第6話 等持院

 西園寺記念大学の東側と南側は住宅街である。そこに古都の雰囲気はない、どこにでもある普通の現代的な生活エリアだ。十中八九、夜にでもなれば、どこからともなくカレーの香りが立ち込めるだろう。そんなありふれた光景の中を洛楽倶楽部の3人は歩いていた。


「着きましたぞ!今日はここを拝観いたしましょう!」


「え、もう着いたの!?」


 そう言うと、トオルは驚きを隠せずススムを二度見した。


 トオル、ススム、アユミの3人は、大学から南に2、3分歩いたあたり、住宅街にポツンと佇む門の前で立ち止まっている。


 トオルは周囲をぐるりと見回す。


「ヤマさんが京都でも指折りの庭園を見せてやるっていうからついてきたけど、こんなところに本当にあるの?」


 門の周辺は、小さな神社がある以外、ほとんどが民家である。観光客がいる気配も、何か歴史的なものの気配もない。もっといえば、門の向こうにも住宅が広がっているようである。こんなところで本当に美しい庭園を見ることができるのだろうか、そう思ったトオルはススムに疑惑の目を送った。


 ススムはトオルの視線に気づくと眼鏡をくいっと上げる。


「おや、信じておりませんな。心配しなくても、ここ等持院とうじいんの庭は満足いただける素晴らしい庭でございますぞ!」


 ススムは門の前にある、「等持院」と大きく書かれた寺標に、自信満々といった感じで手を触れた。


 アユミが、わぁ、と目を輝かせ手を叩く。見るからに楽しそうな様子だ。


「私、等持院ずっと行ってみたかったんだ!」


「駿河さん、この寺知ってるんだ?」


 と、トオルが眉をあげ、感心したように頷く。


「普通に有名だと思うよ!庭が綺麗だってガイドブックにもネットにも書いてあったから、いつか行きたいって思ってたんだ」


 そう言うと、アユミは胸の前で両手を組み、満悦の表情で目を瞑った。


 トオルは、ふーん、と門の奥に目を遣る。


「駿河さんが言うならそうなんだろうな」


「あたくしの言うことは信じられないということでございますか!?」


 電線に止まっていた雀が、ススムの声によって飛び立った。


 3人は門をくぐり、奥へ進む。やはり門の先は普通の住宅が立ち並んでいた。参道のアスファルト上では、近所の子どもたちが縄跳びをして遊んでいる。おおよそ名刹めいさつの参道とは思えない。しかし、しばらく歩き、墓地を通過すると、様相は一変する。緑が濃くなり、さっきまで見えていた住宅たちは息を潜めた。日常の粒子が瞬く間に霧散し、一帯に微かに存在する古都の粒子がここに引き寄せられ、集約されていた。


「うわ、一気に京都らしい」


 庭園入口の表門に到着すると、トオルは門構えを見てそう呟いた。5本の白線をあしらえた塀に、黒く堂々とした表門。その門前には松や楓などが整然と植え並べられ、門の奥では着物の裾のように広がった庫裡の屋根が雅さを際立たせていた。


 アユミが嬉々としてスマホを構える。


「これは期待値上がるね!」


「ふふ、ぜひ期待しておいてください。本番はこの門の先でございます、では、参りましょう!」


 ススムがそう言うと、3人は門を進み、庫裡で拝観料を払った。


「達磨様を右に進んでください」


 受付の女性が、3人の後側に手を向ける。


「達磨?ってうわ!びっくりした!」


 トオルが後ろを振り返ると、大きな達磨の絵が薄暗い部屋から顔を覗かせていた。しかめ面をしている達磨の顔を見ていると、何もしていないのに何だか悪いことをしてしまったのではないかと思えてくる。街中で警察を見たときのそれだ。


 達磨の絵を右に折れると、そこには白砂が広がっていた。トオルが龍安寺で見た石庭と同じ枯山水だ。


「おお!これは綺麗だ!」


 トオルは縁側に胡坐をかく。この庭は石や砂だけでなく、丸っこい植木や苔、松などで装飾してある。龍安寺の石庭より彩りのある庭だ。


「人もいないし、枯山水の庭は静かだからすごい落ち着くね」


 そう言うと、アユミもトオルの横にちょこんと座り、2人でふぅと息をつく。


 そんな2人をよそに、ススムはどんどん先へ進んでいった。


「え、ヤマさんどこ行くの?庭見ないの?」


「トオル殿、その庭も良いですが、今日の目的の庭はこの先にあるのです」


 振り返りそう言うと、ススムは親指をくいっと北側に向けた。


「お、もう行くんだね!山城くん!」


 アユミは立ち上がると、声のトーンを上げた。


「え、庭ってこれじゃないの?」


「うん!甲斐くん、このお寺の真骨頂は北にあるお庭なんだよ」


「さすがアユミ殿!よくご存知でございますな!トオル殿、その庭はまた今度来たときにじっくり見ることにして、今日はこの先の庭を楽しみましょう!」


「お、おう、わかった」


 そうしてススムの後に続き、トオルとアユミは、軽快な音を鳴らす鶯張りの廊下を少し早歩きで進んでいく。


 方丈の廊下に沿って北に進むと、すぐにそれは現れた。


「うわ、これはすげぇ!」


「きれい……!」


 トオルとアユミの2人は廊下の欄干に手を置いて、体を少し乗り出した。


 方丈の北にあるこの庭は、南にある石庭とは正反対で、豊かに水を湛えた池の周りに数多くの草木や鮮やかな花が目一杯植えられていた。流水が池に入り込む音、揺れ動く木のさざめき。石庭が静とすればこの庭は動であり、規則的に見えて不規則に配置された岩や丸い植木は見る者を飽きさせない。傾斜のあるこの庭の上段にある小屋のような建物は、竹や背の低い木に囲まれ、まるで仙人の草庵のような独特の雰囲気を放っている。


 アユミは鼻で空気を吸い込みながら、ぐぅーっと体を伸ばす。


「んー、気持ちいい!静かな石庭もいいけど、水の流れる音も落ち着くよね」


「うん、より自然に近い庭って感じで、また違った美しさがあるよな」


 トオルはそう言うと、画角を変えながらスマホで何枚か写真を撮った。


 ススムは、良いことを教えてあげましょう、と言いながらトオルのスマホに映り込む。


「こちらの庭は回遊式庭園と言いまして、庭を歩き回りながら鑑賞することができるのです。そして、回遊式庭園の利点は、自分に合った庭の景色を、歩きながら探し出せることにございます!人の美的感覚はそれぞれですので、定位置から見る庭だけでは限界があります。しかし、回遊式庭園では庭を違う角度から隈なく鑑賞することで、その人に合った景色を見つけることができるのです!ですので、こちら等持院の庭では、自分が1番納得できる景色をカメラに収めることができるのですよ」


「おお!それは良いね!」


「じゃあさじゃあさ!それぞれ自分のベストポイントだって思った庭の写真を撮って見せ合おうよ!洛楽倶楽部、お気に入り写真展開催!みたいな」


 人差し指を立てながら、アユミは溌剌はつらつとした表情を見せる。トオルとススムはアユミの提案を聞き入れ、庭へ足を踏み入れた。3人はそれぞれ写真を撮った後、庭に面した庫裡の赤い敷物に座り、写真を見せ合う。トオルは庭の東側、心字池しんじいけの真ん中に浮かぶ島を映した写真。ススムは上段にある小屋のような建物、茶室の清漣亭しょうれんていから見た庭の西側にある芙蓉池ふようのいけの写真。アユミは方丈から見た庭の西側全体を映した写真。同じ庭の写真なのに、全くの別物に見えた。


 そうして、写真を見せ合って談笑を楽しんでいたところ、受付の方からお盆を持った女性が3人のもとへ歩いてきた。お盆の上にはお椀のようなものが置かれているようだ。


 ススムが、ふふ、と笑いながら、トオルとアユミを見る。


「実は等持院、こちらの庫裡で庭を見ながら抹茶を飲むことができるのです!ということで、2人が達磨様に気を取られている間に頼んでおきました!」


「何だと!やるじゃんヤマさん!」


「こんな綺麗な庭を見ながら抹茶を飲めるなんて……!いかにも京都って感じだね!」


 トオルとアユミは鼻息を荒くしながらススムに熱い視線を送る。ススムはそんな2人を見て鼻を高くしているようだった。


 3人は暖かい抹茶をすすりながら、ほっと恍惚のため息をついた。


 庭を見ながらアユミが優しく口を開く。


「ほんと何というか……風流だねぇ」


「そうでございますなぁ」


「2人とも何だか老夫婦みたいだぞぉ」


「トオル殿こそぉ」


 気の抜けた声で3人は言葉を交わす。おおよそ大学生とは思えないような口調だ。


 トオルが、そういえば、と胡座している膝を叩く。


「この庭歩いてて気づいたけど、東側と西側でまたタイプが違うよね。西側は綺麗に整備されてて、人の手が加わってるって感じがするけど、東側はもっと自然に近い感じ。なんか意図があるのかな?」


「それ私も思った」


「どうなのでしょうな。東と西で作庭者は違うらしいので、庭のタイプも違うというのはあるのでしょうが、もしかしたら人が作った美しさも自然が作った美しさもどっちも堪能してほしいという意図があったのかもしれませぬな。どうします?お二方。もう一度庭をぐるりと回ってみますか?」


 ススムが聞くと、トオルとアユミは、うーん、と唸る。


「いや、ここでゆっくり見てることにするよ」


「私も賛成」


「怠惰でございますなぁ。まあ、実はあたくしもそう思っておりましたが」


 3人は流れる水の音に耳を傾けながら、拝観終了時間ギリギリまで優雅なこの庭を堪能した。

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