第2話

「じゃーん! どーお?」


 ラッシュガードの上着を捲りあげて、南先輩はその下の水着を俺に見せつけた。上下に分かれたセパレートタイプの水着で、ところどころに可愛くフリルがあしらわれている。俺は、あくまで礼儀として答えた。


「似合ってますよ」

「キャハ♡ なんか視線キモーイ♡」

「自分で見せといてなんですか、その言い草は?」


 準備やら着替えやらが終わっても時刻は六時。俺たち以外はまだ誰も起きてきていなかった。

 聖灘高校の伝統的行事――『サマーキャンプ』。

 三学年の生徒から参加希望者を募り、抽選に受かった生徒を連れて夏休みにキャンプなどを行う催しである。修学旅行などの他の学校行事よりも締め付けが緩いため、合法的に羽目を外したい生徒に人気のイベントだ。

 いついつまでに起きろとか、どこそこへ集合しろだとか、そういう指示的なことは一切されない。なので、他の参加者たちは今頃まだベッドでスヤスヤと眠りこけていることだろう。


「やっぱり、もう少し陽が昇ってからにしません? ここは山奥だし、まだ肌寒いですよ」

「いーじゃん。水に入ったら気にならなくなるって!」


 南先輩は、寒さなどまるで感じていないかのようにラッシュガードを脱ぎ捨て、勢いよく沢へ飛び込んだ。バシャーンと冷たい沢の水が跳ねて、岸にいた俺の顔にもかかる。目元を手で拭うと、南先輩は「キャハハ!」と楽しそうに笑った。


「それにさあ、今だけなんだよ? この大自然を私たちで独り占めできるのは!」


 そう言われて考え込んでしまう。確かに、無理矢理押し切られた形とはいえ、ここまで来ておいてグダグダ言うのも無粋かもしれない。俺は心を決めて、南先輩に付き合うことにした。


「それじゃあ、俺も行きますよ!」

「キャー!」


 俺が沢へ飛び込むと、さっきよりも遥かに大きく上がった飛沫を間近で浴びて、南先輩は甲高い悲鳴を上げる。

 一度水に入ってしまえば気持ちも吹っ切れるもので、それからは沢を泳いだり、岩の上から飛び込みをしてみたり、その辺にいた沢蟹を捕まえてみたり、思いつく限り小一時間ほど遊び倒した。


「はぁ~……そろそろ休憩しません?」

「ふぅ……そうだね。一旦、休憩~♡」


 俺たちは濡れた体をさっとタオルで拭いて沢辺の岩に腰かけた。遊んでいる間に段々と陽も昇ってきており、辺りには夏の陽気がほのかに満ち始めている。霞も晴れ、頭上からは木漏れ日が差す。沢のせせらぎも相まって、リラクゼーション効果は抜群だ。神経質にささくれ立った俺の心も洗われるようだった。


「ねぇねぇ、次はどうしようか」

「元気ですね。俺はもう一日分遊んだような気分なんですけど」

「えー……陽が暮れるまでとは言わないけど、せめて昼までは遊ぼうよー! 陰キャくんもさあ、めいっぱい遊びたくってこのサマーキャンプに参加したんでしょ?」

「あー、それなんですけど……」


 俺は、今が朝食時に言いそびれたことを言うチャンスだと思った。


「実は、柊先生の手伝いに行ってみようかと思ってるんです。だから、遊びに付き合えるのはそれまでになります」

「えー!?」


 今回のサマーキャンプは例年と違い『特別』である。

 引率役の教師である柊先生の意向で、馴染みのキャンプ場からどこのキャリアの携帯も圏外となるような山奥のペンションに変更された。また、ペンションの都合上、定員は七名と例年より半分ほど少なくなった。

 そうなった理由は柊先生の趣味にある。

 その趣味とは民俗学研究。

 サマーキャンプの締め付けが緩いことを引率役の柊先生も利用して、山奥に存在する祠と、その祠に纏わる伝承をキャンプついでに調査するつもりらしい。

 出発前、柊先生は「暇してたらお手伝いしてほしいなー」と、俺たち生徒の方をチラチラと見ながら言っていた。あれはたぶんノリとかジョークの類だったのだろうが、俺は本気にしていた。


「手伝いって……陰キャくんマジにやる気なの?」

「俺、民俗学とかそういうのに興味あるので。サマーキャンプにはそれ目的で参加したんですよ。知ってますか? この地に伝わる『にょげんさま』って」


 南先輩は「知らなーい」と首を横に振った後、不思議そうにコテンと首をかしげた。


「あれえ? でも、陰キャくんってホラーとか苦手じゃなかったっけ?」

「いやいや、民俗学とホラーは全くの別物ですよ」


 俺は民俗学が好きだ。過去の伝承や風俗、その変遷を調べ、当時の人々がどのような感性で世界を見ていたか思いを馳せるだけでも乙なもの。だが一番は、それら過去の感性が地続きで現在に繋がっていると知った時。その時にこそ、俺の心は激しく揺さぶられる。

 一方、ホラーはダメだ。

 あれは人を怖がらせるためだけに存在している呪物だ。皆は俺を「怖がり」だと言うが、向こうが怖がらせに来ているのだから怖がって当たり前だ。何が悪い。

 というか。


「……南先輩。どうして、俺がホラー苦手だって知ってるんですか?」

「えーっと……内緒ーっ!」


 俺から話した記憶はないので、恐らく誰かが俺のいないところで喧伝していやがるのだろう。


(うーむ、そういうお喋り糞野郎の心当たりが多すぎて特定できん!)


 頭の中に悪友どもの顔を次々思い浮かべていると、南先輩がポツリと言った。


「でも、なんか意外……陰キャくんって理屈っぽいから理系だと思ってた」

「理系ですよ」


 得意科目は数学だ。


「民俗学は確かに文系分野ですが、理系だからって文系的な趣味を持ってはいけない理由もないでしょう」

「それは、そう。……まあ、理系だろうと文系だろうと、陰キャくんが雑魚陰キャなことには変わりないけど! キャハハっ! ざぁこ♡ ざぁこ♡」


 あれ、いつもと同じ台詞なのに、なぜだか知らないが今のは妙にイラっときた。

 遊んで疲れてるからか? ちょっと言い返してやろう。


「ともあれ、理系も文系も壊滅的な『無系』の南先輩が言えたことじゃあないですよ」

「え……なんで、そんなこと知って……!」


 南先輩が可哀想なぐらいに顔を真っ青にして取り乱す。幼い容姿と相まって、スッキリするよりなんだか罪悪感の方が大きい。良心の呵責に負け、俺はすぐに種明かしをした。


「適当言っただけです。当たっちゃってました?」


 真っ青だった南先輩の顔が、たちまちリンゴのように赤く染まる。意趣返しは成功したみたいだ。彼女は足先を沢に突っ込んでバシャバシャと激しく水しぶきを撒き散らした。


「こんの~、陰キャくんのクセに! くらえーっ!」

「うわっ! そっちがその気なら!」

「キャーッ! キャハハハ!」


 俺たちはそのまま水のかけあいに突入し、それからまた暫く沢で遊び倒した。

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