第5話

 〈宿屋しんせかい〉ができたのは、新世界が誕生してから約一カ月後のことであった。厳密に言うと違うのだが、体感では大体その位の時間だったらしい。

 それではその前には何があったのか?


 答えは何もなかった、である。


 いつの頃からか、そこには神がいた。神は複数存在していて、互いを感知することで己が神であることを理解していく。

 やがて神々は神である故になすべき仕事に取り掛かる。


 天地創造である。


 ところが、いざ世界を創り始めた所で思わぬ事態に遭遇することになった。

 天地たる空間を創ることはできた。しかしそこにあるべきはずのもの、生命を創ることができなかったのである。


 困った神々は必死になって考えた。そして出した結論が、既に存在している世界から情報を得る、ということだった。

 早速神々は繋がるべき世界を探し始める。ほどなくしてその世界は見つかったのだが、その際にまたしても予定外のことが起きた。


 世界同士が繋がる時に一人の少年が紛れ込んだのである。

 それはもしかすると必然であったのかもしれない。

 ともかく二つの世界は少年を媒介として繋がることとなった。


 少年の名は天谷時空あまやじくう。輝いている自分の名前が苦手なこと以外は、どこにでもいるようなごく普通の少年だった。その彼がどんな因果によるものか、現代日本から神々が造りだした新世界へと引き寄せられてしまったのだ。

 しかもその世界が育っていくために必要な、もう一つの世界へと繋がるための媒介としての能力を与えられて。



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 ポケットに入れっぱなしになっていたスマホの振動で我に返る。思っていた以上にゲームに集中し過ぎていたようで、画面隅にある時計を見ると、もうすぐ午後六時になろうとしていた。

 かれこれ二時間以上は狩りゲームをしていたことになるが、それでもお目当てのドロップ品には巡り合えていなかった。その代わりに激レア素材などは手に入っていたりするのだから、こうしたゲームにありがちな、とあるセンサー機能は異世界であっても有効であるらしい。

 薄々感づいてはいたが、残酷な現実に打ちのめされた気分である。


 おっと、いつまでもこうしてはいられない。そろそろ夕食の時間なのだ。

 お客様のもてなし自体は女性陣に任せるべきだが、何かあった時のフォローをするためにも同じ場所にはいた方がいいだろう。

 改めてスマホを見てみると、案の定夕食ができたことを知らせるメールが入っていた。


 以前は手すきの誰かが部屋の前まで呼びに来ていたのだが、ある儀式の最中だったことがあり、それ以来はこうしてメールでの呼び出しとなっている。よみがえってきた暗黒の記憶に身悶えてしまいそうになる。


 ダメだダメだ。いつまでも過去を引きずっていても仕方がない。

 前向きに行こう!今日の夕飯は何だろう?無理矢理意識を切り替えて食堂へと向かう。


 途中で料理を運んでいるキタとシロカネに出会った。


「あらジクウ、どこに行くの?」

「どこって食堂ですよ。夕食の準備ができたって連絡を貰いましたから」

「え?夕食は宴会場よ。そう書いてなかった?」


 久しぶりの客ということで、どうせならばとことん和風で歓待してはどうかという話となり、畳敷きの宴会場に案内することになったという。

 しかし改めてスマホを確認してみるものの、そこには短く『夕食できたわよ』という文があるだけだった。


「クロサワにしては珍しいミスね。でも、ここで私たちに会えたのだから問題ないか。一緒に行きましょう」


 ということで食事を運ぶ二人の後ろに引っ付いて食事の間へ。

 宴会場は畳百畳を超える大広間であるが、本日のお客は二人だけということで十畳ほどを襖で区切って小部屋にしていた。

 中に入ると既にサンディーことサニアとマディンが席――畳部屋なので座布団――についていた。


「もしかして待たせちゃったかな?」

「いや、我々も今来たところだ」


 努めて軽めの口調で話しかけるが、二人とも特に表情を変えることはなかった。

 分かりやすい偽名を使っていることからある程度の予想はしていたが、ざっくばらんな話し方でも問題ないようである。


 そして当の二人だが、鎧姿ではなく客室に置かれていた部屋着である長袖のシャツとハーフパンツという格好に変わっていた。

 更にサニアは体のラインが見えないようにガウンを羽織っており、反対にマディンは服の上からでも鍛えられた体型が見て取れた。一応客室には浴衣も常備していて着方も説明するようにしているのだが、中世ヨーロッパ的な文化圏から来た彼女たちには敷居が高かったようである。


「着替えているってことは浴場に行ったのか?」

「部屋の風呂を使わせてもらっただけだ。……ジクウよ、ここは一体どうなっているのだ?じゃぐち、だったか?あんなものを回すだけで水だけでなく湯まで出てくるなんてどういう仕掛けが施されているんだ?」


 恐らく驚き過ぎて逆に冷静になっているのだろう、問い掛けるサニアの声は落ち着いていた。

 ただしその横ではマディンが難しい顔をしていたので、二人して大騒ぎした後なのかもしれない。


「水の方は近くの湧水から引いている。お湯は温泉の中に管を通して、その中を水が通ることで温められているという具合さ」


 本当は違うのだが、面倒なのでそう答えるようにしていた。

 それにしても魔法なんていう不思議パワーがあるのだから、もっと文明・文化レベルが上がっているべきだと思うジクウである。

 実際にはその魔法があるが故に、とりわけ道具や技術の発達が遅れているのだが、そこまで異世界の事情に詳しくなれというのは酷なことだろう。


「夕飯を食べ終わったら今度は大浴場に行ってみることをお勧めするよ。広い湯船でたっぷりのお湯につかる感覚は格別だから」


 そして最終的には〈宿屋しんせかい〉名物――になる予定――の露天風呂にも入ってもらいたい。まあ、これに関しては個人の信条や風習などもかかわってくるために無理強いできるものではないのだが。


「お風呂もそうですが、夕飯の方も楽しんで頂けたら幸いです」


 最後の一品、お櫃(ひつ)に入った炊き立てのご飯を持ってキタが部屋へと入って来る。


「キタさん、二人にスプーンとフォークは?」

「お膳に用意させて頂いています」

「了解。えっと、話は聞いていると思うけれど、夕食は俺の故郷の料理を用意させて貰っている。それでちょっと変わった食べ方をする物もあるので俺も一緒に食べることになったのだけど、問題ないかな?」

「構わない。むしろそうしてくれた方が助かる」


 目の前に置かれた料理の数々に困惑気味だ。

 そうこうしている内に全員の茶碗にご飯が装われていた。


「あ、食前の御祈りはご自由にどうぞ。……それじゃあ食べようか」


 こうして始まった夕食は、途中でサニアが「何だかジクウに負けたような気になる」と言って、箸を使おうとして大失敗をするというハプニングをはさみつつ、終始賑やかに過ぎていくのだった。



〇〇△△□□〇〇△△□□〇〇△△□□〇〇△△□□〇〇△△□□



 深夜、そろそろ日付が変わろうかという時間にジクウは一人露天風呂に入っていた。

 用がない限り自分の部屋からは出ないと言っていたのだが、サニアに大浴場を勧めたことで我慢ができなくなってしまったのである。


「ふあー、いい湯だねえ。天然温泉にいつでも入り放題なのがここのいい所だよな」


 油断していると女性陣が乱入してきて――鼻血を噴いて――失血死の危険性があることだけが玉に瑕である。


「こうやって月を見ながらの温泉っていうのも風流だな。まあ、月見酒とはいかないからちょっと締りが悪いけど……」


 持ち込んでいたサイダーを瓶からコップに移す。


「月のウサギに乾杯」


 冗談でも何でもなく、中天にかかる月によく目を凝らして見るとウサギたちが忙しなく餅をついているのが分かる。目の良い者であれば、乾杯の声に合わせて手を上げていたウサギも見えたことだろう。


 彼らはジクウが新世界にやってきたことでこの地?に住まうことになった者たちだった。地上ではなく月に住みついた当たり、彼らは遠い宇宙の果てからやってきた種族なのかもしれない。

 ちなみに彼らのついた餅は『月ウサギの餅』としてロビーの土産物コーナーで販売されていたりもするのだが、一体どうやってあの月からこの場所まで運んでいるのかは知らされていない。謎である。


 とにもかくにもこの調子でいけば、新世界はファンタジーも真っ青な摩訶不思議ファンシーワールドになることは間違いないだろう。

 そして実際にファンタジー世界の出身であるサニアはその光景を見て呆然としていた。


「えっと、言いたいことはたくさんあると思うけれど、気にしないのが一番だぞ」

「そ、そうだな。ここまで非常識だといっそ清々しいか」


 ジクウにとって非常識の塊である魔法などというものが存在する世界の住人をもって非常識と言わしめる新世界、恐るべし。サニアたちにもここが独立した一つの世界であることは、簡単にだが説明済みである。


「可愛いし、風情があるからいいんじゃないか」

「その点には同意しよう」


 可愛いものが好きというのは世界を超えても女性に共通のもののようだ。ジクウたちの声が届いたのか、月面で数匹のウサギが照れていた。


 そして時間だけが過ぎていく。


 浴槽の縁に腰かけたサニアは混浴用に貸し出している水着を着ていたのだが、水着は水着という訳でどこまでいっても水着なので色々と見えてしまっていた。

 一方のジクウは誰かが入ってくるとは欠片も考えていなかったために素っ裸である。

 一応タオルは持ってきてはいるが、はたしてそれでどこまで隠し通せるものか。


「えっと、サイダー飲む?」

「それは近寄っても構わないということか?」

「ごめんなさい、この距離をキープでお願いします」


 そろそろ逆上せてきそうだったので意識を逸らそうとしたのだが、ものの見事に自爆してしまった。唯一ましなのはサニア自身がこの色仕掛け?に完全に乗り気ではないということか。


「気持ちいいわね」

「え?」


 そんな風にどぎまぎしていたので、サニアの変化に気付けなかった。


「お風呂よ。こんな風に開けた場所で入るのがこんなにも気持ちいいとは思ってもみなかったわ」

「あ、ああ。この露天風呂と大浴場はうちの一番のウリだから」


 二人の会話は微妙に噛み合わず、再び沈黙が広がっていく。このままではまずいと感じたジクウは瓶を掴むと残ったサイダーを一気に喉の奥へと流し込もうとして、ものの見事に咽た。


「だ、大丈夫なの?」


 その口調に違和感の正体に気が付く。どうやら苦しい思いをした甲斐があったようだ。周囲に漂っていた湯気が消え去った気がした。

 そして運の良いことに気がしただけだった。もしも本当に湯気がなくなっていたら、水着姿のサニアを間近に見てあえなく撃沈していた所である。


「サニアさんって普段はそんな喋り方するの?」

「え?ええ、そうだけど……」

「それにしては口調が固いね」

「…………」

「俺の故郷に裸の付き合いって言葉があってね。意味はちょっと違うかもしれないけれど、こんな場所だし本音で話そうや」


 真っ直ぐに彼女の眼だけを見る。決して他の所が視界に入ると大変なことになるからではない。誠意と真心を持って見つめ続けることしばらく、サニアは「ふう」と息を吐いた。


「……ああ。そうだな」

「やっぱりそっちが素だったんだ?」

「まあな。堅苦しい王宮で過ごしたからか、いつの間にかこんな話し方になってしまっていた」

「ふうん。でも格好いいと思うよ」

「格好良い、か?そんなことを言われたのは初めてだな」

「そう?それじゃあなんて言われていたんだ?」


 湯けむりを通して思案する美人が見える、何とも絵になる景色だ。


「一番多いのは女だてらに生意気、だな。もちろん面と言われたことはないぞ。そんなことをすれば一発で牢獄行きだからな。……つまり私はそういう立場の人間だということだ」

「どんな立場だって関係ないさ。その連中は単に見る目がなかったってだけ」

「ふふふ。そうか……」


 こちらの反応を見ようとしたのだろう、唐突なカミングアウトだったが何とか乗り切れたようだ。


「ジクウは、自由なのだな」


 その一言には様々な感情が込められていた。だから正直に返す。


「そんなんじゃない。ただ根なし草なだけ」


 これは偽りのない本音である。サニア達の世界だけでなくこの新世界においても、彼にとって本当に寄る辺たりうるものはないだから。


「だけど、そんな根なし草だからこそ触れあった縁は大切にしたいと思ってる。……サニアさん、実はうちの宿はアフターフォローも重要視しているんだ」

「どういうことだ?」


 怪訝な顔で問い返すサニアに、ジクウはニヤリと笑ってこう言った。


「つまり、ちゃんと家まで送り届けますよ、ということさ」

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