第8話 北野天満宮『星欠けの三光門』
「おお、でっかいねー」
そう言いながら、トオルは大きな石鳥居を見上げた。
西園寺記念大学を出て、京都市街地の西側を南北に貫く西大路を下り、今出川通を東に進むと、車通りの多い道路で一際存在感を発揮している大きな石鳥居が見える。その前方には多くのタクシーが停車し、観光客を誘い込んでいた。鳥居をくぐる数多くの観光客の中には、高校生であろうか、学生服を着た集団が他の寺社よりも高い割合で紛れているのが確認できる。
「大きいのも当然でございます!なんせここは全国にある天満宮の総本社なのですから!」
ススムは胸を反らし、自慢げに声を張った。
今回、洛楽倶楽部が活動場所に選んだのは北野天満宮。この神社は、全国各地に約1万2000社ある天満宮の総本社で、京都の中でも著名な神社だ。御祭神は、平安時代の貴族、忠臣として名高い菅原道真であり、学問の神様として絶大な信仰を集める。北野天満宮の異様に高い学生率はそういった理由があるのだ。
トオルは腕を組み、感慨深そうに呟く。
「実は俺、サークル入る前に自発的に行ったことのある京都の寺社が2つあるんだけど、それが清水寺とこの北野天満宮なんだよ」
「ほう、あのトオル殿でも訪れたことがあったのですか」
「うん、なんなら4、5回は行ってるっていうね」
トオルは、どうだ、という風に鼻を鳴らした。
アユミは興味深そうにトオルに尋ねる。
「甲斐くん、サークル入るまでは神社仏閣全然興味なかったんでしょ?なんで北野天満宮にはそんなに惹かれたの?」
「いや、別に惹かれたわけじゃないんだ。受験前の合格祈願でここに初詣しててさ、そのお礼参りしたり、弟の高校受験の合格祈願したり、あと散歩しがてら寄ったりとかかな。下宿先からちょうどいい距離にあるし」
「あーなるほど。まあ確かに散歩にはすごい良いよねここ。近くの
「そうそう。でもほんと散歩と参拝しかしてないから、見所とかは一切知らないんだよね」
そう言うと、トオルは照れ臭そうに頭を掻いた。ここ北野天満宮は、無料で誰でも入れる神社なだけあって、じっくり見ずに、ふらっと行ってふらっと帰るという人が多いのだ。
「そういうことでしたら、今日は少し詳しく見て回りましょうか。見逃すには惜しい、実に深いポイントがこの神社にはたくさんありますからね」
ススムがそう言うと、トオルとアユミは声を揃えて、はーい、と手を挙げた。
大鳥居をくぐり、人が行き交う参道を横に並んで歩く。参道脇には
3人は左に足を進め、本殿へと向かった。先ほどまでの道のりよりも、なんとなく青春の濃度が増したような気がした。
アユミが、そういえば、と素通りした門正面の道を見つめたまま呟く。
「北野天満宮って本殿に行くには門をくぐってから左に折れなきゃだけど、神社って普通、鳥居とか門をくぐったらその正面に本殿があるよね?」
「ああ、それはですね、門正面の道の奥に赤い社が見えますでしょう?あれは
淡々と語るススムに対し、トオルとアユミは、こんな深そうなポイント素通りするつもりだったのか、と心の中でツッコミを入れた。そして、そのような逸話がゴロゴロ転がっている北野天満宮の歴史と格式の高さを強く認識した。
歩みを進めるとすぐに淡麗な門が見えてきた。先ほどの楼門よりは小ぶりだが、その存在感は遜色ない。木や
「お二方!こちらは
ススムがお待たせしましたと言わんばかりに目を輝かせ、門を指差した。
「いやそんな大声出さなくても。名前は知らなかったけど、何回か来てるし本殿の入り口の門ってことくらいは知ってるよ」
トオルはやれやれといった様子でススムを
「ちょ!お待ちくだされトオル殿!本殿に行く前に少しばかりこの門を鑑賞していくのです!実はこの門には秘密があるのでございますよ!」
「え、そうなの?」
そう言うと、トオルは、んー、と唸りながら門の中をじっくりと観察し始めた。
アユミも、へえ、と言いながらトオルに続き、門を見物し始める。
「私も結構ここ来てるけど、彫刻が綺麗だなくらいしか思ったことなかったよ」
「まあ本殿が目の前にありますからね。素通りしてしまうのも無理はないでしょうな」
「んーなんだろ。まさかこの彫刻を彫った人がかの有名な運慶だったみたいな!」
「全然違います。そもそも時代が違いますし、運慶は基本仏像彫刻でございます。そんなんでよくトオル殿は西大に入れましたね」
「急に辛辣すぎない!?」
ススムは、冗談はさておきと咳払いをし、右人差し指を立てる。
「ヒントを差し上げましょう。まず、彫刻に目をつけたトオル殿は間違いではありません。この門の秘密は彫刻に隠されております。さらにこの門の名前にも注目してみてください」
「ほうほう、門の名前か。三光門……」
「三つの光の門ってなんだろうね……」
トオルとアユミは指を顎に当てながら、再度、門をじろじろと観察し始める。すると、アユミが、あれなんだろう、と門内側の上部を指差した。
「あの彫刻、赤い丸に……雲?みたいなものがかかってる感じするよね」
「うわ、本当だ。赤丸に雲って……もしかして太陽?」
「あ!きっとそうだよ甲斐くん!てことは、光って太陽のことなのかも」
「おぉ!絶対そうだ!でも三ってどういう……」
トオルはしばらく考え込むと、何かに気づいたように顔を上げた。
「これはもしや!」
そう言ってトオルは勢いよく身を
「やっぱり!思った通りだ!」
駿河さんあれ、と言いながら、トオルは視線の先を指差す。トオルが指差した先には黄色い丸に雲がかかったような彫刻があった。
アユミが興奮気味にトオルの肩を揺らす。
「すごい!よく見つけたね甲斐くん!」
「太陽があるからもしかしてと思ったけど、当たってたみたいだ。あれは間違いなく月の彫刻だよね」
「うん!これは間違いないでしょ!つまり三光門の三つの光は、門にあてがわれた天体の彫刻のことで、そのうちの2つは今見つけた太陽と月の彫刻ってことなのかな?」
そう言いながら、トオルとアユミは真相を突き止めた探偵のような目でススムを見ると、ススムは頭の上で大きな丸を作った。
「勘がよろしいですね。そうです、三光門の三光とは3つの天体の彫刻を表しておりまして、そのうちの2つの彫刻は今お二方が見つけた太陽と月の彫刻でございます」
ススムが、お見事、と手を叩くと、トオルとアユミは手を取り合い、嬉しそうに飛び跳ねた。しかし、少し冷静になって気づいたのか、蝿を葬るときのような素早さで手を離した。
ほんのりと赤面するトオルが、気まずさの霧を散らすように口を開く。
「で、でも、3つだからあと1つあるはずだよね」
「う、うんうん、太陽と月と来たら次は……え、なんだろ」
トオルとアユミは再度、顎に指を当て、思案する。
「火星……とか?」
「んー、わざわざ火星なんて選ぶかな?もうちょっと特徴あるのを選ぶと私は思う」
「確かに……あ!彗星は!めちゃめちゃ特徴的でしょ!」
「あ、そうかも!彗星って綺麗だから彫刻の題材としてもよさそう!」
トオルとアユミは目を合わせ頷き合うと、門の中を隈なく探し始めた。しかし、いくら探しても彗星はおろか、星らしき彫刻すら見つからない。
そんな様子を見たススムがクスリと笑い、幼児をあやすような声色で2人に声をかける。
「お二方、そんなに探しても絶対に見つかりませんよ」
「え、どう言うことだよヤマさん」
「もしかして、屋根の上に彫ってあるから普通じゃ見えないとか?」
ススムはアユミの問いかけに対し、ゆっくりと首を横に振る。
「いいえ、そもそも3つ目の星はこの門に刻まれてすらいません」
トオルとアユミは頭に大きなハテナを浮かべる。
「私、頭がぐるぐるしてきたよ」
「うん、全然わからない。じゃあ三光じゃなくて二光じゃん」
「いえいえトオル殿。確かに刻まれてはいませんが、この門にはちゃんと3つの星がいつも同じ場所で輝いていますよ。門の南側に刻まれた太陽、北側に刻まれた月、そして––––––」
ススムはパチンと指を鳴らすと、人差し指を門の真上に向けた。
「門の真上、いつまで経ってもその場から動くことなく、人類に方角を示してくれる星、北極星が!」
ススムは右手の人差し指を上げたまま、左手でくいっと眼鏡の位置を直した。しかし、ススムの様子を見ていた周りの観光客から拍手が起こると、恥ずかしそうに手を下ろし、背中を丸めて話を続ける。
「ま、まあ、真上と言っても、平安当時の御所の方向から見るとですけどね。この三光門は『星欠けの三光門』という伝説がありまして、門の名は日、月、星の彫刻に由来しているのですが、その3つのうち、星というのは北極星のことで、実は刻まれていないというものです。当時の御所から天皇が北野天満宮に向かってお祈りをするとき、三光門の真上に北極星があったと言われています。そのため、わざわざ刻むようなことはせず、ある種の
「北極星……実際には刻まれていないか」
トオルは
「天上に輝く星をデザインとして落とし込んで、1つの門を完成させるってなんかすごい粋だよね」
アユミは両手の人差し指と親指で四角を作ると、その指カメラのファインダーに門と空を収めた。
ススムが腰に手を当て、感慨深そうに門を見上げる。
「自然の美しさは人工的な芸術のそれにも負けない。天上に美しく輝く星があるのなら、わざわざそれを形に彫らずとも、そのまま使って1つの芸術品を作り上げてしまおうとする古の日本人の美的感覚を、この門から垣間見ることができるとあたくしは思います」
「うん、そうだね。なんというか、日本中で信仰されている天満宮の総本社の、しかも本殿の入り口にふさわしい門だ」
「私、なんか身が引き締まる思いだな」
「さあ、それではお二方、この門をくぐって菅公にご挨拶に行きましょうか。実は本殿にも深い
トオルとアユミはススムの方を見て、おー、と目を輝かせた。
「マジか、まだあるのか!」
「この時点でもお腹いっぱいなのに!」
3人は門の前で深々と一礼し、菅原道真が鎮座する、真っ白な玉砂利の空間に足を踏み入れた。
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