第6話

「急に言われても返事はできないだろうから、今晩ゆっくり考えてみてよ」


 そう言ってからサニアを残して風呂からあがる。しかし、格好をつけようとしたのがまずかった。危うく前を隠すのを忘れる所だったのである。すれ違う際には互いに真っ赤な顔をする羽目になってしまう。

 それとサイダーの空き瓶やコップも放置したままになっている。やはりどこか締まらないジクウであった。


「コホン。マディンさんもな。明日いい返事が聞けることを期待しているから」


 脱衣所に向かう道すがら木立に隠れていたマディンにも声を掛けておく。実はそんな所にいるとは思ってもいなかったので内心驚いていたのだが、何とか顔には出さずにすんでいた。

 理性を忘れてサニアに飛びかかるような真似をしないで良かった、と心の底から思うのであった。

 

 そして脱衣所から出た所で宿の女性陣に囲まれる。皆一様に険しい顔つきをしていた。

 まずい、子どもたちを連れている――何かあった時には風呂場へ突入させるつもりだったのだろう――所をみると、結構本気で心配させてしまったようだ。


「えっと、皆に相談もなく話を進めてごめんなさい」

「あちらに行くのはジクウなのだから、あなたが良いと思うようにやればいいわ」

「彼女たちもおかしな搦め手を使ってきた訳でもないし、リピーターになってくれそうな人は確保しておかないと、ね」


 この新世界で起きたことはすべからくこの女性たちに知られてしまう運命にあるのだが、先ほどまでの露店風呂での会話もしっかりと耳に入っていたようだ。

 プライバシーとか倫理上問題とかありそうな気もするが、ここはそういう世界なのであり、彼女たちはそういう存在なのだから仕方がない。


「でも、どうしてジクウは露天風呂に入っていたのかしら?確か「夜は従業員用の自分の部屋からは出ないようにしますから、何かあった時の応対はお願いします」とか言っていたわよね?」


 お咎めなしだとホッと一息つこうとした段になってきつい一言がとんでくる。しかもご丁寧に声帯模写までして数時間前の記憶を呼び覚ますものだから、「オウ!すっかり忘れていたヨ。テヘリ♪」などと誤魔化すこともできない。


「女の子と混浴してた……」


 名工の手によって鍛え上げられた名だたる刀も霞んでしまうような切れ味鋭い言葉の刃が襲いかかってくる。風呂に入ったばかりだというのに、いやな冷や汗が背中を伝っていくのを感じていた。


「あれに釣り合うこととなると、今晩は私たちと一緒に――」

「子どもたちに緊急任務を与える!」


 それ以上言わせてはいけない!ほとんど条件反射で大声を上げて台詞を遮っていた。


「俺が部屋に戻るまで姉さんたち五人を足止めすること!報酬は俺の世界の飴ちゃん十個セットでどうだ!?」


 言い終えたと同時に女性たちの後ろにいたはずの子どもたちがジクウを守る様にして立っていた。


「あ!こら、お前たち!」

「食べ物で釣るなんて卑怯よ!」

「ていうか、私も欲しい!」

「そうじゃないでしょ!」

「逃げるなー!」


 一瞬の隙をついて反転すると、脱兎のごとく走りだす。

 女性陣もさすがに子どもたちを力づくで排除することには躊躇いがあったようだ。


 実はジクウには、この新世界とサニア達の世界を繋ぐ門を開くという以外に、もう一つだけ特別な力を持っていた。

 元いた世界、すなわち現代日本からある品を呼び出すというもので、それこそが彼の切り札たる『飴ちゃん召喚』である!


 まあ、本来は色々なものを召喚できる――無生物に限る――はずなのだが、ジクウの魔力が低いせいなのか、何度やっても飴ちゃんしか召喚できていないのであった。

 それでもこの世界の不思議パワーで再現されたもの――ジクウやサニア達が食べた夕食がこれに当たる――とは違って深い味わいを持っているそうで、子どもたち並びに女性陣に絶大な人気を誇っていた。


 その後、最短距離で部屋に戻ったジクウだったが、走り回って大汗をかいており、結局寝床に就く前にもう一度部屋でシャワーを浴びることになってしまったのだった。

 そして報酬に飴ちゃんを貰った子どもたちが、その種類の違いから喧嘩を始めてしまったことも併せて記しておく。



〇〇△△□□〇〇△△□□〇〇△△□□〇〇△△□□〇〇△△□□



 翌朝の玄関ロビーには、着いた時と同じ鎧姿のサニアとマディンの姿があった。

 いや、ブーツと脛当ては着けておらず、スリッパを履いたままである。わずか一晩の間に和風な様式にすっかり慣れてしまっている。

 しかもマディンの片手にはいつの間に購入したのか、お土産の入った袋が握られていた。

 その割に二人とも顔つきは真剣なのだから、ジクウたちがどう反応すればよいのか迷ったとしても仕方のないことだろう。


「世話になったな。こうした宿に泊まったことはなかったが、食事も部屋も私がこれまで経験した中で最高級に位置するものだった」

「お褒め頂きありがとうございます」


 それでも女性陣の立ち直りは早く、サニアの言葉に深く頭を下げていた。

 挨拶がすむと、今度はマディンが前に出てきて手にしていたものをキタに渡す。ジクウはなにげなくそれを覗き込んで目を見開いた。そこに置かれていたのはウィクル王国の銘が入った大金貨だったからだ。


 大金貨というのはウィクル王国のある大陸で使われている共通貨幣の上位に位置するものである。

 それぞれ発行した国の中でしか使用できないという制限はあるものの、大金貨同士の交換自体は可能――ただし全て等価値であり、交換レートは建前上では固定されている――であるため、実質的には上位通貨として流通している。


「こんなには受け取れないぞ!」

「何故だ?お前は最初に代金はこちらで決めろと言っていたではないか。そして私はそれだけの価値を感じている」

「うぐっ……」


 貧しい人でも泊まれるようにと考えて設定したのが仇になってしまった。もちろん貧しいなりに有り金全てで支払おうとする場合もあったのだが、その気持ちだけで十分と言ってやんわり断っていた。


「分かった。でもその代わり王都までは送らせてくれ」

「せっかくの申し出だがそれも必要ない。向こうへ着いたら私たちだけで動くことにする」

「どうしても?」

「ああ。どうしても、だ。」


 サニアの眼には強い決意が込められていた。


「送らせてくれるなら、食事はこちらで用意させてもらうけれど?」

「え!?」


 しかし直後に発せられたジクウの一言に揺らぎ始める。


「サニア様」

「はっ!い、いかんいかん。……非常に魅力的ではあるが、辞退させてもらう」


 本人としては毅然とした態度で断ったつもりだろうが、傍から見ると未練があったのは丸分かりだ。それに何と言っても魅力的だということを暴露してしまっている。

 もうひと押しか。


「泊まる場所も用意できるぞ。そうだな、夜は用心のためにこちらに戻ってきてもいい」

「止めろ!私たちだけで行く!行くったら行くんだ!」


 サニアは癇癪を起した子どものように叫ぶと、荒い足音を立てて玄関へ向かう。


「やり過ぎましたかね?」

「あの方は強情だから何を言っても結局はこうなっただろう。それでは私も失礼する」


 目礼をすると、サニアに続いてマディンも玄関で靴に履き替えて出ていってしまった。


「完璧に拒否されているけれど、まだ手伝うつもり?」

「後は状況次第でしょうかね。それよりも、この後団体さんを放り込むことになると思いますから、準備を進めておいて下さいね」


 心配そうに尋ねてくるアオキに、トレッキングシューズを丈夫にしたような謎な靴に履き替えながら答える。


「思いっきり手伝うつもりじゃないの。はいはい。こちらは任せておいてちょうだいな」

「それじゃあ俺も行ってきます」


 苦笑するアオキに笑い返して、女性達の「いってらっしゃい」という声を背中に聞きながら歩き出す。

 どうせ門の所で合流するのだ、先行している二人に無理に追い付くような真似はしない。ただ走るのが面倒だというだけの理由かもしれないが。


 門の前ではサニア達だけでなく、子どもたち五人も勢ぞろいしていた。


「ん?皆もこっちから行くのか?」


 と聞くと全員がコクコクと頷いている。何やら感じる所があるようなので、その判断に任せることにした。


「こんな子どもたちも連れていくのか?」


 しかしこちらの事情を知らないサニアは困惑顔だ。


「そうだけど。というかこの子たちがいないと、あの車が進まないし」


 その台詞にますます困惑するサニアだったがとりあえず今の所は放置する。あれは口で説明されるよりも実際に見た方が理解し易いはずだ。

 予想している通りの展開になるとすれば、そんなに時間を置かずにその答えを見せることができるだろう。そんな訳でジクウを先頭にサニア、マディン、子どもたちの順に門を潜ったのだが、


「狭いな」


 さすがの箱車も八人も中に入ると狭かった。とりあえず外に出るためにスマホを操作しながら子どもたちに指示を出していく。


「結界範囲を広げるから、皆から先に出てくれ」


 現在は一になっている範囲を三にまで広げる。これでこの車を中心に半径五メートルくらいの周囲が結界の中に入ったことになり、それを感じ取ったのか扉に一番近い子どもたちから順次外へ出ていく。


 ところで、それだけの広さだと街道を結界で塞ぐ形になってしまい、急ぎの馬車などが突っ込んできた場合は大惨事になってしまうということに誰一人として気付いていなかった。

 ほとんど利用者がいない街道だったことは不幸中の幸いといえるかもしれない。


「うーん、こちらもいい天気だな」


 大きく伸びをした瞬間、街道をはさんだ森の中からジクウめがけて矢が飛んでくる。

 しかしその矢は結界に阻まれてあえなく地面へと落下した。


「やっぱりいたか。というか何で俺が最初に狙われる訳!?」


 車から降りて早々に襲撃があるのではと予想していた――だからこそ結界を広げたのだ――ジクウだったが、まさかいの一番に自分が狙われるとは思ってもいなかった。


「まずはサニアさんたちじゃないの!?もしかしてごく普通の盗賊?」

「普通のとか盗賊にそんな分類があるか!それよりもまず私からというのはどういう意味だ!」

「ちょっとした言葉のあやダヨー。……コホン。それはともかく、あー、そこに隠れているのは分かっている!速やかに姿を見せなさい!繰り返す。そこに隠れているのは分かっているのでさっさと出てきやがれこの野郎!」


 と言われて出てくるはずもなく、その代わりにヒュン!と先ほどとは違う位置から矢が飛んできた。


「…………」


 その矢自体は今回も結界に阻まれてあっさり地面に落ちているのだが、こちらの面々は冷ややかな目でジクウのことを見ていた。


にいるのは分かっている、か」

「いやジクウ君、今回矢が飛んできた方向へこっそりと体の向きを変えようとしてもダメだぞ」


 ついにマディンにまで突っ込みを入れられてしまう。そんなことで誤魔化せると思っていたのだろうか。浅はかである。

 などとコントのようなやり取りをしている間に追加でもう一本矢が飛んできた。今度も狙いはジクウである。


「今までの二発よりも早い一撃だったな」

「はい。矢の軸も一回り太く、そして長くなっています。恐らくはイーヤで使われている長弓かと」

「ふははははははは!無駄無駄無駄!その程度の矢で我が結界が破れるものかよ!」


 サニア達が分析する横で、ジクウがまるで悪役――ただし、三流の――のような台詞を吐いている。

 もちろん挑発しているのだが、さて今度はどう出てくるか?


 ヒュンヒュンヒュンヒュンヒュン……!


 次から次へと連続して矢が飛んできた。強力な一撃でダメなら数で勝負、ということらしい。


「連射の頻度からかなりの腕前の者たちと見えます」

「上空に打ち上げて弧を描くように狙っている者もいるな。安い挑発に乗ったように見せかけてその実冷静だな」


 とサニア達がのんびり話していられるのは当然上方にも結界が展開しているからである。

 そしてその内火矢まで打ち込まれ始める。それだけではない。結界に当たった瞬間周囲を凍りつかせたり、突風が吹いたり地面を抉ったりするものまで出てきている。


「おおう!魔法剣ならぬ魔法矢か!カ、カッコイイじゃないか!……とはいえ、これじゃあいつまでたっても出発できないな。皆、追い払ってくれるか?」


 そう言われると待っていましたとばかりに子どもたちが一斉に頷いた。

 そしてサニアが何か言う前にその姿がまぶしい光に包まれると、それをいぶかしんだのか襲撃者たちの攻撃も止まっている。


「な、何が起きているのだ!?」

「心配ない。様式美に則って、変身シーンは見えないようにしているだけだから」


 光が治まった時には、大きさこそ人間サイズであったが、そこには黄龍、蒼龍、玄武、白虎、朱雀という五体の神獣が存在していた。


「それじゃあ頼んだ。あ、やり過ぎには注意しろよ」


 言葉にならないほど驚いている二人を後目にジクウが合図を出すと、神獣たちは弾かれるように飛び出していった。

 対して襲撃者たちが我を取り戻すまでわずか一秒という短さだったが、神獣を相手取るには大きすぎる隙となった。

 生い茂る木々をものともせずに一瞬で肉薄した神獣たちは、弓を持ったままで迎撃態勢を取ることもできずにいた襲撃者たちに次々と体当たりを食らわせていく。


「そ、総員撤退!」


 リーダーらしき者の声が響いたのは、それからすぐのことだった。


「追いかけなくていいから、その辺に落ちているものを拾って来てくれ」


 了解したといわんばかりに森の中から聞こえてくる鳴き声に満足しつつ、ジクウは呆気にとられたままの二人に向き直った。


「どうやら俺もあの怪しい連中に狙われているようなんだけど、どうせなら追われている者同士で一緒に王都まで行かないか?」


 内容とは裏腹に、その顔には笑みが浮かんでいた。

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