第2話 ヤギと幽霊②


その子が起きたのは麦茶から1時間後くらいのことだった。


その間、俺が何をしていたのかと言うと幼女の寝顔を眺めてニヤニヤしてたら、善意で「おまわりさん私です。」と自首しかねないので、夏休み課題たるものに手を付け始めていた。


いや、正確に言えば、ペラペラ課題の冊子をめくって、その量の多さに辟易してゴミ箱に突っ込みたくなっていた。

ついに担任も頭がいってしまったのか。(あ、髪のほうじゃないよ。そっちはもう既に…)


世の中の不条理に呆れつつ、せめて夏休みくらい休ませるべきだと脳内で明言していたら、変な妄想が生まれてきた。

「もしや、この幼女は俺に夏休み課題をさせるための学校からの刺客なのでは?」と。


勿論、そんな現実はあるはずもない。

そんくらい分かっていますよ。


この世はそんなに都合良くできとらんのだ。

俺はまだ17年くらいしか生きてないが、それくらい分かっていた。

逆に言えば17年も生きてる訳だしな。


その時、セミが窓にぶつかってきた。

無慈悲にガラスに弾かれて、地面に落ちていったのだが、これに驚いた俺が足元を滑らせて幼女の上にダイブしてしまった事件は事故として処理されてくれるだろうか。


もしならなかったら「いい匂いがしました。」って言いながら処刑されることになるだろう。我ながら人生の汚点すぎる。いや、人生が汚点すぎる。


流石に俺の体重は高校2年生の平均体重であるわけで、爆睡幼女でさえ眠眠打破させてしまったようだ。太ってないもん。デブじゃないもん。


「あのさ、君は誰さんなのかな?」


目を覚ましたその子に声をかけた。

その子は目をパチクリさせて、口をアワアワさせて、顔を覗き込んでいた俺の腹を蹴り飛ばした。


「デュワッフ!」


出したこと無いほど変な声で後ろに吹っ飛ぶ。


勉強用机に背中をぶつける。普通に痛え。


その子は立ち上がって俺に近づく。


まずい。暴力のコミュニケーションは非常によろしくない。なんとか温厚に済ませられないものだろうか。


まずは近くにあった麦茶を献上する。


「あ、喉かわいてるでしょ?これ麦茶ね。嫌いじゃなかったr…」


殴られた。


「まだ最後まで言って無いのに…」

なんつーか情けねぇことに幼女にボコボコにされていて、手も足も出ないのだ。


更に追撃。

当然のごとく、後ろへ吹っ飛ぶ。

殴られて分かるのだが、この幼女は見た目以上に力が強い。

護身術でも習っているのだろうか。

習っているのなら是非とも教えていただきたい。


当たり前に溢れる麦茶。俺の血じゃないだけマシだった。


右頬を殴られたら?次は言わずもがな左。

不良に胸ぐらを掴まれたみたいに間髪入れずに流れるように殴られる。2発、3発。


「痛い、痛い。ごめんって。」


この幼女のどこにそんな力があるのだろうか。俺の目が節穴でないなら、この子は華奢な体格に見えるのだが…。どうでもいいが、華奢なキャサリンって言いにくいな。早口言葉作れそうだ。


パンチパンチキック!パンチキッス(あら素敵)「あ、ごめんなさい事故です事故なんです!」


右脳と左脳が合体するほどボコボコにされた。

俺はそのうち練り物にされてスーパーの惣菜コーナーにボコボコのかまぼことして並ぶのではないかと戦慄した。


急に胸ぐらを開放されて、後ろに飛ばされる。


そして、その不安定な体に蹴りを一発。


我ながら見事に吹っ飛んだ。


背中を壁に打ち付けて、痛覚が仕事をする。サボればいいのに。


幼女に一網打尽にされている高校生の画がそこにあった。

ひとまず距離を取って、こぼれた麦茶を眺める。

「あーあ。せっかく入れたのに。もったいない。」とか言ってる場合じゃないな。


もう俺には最後の手しか無い。


人間にできることなど知れている。


戦うか逃げるか、闘争か逃走。


けれど俺はどちらも選ばない。なぜなら俺は平和主義者なのだから。


いつもこうして腐った現代を乗り越えてきた。俺にはその経験がある。


「君みたいな幼女とは違ってね。」


戦を略すと書いて戦略だ。つまり、肉弾戦より頭脳戦。


「くらえ!古来日本より受け継がれし最強奥義。」


「土下座!」


しなやかな動きで見るものすべてを圧倒させるとまで言われた俺の土下座である。


それはまるで水面に咲く一輪の花。

白鳥が水面を揺らして羽ばたくかのように美しい一挙一動。

いわば究極の美とまで畏怖されるべき奥義であった。


それに対して、幼女は独り言で何かをつぶやいた。

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