体が霞でできていることに由来する。

 ――と、知っていることをざっくり話すと、柊先生は感心したように「ほほう」と息を吐いた。


「流石に興味があると言うだけあるわね。にょげんさまは、かなりマイナーなのに」

「どうも。それで、なぜ祠の中が空洞になっているんでしょうか」

「それはね、山自体が御神体ってことなの」

「山自体が?」


 柊先生は頷き、得意げに語り出す。


「これは日本の原始的な信仰形態なの。神籬や磐座から『神社』への移行期に、こういう意図の建築がよく見られるわ。本殿がなく御神体を拝むための拝殿しかない。有名なところだと、大神神社や諏訪大社がそうね。このにょげんさまの祠もちょっと特殊だけど意図は同じだと考えられていて、御神体である山を拝めるように中が空洞になっているのよ」


 非常に興味深い。話に出てきた大神神社には生憎と行ったことがないが、諏訪大社なら一度旅行で訪れたことがある。

 柊先生が思った以上にガチな人だったので、つられて俺もついつい饒舌になる。


「そういえば、諏訪大社も同じく『祟り神』と縁がありましたね。確か――ミシャグジ様」


 諏訪大社の祀神は建御名方命だが、それ以前に諏訪大社で信仰されていた土着神がミシャグジ様だったという。その姿は多種多様に語られ、大蛇や龍、男性器なんてものまである。


「おー、ミシャグジ様も知ってるんだ。じゃあ、ミシャグジ様のこんな話は知ってる?」


 柊先生も乗っかってきて、俺たちは暫くミシャグジ様について知識を披露し合い盛り上がった。

 それが一段落すると、話題はもとのにょげんさまへ戻る。


「でも……不思議ですよね」


 俺は、下調べをした時から抱いていた率直な疑問を口にする。


「にょげんさまの『にょげん』というのは恐らく『如幻』……幻の如しを意味する、つまり仏教用語でしょう? にょげんさまは、原始的な信仰形態を残しているぐらい古い神格でしょうに、そんな仏教的な名前は何だかミスマッチに思いますね」


 すると、柊先生は再び感心したように「ほう!」と息を吐いた。


「良いところを突くわね。流石、優等生! 確かに、にょげんさま信仰が始まった時代背景を考えれば、こんな田舎の土俗信仰にそこまで深く仏教用語が入り込む可能性は低いはずよ」

「どうも。……といっても、これはネットの素人記事に書いてあったことそのままですが」

「うわ、現代っ子だ」


 俺と柊先生は顔を見合わせ、同時に笑った。


「でも、ソースはともかく正しい指摘よ。さっき挙げた大神神社と諏訪大社は古事記や日本書紀――所謂『記紀』にも載ってる由緒正しい古い神社だけど、それらと造りを同じにする割には名前が仏教チックで、もともとの神格の名前がハッキリしない。文献とかもあんまり残ってなくてね……そういう呼称の謎を解き明かそうというのも、実は今回調査に赴いた目的の一つだったりするのよ」


 その時、柊先生がハッと目を見開いて腕時計を見た。


「っと、話し込みすぎちゃったみたいね。そろそろ調査もしないと。もし興味があるなら、このことに関しては纏めて本にするつもりだから……」

「本? 先生、本なんて出してるんですか?」

「そうよ、自費出版で」


 民俗学は昔の彼氏の影響で始めた趣味だと言っていたが、まさか本を出すほどにのめり込んでいるとは思わなかった。


「そういうことなら、出たら買いますよ」

「ありがと! いつも赤字なのよねー、助かるわ」


 良いものを見れたし、興味深い話も聞けた。これ以上、好奇心で『先生』の調査を邪魔するのも悪い。後は出版された本でも読むとしよう。

 俺は祠から離れ、雨沢のいる木陰へ向かった。

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