なりゆきまかせの道のりで

野森ちえこ

新生活は前途多難?

「好きだったんだ、高校のとき」

「ふうん」

「いや、反応薄すぎない? 誰を? とか、なにを? とかたずねるものじゃない? フツー」

「興味ない」

「ちょっとあたし、泣いていい?」

「好きにすれば」


 わざとらしくシクシク泣きだした彼女を横目に梱包をといていく。

 彼女といっても恋人ではない。単なる代名詞としての彼女である。まったくの他人、知りあいですらない。というか顔も知らない女の子だ。

 ついてない。いや、ある意味ついているのか。

 引っ越してきた部屋に、彼女はいた。薄く透けた身体からしてこの世の者ではないことは一目瞭然だ。

 高校のときといっているが今ここにいる本人もそれくらいの年代に見える。

 中退したのか、単に幼く見えるだけで卒業しているのか、それとも死んだから高校生ではなくなったという意味なのか。まあどうでもいいことだ。

 幽霊になってしまえば現世はすべて過去になる。死んだのが昨日でも百年まえでもたいした違いはない。


 いわゆる祓魔師エクソシストと呼ばれる家系に生まれ、それなりの力も持っているオレなら祓おうと思えばすぐにでも祓える。が、特にその必要はないだろうと判断した。

 勘違いしている人間が非常に多いのだけど、幽霊だからといって必ず成仏させなければならないというわけではない。

 現世のなにかに縛りつけられている場合は解放してやる必要があるけれど、そうでなければ放っておけばいいのだ。そのときがくれば(おもに現世に飽きたら)おのおの勝手に成仏したり転生したりするのだから。

 死んだらすぐに成仏するべきだというのは、死んだことのない、死後の世界にいる者たちの現実を知らない人間が勝手につくったルールであって、当事者(霊)にとってはおおきなお世話だったりする。

 おかしないいかただけれど、オレの引っ越し先にいた彼女も死後の世界を『生きて』いる霊だ。未練とか恨みに縛られているわけではない。よって、祓う必要はない。ないのだけれど、視えるオレにとってはかなり迷惑な存在ではある。


「ねえ聞いて? なにが好きだったの? って聞いてー」

「聞いたら出てってくれる?」

「え、まさか、こんないたいけな女の子を追いだすつもり? 人でなしー」

「いや、きみこそ見ず知らずの男と同居するつもり? 変態なの?」

「あたしのほうが先に住んでたんですー。出ていくならお兄さんのほうですー」

「そういわれてもなあ。もう契約しちゃったし、金も払ってるし」


 彼女のような『生きた』霊は、その場にいないかぎり感知することはまずできない。ほんとうに以前から住んでいたのだとすれば、オレが内見にきたときは留守にしていたのだろう。まったく、ほんとうについてない。


「ねー、なんでもいいから聞いてよう」

「……ナニガスキダッタンデスカー」


 わざとらしい棒読みを気にかけることなく、彼女は開梱したダンボールのうちのひとつをビシィっと指さした。

 その中につめこまれているのは、DVDとかサントラCDとかチラシとかシナリオとかアルバムとか、すべてある作品に関連したものだった。

 わずか二十一歳で夭逝した天才作家の遺作シナリオを、彼の親友だったカメラマンと女優が中心となって制作した自主映画。オレのデビュー作でもある。


「きまってんでしょ! ミニシアターよ!」


 きまってるのか。なんだかよくわからないテンションである。


「映画はむかしから好きだったんだけど、高校のときはミニシアターにめちゃくちゃハマってたんだよねー。中でもこれはすっごく印象に残ってる。特にラストシーンね! 雲がわれて、太陽の光と一緒に雨が降りだして、ヒロインがその光の中にとけていくみたいに見えて、最後にはおっきな虹までかかってさ、あれがぜんぶ自然の映像だなんて、絶対ウソだと思ったもん」


 ストーリーとしては、歌手を目指す女子大学生とバンドメンバーたちの交流を描いたよくある青春ものだったのだが、この映画には裏テーマがあった。それが太陽と雨、そして虹。

 雨が好きだった作家と、太陽をあらわす名を持つ女優と、二人を支えたカメラマン。病気によってみずからの死期を知らされた作家が、自分たち三人の集大成としてえらんだのが、太陽と雨が同時に存在する『天気雨』というモチーフだったのだ。

 ちなみにオレはバンドメンバーのひとりとして出演したのだけど、まさか死んだ作家本人からスカウトされたとは誰も思うまい。幽霊から演技指導受けたとか、なんなら演出にかんしても幽霊の代弁者をさせられたとか、人に話したところで信じてもらえそうにない。もちろん、天気雨云々についても本人から聞いた。


 なんにせよ、この作品が彼女のようなミニシアター好きのあいだで話題になったのは確かだった。そしてある映画祭でグランプリをとり、あれよあれよと全国展開され、その波に乗ったスタッフキャストのうち何名かはプロの道に進んだ。オレもそのひとりだった。

 観せて観せてとやかましい女の子幽霊に閉口してしまう。しかたなく、まだ開けていないダンボールの上にノートパソコンを置いてDVDをセットした。


 オレは特に俳優を目指していたわけじゃないし、芝居をやっていたわけでもない。というかそれまで演技なんてしたこともなかった。それでなんでスカウトされたのかといえば、バンドメンバーという役柄を考えればわかるだろう。オレは、作家たち三人とおなじ大学の軽音サークルに所属していたのである。

 スカウトを受けたのも、その後プロになったのも、いってみればなりゆきだった。しいて理由をあげるなら、なんとなくおもしろそうだと思ったから。それだけだった。


 くいいるようにDVDを観ていた女の子幽霊がなにかに気がついたようにオレを振り返った。それから画面の中のバンドマンとオレを何度も見くらべる。


「え、あれ? お兄さんて、ええ? うっそお。本物? ぜんぜん雰囲気違うからわからなかった!」


 素っ頓狂な声をあげる女の子幽霊に思わず笑ってしまう。まさか気づいてなかったとは。オレが出演者だから騒いでいたのではなく、たまたま開梱したダンボールの中に好きな作品が入っていたから騒いでいたということか。


「うわあ、あたしのこと視える芸能人はじめて会った! 生きてたらサインもらうのにー!」


 今さらオレのサインなんてもらってもしかたないよ、と思う。彼女が死んでるからということではなくて、オレはもう俳優でも芸能人でもなくなっているから。


 芝居は楽しかったけれど、音楽も好きだったけれど、芸能の世界はオレには荷が重すぎた。腹のさぐりあい、騙しあい、足のひっぱりあい。火のないところでいきなり爆発が起こるのも日常茶飯事。

 もっとも、オレにとどめを刺したのは、そんな泥沼の芸能界ではなく、リアルとフィクションの区別をつけられないイカれた人間だったのだけど。


 半年ほどまえのことだった。

 ドラマのロケ中、見知らぬ女にいきなりナイフで刺された。

 身体と顔と、いったい何か所刺されたのか、危うくオレも幽霊になるところだった。エキストラに紛れこんでいたらしい犯人いわく、主人公のライバルを演じていたオレがいなくなればいいと思ったのだとか。

 よく幽霊より生きている人間のほうが怖いというけれど、あのときほどそれを実感させられたことはないかもしれない。

 日々進歩する現代医療のおかげで目立つ傷はほとんど残らなかったけれど、オレの心を折るには十分だった。俳優という仕事に命をかけるほどの覚悟なんて持っていなかったし、今後持つ予定もない。

 芸能界から抜ける機会という意味ではこの事件がいいきっかけになったような気もする。だからといって犯人に感謝する気は毛頭ないけれど。


「でもラッキー。あたし幽霊だからさー、今は映画館入り放題だし、好きなだけタダで観られるでしょ。もうホントしあわせで、死んでよかったーって思うわけ。でもどんだけおもしろい映画観てもそれを話せる相手がいないってのが難点だったんだよね」

「幽霊友だちはいないのか」

「友だちくらいいるけど、あたしの映画トークについてこれる友だちはひとりもいない」

「なるほど」


 なにが『ラッキー』なのか。なんだかイヤな予感がする。


「そこでお兄さん!」


 ほらきた。


「断る」

「まだなにもいってないよ!」

「いわないでもわかる」


 作家が読書家だとはかぎらないように、俳優が映画好きとはかぎらない。

 好きか嫌いかの二者択一を迫られたら好きと答えるだろうが、それは『まあ嫌いではないよ』という程度の好きである。


「オレはテレビ放映される映画をたまに観るくらいで十分な人間だし、もう俳優でもないから撮影に連れてくなんてこともできない。きみの期待にはこたえられないよ」

「お兄さんすごい! エスパー?」

「この流れなら誰でもわかる」

「て、あれ? 俳優やめちゃったの? なんで? けっこう人気あったよね?」


 特に引退表明などはせず『ケガの治療のため』として表舞台からはフェードアウトしたのだけど、どうやらオレが襲われた事件のことは知らないらしい。


「いろいろあってな」

「いろいろかー。そっかあ、そうだよねえ。あたしもまさか自分が死んじゃうなんて思ってなかったし、生きてればいろいろあるよねー」


 ふむふむと腕を組んでうなずいている見た目高校生の女の子幽霊。なんというか『いろいろ』の重さが半端ない。生前のこの子になにがあったのか、うっかり顔をのぞかせそうになった好奇心を抑えこむ。


「ま、死んでもいろいろあるんだけど」


 あははと笑うその顔にはまるで屈託がない。


「じゃあ毎回とはいわないからさー。あたしが観て『これは!』って思ったやつだけでいいから、お兄さんの感想も教えてよ。ね! それならいいでしょ!」


 そしてグイグイくる。彼女の思うつぼかと好奇心を抑えたところでまったく意味がなかった。うっとうしい。もう祓ってしまおうか。いや、他者に危害をくわえているわけでも自我を失っているわけでもないのに祓ってしまうのは殺人とおなじだ。肉体がないだけで彼女の意識はまだ生きている。それを奪う権利は誰にもない。


「ほらほらー、こんなかわいい女の子と同居できるチャンスなんてなかなかないよ? 生きてる女の子連れこんだら大問題だけど幽霊なら安心でしょ。お互いに!」


 オレを俳優にした作家幽霊も相当強引だったが、この子も負けていない。というかオレの人生、幽霊に振りまわされすぎじゃないだろうか。仮にも祓魔師の家系に生まれたというのに。まあ、家がそうだというだけでオレ自身が生業なりわいにしているわけではないが。

 ちなみに作家幽霊は、やっぱり自分の手で作品を創れないのはつまらないと、遺作映画が全国展開されはじめたころに旅立った。今ごろどこかで生まれ変わっているかもしれない。

 オレは理不尽に落としかけた命をいろんな人の手によって拾われた。ケガもどうにか癒えたことだし、ここらで心機一転しようと新しい土地に引っ越してきたというのに。なんかすでに前途多難に思えるのは気のせいだろうか。


「いちおういっておくけど、オレは霊を祓うこともできるからな」

「え、ホント? すごーい。視えるだけじゃないんだ!」


 なぜそこで目を輝かせる。


「やっぱあれ? 呪文とかあるの?」

「時と場合によりけりだな。オレは特に詠唱しなくても術はつかえる——って、そうじゃなくて。怖くないの? 自分を害するかもしれないのに」

「んー、大丈夫じゃない? お兄さんて自分の勝手で相手をどうこうするような人じゃなさそうだし。それにあたし、逃げ足はめちゃくちゃはやいから平気!」


 楽観的というかなんというか。ニコニコといいきった女の子幽霊に脱力してしまう。

 芸能界にはいってからこちら、その場しのぎばかりの、いきあたりばったりな自分が嫌になりかけていたのだけれど、それはそれでいいような気がしてきた。ほんとうはいけないのかもしれないが、オレの人生なのだ。その時々で自分が納得できればべつにいいんじゃないだろうか。


「……きみ、名前は?」

「たまみ。五梁ごりょう 珠海たまみだよ」

「タマ……」

「み! た、ま、み!」


 DVDの画面に視線を戻しかけていた彼女はものすごい勢いで振り返った。


「真珠の珠に海でたまみ。猫のタマじゃないからね!」


 毛を逆立てて威嚇する猫にそっくりである。本人にいったらほんとうにひっかかれそうだけれど。


「お、おう。珠海な」


 名前でなにかイヤな記憶があるのだろう。深くは聞くまい。

 フンッと鼻息も荒く珠海は画面に向き直った。


 窓の外はいつのまにか夕日に染まっている。このままだと今日はダンボールに囲まれたまま寝ることになりそうだが、まあそれもいいだろう。

 画面の向こうでは、路上ライブ中に突然降りだした雨にもかまわずヒロインが歌いつづけている。

 無意識なのか、珠海も一緒に歌いだしていた。なんというか、独特の音感を持っているようだ。世間一般でいうところの音痴というやつだろうがまあ耐えられないほどではない。

 ヒロインの歌声と調子っぱずれな珠海の鼻歌を聞きながら、オレはのんびりと開梱作業を再開した。



     (了)


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