第一章 メスガキ、死す

第1話

第一章 メスガキ、死す


 俺、空理くうりとおるの心はささくれ立っていた。

 旅先ではいつもこうだ。枕が合わなかったり、ちょっとした物音が気になったりして、どうにも寝付きが悪く、朝も必要以上に早起きしてしまう。チクタク煩い枕元の置き時計はまだ五時。朝陽の差し込む窓の向こうには、まだうっすらと霞が烟っている。

 そんな生来の神経質を増悪させるものが、ここにもう一つ――。

 俺は、首にはめられた『電子首輪』を撫でた。合成樹脂で覆われた柔らかいとも固いともつかない感触が癪に障る。生まれ持つ〔〕は今、この息苦しい首輪によって封じられていた。


(普段は腕輪で良いのに、こういう学校行事は首輪じゃないと駄目なんだもんなあ~……)


 今日は、聖灘高校主催のサマーキャンプ二日目。

 一日目に当たる昨日が、山奥のペンションへ向かうバス移動で殆ど潰れてしまったことを考えると、実質的には今日が初日のようなものだ。普通なら、これから始まる楽しい時間に心躍らせたりするものかもしれないが、俺は生憎の寝不足で頭も気分も重たかった。

 全くもって幸先が悪い。

 とはいえ、これは事前に予想できたことだった。

 なにせ、こちとらもう十五年もこの神経質と共に生きているのだから。

 その上で、キャンプなんてイベント事に参加しているのには、もちろん理由がある。

 それは――今回のサマーキャンプが『特別』だったからだ。

 二度寝をする気分でもなかったので、俺はのろのろとベッドから抜け出し、洗面台で顔を洗った。タオルで水気を拭き取り、何となくぼけっと鏡に映る自分の姿を眺める。

 睨んでいるのかとよく言われる目付きの悪い目、ヒゲのあまり生えない顎、ところどころ寝癖が付いてハネている茶っぽい黒髪。どこのクラスを覗いても一人二人はいるような平々凡々な容姿だ。


(うん、いつも通り。これぞ空理透さんのご尊顔だ)


 だが、やはりいつもと違ってややお疲れ気味のご様子だろうか?


「はあ……なんか腹減ったな」


 流石に、まだ朝飯の準備はできていないだろう。だが、このままテレビもないような部屋にいてもすることはない。

 とりあえず、食堂のある一階へ下りてみようかと考え始めた――まさに、その時だった。

 ――コンコン。

 ノック音がした。完全に不意を打たれ、ビクッと俺の両肩が飛び跳ねる。こんな朝早くに誰だろう。迷惑な奴だと思いながら、俺は音がした方へ振り返り――凍り付いた。

 振り返った先は窓辺だった。

 ドアとは、全くの正反対に位置する。


(ここ……二階、だったよな……?)


 口から飛び出そうなほどに暴れる心臓の鼓動を感じつつ、灰色の脳細胞をフル回転させる。このペンションには、ベランダのような人が潜めるスペースはない。昨日、窓を開けて裏手に広がる山々を眺めたが、ペンションの壁には壁と同じ白色で塗られた雨樋が這っているのみだったはず。

 誰かのイタズラということはありえない、とすると。


「……風、か?」


 いや、それにしてはヤケに音が連続的で、ノックじみていて……。


(やめよう。流石に神経質すぎるぞ)


 旅先で「枕が変わると眠れない」という奴は、単に神経質で気が立っているだけらしい。

 まさしく、それは俺のことだ。

 音の出処を確かめる勇気もないし、怖いし、とにかくこのまま部屋にいたくない。

 俺は一階へ下りることにした。もし朝食の準備ができていなかったら、その時は食堂で待てばいい。きっと、この部屋よりは居心地が良いはずだから。


(確か……俺の部屋の真下に食堂があるんだったよな)


 部屋を出て、廊下中央に位置する折り返し階段を下りると、まず正面に玄関が見えてくる。右手側にはスタッフルームがあり、目的の食堂は左手側にあった。ちなみに、階段を裏手へ回ると裏口がある。

 食堂には嵌め殺しの大きな窓が廊下側に付いており、階段を下り切らぬうちから中の様子を窺えた。どうやら、こんな朝早くにも関わらず先客がいるようだ。

 華奢で、子供のように背丈の低い女の子が、他に誰もいない食堂の真ん中で一人寂しく黙々と食事を取っていた。彼女がその小さな口でパンを齧る度、側頭部で結ばれたツーサイドアップの艶やかな金髪が揺れる。

 彼女の首元にも、俺のと同じ電子首輪が装着されていた。

 食堂に入り、俺は先客に軽く挨拶する。


「南先輩。ども。隣、良いですか」

「あーっ、陰キャくんじゃーん! キャハっ、いーよ!」


 いつも通りどこか棘のある歓待を受けつつ、俺は南先輩の隣に座った。

 彼女は高梨たかなしみなみ。初対面時に「名字呼びは陰キャっぽい」と言われて以来、俺は名前呼びで「南先輩」と呼んでいる。

 南先輩とは、体育祭の時に子供と間違えて応対して以来の付き合いだ。といっても、俺が高校一年生であるのに対し、彼女は三年生。学年が二つも違う上に部活動も違えば、顔を合わせる機会などそうない。たまに顔を合わせた時に少しやりとりする程度の仲だ。

 だが、仮にも顔見知りだというのに、二人しかいない食堂でわざわざ離れて座るというのも避けてるみたいで変だと思い、せっかくなのでこうして声をかけてみた次第だ。

 断じて、さっきのノック音が尾を引いているとかではない。


「陰キャくん、朝早いねー」


 南先輩があどけない顔で意地悪く笑う。俺は愛想笑いを返した。


「旅先では寝付きが悪いんですよ」

「えー、雑魚じゃん。ざぁこ♡ ざぁこ♡ よわよわ神経~♡」

「はあ。そういう先輩も早いですね」

「キャハッ、部活の癖かなー!」


 南先輩は陸上部に所属している。子供と見紛うほどの矮躯だが、これでスポーツ推薦を貰って入学できるくらいには足が速いそうで、インターハイにも出場経験があるとか。


「……どうぞ」


 ここで、不機嫌そうに顔をしかめた頑固そうな初老の男性が、朝食を乗せたトレーを俺の前に運んできてくれた。彼が、このペンションのオーナーだ。もともと、このペンションは彼と奥さんの二人で始めたものだそうだが、数年前に病で奥さんに先立たれてからは客数や営業期間を絞って一人で切り盛りしているという。


「ああ、どうも。ありがとうございます」


 取りに行った方が良かったかなと、不機嫌そうに隣接する厨房へ引っ込んでゆく背中を見て思う。気を取り直して、俺は朝食に手を付けた。


「おいしいですね」

「そーお? 普通じゃない?」


 おいおい。


「……あんまり、そういうことを大声で言うものじゃないですよ」

「キャハハハハ! そーいうとこめっちゃ陰キャっぽーい!」


 全く、この人は……よくぞ、これまで痛い目に遭わず生きてこれたものだ。

 巡り合いと周囲の人間の好意に感謝した方がいい。

 それから間もなく、先に食べ始めていた南先輩が先に食事を終える。彼女は席を立ち、『食器はここへ』と示された台の上にガシャンと乱暴にトレーを置いた。


(ああもう、オーナーが気難しい人だって分からないかな? 今、物凄く顔をしかめたぞ)


 厨房から送られる人殺しのような鋭い眼光に、南先輩は気付いているのか、いないのか。他人事ながら、神経質な俺は気を揉んでしまう。注意しようかとも思ったのだが、それより先に南先輩が早口で捲し立ててきた。


「ねえ! この後さー、一緒に水遊びしよーよ。水着、持ってきてるんでしょ?」

「あー、持ってきてますけど――」

「じゃあ、決まり! 先に着替えて外で待ってるねー!」


 一方的な、あまりに一方的な約束をして、南先輩は風のように食堂を飛び出していった。


「今からですか!?」


 食堂の古めかしい振り子時計を見ると、時刻はまだ五時半にもなっていなかった。

 朝食を再開しながら、俺は苦笑する。


「元気だなあ……」


 だが、口では呆れたようにそう言いながらも、少しワクワクし始めている自分がいた。

 起き抜けに聞いた不可解なノック音のことなど、すっかり忘れて。

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