第4話

 サンディーたちが角を曲がり見えなくなると、ジクウは宿帳代わりのノートを覗き込んだ。


「ふうん、サニアさんにマディンさん、ね」

「名前を聞いていなかったの?」


 ノートとボールペンを持った白い服の女性、シロカネが少し驚いたように尋ねた。


「聞いた所でまともに答えてくれそうになかったですからね。多分ここに書かれたものとはまた違った名前になっていたとは思いますよ」

「つまり、偽名だと思っている?」

「ええ。それで正解?」


 振り返って黒地の服のクロサワ女史に声を掛けると、彼女は首を縦に一つ振る。


「正解よ。詳しい話は事務所の中でしましょうか」


 事務室は玄関ロビーの脇に設置されている受付カウンターの裏にあり、その正面には土産物コーナーが陣取っていた。

 事務室に入るとジクウは早速置かれているソファの一つに座り込む。


「だあー、疲れたー」

「ちょっと走っただけでそれ?運動不足が過ぎるんじゃないの」


 倒れ込むようにして座る彼にお茶を差し出しながら、赤い服の女性が苦言を呈す。彼女が先ほどスマホで連絡した時に話していたアカミネである。

 そして客を部屋へと案内して行ったのがアオキであり、彼女たちが身に付けているのは和服を模したものだ。和服を見たことも聞いたことのないサンディーたちにとっては、不思議な格好に見えたという訳であった。


「俺はきっと前世では病弱で薄幸の美少年だったに違いない。だからこんなにも体が弱いんだ……。あ、あの子たちはどうしているんですか?」


 小芝居を挟むも、誰も相手にしてくれないと悟るや否やさっさと話題を変える。やはりこの男、体力とは反比例して鋼メンタルの持ち主のようである。


「子どもたちならしばらく自由にしていいと言ってあるから、どこかに遊びに行っているんじゃないかしら」


 そしてそのことを何とも思わない女性たちも相当な精神力である。ただ慣れているだけなのかもしれないが。


「それじゃあ本題に入りましょうか。まず女の子の方だけど、サンディー・ウィクリ。名前から分かる通り、ジクウがいたウィクリ王国のお姫様よ」

「なんと!?ただの女騎士ではなく姫騎士様だったという訳ですか!」

「んー?どうしてそんなに嬉しそうなのかなー?」

「ここはふざける場面じゃないんだから、きちんと聞きなさい」


 ジクウの両側に座るアカミネとシロカネが空気を読まない発言をする口を引っ張る。もっともその理由は異なっていたようだが。


「はいはい、話を進めるわよ。男の人の方はマディン・カシュー、本名だけど姓を隠していたわね。こっちはお姫様のお付き兼護衛といった所かしら」

「残念、戦うメイドさんはいない……ごめんなさいちゃんとします」


 ジクウが更に茶化そうとしたところでギロリと――ジロリではなくギロリ、殺気が籠っていた――四方から睨まれる。

 その時になってようやく客人二人の抱える厄介事が本格的に面倒なことなのだと思い至り、姿勢を正した。


「簡単に言うと彼女、後継ぎ問題で殺されそうになっているみたいよ」


 彼女たちの話をまとめると、まず現ウィクリ国王には隣国マスンの王族出身である正妻の子で姉のサンディー王女と、国内の有力貴族の出である側室が産んだ弟のサディッツ王子の二人の子どもがいるのだが、昨年王が病床に着いたのをきっかけに後継者争いが勃発、家臣団の各派閥が二人を旗印として祭り上げ始めたのだそうだ。


「何というか、よくある話ですね」


 更に王弟であるイラフが王子派に付いたために、これまで続いてきたマスン王国との協調路線を今後どうするのかという問題にまで発展し、事態は混迷の一途を辿ることになる。


「これまたよくある話ですよね」


 そしてどうやらイラフの後ろ盾として別の隣国であるイーヤ王国が存在しているようなのだ。

 ウィクル王国とイーヤ王国は数十年前に起きた戦争の影響で半ば断絶状態にあるのだが、改善を望む声は多い。つまりイラフは一旦サディッツを王位に就けた後、何らかの手段で傀儡化して権力の座に就くつもりなのである。


 その際の分かりやすい成果としてイーヤ王国との国交と流通の回復を準備している――ただし、両国にとって正常な関係となるかは不明である――という訳だ。現状ではマスン、イーヤ共に直接的な介入はしてきていないが、それも時間の問題だろうと思われている。


「うん。よくある話によくある話を重ねて、そこによくある話を掛けてみた、みたいになってきましたね」

「よくある話の三乗といった方が分かりやすくないかしら?」

「……それって三乗と惨状をかけていたりしないわよね?」

「誰が上手いことを言えと……」

「はいはい、話が逸れてきているわよ」


 クロサワがパンパンと手を叩いて皆の意識を引き戻す。


「はい、先生質問です」

「何ですか、ジクウ君」

「よくある話だと、王様の病気というのも毒を盛られたという展開が多いんですけど、今回の犯人はやっぱり王弟のイラフさんですか?」

「どちらも正解ね。ウィクリ王の病気はイラフの指示によって投与された毒物によるものよ」


 ジクウの名推理?にパチパチと拍手が起きる。


「えっと、一応確認ですけど今の王様が圧政を敷いていた訳じゃないですよね?」

「賢王というほどではないけれど、至って善政よ。国民からも信頼されているわ」

「毒物投与の事実に気付いているのは?」

「イラフ本人とその配下であるいわゆる王弟派の一味を除けば、サンディー王女とマディンさんくらいね」

「王子や王子派の人たちは知らずに、いい様に扱われているってこと?」

「怪しんではいるけれど確証がない、という所ね。今は利用できるだけ利用してやろうと考えている連中が多いみたい」

「キツネとタヌキの化かし合いですかい……」


 腹黒いやり取りにげんなりしてしまうジクウであった。

 しかしいつまでも呆けてはいられない。彼女たちが厄介事を抱えているのは最初から分かっていたことだし、それを承知で引きこんだのは自分だ。今後の方針について宿の皆に任せるのは無責任というものだろう。

 その相手が例え自分などが推し量ることのできない力の持ち主であったとしても。


「とりあえずサンディーさん、いや彼女の意向に沿ってサニアさんと呼ぶべきかな。サニアさんの立場はともかく、彼女自身は信頼のできる人柄に感じました」


 そのため、まずは自分の感じたことを伝えることにする。もしも間違っているのならば、それは訂正すればいいだけの話だ。


「私もジクウの見立てには賛成かな。あの子の人柄は好感が持てそう」

「彼女個人とするならば同感」


 両脇に座るアカミネとシロカネも賛成の意を示していた。


「確かに個人としては問題ないと思うけれど、組織の中核に位置する者としてはどうかしら?」

「今は混乱しているけれど、時間が経って冷静になれば利用しようと画策してくるでしょうね。隠れ家として見るなら、うち以上の場所はそうないもの」


 向かいのソファに座るキタとクロサワがその先にある問題点を露わにする。


「狙われるのはその行き来が可能であるジクウということになる訳ね。そうなると色気で籠絡する方向でくるかな?」

「サニアさんの身持ちの固さとマディンさん次第かしらね。二人とも恩には感じているようだから力任せに無理矢理、ということはなさそうよ」

「ふむふむ、何にせよジクウが一人でいるのは危険ということだね」


 アカミネがそう言った瞬間、ジクウには残る女性たちの目がキラリと光った気がした。


「そうね。だから今日はお風呂に入るのも眠るのもお姉さんたちと一緒に――」

「大丈夫です、一人でできます。でも一応用心して夜は従業員用の自分の部屋からは出ないようにしますから、何かあった時の応対はお願いします。それじゃあ夕飯の時間まで部屋に戻っていますから。お疲れさまでした!」


 最後まで言わさずに、逆にこちらの言い分を伝えるだけ伝えてダッシュで事務室から逃亡する。

 扉を開けた所でサニア達を案内してきたアオキとぶつかりそうになるが、「ごめんなさい!」と叫びながら辛うじてかわしてそのまま自室へと向かった。


「一体どうしたの?」


 状況が分からないアオキがそう言って事務室の中を覗き込むと、


「また逃げられたー!」


 女性たちが声を揃えて叫んでいたのだった。



〇〇△△□□〇〇△△□□〇〇△△□□〇〇△△□□〇〇△△□□



 〈宿屋しんせかい〉にジクウの部屋は二つある。

 一つは建物の最上階にある特別室で、最高級のホテルや旅館に勝るとも劣らない豪華な部屋である。が、こちらには子どもたちと一緒にたまに眠るくらいでほとんど使利用することはない。

 普段は従業員の部屋が立ち並ぶ区画の一番奥にこしらえたもう一つの部屋で過ごしている。小市民で豪華な部屋だと落ち着かないということもあるが、それ以上にこの部屋にしかないものが備え付けられているから、というのがその理由である。


 自室に入ると鍵をかける。宿の女性たちにとってどれほどの障害にもならないものではあるが、ジクウの意向を重視している彼女たちがその意味を取り違えることはないはずだ。


 振り返ると、そこには懐かしい景色が広がっていた。元の世界の彼の部屋を模して造られたその部屋は、追加で冷蔵庫が置かれ、トイレにバスルームが敷設されていて元の部屋以上の快適さとなっていた。


 冷蔵庫からペットボトルの炭酸飲料を取りだして一口飲むと、ベッドに転がる。


「疲れた……」


 この世界に来た経緯もあって、宿の女性たちは隙あらばジクウを甘やかしたり可愛がろうとしたりする。それ自体は嫌なことではなく、むしろ嬉しく感じているのだが、いかんせん年頃の男子としてあちら方面へと思考が向いてしまうのである。

 彼女たちとしてはそういう関係になることを望んでいる節も見受けられるのだが、そこまでの覚悟が決まらないのであった。


 ゴロリと横向きになると、枕元に置いたリモコンでテレビの電源を入れる。夕方にはまだ間のある時間帯だったためか、よく分からない情報番組や往年の刑事ドラマなどしか放送していないようだ。

 すぐに興味をなくして電源を落とし、代わりにパソコンを立ち上げる。


 そう、これがこの部屋にだけ備え付けられている物、現代日本の文明の利器の数々でありジクウがこの部屋を普段使っている理由であった。

 〈宿屋しんせかい〉では現代日本の時間と合わせてあり、リアルタイムで情報を得ることも可能である。

 残念ながらこちらから情報を発することはできないのだが、オンラインゲームなどのウェブ上のサービスなどは問題なく受けられるという謎仕様であった。

 ちなみにアダルトサイトなどにも入れないように不思議検閲機能を搭載している。


「あ、結局どうするのか決めてない」


 ぼんやりとネット上を徘徊している内に、先ほどの話し合いで肝心なことは何も決まっていないことに気付く。


「まあ、でも向こうの出方次第かなあ」


 あくまで彼女たち個人に対してであれば協力することもやぶさかではないが、それが組織単位となるとご免こうむりたい。

 色々な人をこの〈宿屋しんせかい〉に宿泊させることが目的である以上、特定の国と親密な関係になるのもマイナス要因の方が多い気がする。


「下手の考え休むに似たり、てか」


 いい加減悩むのにも飽きてきたのか、ジクウはそう呟くとハンティングアクションゲームを起動させるのであった。

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