暴走

「な、なに気味の悪い笑い方してるんだ。それともなんだ……図星だからって狂いでもしたのか?」


 わたしの殺気を前に、それでもまた煽り始めた男。


 この男は……いや、人間はやっぱり馬鹿なんだなぁ。


 フェルから聞いてた通りだ。


 人間は嫌いではないけど、こうやって決めつけるくせがあるのは良くない。


 ユリアス達のような良い人間もいた。


 でも、嫌な人間もいる。


 頭の中がぐるぐると混乱し、上手く考えがまとまらない。


 もう、どうでもいっか。


 目の前の男以外は、どうでもいい。


「おい! なんとか言ったらどうだこの…」


「――ねぇ」


 男の言葉に被せるようにしてわたしが声を出す。


 男はさっきまでの勢いが嘘のように、肩をビクリとはね上がらせた。


 わたしは殺気を包み隠さす男に向け、硬直した男にゆっくりと近づいていく。


 男の目の前に付くと、わたしはにっこりと笑みを浮かべ男に問いかける。


「君、名前なんて言うの?」


「誰が言うか!」


「な・ま・え。なんて言うの?」


「……ドラード。俺の名はドラードだ」


「そっか、ドラードか。……うん、いい名前だね! じゃあドラード、本当にありがとうね」


「…………は?」


 わたしの言葉が理解できない。


 たぶんそう思っているのだろう。


 だけど、わたしは『憤り』という感情を知れた。


 この男のおかげで。


 それに対する感謝はしておかないと、フェルに『謝罪と感謝は絶対に忘れるな』って怒られちゃうしね。


「わたしをこんなに怒らせてくれて、本当にありがとう。すごく感謝してるよ。知識だけで、理解はしてなかった。でも、君のおかげでやっとわかったよ」


「そ、そうか。なら良かったな……?」


 混乱している様子で、男は素直に感謝の言葉を受け取った。


 だけどねドラード。君を許すなんて、絶対にありえないから。


 わたしは更に笑みを深める。


 それはもう、不気味なほどに。


 わたしは人差し指をドラードの顎に添え、彼の顔を少し上げる。


「……っ」


 ドラードは生唾を飲み、反抗する意思を見せない。


「わたしを育ててくれた親はね、すーっごく強いの。優しくて、温かくて、すごく大好きで、大切なの」


 わたしの顔からは感情が抜け落ち、自然に声のトーンが底につく。


「それなのに、君は知りもせずに言いたい放題。……――覚悟、できてるよね?」


 その刹那、わたしはもう片方の拳を男の鳩尾に突き刺す。


「カ、ハ……ッ!」


 ドラードは肺にある空気を全て出し切ったように、腹を抱えながら必死に肩で息をしていた。


「わたしは不正なんかしてないし、君を許すつもりもない。わたしは不正してないってわかってもらうために、君と戦うことにするよ」


「ヒッ……」


 ドラードから小さな悲鳴が漏れるが、次の瞬間にはわたしの回し蹴りが直撃する。


 わたしは頭の位置を下げるように蹴ることで、その蹴りはドラードの頭に入った。


「ぐげあッ」


 勢いよく吹き飛ぶドラードを、わたしは躊躇なく追撃する。


 顔や胸、腕や足。


 拳が向く方に、ランダムに拳を埋め込んでいく。


 そんなわたしの中で、2つの思いが交差し始める。



 人間って弱いんだなぁ。


 ――もうドラードは痛い目みたよ。


 ドラードもわたしも新しいことを知れた。


 これってすごく良いことじゃない?


 ――フェルを侮辱したことは許せないけど、ここまでやる必要もない。


 魔術も使えばさらに追い込める。


 ――魔力操作はまだ不十分だし、魔法はあまり使えない。


 ああ、めんどくさいな。

 ――もう、めんどくさい。



 感情の抜け落ちた顔にいつもの笑顔を取り繕い、わたしは地面に倒れる男を風の魔術で立ち上がらせた。


「ひっ……あ……」


「じゃあ、そろそろ終わりにしようか」


「……も、もおやめてくれっ! 俺が悪かったから! 謝るよ! 言われればなでもする! だ、だから……命だけは……!!」


 必死に命乞いをするドラードに、わたしは心底冷めきっていた。


 わたしが育ったところでは、命乞いなんて意味もなかった。


 自分が勝てない相手ならば、ケンカなど売ったって自殺行為だ。


 なのに、この男は都合よく弱者の顔をする。


「わたしは別に、弱者が嫌いなわけじゃないよ? だって、皆生まれたばかりは弱いんだから。……けどね、自分の実力もわからないのに自殺行為に走って、都合が悪くなれば相手を悪者に見立てる。そんな身勝手な存在が、嫌いなだけだよ」


 わたしは腰の剣に手を伸ばし、ゆっくりと引き抜く。


 剣を逆さに握り、ドラードの顔に突き立てるように振り下ろした。



「――ノアッ!!!」



 突然、わたしの身体は横に飛んだ。


 いや、何かがわたしに突撃してきたのだ。


「ノア、もうやめて! これ以上はさすがにヤバいわよ!」


「ノア、一旦落ち着いて!」


「すまん! 俺があんなこと口走ったからこんなことになったんだ! とりあえず止まってくれ!」


 地面に倒れたわたしをがっちり固定し、ルカやユリアス、ジークがわたしに止まるよう言う。


 先程の衝撃で思わず剣を手放してしまい、わたしは拾いにいくためにもがく。


「離してッ! わたしはあの男が許せないの!」


「ダメよ! 絶対離さないんだから!」


「なんで! 皆はあの男の味方なの?!」


「違う! 俺達はノアさんの仲間だ!」


「じゃあなんで! あの男の味方じゃないなら離してよッ!」


「ノアにこれ以上、傷ついてほしくないんだ! ルカから聞いてる! 寝ながら夜に、いつも涙を流してるって!!」


 ユリアスの言葉に、わたしは肩をビクリと震わせる。


 いつもわたし、泣いてたの……?


「怒るのもわかる! 許せないのもわかる! でもこのまま攻撃を続けたら、ノアがノアじゃなくなるような気がするんだ!!」


「――…っ!」


 わたしは必死にもがくのをやめ、大人しく彼らに身体を預ける。


 わたしがもう動かないことに気づき、ユリアス達もわたしから離れた。


 冒険者達は、わたし達の言い争いの間に逃げ去っていた。


「あ……えと……」


 わたしは混乱しながら、ユリアス達に言う言葉を必死に探す。


 すると、温かな何かがわたしを優しく包み込んだ。


「良かったわ、止まってくれて」


 わたしを抱きしめるルカが、安堵したように呟く。


「ごめん、1人で暴走して。ありがとう」


 わたしを包む温もりに身体を委ねていると、突然ジークが膝をつき頭を下げた。


「すまんノア。俺が昨日大声でノアがAランクに上がったって言っちまったから、あいつらが嫉妬してこんなことになったんだ。本当にすまなかった」


 昨日のことをあまり覚えていないわたしには、全く心当たりがなかった。


 でもこうやって謝ってるってことは、本当のことなのだろう。


「ううん、ジークのせいじゃない。わたしが勝手に怒って、暴走しただけ。迷惑かけて、本当にごめんなさい」


 しんみりした空気になり、誰も何も言わなくなった。


 わたしは怒りに任せて暴走したことを悔いて、何も言えずに黙り込む。


「じゃあ、皆帰ろう」


「……え?」


 ユリアスは柔らかい声色で言い、スッと立ち上がる。


「もう終わったことなんだし、切り替えて明日から頑張ろう。いつまでも引っ張ってたって変わらないし、いっぱい休んでまた明日頑張った方が建設的だしね」


「そう…だな。切り替えて明日頑張るか!」


「ええそうね。ほら、ノア」


 ルカはわたしの手を取り、座り込むわたしを引き上げる。


 そんな皆に、わたしは自然と笑みがこぼれた。


「うん、ありがと」

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